―雪の空―



その年の冬は、例年になく穏やかな気候の日々が続いていた。

軍の仕事が一段落したので、帝国軍上級大将のナイトハルト・ミュラーとフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトは久しぶりの休暇を取ることができた。
そこで二人はビッテンフェルトの友人からの招きをうけ、そろってランドカーでオーディン郊外の小さな街へと向かうことにしたのだ。

彼らは割とよく酒を一緒に飲む間柄ではあったが、休暇にどこかへでかけてともに過ごす、ということはめったにない。
なにしろ彼らは年がら年中戦艦の上の人であるわけだし、たまの休暇も重なることは珍しいからだ。
今回、ビッテンフェルトが半ば強引にミュラーを誘わなければこの小旅行も実現することはなかっただろう。

さて、車中の二人はというと、やわらかな冬の陽光と豊かな窓外の緑に、日頃積み重なった心身の疲労が解かされ癒されてゆくのを存分に楽しんでいた。

「なあ、ミュラー提督」

「なんです?ビッテンフェルト提督」

「いや、その、なんだな、卿にはその、休暇を一緒に過ごすような恋人は、・・・いるんだろうな、やっぱり・・・」

「?いえ、小官には今のところそのような相手はおりませんが・・・?」

すっかりくつろいでいたとはいえ、ミュラーは何故突然ビッテンフェルトがこのようなことを聞いてきたのか、その真意を測りかねていた。
そもそも、ビッテンフェルトの口から「恋人」だのという単語が出てくること自体、非常に稀なのであるから。

「そ、そうか。それはよかった!!」

「・・・よいこと、でしょうか・・・?」

ミュラーの穏やかな反論にビッテンフェルトは慌てて首を振った。

「あ、いやいや、違うのだ。実は、今回卿を誘ったのはほかでもない。是非卿に会わせてほしい、と頼まれてな・・・」

「小官を、ですか?」

「どうやら卿のファンらしいのだ。これから行く俺の友人の妹なんだが」

「・・・はあ」

ミュラーは話の成り行きに戸惑っていた。いきなり自分のファン、といわれても、答え方がわからない。

(・・・・・・俺は一介の軍人なんだが・・・・・・)

長い軍隊生活の中で、「恋」とは無縁の生活を送ることがいつのまにかあたりまえになっていた。もちろん、これまで一度も女性とそういうことがなかったわけではない。だが・・・・・・。
ミュラーはいずれ行われるであろう新たな戦いのことを思う。

(今は、女性と付き合うときではない)

どんな女性も、いまだミュラーの心を掴むことに成功していない。
そう、青春と呼べる時期に風のように通り過ぎた、ただ一人を除いては・・・

「うらやましいものだな!ミュラー提督。いや、卿ほどの男ならば当然といえるか!!」

そんなミュラーの胸中を知るはずもないビッテンフェルトは、そう言ってバシバシとミュラーの肩をたたくと豪快に笑った。
ミュラーは曖昧な苦笑を返すと、そっと窓の外に目を転じる。


