<1999年10月16日>

始めよう

前略 X様

君に会えなくなってからもう半年を過ぎたのに、今も夢に君が出てくる。
立ち眩みで幻を見れば君の霊かと思い、懐かしいダミ声が聞こえれば空耳でも君の声かと思う。
だが君の為に、君に世話になった人々から香典を集め、まだ幼い娘を抱いた未亡人に手渡した僕が、君の死の事実を間違えるはずがない。
君は、確かに、ここに、いない。

今年の香港は、国慶節(注:中華人民共和国の建国記念日)を過ぎてもまだまだ暑い。
僕も少々バテ気味だ。
でもきっと、一年前の君の体重の倍くらいはあるだろうから、心配はいらない。

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ホームページを始める事にした。まずその事を報告しようと思う。

最初は、適当な掲示板が付いていれば、何でも良かった。正直に言えば、他人に迷惑をかけずに喧嘩をしたいと思い、その為に自分の掲示板を持ちたかったからだ。

ところが実際に掲示板をまず先に設置してみると、喧嘩を売りに来るやつは来ない。
掲示板を設置して二日経ったが、まだ一人も来ない。
やはり他人の掲示板で喧嘩をしようという人間は、特殊なのかも知れない。

菜摘ひかるさんのHPで知り合ったEyeli Micoさんによれば、喧嘩を売られて「望むところだ」と言うような猛者は、なかなかいないということだ。なるほど、そういうものか、と思った。

だからせっかくホームページを作ったのに、これでは本来の目的の為に使うことが出来ない。
それで、使用方針を少し変えることにした。
それは、つまり、前々から僕が試したかった事だ。

僕は大学時代まで、日記を書いていたんだが、ある時を境にして、そういうものを全く書かなくなった。
その代わりに、手紙ばかり書くようになった。

理由は簡単だ。
文章に関する鑑賞能力が、僕自身の文章作成能力を上回って、僕は絶望したのだ。
だから不特定多数の他人が読むことを前提とした日記や随筆のようなものを書く者としての僕は、とっくの昔に終わっている。

その「終わった所から始める」こと、それが僕が前々から試したかったことだ。

その方針を思いついた時、僕の口からは自然にあの言葉が出た。

「終わった所から始めた旅に、終わりは無い」

君は日本の文学にも詳しかったから、きっと知っているだろう。僕が高校時代に大好きだった安部公房だ。でも香港に仮住まいしている僕の書斎には、安部公房の書いた本は無い。だからこの文句はうろ覚えだ。今度帰国した時に確かめるけど、間違っていたら許してほしい。

安部公房は戦後の混乱の中、中国から日本に引き揚げてくる途中で、様々なものを目にした。
それらの中の幾つかは、彼の小説や戯曲のモチーフとなって後に結実するが、中国大陸での経験が、明晰な文体にも関わらずぼんやりとしたイメージしか読者、というか僕に想起させられないのが、この彼の処女長編「終わりし道の標(しるべ)に」だ。

安部公房は20代の半ばに日本に帰り、徴兵を逃れる為の方便であった医者の道を当然のように捨てて、「無名詩集」を売って生活しようとした。
煙草が好きだったが金も無かったし、終戦直後のこととて嗜好品はままならず、石川淳の元に転がり込んで、火鉢の中の湿けモクを師匠がトイレに出た隙に探し集めてポケットに詰め込んでいたという。

そして「壁−S.カルマ氏の犯罪」で芥川賞を、「赤い繭」で戦後文学賞を受けて、一躍文壇に躍り出、「日本のカフカ」と呼ばれるようになった。

僕はその安部公房を、生まれ故郷の神戸で見たことがある。それは「箱船さくら丸」の出版記念サイン会の時だった。当時僕はまだ高校二年生だ。
安部公房は牛乳瓶の底のような分厚いグリグリ眼鏡をかけ、それ程多いとは言えないファンの行列(確か30人にも満たなかった)に穏やかに接し続け、それが終わると書店に頼まれた数の分だけ、新刊書のサインを黙々とこなしていた。

その時印象的だったのは、近くにいたS女学院の女の子達の反応だ。彼女たちは、この老作家が日本人で最もノーベル文学賞に近い人だとも知らず、ただ偉い作家の先生らしいという理由で、思いついたように愛想を振りまいて、安部公房に握手を求めた。
安部公房は、もとより彼女達が自分の読者では無い事を知っていたので、苦笑いしながら握手に応じたが、その苦笑いが、その日一日中この老ツァラツストラを見つめていた僕にとっては、最も生き生きと輝いていたように見えたのだった。

その後、かの老作家はノーベル文学賞を待つことなく逝き、作家の生前は単行本のデザインを担当し、死後は遺稿を整理していた真知夫人も、病気で間もなく後を追った。

日本人で彼を知る人は、特定の世代に固まっている。僕より若い人で彼を知る人は少ないはずだ。
その世代は今、戦後の焼け野原のような荒涼とした日本を、それぞれの場所から眺めている。

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ホームページの題名は、僕の死んだ祖父が晩年、最も待ちこがれていた言葉だ。彼は四国から大阪に、昔ながらの丁稚奉公に出てきた最後の世代だった。

彼はタクシーに乗ると、惚け始めた頭を揺すって、いきなり運転手に「儲かりまっか?」とよく訊ねていた。それは彼がまだ若く、自立したばかりの頃身についた挨拶の言葉だった。

タクシーの運転手は十中八九、こう言った。
「あきまへんなぁ」
大阪ではこれは「良くもないが、悪くもない」という意味だ。

結構自分の思い通りに儲かっている時、彼らは「ぼちぼちでんな」と言う。実は自分の思い通りに儲かる事など滅多に無いので、これはかなり良い状態を指していると言える。
ところが景気が下り坂の浪速の街並みの中で、晩年の祖父はこの言葉を聞くことが滅多になかった。

今僕は、おぼつかない足取りで、ここに再びものを書き始めた。
それで、彼岸に在る祖父には、何とか格好を付けて言いたい。

「ぼちぼちでんなァ」

 

早々

 

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