(10.13.17.38.18.19.3.80.57.58一部.5.72.73.37.68.30.31.69.60.26.36.54.49.32.46.53.77.66.61章)


平成老子訳集 下

 政治社会論 聖人論へ

 指導者の心得  10 章

身体と魂魄を充実させ一体として遊離させないでいるか。幼児のように生気を守って柔軟さを保っているか。万象を写しだす心のチリを払って明鏡のようであるか。民を愛し国を治めて、余計な干渉をしていないか。万象が立ち起こってきて、受けて嫌わず、是非を即断しないでいるか。才知縦横している時も知の限界を心得ているか。
物事を生み、育てても、固定化せず、功績に寄り掛からず、事業が開花してもその果実を独りで支配しない。これは道の奥深い徳だ(原文;玄徳)。(この徳に習らおう。)

 国の重さ 13 章

“人々は寵愛と軽辱に驚き興奮して、大過を重大視することはわが身のことのようだ”と云われる。まずこの寵愛と軽辱に驚き興奮するとはどう云うことか。寵愛は上位にあがり、卑しまれることは下位に下ることになるから、寵愛を得て驚き、失って驚く。このことを云ったのだ。ではそれで大過を重大視することはわが身のことのようだとはどう云うことか。軽辱が私に大過となる理由はわが身があってこそで、わが身がなければ何の禍があるだろうかと批判したのである。(身の確立が貴さの源泉で、栄辱を重大視してわが身を失うのは主客転倒だ。)そこでわが身を天下を治めるより貴ぶものは天下をあずけることが出来る。わが身を天下を治めるより愛するものは天下を託すことが出来る。軽々しくわが身を失ってどうして天下を保てよう。
{この章は竹内博士の「老子の研究」下巻の考証による、以下のテキスト修正に依った。
「・・何謂寵辱若驚、寵為上辱為下・・」
またこの章は子華子派の生命第一の政治を元としているのであろうが、老子では君主は軽々しくあっては国は重石を失う26章の主旨としての立論であろう。}

 理想の政治(郭店老子版) 17章

最上の政治では民はお上のいるを知っているだけだ。その次の政治では国の事業を褒めたり期待をかけたりする。その次にはお上の力を恐れる。その次にはお上を侮って不服従の態度を取る。権力が信義に欠けたことをすれば民心は離れていく。政府の活動が控えめで言葉を慎んでいれば(民間の活動に口出ししないようでいれば)、事が成し遂げられると百姓は「皆我々の活動の成果だ」と思う。


郭店老子では“故”を伴って18章につづく
故に、大道が廃れていてどこに仁義があると云えるだろうか。親類が不和になっているのにどこに肉親の思いやりがあるだろうか。国家は混乱しているのにどこに実直な臣下がいると云えるだろうか。最上の政治、大道が失われてしまっては手遅れなのだ。
(18章にあたる郭店老子原文;故、大道廃安有仁義。六親不和安有孝慈。邦家昏_安有正臣。)

 郭店老子では「 仁」が出てくるのはここ18章だけである。仁にあたる文字は「身」の下に「心」を付けた字体になっている。この文字は白川博士の「字統」にも載ってなかったが、字統では身は子を身ごもった象形文字になっているので、子を身ごもった心と解釈すれば仁の恵む、いつくしむ、と通じる意味になる。それで仁と通用して用いられたと考えていいだろう。
「仁義」の熟語は儒学者の間では孟子が最初に使いだしたことになっている。ではこの章は儒教の教えをもとにした発想だろうか。仁義の用語は「晏子」にも出てくる。晏子は儒者ではなく、そして孔子の先輩の年代にあたる人である。そして書物としての晏子は孟子の生年のころ戦国中期に清書されたと思われている。その晏子に仁義が出て来る。また仁義の用語は「墨子」にもある。墨子の経説篇は中国最初の辞書のようなもので、「仁は愛である」「義は利である」と解説する。そして墨子には「兼愛交利」の説があることから、仁義とは「愛利」の言い替えのようにも思える。また公孟篇では儒者公孟子に墨子が「仁義は・・」と語りかけているので、仁義の熟語は墨子学派の用語だったかも知れない。(この説、白川静氏にもある。)このように仁義は「晏子」にも「墨子」にも出てくることから、戦国中期には一般に通用する熟語であったようだ、郭店老子が仁義を用いたとしても儒教の教えを元にした発想とする必要はないでしょう。

