敷 島 随 想



「連 載」 第 51 回  ***第6番・その1***
*****中納言家持ー万葉歌人

<官人家持>
 万葉集を編纂した「万葉歌人の代表」とされている大伴家持の人生を
参考資料(注)で辿りますと、68年の生涯のうち大凡三分の二は和歌と
ともに歩んだ年月であったのですが、それ以上に全国各地方長官としての
「官人家持」の活動の方が重要であったことが分かります。
  (参考メモ・その1「家持年譜」を参照願います。)

 (注)橋本達雄「王朝の歌人2・大伴家持」集英社(1984年12月)
    山嵜泰正「人生の三視点から見た大伴家持の心象」ときじく文庫
        (1985年6月)

(出典:学研の実用特選シリーズ「百人一首」学習研究社
(昭和60年12月)p。22)
 奈良の都(佐保の里)で生まれ、少年の頃、父旅人の転勤に伴い太宰府に行
き、29歳の時、越中国守という地方長官職に赴任したのを初めとして、兵部
少輔として、難波京で防人の検閲に当たり、因幡守の時、万葉集を読み納め、
さらにはその後、薩摩守、太宰少弐などの西国の任に就くとともに、今度は引
き返して、相模守、上総守、伊勢守を歴任し、最後は陸奥において持節征東将
軍となり、多賀城でなくなりました。
 
 こうしてみますと、家持は、西国(九州・山陰)、北国(北陸)、東国(奥
羽)と全国各地の隅々まで、渉り歩いた外勤の官人人生であったことが分かり
ます。

大伴家持の勤務地遍歴図
(出典:新選「日本史図表」第一学習社(昭和60年2月)
  彼は、「万葉歌人」と言われるよりは、家名の通り御門の伴人としての
「大伴の長者」であったと言われたかったと思います。
 中年期までの彼にとって和歌は、趣味以上の「人生の伴侶」であったことは
確かですが、命に代えてまで護る物でもなかったのです。あくまでも命に代え
てまで「祖(おや)の名絶つな」と護るものは、天皇の付き人としての「大伴
の氏と名に負へるますらをの伴」(万葉集・巻第二十・4465番歌)であっ
たのです。

 そして、大伴氏族の首長としての和歌は、次の訓戒の詠となります。

 「磯城島の大和の国に明けき名に負ふ伴の緒心つとめよ」
                 (万葉集・巻第二十・4466番歌)
 「剣太刀いよよ磨ぐべしいにしへゆ清けく負ひて来にしその名ぞ」
                 (万葉集・巻第二十・4467番歌)

 家持がもっとも報国の精神を高めたのは大仏造営に当たって時宜を得た陸奥
での産金の時で、万葉集の中で、次のように「大王(おおきみ)の辺に」「言
立て」しています。「陸奥国より金を出せる詔書を賀く歌」として、

 「・・・海行かば 水漬く屍 山行かば草生す屍 
     大王の辺にこそ死なめ 顧みはせじ・・・・
  ・・・梓弓 手に取り持ちて 剣大刀腰に取り佩き
     朝守り 夕の守りに 大王の御門の守護 
     われをおきて ひとはあらじと・・・・・・」
                (万葉集・巻第十八・4094)

 この一首は、昭和13年に日本放送協会が信時潔氏に依嘱して作曲されてい
る曲です。日本的旋律のミ、ソ、ラ、シ、レ、ミを基本として用い、戦前の日
本人には戦争に関係した悲痛な思い出につながる印象の深い曲になっていま
す。

(出典:中公文庫「日本の詩歌・別巻日本歌唱集」中央公論社(1974))

信時潔氏信時潔氏の日本歌曲作品例
(昭和10年作曲)
「丹澤」「あづまやの」「北秋の」「沙羅」
「鴉」「行行子」「占ふと」「ゆめ」
(音楽会の例)
2001年度大阪音楽大学音楽専攻科
ピアノ声楽アンサンブル発表会
2002年2月4日(月)17:00
ミレニアムホール(大阪音楽大学P号館)

信時潔(1887-1965)(出典:団伊玖磨「私の日本音楽史」NHKライブラリー
(日本放送出版協会)(1999年7月))

<万葉集中の家持>

 「万葉歌人の代表者」家持(718〜785)の万葉集に於ける位置付けを
参考資料(注)の要点に従って次に列挙します。

 (注)橋本達雄「王朝の歌人2・大伴家持」集英社(1984)p.106-108,p.241-244)
    中西進編「講談社文庫・万葉集事典」講談社(1985)