遥か遠くの空から、厚い雪雲が音もなく近づき始めていた・・・



しばらく後、二人を乗せたランドカーは落ち着いた雰囲気のごく一般的な大きさの家の前に到着した。

「さあ、着いたぞ」

ビッテンフェルトが言いながらランドカーから降りようとしたとき、家の中から一人の女性が出てきた。

「あ!フリッツ!!」

満面の笑みを浮かべてビッテンフェルトのほうへ駆け寄ってきた美しい女性の姿に、ミュラーはランドカーの中からしばしば見とれた。

「おお、久しぶりだな!ヴァレリー!」

ヴァレリー、と呼ばれた女性は、滑らかな黒髪と茶色の瞳、そして健康的な肌の色を持つ文句無しの美人だ。

「お兄さまが首を長くして待ってるわ。さあ、どうぞ!」

「待て待て、ヴァレリー。今日はお前に頼まれた客人を連れてきたのだ」

「え?お客さま・・・?」

そう言ってランドカーのほうにはじめて目を向けたヴァレリーと、彼女にくぎ付けになっていたミュラーの視線がぶつかる。

「あ!・・・」

その砂色の瞳にまともに射ぬかれて、ヴァレリーは見る間に顔を赤らめていった。

「お前が紹介しろ紹介しろってうるさいからわざわざ来てもらったのだぞ」

ビッテンフェルトの言葉を聞きながらミュラーはゆっくりとランドカーから降り立った。

「はじめまして、フロイライン。小官はナイトハルト・ミュラーです」

「あ、は、はじめまして・・・わ、私、ヴァレリー・クレンヴィユと申します・・・」

「何を硬くなっておるのだ。あんなに会いたがっていたミュラー提督だぞ!!」

面白そうに二人の様子を見ていたビッテンフェルトの大声が聞こえたのか、家の中から男が一人出てきた。

「やはり君か!よく来てくれた!!」

「ヘルマン!元気そうだな!」

ヴァレリーの兄にして今回の招待主、ヘルマンとビッテンフェルトはがっちりと握手を交わした。

「では、こちらが?」

ヘルマンはミュラーに軽く会釈をするとビッテンフェルトに尋ねた。

「ああ、そうだった。ミュラー提督、俺の友人のヘルマン・クレンヴィユだ。こちらが俺の同僚のミュラー提督だ。」

「はじめまして、ナイトハルト・ミュラーです。この度はお世話になります」

「はじめまして、ヘルマン・クレンヴィユです。ようこそおいでくださいました」

互いに挨拶を済ますと、4人は家の中へと場所を変えることにした。



「しかし、ずいぶん美人になったじゃないか、びっくりしたぞ!!」

夕食のテーブルにはヴァレリーが朝から腕を振るって作ったささやかだが心づくしの料理が並べられていた。

「そんな、なによ、突然・・・」

ミュラーが同席している所為でいつもより極端に口数が少なくなっているヴァレリーに向かって、ビッテンフェルトが自慢の大声を張り上げる。

「ま、これならいつでも嫁にいけるな!」

「もう!おじさんくさいこと言わないで!そんなこと言ってるとおかわりあげないんだから!」

まるで本当の兄妹のようにじゃれあう(どつきあう?)二人に、ミュラーも思わず笑みをこぼす。

「フロイラインとビッテンフェルト提督はずいぶん前から?」

穏やかに微笑みながらミュラーが二人に声をかける。
はっとしたように振り向いたヴァレリーはその瞬間見事に完熟リンゴと化した。

「幼なじみなんですよ、ビッテンフェルト提督と私たち兄弟は」

恥ずかしそうにうつむいたままビッテンフェルトの腕をつねり上げている妹を横目にヘルマンが笑いながら答えた。

「昔隣に住んでいたのだ」

ヴァレリーのささやかな復讐などどこ吹く風とばかりに豪快に料理を平らげながら、ビッテンフェルトが付け加える。

「いいですね、気の置けない間柄というのは」

暖炉の火が揺らめく居心地のいい空間に、ミュラーは満足してくつろぎを覚えていた。
狭すぎも広すぎもしない、暖かな光が満ちた居間。
木目の優しさをそのままいかした幾つかの家具。
ゆったりとしたドレープが厚手の生地に陰影をつける窓辺のカーテン。
隣室のキッチンへ続く仕切り戸には押し花のコサージュがひっそりと息づいていた。
何気なく室内の調度を見渡していたミュラーは、ふと写真立てに飾られた家族写真に目を止めた。
木のフォトフレームに収まった、その優しい雰囲気に思わず見とれる。

「・・・ご両親と、ですか?」

ミュラーの視線をたどって3人も写真を見つめた。

「ええ・・・7年前に他界しましたが・・・」

ヘルマンがワインを注ぎ足しながら言った。

「あ、それは・・・・・・不躾なことを言ってしまいました・・・」

「そんな!ミュラー提督のせいじゃありませんのに!!」

申し訳なさそうに恐縮しているミュラーに向かって、ヴァレリーが叫んだ。
言ってしまった後で、はっとしたように自分の口を押さえる。
そんな彼女の様子に思わず3人の男たちは微笑んだ。

