コンピュータゲームの快感


 コンピュータゲームは一人でゲームをするという、新しい遊び方を定着させた。これまでにトランプなどを使用した一人遊びはいくつかあったが、情報の選別・資源管理・操作などのゲーム性と高度な戦略性を備えた一人遊びは、コンピュータゲームが高めたといっていいだろう。
 コンピュータゲームが登場する以前のゲームを一言で表すとしたら、「勝負」ではないだろうか。カードゲーム(トランプなど)、将棋、囲碁、チェス、麻雀、ボードゲームなど数限りなく存在する。私の不勉強さもあるのだろうが、勝負に関係ないゲームを挙げるとしたら、TRPGぐらいしか思い浮かばない。
 将棋や囲碁などのゲームには、感想戦というものが存在する。勝負が終わった後に局面を振り返り、お互いが立場を超えてその局面の最善手を考えるのだ。相手の視線で局面を見ることはなかなか勉強になるし、また手ごわい好敵手が出来ることは嬉しいことである。死力を尽くしたライバルは、互いに尊敬するようになる。まさしくこういう状態こそ、ルールがしっかりした「勝負」の醍醐味のひとつである。

 私は家庭用ゲーム機の普及を、次のように考えている。
 家庭用ゲーム機を玩具のつもりで買ってきたら、それがたまたまゲームだった。
 それまでゲームは勝負のために存在した。それが家庭用ゲーム機の登場によって、ゲームは玩具のひとつとして認識されるようになってきた。ゲームマニアだけが買ったのではない。一人ないし二人で遊べることが、核家族化した日本の家庭に受け入れられたのであろう。

 コンピュータゲームが一人遊びを定着させることによって、人はゲームの中で新しい快楽を発見した。それは「達成感」である。さらに達成感を刺激するものは、なんでもゲームに転換できると考えられるようになった(それが面白いかどうかは別である)。それが、家庭用ゲーム機のゲームがバラエティに富んでいる理由である。

 達成感を楽しむには、「目標」が必要である。目標はあらかじめ用意されたものと、プレイヤーが立てるものがある。一般的に、プレイヤーが自主的に立てるほうが動機が強くなる。
 そもそもゲームはプレイヤーの意志に関係なく、あらかじめ目標がきめられているものだ。しかしゲームをクリアしても、プレイヤーは独自に目標を立てて遊ぶことがある。ゲームのクリアは、ゲームの制作者が立てた目標だ。それよりも自分の立てた目標を目指すほうが快感になっているのであろう。
 具体例を挙げると、アイテムをコレクションしてみたり、家庭用ゲーム機のRPGで主人公のレベルを最高に上げてみたりする行為である。またゲームのクリアに必要最低の条件を考えてみたり、見栄えのいいコンボ(組み合わせ)を考えてみたりと、自分自身で満足できる目標を立てて達成感を味わえるゲームが、評価されるようになってきている。
 ひょっとすると「勝負」よりも「達成感」を支持する人が多いかもしれない。家庭用ゲーム機が玩具として受け入れられたという経緯がある。勝負が好きではなくてこれまでゲームを買わなかった人にも、達成感が味わえるゲームは楽めるように作られている。操作が苦手な人には、RPGもある。
 あるいは遊ぶ時ぐらい競争から離れたい、という気持ちが達成感の評価につながっているかもしれない。達成感を売りにするゲームの特徴は“人を選ばない(一般向けである)”“努力すれば報われる”ということであると私は思っている。

 現在ゲームには、「勝負」という快感の要素がある。そしてコンピュータゲームが登場してから、「達成感」が快感の要素に加わった。
 現在ではネットゲームが登場し、離れた距離で時を同じくする者が同時にゲームをすることが可能になってきている。
 私は「達成感」の次に、「充実感」という快感の要素がゲームに加わってくると思う。友達と一緒に目標を共有する時に感じる快感、それが「充実感」である。頼り頼られ裏切らず裏切られず。自分も仲間も、お互いに必要としているし、補おうとしている。これらは「達成感」よりも報われる気分が大きい。人間思いもがけないところで助けられたり、仲間から感謝の言葉を受けたときに心を大きく動かされる。
 ただし「充実感」だけでゲームは成立しない。「充実感」は目標と関係ない要素なのだ。「充実感」はゲームの面白さを補助する要素である。プレイヤーはゲームの中で「目標」を持つ、あるいは捜すということになるだろう。
 日本はコンピュータゲームソフトを数限りなく出してきた歴史がある。その中には実験作があり、多くの失敗があった。ひょっとするとそのアイデアの中には、ネットゲームに生かせるアイデアも存在するかもしれない。

 ちなみにネットゲームの中で一番がっかりすることは記録が消えることより、なじみのネットゲーム仲間が消えていくことらしい。コンピュータゲームのリセットは、なんだかんだいわれてもゲームがプレイヤーのコントロール下にあることを示していた。しかしネットゲームには、プレイヤーがコントロールできないところがある。出会いと別れは突然やってくる。この切なさは私の表現能力を超えている。これ以上は読んでいるあなたに想像で補っていただきたい。
 逆にいえば、常にネットゲームにいるということが新しい職業になる可能性がある。他のプレイヤーを楽しませることが仕事だ。人付き合いの商売なので、神経を遣う仕事になるであろう。

 一人で遊べる。これがコンピュータゲームの一番の利点だ。対してネットゲームは一人で遊ぶものではない。これからゲームが多人数で遊ぶものに回帰するのか、一人で遊ぶコンピュータゲームにとどまるのか。それはこれからの人間のライフスタイルと相互に影響を及ぼしながら変化していくのであろう。

(2002年5月15日)

#ここでネットゲームと書いているものを正確に表現すると「オンラインRPG・ネットRPG」と呼ばれるものである。本来のネットゲームには麻雀など気軽に対戦するものが多い。対戦ゲームは協調型のゲームではないため、オンラインRPGより仲間意識が希薄であることを記しておく。


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