 世の実情は・・ 今本18 章

世の中が乱れたことによってヒューマニズム(仁)が現れた。人類の知恵が進むと、まやかし事も多くなった。世の中の家庭が乱れてから、親孝行が褒めそやされる。国家が混乱して初めて、忠誠や信義が喧伝される。
老子が仁そのものを否定しているのではないことは当然のことで、三宝として仁と同義の慈をあげていることからも分かる。また8章には「與善仁」と、肯定的な意味で出てくる。郭店老子と今本をくらべると今本の方が鮮烈な表現になるが意味するところは変わらない。

 礼は乱の始まり 38 章

真の徳は無理やり施すものでもない。これが本当の徳のありようだ。未完の徳は徳を与えることに固執している。これはまだ徳が身に付いていない。 真の徳はあえて徳を施すのでもなく、己への徳も期待しない。不完全な徳は強いて徳を施して己への徳も期待する。真の仁はこれ見よがしに仁を施すが、己への仁を当てにしてのことではない。真の義は強いて義を施して、己への義も期待している。礼は強いて礼を施して、返礼がなければ腕をまくって引っ張る。道が失われた後に徳があり。徳が失われた後に仁があり。仁が失われた後に義があり。義が失われた後に礼がある。だから礼が喧伝されるのは忠と信の希薄化した混乱の始まりである。そして、予知を競うことなどは徒花であって愚行の一番めのものだ。

 反仁義統治論  今本19 章

聖を絶ち智を捨てれば、民の真の利益は百倍する。
を絶ちを捨てれば、民は素朴な孝行と慈しみの人情に復帰する。
たくらみを絶ち貪りを捨てれば、盗賊も消えてしまう。
聖智・仁義・たくらみ貪ることが行なわれるのは文明とするに値しない。これを帰るべきものに向かわせよう。質素を知って素朴を保ち、私を少なくし欲を寡くする。
今本19章は下の最古の郭店老子版とくらべると仁義が否定的に扱われるので道家と儒家が競争関係になった時に書き改められたと思われる。『荘子』外雑篇の作者達が改作したものだろう。

 つぎはこの19章の郭店老子版 

もっともらしい狡知を捨ててこそ民衆の生活は百倍改善する。
たくらみ貪りを捨ててしまえば盗みを働く者はない。
見せかけの思いやりを捨ててしまえば民は素朴な孝行心と慈しみ深さに返る。
捨ててしまった三つのものは論じるに値しないものだ。これを人々が帰るべきものに向かわせよう。
それは質素を知って素朴を保ち、私を少なくし欲を寡くする。

上の郭店老子版19章の原文
絶智弃辯民利百倍。絶巧弃利盗賊亡有。絶民復孝慈。三言以為辨不足。或令之或呼属。視素保僕。少私寡欲。
老子は反儒教を拠り所とした思想であると言われてきたが、05年現在最古の老子テキスト『郭店老子』は仁義を否定するものではなかった。老子の冲虚本体論や謙譲慎言と、儒教の仁義はともに周の古文明から出たもので元は対立するものではない。後世、戦国最末から秦の7年の間に儒・道が競走関係になってから差異が強調され、この章の偽りを仁に慮るを義に書き改められたと推測される。を聖と改めていることから孟子の五行説、仁義礼智聖の四つが揃うことになり、五行説の五番目の礼は38章で論難される。

この手を加えた人物達は『荘子』外雑篇の作者達であったと思われる。なぜなら、『荘子』外雑篇に「を絶ちを捨てれば」と出てくるからである。この句は当然老子からの引用と思われていたが郭店老子になかったのを見た後は老子に特異な解釈を加える作家があらわれていたことになる。それは自然至上主義者といっていいだろう。彼らはこの19章を己の思想の原典としたと推測られる。この19章は人間のあからさまな作意を退けて人間が素朴な生活スタイルを保っていれば道を外れることはないと述べている。それは諸子百家のひとり、宋栄子の思想が『老子』に採集されたのかもしれない。新しい作家は儒家と対抗してこの理念を先鋭化させ、自然のありのままに任せて人為を加えない、即ち所謂“無為自然”の考えに到達した。『荘子』外雑篇には80章の小国寡民のなかの句も出てくるので80章も彼らが『老子』に増補加筆したものだろう。80章は文字も否定して文明の利器も用いないでよいと主張する。また、38章は仁義も一定の評価を与えているので別の一派である黄老道家の加筆だろう。