「ヴァレリー、ワインを取ってきてくれ、お前の好きなやつでいいから」

ヘルマンが動揺している妹に救いの手を差し伸べた。

「あ、う、うん。じゃ、倉庫に行ってくるね!」

そう言うと、ヴァレリーは逃げるように外の倉庫へと向かった。

「・・・・・・まったく、不器用なやつだ」

自分のことははるかかなたの棚に上げて、ビッテンフェルトが苦笑する。

「どうも、年の離れた妹、というやつには父親のような気分になってしまう」

ヴァレリーの出て行った扉を見つめながらヘルマンが溜め息混じりに言を継ぐ。

「それを言うなら俺も同じだ。なにしろヘルマンと二人でヴァレリーの子守り役だったからな!」

「そうそう、昔からなんともおっちょこちょいなやつだったから、いつも何かをしでかしては転んで泣き出して、なんだかんだしているうちに関係なくても俺たちが叱られる羽目になったよ」

「それで俺たちがお前のオヤジさんやうちのオヤジにこってり油を絞られてるころ、肝心のあいつはきょとんとした顔をしてとっとと次の遊びを見つけてたな」

「それでも結局あいつを怒る気にはならなかったなあ」

「やっぱりみんな女の子には甘いんですね」

ミュラーのあいづちに3人の笑い声が重なった。
ミュラーは故郷にいる自分の妹を思い浮かべてなんだか暖かな気分になった。
彼もまた、妹に甘いという点では彼らと同じであったから。

と、その時、愉快そうに笑っていたビッテンフェルトがふと気づいたように問い掛けた。

「おい、ヴァレリーを倉庫に一人で行かせて大丈夫だったのか?」

思わず顔を見合わせた3人の耳に、計ったかのようなタイミングで倉庫の方向から派手な音が飛び込んできた。

「・・・・・・やっぱり」

ヘルマンが首を振って肩をすくめる。

「ちょっと行ってみたほうがいいか」

「そうだな、じゃあ俺が・・・」

立ち上がりかけたヘルマンをビッテンフェルトが押さえる。
不思議そうに見返す友人に、彼はにやりと笑って提案した。

「まあ待て、ヘルマン。・・・ミュラー提督、卿が行ってみてやってもらえないだろうか?」

突然話を振られてミュラーは慌てて口の中のサラダを飲み込んだ。

「小官が、ですか?」

「ああ、ダメか?」

「・・・・・・」

だめかもなにも、常識的に考えて初対面の、しかも客人の自分が、この家のどこをどう探せというのか。
そう言いかけて、だがミュラーは言葉を飲み込んだ。
先刻のランドカーの中での態度といい、そもそもこの休暇にわざわざ自分をこの家へ誘ったことといい、彼が何かを企んでいるのは明白だった。
そっちがその気ならそうしてやろうではないか。
そう、「何事もなく」彼女を見つけてくればよいだけなのだから。
ミュラーは不本意ながらなんとなくビッテンフェルトの思惑に気づいたが、あえて何事もないような顔をして言った。

「分かりました。では、行ってきましょう」

ミュラーは席を立つと先ほどヴァレリーが出て行った扉へと向かう。
恐らく人の悪い笑みを浮かべて見ているだろうビッテンフェルトに、心の中で悪態をつきながら。
そしてなぜか、そうしながらもそれほど嫌な気分になってはいない自分を不思議に思いながら。

