〔無外流〕の剣法を創始したのは、近江・甲賀郡馬杉村の出身で、辻平内(後に月丹と号した)という人物である。 詳しい経歴は不明だが、無欲恬淡の奇人だったらしい。
辻平内は、越前大野の藩士 杉田庄左衛門・弥平次兄弟の仇討ちに助太刀し、これが縁で庄左衛門が辻平内の門人となる。 享保十二年(1727年)、平内が七十九歳で病没し、杉田庄左衛門が麹町の道場を引き受け、名も[辻喜摩太]と改めた。
辻喜摩太は、その後愛弟子の三沢千代太郎を後継ぎとし、千代太郎は名を[辻平右衛門直正]と改め道場を引き継いだ。
秋山小兵衛・大治郎父子は、この辻平右衛門直正の弟子である。


−辻平右衛門の門人−

秋山小兵衛 甲州の南巨摩郡・秋山郷の出身で、祖先は平家に仕えた秋山太郎光朝。
亡父・秋山忠左衛門と辻平右衛門は「昵懇の間柄」で、そのよしみから弟子に入る。
嶋岡礼蔵 辻道場において、小兵衛とともに「竜虎」や「双璧」と評判された。
横川彦五郎 辻平右衛門が江戸を去った後、相州小田原城下に道場を構える。
間宮孫七郎 小兵衛が四谷に道場を構えた時、二年ほど代稽古をつとめ、後に独立した。
松崎助右衛門 六百石の旗本の家の三男。小兵衛との交誼は約四十年にわたる。
川上角五郎 三十俵二人扶持の御家人。
小野田万蔵 二百石の幕臣・小野田定七郎の次男。
神谷新左衛門 六百石の旗本。
内山文太 駿河・田中在の郷士の出。小兵衛の親友。
矢村孫次郎 信州・高遠の浪人の子。
秋山大治郎 十五の夏から約五年、辻平右衛門のもとで修行を積んだ。
矢部彦次郎 小兵衛より四、五歳年上で、無外流で鍛えられた上に独自の剣法を生み出した。


−秋山小兵衛の門人−

四谷の弥七 四谷・伝馬町の御用聞き。
岸井甚平 羽州・松山二万石の大名、酒井石見守忠休の家来。
村松左馬之助 五百石の旗本で幕府の御小納戸衆。村松伊織の養父。
内田久太郎 後に小兵衛を看取った医者、二代目村岡道歩。
落合孫六 小兵衛に「わしが育てた剣術遣いの中では、まず五本の指に入るやつだよ。」といわせるほどの遣い手。
竜野庄蔵 上州沼田三万五千石・土岐伊予守頼煕の家来・竜野庄右衛門の子。
小野半三郎 川越城下の無外流・五十嵐専蔵のもとで修行を積んだ後、小兵衛の道場に入門する。川越中納言。
植村友之助 当時、秋山小兵衛道場の「逸才」とか「駿足」と評判をうけたほどの剣士だったが、病のため療養している。
笠井駒太郎 浪人剣客の後藤角之助に殺害された。
吉村弥惣治 大身旗本・高木筑後守元好の家来。
黒田精太郎 百石取りの御家人・黒田三右衛門の次男。植村友之助と並ぶ実力の持ち主。
高瀬照太郎 常州笠間八万石・牧野越中守貞長の家来、高瀬文之進の長男。
井口伴之助 常州笠間八万石・牧野越中守貞長の家来。
原田勘介 三十俵二人扶持の御家人。
横山義太郎
滝口彦右衛門 四百俵の旗本で、幕府の〔奥御祐筆〕をつとめていた。
井関助太郎
滝久蔵 父の敵討ちの時、小兵衛に助太刀を頼んだ。
駿河屋八兵衛 外神田の佐久間町で人宿をやっている。


−秋山大治郎の門人−

飯田粂太郎 田沼家の家来で、田沼老中を毒殺しようとした飯田平助の子。
笹野新五郎 六百石の旗本・笹野忠左衛門の子。実父は田沼家用人・生島次郎太夫。
杉本又太郎 無外流の剣客・杉本又左衛門の子。
永井源太郎 千五百石の旗本・永井十太夫元家の子。

表紙へ