 反知・寡欲論 3 章

ささいな利得には知恵が回る小賢しいものを持て囃さなければ 無用な利害の衝突も起こらない。希少な財貨を持て囃さなければ 盗っとも いなくなる。(水や空気など どこにでもあるものが大切で、宝石など希にしかないものは なくても困らない。)欲望をあおらない世の中なれば民心も乱れない。聖人の政治では心はゆったりして身体は強健になる。民に大きな考え・質実な望みを抱かせ、浅知恵のもが持て囃されないようにする。こんな大道を往く政治(=無為の治)であれば乱れることはない。
この章は「賢を尊ばない」「常に民を無知無欲にさせる」などの句があるので老子が愚民政策を説いたものだと思われがちです。でも他の章と見比べてみると、33章にも「人を知る者は智であるが、自ミズカらを知る者は明である」とあるように、老子は智と明を使い分けていることがある。これは荘子もおなじで「明によるのには及ばない」(斉物論)などと云って明を智より優れた知性として扱っている。“明”とは大きな知・叡知とも言うべき扱いで“知”は小さな賢さとする。知を否定的に扱う時はよりすぐれた知性として明を想定しているようだ。小さな知は知ではあっても狭い判断で大きな観点から見ると正しい選択を失っている場合がある。それで「常に民を無知にさせる」と知を退けたことは叡知に導くと云うことだろう。57章に「聖人は云う・・われ無欲で民は自ら樸なり。」とあるのも聖人も無知無欲となるのだから民のみを愚にすることではない。樸は道の徳でもあるので、原初の知恵の意味があり無知蒙昧を指すのではない。}

 桃源郷   80 章

小さな国で民は少ない。便利な道具もあまり用いない。命を重んじて危険な遠出などしない。車や船があっても遠くまで行かない。兵器があると言っても布陣することはない。民にもう一度縄を結んで記しとさせ、彼らの食べ物を甘いとさせ、その衣服を美しいとし、その住居に安住して、その生活を最上と思わせる。隣国に接して、鶏と犬の鳴き声が聞こえ合う所であっても、老いて死に至るまで、この国を出ることはない。
{この章は文字も否定する原始社会に帰ることを説いているようである。しかし、老子の他の章と読み合わせると過激なように見える。老子では「天門が開いてよく雌のようであるか。」また「万物が起こってきても退けない」などと世界のあらたな事象を受け入れる思想がある。原始社会に留まる思想は『荘子』の外雑篇の自然至上主義の作者達が加筆増補したものだろう。}

国の治め方 57章(57章は58章の頭を加え一章と区切ったほうが良いようだ

国を治めるのは正しさ(公正)により、兵を用いるのは敵をあざむくことであり、天下を取るのは無理のないことによる。
何によってそれを知ることができるだろうか。
社会に禁制が多ければ、民ますます背き
民に新奇な道具が多くなって国はいよいよ昏迷する。
人に知恵多くして奇妙な物がますます起り。
物に法ることにますます章アキラかなら(=物的豊かさに溺れ憑かれるなら)盗みもいよいよ盛んになる。
そこで聖人は云う、私が出しゃばっておせっかいをやかなければ(原文;無為)民は自ミズカら発展し、私が静を好めば自ら秩序立って正しく、私がチョッカイをださなくとも(原文;無事)自力で豊かさを獲得する。私が功名心から働きかけない無欲であれば、民は自ミズカら質樸だ。
(以下58章頭部)
政治がぼんやりしている様子でおおらかでいれば民の自然が発露して純朴だ。政治がこまごま細部に及べば民はギスギスして自然な主体性・活力が損なわれる。
“社会に禁制が多ければ、民ますます背き。”のゴシック体部分は今本では民ますます貧しであった。また“物に法ることにますます章かなら”は今本では“法令茲章”であったので、通訳は「法令いよいよ章かで盗賊ますます多し」となった。そして“法令”が老子に出てくることはこの章だけであった。ところが、前漢/景帝期の写本である馬王堆老子の乙本のテキストでは“_物茲章”となっていたのである(_の部分は欠字)。景帝期は黄老道家の法治政治が行われていた時期であるので、法令を否定的に扱うのは時代には合わない。後の三国時代の王弼本には“法令茲章”と書き換えられていたのだろう。“物に法ることにますます章かなら”の意味なら、この章の主旨に矛盾しないし、また他の章にも矛盾しない。さらにこの章は聖人(為政者)が無為なら民は自ミズカら為すと主張する章である。民衆の主体性を説く章である。老子は君主制を否定するものではないが、君主が民衆を強制する専政君主政には反対するのである。