「出てすぐ右側の建物です。暗いから気をつけてください!」

追いかけるように掛けられたヘルマンの声に軽く会釈を返すと、ミュラーは扉の外へ出た。



「・・・・・・どういうつもりだ?」

ミュラーが消えたのを確かめてヘルマンがビッテンフェルトを胡散臭そうに見つめた。

「なに、ヴァレリーも年頃だからな。恋人の一人や二人、いなくてどうする」

平然とした顔でビッテンフェルトが答えた。

「恋人って、お前な・・・・・・」

意外な人物から意外な言葉を聞いた、といわんばかりの顔でヘルマンは絶句した。

「ミュラー提督はいいやつだ。幸いなことに恋人もいないそうだからな、ちょうどいいじゃないか。ましてや、ヴァレリーとは初対面じゃないわけだし」

何がちょうどいいんだ、と思わず言いそうになるのを押さえてヘルマンはひとつ深呼吸した。

「何でまた突然そんなことを思いついたのやら・・・・・・」

「いや、ヴァレリーに頼まれたのだ。是非ミュラー提督に会いたい!とな」

「俺は聞いてないぞ!!」

「言いたくなかったんじゃないのか?」

「なんだと!」

「いつまでも兄貴にべったりのわけがないだろう。お前もそろそろ妹離れをしたらどうだ」

「・・・・・・」

痛いところを付かれたのか、言葉に詰まったヘルマンに、ビッテンフェルトは更に続けた。

「やはり、嫁に行くところまで見届けるのが父親役の務めというものだろう」

「・・・・・・やれやれ」

二人は顔を見合わせて苦笑すると、残ったワインで乾杯した。



外はいつの間にか冷え込んでいた。
ミュラーは一つ身震いをすると、急いで倉庫の中へと足を踏み入れた。

「フロイライン・・・」

明かりのともる地下への階段を覗き込んでヴァレリーを呼ぶ。
しかし、答えは予期せぬ方向から返ってきた。

「ミュ、ミュラー提督!?」

驚いて顔を上げると薄暗い照明の中で、高窓の下にうずたかく積み上げられた机やら椅子やら箱やらが目に入った。

「フ、フロイライン!!」

そのバリケード(?)の頂上で、ミュラーの探す相手は夜目にもそれとわかるほど真っ赤になって座り込んでいた。

「どうされたんです!そんな所で!?」

まさかここの家のワインは天井にでも隠してあるのか!と埒もない考えがミュラーの頭をよぎる。

「あ、あの、ごめんなさい、雪が降ってきそうな気がしたから・・・・・・」

「雪?」

呆気にとられてミュラーは相変らず頬を朱に染めたままのヴァレリーを見つめた。

「そ、外で待ってようかと思ったんだけど寒くって・・・。でも絶対最初の雪が地面に届く前に、この目で見つけたいって思ったんです・・・!」

「・・・だからって何もそんな所で・・・」

一体どこの人間が雪を見るためだけに寒い中3メートルものバリケードをたった一人で築くだろうか?

「あの、高いほうが早く見つけられるかなって・・・・・・、だって、雪って・・・」

言いながらヴァレリーは更に弁解しようと思ったのか前に身を乗り出した。

「危ない!!」

・・・・・・案の定、とっさに駆け寄って受けとめたミュラーの腕の中にヴァレリーは転がり落ちた。
どさり、と床に倒れこむと、ミュラーはホッと息をついた。

「まったく、無茶をする・・・」

「ご、ごめんなさい、私!!」

ミュラーを下敷きにした形のヴァレリーは慌てて飛び起きようと顔を上げた。
だが、彼女の意図とは逆に、その拍子に同時に身を起こしかけたミュラーともろに顔をつき合わせてしまうことになってしまった。

「怪我は!?」

至近距離から心配そうに尋ねるミュラーにヴァレリーは呼吸するのも忘れてぶんぶん、と首を振った。

「あ、い、いえ、全然!!大丈夫です!!」

安心したように息をついたミュラーは、ふとヴァレリーが大事そうに握り締めている小さな紙に気がついた。
転げ落ちても離さなかったとはなんだろうと、ふとした興味が沸いてくる。

「それは・・・?」

ミュラーの視線に気づいたヴァレリーが、はっとしたように自分の手の中の物を見つめる。
二人分の視線を受けて躊躇いがちにゆっくりと開かれた手のひらの中には、紙に貼り付けられたすみれの押し花がひそやかに色づいていた。

「すみれ、・・・ですか?」

「・・・ええ、宝物なんです・・・・・・」

ミュラーはふと、遠い日の記憶が脳裏をよぎるのを感じた。

「・・・・・・きれいな色だ・・・・・・」

目を細めてじっと可憐な花を見つめるミュラーの横顔に、何かを問いたげなヴァレリーの視線が降り注いだ。

「・・・覚えては、いらっしゃいませんよね・・・やっぱり・・・」

そのどこか寂しげな、物問いたげな声にヴァレリーを振り返ったミュラーは、改めて間近で見る彼女の顔に、ふと、遠い記憶が重なって見えた気がした。

「・・・前に、どこかで会ったことが・・・?」

言ってしまってから、ミュラーはしまったと後悔した。

(これでは陳腐な口説き文句とそう変わりはしないじゃないか)

