
| 秋山小兵衛 | 無外流を操る剣の達人で、無外流・辻平右衛門に師持し辻平右衛門が 大原の里に引きこもった後、四谷・仲町に道場を構えるが後に鐘々淵に 隠居して気ままな生活を送っている小粋な爺さん。 道場時代にお貞と結婚し大治郎が生まれるが、お貞と死別した後隠居 してからおはると再婚する。 初登場時(安永六年・1777年)、59歳。この後30年以上生きるらしい。 刀剣はこちらへ。 |
| 秋山大治郎 | 秋山小兵衛の息子で、父と同じく無外流の達人(になっていく)。 15歳の夏に辻平右衛門の下に行き修行した後諸国を周り、江戸に帰った後 父の世話で、浅草の外れにある真崎稲荷神社近くに道場を構える。 後に佐々木三冬と結婚し、息子の小太郎が生まれる。 最初、無垢な好青年だが、徐々に小兵衛のような粋な人間になっていき、 次第に江戸で有名な剣客になってゆく。 初登場時(安永六年・1777年)、24歳。 |
| 佐々木三冬 | 老中・田沼主殿頭意次の妾腹の娘。母は侍女の故・おひろ。 一刀流・井関忠八郎の弟子で、井関道場の四天王の一人などと呼ばれる 男装の女武芸者。 母方の叔父である書物問屋[和泉屋吉右衛門]が持っている根岸の寮に、 老僕の嘉助と暮らしていたが、後に大治郎と結婚する。 初登場時(安永六年・1777年)、19歳。 |
| おはる | 小兵衛が鐘ヶ淵に隠居してから、隠宅に奉公に来るが小兵衛が手をつけ、 結婚する。両親は、関屋村の百姓・岩五郎とおさき。 初登場時(安永六年・1777年)、19歳。佐々木三冬と同年。 |
| 田沼主殿頭意次 | 十代将軍・徳川家治の寵愛をうけた今をときめく御老中。 武芸を奨励しているため、秋山父子に何かと目を懸けている。 後に娘婿となる秋山大治郎に田沼屋敷内の道場を任せている。 歴史上では、賄賂政治の中枢である悪者だが、ここでは卓越した未来観と 政治力を持つ好人物として描かれている。 |
| 四谷の弥七 | 四谷・伝馬町の御用聞きで、小兵衛の弟子でもあるので、秋山父子の 為に手足となって働く四十前の男。 八丁堀の同心・永山精之助に直属し、女房のおみねが「武蔵屋」という 料理屋を経営しているので、土地のものは[武蔵屋の親分]などと呼び 人望も厚い。 |
| 傘屋の徳次郎 | 四谷の弥七の手先である「下っ引き」。 弥七同様に秋山父子の為に、働く。 |
| 牛堀九万之助 | 浅草・元鳥越町に奥山念流の道場を構える剣客。 土井能登守の面前の試合で秋山小兵衛と闘い、それがもとで知り合い、 後に懇意の間となる。 生涯、妻をめとらず剣の道に没入し、独自の境地を開いた名手で、人柄 も良いため、道場は小さいが名門の子弟が多い。 |
| 長次・おもと | 小兵衛がひいきにしている料亭「不二楼」の板前と女中で後に結婚し、 浅草・駒形町に小料理屋「元長」をひらく。 「元長」は小兵衛の命名による。 |
| 嘉助 | 佐々木三冬の母方の叔父である書物問屋[和泉屋吉右衛門]が持っている 根岸の寮に三冬とともに暮らしていた老僕。 |
| 小川宗哲 | 本所・亀沢町の町医者で、上下の身分に関係なく行き届いた診察と治療を 行うので、本所界隈での名声は高い。 小兵衛との親交は15年以上におよび、小兵衛とは碁敵の間柄である。 初登場時(安永七年・1778年)には既に七十をこえた老人である。 |
| 嶋岡礼蔵 | 秋山小兵衛の弟弟子で、無外流・辻平右衛門に師持し、師に伴い 大原の里に引きこもった。 辻平右衛門の門人の中で、秋山小兵衛と嶋岡礼蔵は「竜虎」や「双璧」 と評判された。年は小兵衛の三つ下である。 秋山大治郎においての第二の師である。 柿本源七郎との果たし合いの前に、柿本の門人・伊藤三弥の弓に 倒れる。 |
| 飯田粂太郎 | 秋山大治郎の門人。 父・飯田平助は老中・田沼主殿頭意次の家来であったが、老中暗殺の 一端を担うが思いあやまり自殺を遂げる。 粂太郎はそのことを知らずに田沼家に仕え、三冬のすすめで大治郎の 門人となる。 |
| 又六 | 辻売りの鰻(うなぎ)屋。 大治郎に度胸を付けてもらい、その後秋山父子と懇意になる。 |
| 生島次郎太夫 | 老中・田沼主殿頭意次の腹心の用人。 田沼意次の[ふところ刀]と呼ばれている。 |
| 笹野新五郎 | 秋山大治郎の門人。 六百石の旗本・笹野忠左衛門の長男だが、実は生島次郎太夫の息子。 |
| 杉原秀 | 一刀流・杉原左内の娘で、根岸流の手裏剣の達人。 |
| 杉本又太郎 | 無外流の剣客・杉本又左衛門の息子。 父の亡き後、道場を継ぐが秋山大治郎に師持する。 |
| 横山正元 | 牛込の早稲田町の町医者。 秋山父子と同じ無外流の剣術を遣い、酒も女も「大好物」と言って はばからぬ人物。秋山父子との交誼が長い。 |