 天に情あれば  5 章

自然は人の道(原文;仁)にもとっている。万象を用済みのワラ犬のように打ち捨てている。最上の為政者も万民をワラ犬扱いで非情なものだ。
天空と大地の間はふいごのようだ。からっぽから風が産まれてくるように、万象がつきることなく立ち起こってくる。民の陳情を聞き入れているばかりではすぐに行き詰まる。干渉は手控え(原文;中)、 民に活動のスペースをあたえる、枠組み(ふいご)作りに努めるだけだ。

ゴシック部分は今本では「多言」、馬王堆本では「多聞」。馬王堆本に拠った。天地自然は万物の各々を自活させているが、奇跡などを起こして一部のものを助けたりはしない。聖人も恩寵をたれて一部の臣民を寵愛することはない。

 権力の極致 72 章

民がお上のおどしを恐れないでいられるのは権力の極致の姿である。民の住み処を居苦しくするな。民に生活が嫌だと思わせるな。民が我が身の境遇を嫌わないようなら、お上が嫌われることもないということだ。(即ち、権力で威圧する必要がない。)それで、お上は統治能力を自覚しているが、みずからの力を誇示しないし、偉ぶらない。

 天網 73 章

大胆にする勇気があれば死ぬこともあり、止まる勇気があれば生きることもある。大胆にするか止まるかはどちらかが、利か害になる。天が何を憎むのか、誰がそれを知っていよう。聖人ですら決定できない。天の道は無理なく行われる、ゆったりとおおまかな計画があるばかりだ。天の網目は太くて粗いからこそ大魚を逃さない。

 道に習う 37 章(郭店老子及び馬王堆老子版)

道は常態として功名があるわけでなく、強いて指図することもしない(原文;無為)。王侯がこれを守れば民は自ミズカらの力で生きるだろう。それでも民が無理に強行するようなことがあるなら私はそれを鎮めるのに(道の徳である)虚名もない樸を知らしめよう。それは(民が樸に返って再び)足を知るに違いないから。足を知り平静なれば、万民は自ミズカらの力で正し、安定するだろう。

 天の采配 68 章

古のよい戦士は力をあらわにしない。よく戦うものは 怒りを現わさない。よく敵に勝つ者は安易に争わない。よく人を使うものはへりくだっている。これを不争の徳、人を使う道、天の道理から采配するという。古の極致の術である。

 兵法一 30 章

本源の秩序(道)を心得て君主を補佐するものは、武力で強国になろうとはしない。兵法は出兵しても速やかな帰還を上策とする。軍師の駐屯する土地は荒れてイバラが生える。大戦争のあとでは必ず凶作にる。だから最善の策は果断が良しとされる。事を成し遂げると兵を引く、力を誇示してはならない、やむを得ない戦いをする。物事は隆盛すれば衰退する。武力で強大を求めるのは事物の道理に反することだ。道理に背くことはすぐに行きづまる。

 兵法ニ 31 章

兵器というものは不吉な道具であり、立派な君主の常用するものではない。やむを得ない時は戦うが、勝利しても盛事とせず、野心を起こさないのが上策だ。そうでなければ、人を殺して喜ぶことだから、万民の人心を得ることはできない。左は吉であり、右は凶に当たるので、副将軍が左にいて将軍が右にいるのは葬礼に相当する。戦いに勝っても戦死者が多いときは悲哀の情をもって処すのが順当だ。

 兵法三 69 章

用兵に次の言葉がある。先制せずにやむをえず受けて立ち、攻撃のまえにまず守りを固める。これを行軍したのに行く跡がなく、攻撃のさまが見えず、敵の虚をつくという。過失は敵を軽んじるより大きなものはない。敵を軽んじれば自分の優位さも発揮できない。兵と兵が相対したとき、戦死者をよく悼む側が勝つ。

 小魚を煮るように? 60 章 

小魚を煮るときは混ぜ返さない。大国もそのように治める。道によって天下に臨むなら、鬼神も霊験を顕さない。さらに霊験で人を傷つけない。霊験で人を傷つけないだけでなく、加えて聖人(為政者)も人を傷つけない。即ち鬼神と聖人とが二つながら傷つけないことが、霊験と権力の徳と云うものだ。
(鬼神の霊験や聖人が特別な恵みを施すことなどは、いらないお世話である、と。民の活動のジャマをしないだけでよいと云う。)