慌てて言い直そうとしたミュラーに、だが、ヴァレリーはぱっと顔を輝かせた。

「思い出しました!?」

呆然としてミュラーは彼女を見詰めた。

「あ・・・・いや・・・・その・・・」

どもりながら何とか言葉を探そうとする彼を、不安そうな、それでいて期待に満ちた瞳でじっと見つめる少女。
その表情が不意にミュラーの記憶の扉を押し開いた。

「君は・・・」

そのまま、唇を微かに動かす。
溢れ出す記憶。
彼方に置き去られた過去。

「そうだ・・・確か、まだ俺が中尉だったときに・・・」

音もなく、すべてが流れ寄せてきた。



愛していた女性がいた。

どうしようもないほど愛しくて、どうしようもないほど憎くて、彼女のすべてを束縛しようとしたあの日の自分。
罵りあい、貪りあい、その度ごとに、心はどんどん離れていった二人。
冬の間中お互いを傷つけあって、すみれの花の咲くころに、永遠に失った恋・・・・・・

やりきれない思いを抱えてあてもなく歩きつづけているうちにたどり着いた小さな野原・・・




「・・・あのときの・・・!?」

小さな少女。
その年最初のすみれを探すんだ、と泣き続ける少女と手を繋ぎ、二人で日暮れまで野原を歩き回った。
春寒の、風吹き抜ける中を。
どこまでも、どこまでも。
見つかる保証もない「希望」を探して。

嬉しそうにヴァレリーが頷く。

「これ、あのときのすみれなんです」

「じゃあ、君は・・・・・・」

ヴァレリーは微笑みながらミュラーを見つめて口を開いた。

「――あの時、両親が亡くなったばかりだったんです。悲しくって悲しくって、毎日泣いてばかりいた私を見かねて、兄があの野原の近くにある知りあいの家に連れて行ってくれたんです」

「そうだったのか・・・」

ミュラーは再びあの日のすみれに視線を戻した。

「母が、口癖のように言ってたことがあったんです。『その年最初の物には不思議な力がこもってるのよ』って。それを思い出して、すみれを探したくなったんです。もしかしたら、不思議な力で父や母が帰ってくるかもしれない、と思って・・・・・・」

そして、探しつかれたころやっと見つけたのだ。小さな小さな紫の花を。

ミュラーは、そっとヴァレリーの手の上の押し花を手にとった。
「・・・・・・確かに、不思議な力があるのかもしれないな・・・」

すみれを見つけたとき、自分の中で何かが終わって何かが始まったのだ。
相変らず心は重く沈んだままだったが。
これからのことなど何一つわかりはしなかったが。


自分の上にも、春は来たことに初めて気がついたのだ。


「絶対あります!だって、両親は帰ってこなかったけど、ミュラー提督に会えたもの!!」

見惚れるようなヴァレリーの翳りのない笑顔に、ミュラーもつられて微笑んだ。

「そういえば、あの時提督は何であそこに?」

ヴァレリーが初めて気づいたようにミュラーに尋ねた。

「・・・・・・見つけたかったのかもしれないな、何か、最初のものを」

わけがわからずぽかんとしているヴァレリーをほほえましく見つめていたミュラーは、さっきのバリケードの上の窓に、なにか白いものが横切ったことに気づいた。

「あ!フロイライン!!」

言いながらヴァレリーを抱き起こすと、そのまま急いで倉庫の外へと連れ出した。

「わあ・・・・・・!!」

見上げる二人の上に、ゆっくりと白い綿毛のような雪が舞い降りてきた。

「どうやら間に合った」

「ほんと・・・」

音もなく軽やかに落ちてくる雪を、しばらく二人は見つめつづけた。

「・・・今度は、何が起こるのかな?」

ぽつりとヴァレリーがつぶやいた。

「フロイライン?」

「やだ、提督。『フロイライン』はやめてください」

笑いながらヴァレリーがミュラーの顔を見上げた。

「そうか、そうだな。じゃあ、ヴァレリー・・・・・・」

優しく見つめ返したミュラーに嬉しそうにヴァレリーは頷いた。

そのままにこにこと笑顔をかわしている二人の背後から、突然ビッテンフェルトの大声が聞こえてきた。

「ミュラー提督!ヴァレリー!料理が冷めてしまうぞ!!」

思わず同時に振り返るが、どうやら家の中から叫んだらしい様子に、今度は苦笑し合う。

「・・・ワインを探さないと」

「ええ。・・・・・・一緒に探してくれますか?」

笑って頷くと、ミュラーはヴァレリーの肩を抱くようにして再び倉庫へと歩き始めた。



――恋をしてみるのもいいかもしれないな。


今年最初の雪を肌に感じながら、ミュラーはそっと、胸の中でつぶやいた・・・・・・



――END――