厳島神社百人一首扁額・中納言家持
(出典:別冊太陽愛蔵版「百人一首」(1974年11月)平凡社p。135)
1.万葉集大分類
  (1)第一部 巻 1〜16 収録した和歌の分類が施され、年代順に編
                纂されている。
                天平16年(744)までの歌が主体。
  (2)第二部 巻17〜20 大伴家持の歌日記的構成。
                天平18年(746)以降の歌が主体。
2.第一部編纂への参画
  (1)編纂の原形部分 巻1〜2 (持統朝・柿本人麻呂他)
             巻3〜7 (聖武朝・笠金村、山辺赤人他)
  (2)編纂の仕上げ  巻8〜16(橘諸兄主宰で天平16〜18年
                   744〜746、大伴家持、
                  田辺福麻呂、市原王などの共同作業)
  (3)編纂の総括   巻17〜20(光仁朝・宝亀年間770〜781                   位階昇進の着実に進んだ家持が
                   第一部の手直し、増補および全体に                   渡る整備をした。) 

     万葉集の最後の歌は、天平宝字三年(759)一月一日因幡国庁で
     の詠で、その後宝亀元年(770)までの10年間は、薩摩守、太
     宰少弐で、西国の地にあり、身を入れて、「万葉集」を編纂できる
     立場になかったと思われます。

3.万葉集の時代範囲
   最も古い歌は仁徳朝(313〜399)の磐姫皇后、天皇を思う歌
  (巻二・85〜89)で、最も新しい歌は、淳仁朝(758〜764)の
  大伴家持(718〜785)、因幡国庁に国郡司らを饗応の時の歌
  (巻二十・4516)となっていますから、おおよそ400年間の長い時
  代の歌を集めたものです。

4.万葉集巻別の歌数と家持の詠
   万葉集全歌数4536首中、大伴家持の歌数は、長歌46首、短歌
    431首、旋頭歌ほか2首の合計479首(全体の10.5%)に当た
    ります。    (参考メモ・その2「万葉集の部立と歌数)
   後世、家持没(785)後、約120年経ってから、紀友則や紀貫之ら
  が編集した初の勅撰和歌集「古今和歌集」において、紀貫之は「万葉集」
  における家持に似た主たる編纂責任者の立場で、同じく全歌数1100首
  中、102首(9.3%)を担当した状況に相応しています。
<家持縁りの地を訪ねて>
 68年の生涯において、家持の人生に大きく係わった縁りの地を次のように
順を追って訪ねてみたいと思います。

     (その1)越中国守の地・高岡
     (その2)兵部少輔の職場・難波津
     (その3)因幡国庁の宴・鳥取
     (その4)万葉集編纂上の上司橘諸兄の里・井手
     (その5)最後の官邸跡・長岡京
     (その6)時節征東将軍の城・多賀

(出典:別冊太陽「百人一首」No.84Winter1993平凡社)

参考メモ・その1 家持年譜

西暦邦暦家持
年齢
事暦関連事項
718養老2年平城京(佐保の里)父中納言旅人
728神亀5年11太宰府へ同行父旅人太宰府赴任
732天平4年15初作(鶯・雉の歌)山上憶良没
734天平6年17内舎人(自進出身)
740天平12年23行宮での詠東国行幸に従駕
745天平17年28「万葉集」
第一部編纂
紫香楽京遷都
平城京還都
746天平18年29越中国守弟書持没
752天平勝宝4年35橘諸兄宅宴歌大仏開眼供養
754天平勝宝6年37兵部少輔遣唐副使大伴古麻呂、
僧鑑真を伴って帰朝
756天平勝宝8年39難波行幸に従駕大伴古慈悲・
淡海三船事件
758天平宝字2年41因幡守に左遷橘奈良麻呂の変
764天平宝字8年47薩摩守に左遷恵美押勝
(藤原仲麻呂)の変
767神護景雲元年50太宰少弐
774宝亀5年57相模守兼上総守万葉集編纂
仕上げ作業に関与
776宝亀7年59伊勢守同    上
780宝亀11年63参議兼右大弁同    上
782延暦元年65陸奥按察使鎮守将軍
784延暦3年67時節征東将軍
785延暦4年68多賀城で没。藤原種継没

参考メモ・その2 万葉集の部立と歌数

部区分巻番号部立長 歌短 歌その他合  計家持歌
第一部雑歌166884
相聞・挽歌19131150
雑歌。譬喩歌・挽歌2322925221(長歌3)
相聞30130961(長歌0)
雑歌10104114
雑歌271321609(長歌0)
雑歌32426350
第二部四季の雑歌・相聞23524651(長歌2)
雑歌・相聞・挽歌22125148
10四季の雑歌・相聞532539
11(*1)48017497
12(*2)383383
13(*3)6660127
14(*4)238238
15なし200208
16有由縁併雑歌921042(長歌0)
第三部17なし1412714280(長歌9)
18なし109710769(長歌10)
19なし23131154104(長歌17)
20なし21822478(長歌5)
合計20ーーー2654207644536479(長歌46)
(部立)(注1)旋頭歌・正述心緒・寄物陳思・問答・譬喩
    (注2)正述心緒・寄物陳思・問答・羇旅発思・悲別歌
    (注3)雑歌・相聞・問答・譬喩歌・挽歌
    (注4)東歌・相聞・譬喩歌・雑歌・防人歌・挽歌 
平成13年12月16日・磯城島綜藝堂・主筆 謹言

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