ハリウッド映画を参考に、物語とゲームの融合を考えてみる


 これまで私は、ゲームブックを小説(物語)とゲームの融合であると書いてきた。
 しかし分析してわかったのは、小説とゲームでは、あまりに違いが大きすぎるという事実であった。この二つをつなげるには、何か工夫が必要だと思うようになった。

 私はたまたまハリウッド映画の仕組みに興味を持った。
 そしてそこから、何かヒントを導き出せないかと考えるようになった。
 唐突だがこれからひとつの状況を、小説、ゲーム、ハリウッド映画のやり方で表現してみようと思う。それぞれの違いを比較して欲しい。
 太郎は駆け出しのセールスマンである。
 会社に利益をもたらすことができなければ、太郎はクビになってしまう。
 しかし営業成績は芳しくない。

 これを小説で表現すると、太郎は営業成績の悪さに苦悩する場面が出てくるはずである。
 なぜなら他のジャンルと比較して小説の優れている面は、主人公の苦悩を表現できるところにあるからだ。
 よって営業成績の不振による苦悩は、小説の得意を生かす材料のひとつになるといえる。

 それではこれをゲームで表現するとどうなるか。
 プレイヤーは太郎を操作することになる。
 プレイヤーはゲームの目標に向かって行動を起こすという展開になるだろう。

 では、これをハリウッド映画で表現するとどうなるか。
 典型的なハリウッドの脚本では、次のような展開になる。
 太郎が苦悩する時間はわずかである。
 なぜなら上司がやってきて、太郎を責め立てるからだ。
 太郎は上司とけんかになる。
 そして太郎は今までノルマを達成したことがないのに、つい一ヶ月で商品を千セット販売することを公約してしまう。
 太郎はどのようにこの約束を果たすのか…。

 ハリウッド映画に出てくる登場人物は、各々ゴールを持っている。
 コンフリクト(葛藤、対立)は二人の人物が互いに相容れないゴールを持つときに起きる。一人が勝ちをおさめ、一人は敗者となる。
 太郎は営業成績の悪さに苦悩する。
 しかしその構図は、相容れないゴールを持つ上司の登場によって直ちに変化する。主人公がうまくいかないときはその象徴となる人物が直ちに現れて、主人公と対決するのだ。
 太郎は上司とのやり取りで途方もない約束をしてしまう。その困難な約束をどう果たすかということに観客は興味を持つ。
 こういう問いかけは作品の中で何回も繰り返されるが、そのなかでもクライマックスに直結した問いかけをセントラル・クエスチョンと呼ぶ。


 ハリウッド映画では、登場人物がゴールを持っていると前にも書いた。
 この要素が、ゲームと重なってくる。
 つまり小説などでも登場人物にゴールを持たせたら、ゲームと相性のいい作品ができるのではないか、ということである。
 
 通常、小説とゲームとはあまりにかけ離れた要素をもつので、直接結びつけることは難しい。
 この二つにハリウッド映画のエッセンスを持ち込むことによって、いくぶん融合しやすくなる。
 例えば小説でもアクティブに主人公の悩みを表現したい時は、ただちに障害の象徴となる人物を登場させて対決させる。
 例えば速やかにゲームに興味を持ってもらいたいときは、プレイヤーを読者・観客に見立てて問いかけをいくつも作っていく。

 こうしたテクニックは、物語ゲームの制作に大きく役に立つと思われる。
 私はゲームブックにも応用がきくと思う。
 そしてゲームブック以外にも、コンピュータゲームなどでも必要となるだろう。
 日本のゲームはこれまでたしかに発展してきた。しかし後に続く人材が育たなくては、衰退は免れない。
 新しい技術を追いかけることだけが発展ではない。観客や読者・プレイヤーがツボにはまるポイントはある程度決まっている。これを押さえれば少なくとも急速な衰退は起きないだろう。特に日本のゲームには物語性の濃い作品が多いので、こうした研究は必要になるだろう。

まとめ

・登場人物にゴールを持たせることによって、小説とゲームが融合しやすくなる
・登場人物に互いに異なるゴールを設定することによって、対立構造を作り出すことができる
・登場人物の苦悩や障害は、それらを象徴する人物が現れて対決が発生する
・クライマックスに直結した問いかけ(セントラル・クエスチョン)を何回も繰り返す

参考文献
ハリウッドリライティングバイブル リンダ・シガー著 田中裕之訳 愛育社

(2003年1月18日)


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