ゲームと物語の交差点その2 ゲームブックのやり残しと可能性


 前回はゲームと物語の間には、障害と克服という手法が共通すると述べた。
 しかしゲームと物語・小説では表現方法が違うとも述べた。
 これらがゲームブックにどのように影響を与えているか、考えてみたいと思う。

 私がゲーム性の高いゲームブックだと思うのが、サソリ沼の迷路である。ファイティングファンタジーシリーズの中でも初めての双方向移動ができる作品である。
 私が注目しているものは、真鍮の指輪である。これは“きみ”に敵意を持つ者や危険を察知する魔法の指輪である。このあたりは記号が判断基準になる一つの例だといっていいと思う。よく考えると、なぜ指輪は危険を察知したのか理由が知りたいところだ。しかしゲームは物語・小説と違って主人公の安全は読者が考えなくてはいけない。なぜという疑問は当然起こる疑問だが、安全かどうかという判断の基準にはならない(もちろん例外もありうるだろう)。しかし余計な情報にふだんから付き合わされては容量の無駄である。そういう判断がなされて、指輪という記号化がなされたのであろう。文章より記号を使うことによって、情報をコンパクトに加工したのだ。
 ゲームは物語・小説と違って、決断が重要視される。ゲームブックの中で、判断材料につながる情報を盛り込むには工夫が必要である。判断材料につながる情報が記号化されていること、これがゲーム性の高いゲームブックの特徴ではないかと私は思っている。
 それでは物語・小説よりの作品はどういうものか、次に述べることにする。

 物語・小説よりの作品は、テーマが決まっている作品であると思う。テーマが決まっている作品は、最後に今までの筋道が集約されて、読後に達成感を味わうようになっている。
 小説は、読者が最も楽しめる筋書き・演出を、作者自身が選択しているともいえる。小説よりのゲームブックは、読者が最も楽しめる筋書き・演出を、読者自身に選択させようとする試みである。
 この分岐した小説とも取れる表現形態は、障害と克服の連続が最後に報われる、というスタイルである。障害を意思決定によって克服するという、ゲーム流の楽しみ方とはちょっと違う点がなかなか興味深いところだ。

 それでは素晴らしいストーリーが一本存在し、メインとなるストーリーからちょっとでも外れるとゲームオーバーという作品はどうか。それは小説・物語が一本の筋書きからなっているという視点から見れば、こちらのほうがふさわしいともいえなくはない。だが読者はそれをできそこないの小説だと思うだろう。

 物語・小説よりのゲームブックに選択肢をつけるとしたら、望ましくない選択肢はできるだけ無くすべきだ、と私は思う。
闘って殺すべきではない人物を出すのなら、「闘う」という選択肢を置くより、この人物と今闘うのは得策ではないという情報をあらかじめ与えて、そのまま文章を書き進めていったほうがいいと思う。
 いわば選択肢の削除だ。これは読者の自由を侵していると思われるかもしれないが、実際このように削除された選択肢に気がつく読者は少なく、また気がついてもそれほど文句もないだろう。きっと根拠のない自由意思は尊ばれないのだろう。このあたりは、テーブルトークRPGだったらひと手間かかるところである。

 作者によって構成の仕方が違っていても不思議でない。例えば葛藤を中心に据えたり、サブストーリーにメインストーリーの舞台裏を表現したり。この部分はいまだ発掘されきってない部分であると思う。そしてここに、ゲームブックのやり残しと可能性が存在しているといえよう。ユニークな構成の小説としてゲームブックが紹介されても、個人的には悪くない気分である。
 ゲームと物語・小説はこれまで述べてきたように重なり合う部分が存在する。さしずめゲームブックは、ゲームと物語の交差点に存在する表現形態の一つと捉えてもいいだろう。

(2002年3月14日)


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