LOVE OR NOTHING

 
〜第一話 「四月に降る雪」〜
 「浩之ちゃん遅いな〜」  公園のベンチに座り、神岸あかりは恋人の藤田浩之を待 っていた。家が近くなので、一緒にくれば良かったのだが、 たまには違う場所で待ち合わせたいと言い出したのはあか りのほうだった。  幼馴染みという微妙な関係を抜け出し、彼氏彼女になっ てからもうすぐ一年が経とうとしている。  傍目にはいつもと同じように見えていたが、さすがに付 き合いの長い長岡志保佐藤雅史は二人の微妙な変化に気 づいたらしく、時折、それらしい話題で二人を茶化すよう になっていた。  (う〜ん、やっぱり一緒にくれば良かったかな)  あかりは時計に目をやる。  その、くまがデザインされたお気に入りの時計は2時半 を回っていた。それは浩之が30分以上遅れていることを 示している。  (どうせ夜更かししてるだろうから、遅めの時間にしたの に……)  あかりはひとつ、はぁ、とため息をついた。  (あら?)  ふと前を見ると、同じように時計を気にしている男がい るのに気がついた。  (あの人も誰か待ってるのかしら)  それにしては、随分落ち着いている。とても待たされて いるとは思えない。時計も、何かの確認のために見てるだ けといった感じだった。  (浩之ちゃんも、あのくらい早く来て、私を待っててくれ たら嬉しいのにな)  しかしそれは、限りなく可能性がゼロに近いことがあか りにも分かっていた。  それでも、その男を見ながらそんな想像をするだけで、 何だか幸せな気分になれたのだ。  「はぁ、はぁ、あかり、遅れて悪ぃ」  やっとのことで、浩之があかりの前に姿を現した。  かなり走ったのか、肩で息をして、顔には汗がにじみで ている。  「ううん、そんなことないよ」  あかりは、心からの笑顔でそう答え、浩之にくま柄のハ ンカチを渡した。  「サンキュ。いや〜、昨日夜中によ、くだんねー通販の 番組やっててさ、どんくらいくだんねーか確かめてたらつ いつい最後まで見ちまったんだ」  「はいはい、どうせそんなことだろうと思ってましたよ」  「む、今ちょっと人のこと馬鹿にしたろ」  「え?そんなことないよ」  「いいや、あの目は馬鹿にしてた。ということで今回は お前のおごりな」  「え〜、浩之ちゃんそれって強引すぎ……あら?」  頬に冷たい感触を感じたあかりは、上を見上げた。  薄暗い雲に覆われた空に、次第に白い斑点が広がる。や がてその白はゆっくりと地上に降りてきた。  「雪……?」  「みたいだな。ちっくしょう、どうりでやけに冷えると 思ったぜ」  「もう、4月なのにね」  「ああ。それよりあかり、ちょっとサ店で休んでいこう ぜ。どうせ映画まで時間あるんだろ?」  「うん。誰かさんが遅れたせいでね」  「ううっ…おごらせていただきます」  「うむ、よろしい」  浩之とあかりは近くにあった喫茶店『トリスタン』へと 入っていった。
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 その日も、保科智子は予備校へと通っていた。  日曜日で人もほとんどいない予備校へと向かう彼女の足 取りは重かったが、それでも確実に予備校への距離は縮ま っていった。  (うち、何してんのやろ)  彼女は迷っていた。  (こないに勉強して、いったい何になるいうんやろうか)  実際のところ、最近の彼女は勉強に余り身が入っていな かった。  (神戸に戻っても、うちの居場所はもうないんや……)  彼女は神戸の出身だが、両親の離婚を期にこの街へとや ってきた。そして、神戸の大学を目指して勉強に励んでき た。しかしーー  (もうあいつは、あの娘のものになってしもうたんや。 うちにはどうすることもでけへん)  そう、彼女の意中の男性は神戸で彼女を作ってしまった のだ。しかも、その彼女というのが智子の中学時代の親友 だった。  (うちのこの2年間、一体なんやったんやろうな……)  そんなことを考えながら、智子は予備校へと歩いていた。  日曜日のために講義などは行われていないが、自習室は 休日でも使用することが出来る。意外と利用する生徒も多 く、智子もそんな中の一人だった。  そこにいると、何故だか落ち着くのだ。    神戸のことを知ってからは特にーー  しかし、智子自身はそのことに気づいていない。ただ、 勉強がはかどる程度にしか思っていないのだ。  だから彼女は勉強する理由が無くなったのに、予備校へ 向かう自らのジレンマに悩んでいるのである。  「君は、何を悩んでいるんだい?」  突然声をかけられて、智子ははっと立ち止まった。  急に現れたその姿に最初は驚いたが、よく見れば自分と 同い年くらいの女の子である。肩には大きなスポルディン グのバッグがかけられていた。  智子はその少女を見たことがあった。  (宮下さん?でも……)  その少女は確かに予備校で何度か見たことのある宮下藤 花に似ていた。しかし智子はそれが藤花だとはどうしても 思えなかった。  「君の瞳は“炎の魔女”に似ているな。君には悩みをう ちあけられる友はいないのかい?」  「え?」  「まあいい。君は世界に魅入られそうなタイプだったか らね。ちょっとお節介がすぎたようだ」  そう言うと、そいつは泣いているような笑っているよう な、いわく言いがたい左右非対称の表情を浮かべた。  「な……」  智子が呆然と立ち尽くしていると、そいつは急に笑顔を 作り、  「あ、保科さんこんにちは」  と挨拶をしてきた。それは、さっきまでと違ったごく日 常の会話だったために、智子は、  「あ、ああ」  と虚ろな返事を返すことしか出来なかった。  「あ〜!!もう、こんな時間なの〜〜、もう完璧に遅刻 じゃん!保科さん、私急いでるからまた今度ね〜」  と言って藤花は風のように去っていった。  「なんやのん、一体」  その日の3時すぎ、智子は予備校の自習室の窓から季節 はずれの雪を眺めていた。  (世界に魅入られる、か)  智子にはその言葉の意味するところは分からなかったが、 彼女の耳に残響のように残っていた。
<To be continued…>
次回予告