「火吹山の魔法使い」から


 「火吹山の魔法使い」から、ゲームブックの歴史は始まった。
 これ以降のゲームブックのほとんどは、何らかの影響を受けていると考えられる。

 このゲームブックの目標は魔法使いを倒すことではない。宝箱を開けることである。
 そして迷宮のあちこちに隠されたカギを集めることが目標達成のための手段である。
 宝箱には三つの錠がつけられている。ゲームをクリアするには、正しい三つのカギを探し当てる必要がある。
 ちなみにこの情報は“噂”という形で、最初から公開されている。

 もしゲームの目標が魔法使いを倒すことであるならば、簡単に最短距離(最善手)が見つかってしまうであろう。
 不思議なもので、ゲームをやっているときは最短距離を見つけたくなるものなのに、いざ最短距離を見つけてしまうとゲームへの興味は失われてしまう。
 さまざまなところにカギが配置してある。これは最短距離を見つけ難くさせるという効果があるが、「あちこち迷宮を巡ってね」という作者からのメッセージとも考えていいだろう。
 全ての部屋を巡る前に三つ目のカギが手に入る。そのときまだいくつかカギがあるのではないかと、プレイヤーは考える。だからプレイヤーはカギを一つ一つ手に入れていくにつれ、出来ることなら全てのカギを手に入れたい、と思うようになっていく。

 火吹山の魔法使いは、迷宮をぐるぐる巡っていく静かなゲームだ。にもかかわらず興味をひきつけるのはなぜだろう。

 プレイヤーは面白いゲームに出会うと、頭の中をゲーム一色に染めてしまう。
 これは面白い娯楽小説を読んでいると、この先の展開がどうなるか考えをめぐらすことに似ている。
 人は常に何かを考えながら行動していると、時間感覚が麻痺してしまう傾向がある。時間感覚の麻痺は、人が集中していたり夢中になっているときによく起きる現象である。
 火吹山の魔法使いは、常にカギ集めを念頭において行動を選択するゲームである。つまり火吹山の魔法使いがウケた原因の一つは、カギ集めによってプレイヤーの脳の時間感覚が麻痺し、プレイヤーを夢中にさせたからである。私はそう思っている。

 また、カギの獲得がすぐに答えとして現れるわけではない。さらに正しいカギを判別する方法はない。これはカギを手に入れた後も、緊張が続くということを示している。三つの錠を目の前にしてはじめて、自分の今までの行動の評価が出てくる。しかも引き返せない状態なので、静かだが緊張が高まる。
 火吹山の魔法使いが、特に何も考えることなく迷宮を探索しているだけのゲームであったら、あっという間に飽きられてしまっていたであろう。
 ゲームの目標を提示し、目標に到達する手段を示す。だが成果が報われたかどうか実際に試してみないとわからない。
 プレイヤーが欲しがるものをすぐに与えていては、プレイヤーの感情を盛り上げることができないのであろう。見事に三つの錠を開けることができたそのとき、達成感と不安からの解放感がプレイヤーの感情を大きく揺さぶる。火吹山の魔法使いのクライマックスであるといえる。

 これまで書いたことを簡単にまとめる。
 最初にゲームの目標と、目標達成のための手段を示す。しかし目標達成の必要条件を示さない。
 プレイヤーは目標達成の必要条件がわからないので不安感を持つ。しかし手段ははっきりと示されているので、目標達成を念頭におきながらプレイヤーはゲームを行なう。
 宝箱の開錠がクライマックスになる。これまでとってきた行動が報われるか、正しい手段を取ってきたのかが審判される。最も緊張感に満ちた瞬間である。
 開錠に成功したら、プレイヤーは達成感と解放感に包まれる。ゲーム中ずっと続いていた不安感がここでクリアされることによって、解放感が生まれる。

 提示された手段(カギの獲得)に沿ってゲームを進めていけば、火吹山の魔法使いの面白さにかかわってくるようになっている。
 以前「ハリウッド映画の法則」というコラムで、クライマックスから逆算して色々なものが作られていると私は書いた。同じように火吹山の魔法使いでは、開錠から逆算して色々なもの(手段は公開・必要条件は非公開)が作られている。
 やはり、面白いものはそれなりの構造が存在するのであろう。その構造を一つ一つ明かしていけば面白いゲームブック、あるいはノベルゲームが作れると私は思っている。

(2002年7月9日)


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