 世の重さ  26 章

軽い物に対して重いものが根源に位する。騒がしいことに対し静かなことが君主に位する。このことを知っている為政者は長旅に出たとしても軽々しく車両を離れない。新奇な風物があっても心を動かさない。こうでなくて大国の君主でありながら、わが心の調和を天下国家より軽視するとすれば、国は重石を失うだろう。

 政略  36 章

目的のものを縮めたければ、まずしばらく引っ張ったままにする。弱めたければ、まずしばらく強いままにする。滅ばしたければ、まずしばらく隆盛にする。奪いたければ、まずしばらく与えておく。これが“柔弱は剛強に勝つ”と言う理りの極秘の知略だ。魚は池から揚げないように、国の策略は人に知られないようにする。
(この章も他の章と比べるとつっぱった章だ。老子は伸びる縮む、強弱、生滅、上下が反転する事象であると説くが。この対立事象において弱に身を置け、下に身を置けと説く。それは柔弱謙下が事象の根本に位すると考えるからである。ところが、この章は反転する事象の原理を計略として勧めるのは他の章が大国はへりくだるべしと勧めるのと比べると老子らしくない。縦横家などの外交政略の理論が紛れ込んだのではないだろうか。)

 54 章 
この章は意味不明。ところで郭店老子ではこの54章は45章からつづく文である。その45章では下の「寒は熱を鎮め、」の前に区切りの点があり、点の前後もつながりがよくない。それで「寒は熱を鎮め、」をこの54章の頭として仮訳してみる。「寒は熱を鎮め、静は躁を鎮めるもので、」は老子校詰に拠った。

寒は熱を鎮め、静は躁を鎮めるもので、清静(煩雑でなく閑静であること)は天下を正し定めるものである。
しっかりと打ち建てたものは引き抜けず、しっかりと抱いたものは奪えない。しっかりと清静によっていれば子孫の祀りも絶えることがない。清静を我が身に修めれば真の徳となる。家に修めれば余慶の徳となる。郷里に修めれば長く続く徳となる。国に修めれば繁栄の徳となる。天下に修めれば普遍(公正)の徳となる。
それで、我が身は我が身として観る。家は(我が身からでなく)一家全体から観る。郷里は(我が家からでなく)一郷里全体から観る。国は(我が郷里からでなく)一国全体から観る。天下は(我が国からでなく)一天下全体から観る。わたしが天下がこうであるかを何によって分かるかといえば、これ(普遍・公正の徳)によってである。

 聖人は予断を持たない 49 章   

いにしえの優れた指導者は予断を持たない。ただただ、万民の心を受容する。善と言われていようと不善と言われていようと、まず善であるかのように受容する。猶予された善である。信頼できると言われていようと信頼できないと言われていようと、まず信頼できるかのように受容する。猶予された信頼である。いにしえの優れた指導者が世にあれば、万象を飲み込んで世のために、判断を猶予している。万民は目をむけ耳をそば立て、赤子のようにその本来の姿に帰る。

 道と世界の関係  32 章

道の常態は功名もない原樸だ。小物ように見えて誰もこれを臣下扱いすることはできない。もし、王侯がこの道を師として守れば古代の祭政の世のごとく、あまたの民が集り、天地も協和して甘露を下ろし、民は命じられずとも助け合う(原文;均)。制度が興り物事が生まれて新しい言葉もあふれだすだろう。この時に一休みすることを知っているならば過つことはない。道の世界に対する関係は谷川の水を受け入れている大河や海のような、広大な基盤だ。

 乱世  46 章

世の中が治まれば駿馬も民の手に渡って田畑を耕す。世の中が乱れれば牝馬も徴用され軍馬も戦陣の地に生まれ落ちる。世の中の災いとは欲が止まらないことから起こる。おのがものに心寄せればいつも心足りるものがある。

 大道  53 章

もし私がわずかでも知恵を与えられて、それによって政治を行うとすれば、ただただわき道に踏み込むことを恐れる。本街道は平坦で安全なのに、人々は往々にして近道を好む。政治が邪道に踏み込めば、朝廷は整っても田畑は荒れ、民の倉庫は空っぽ。官は美服をまとい、立派な剣を下げて飽食し、私財のため込みに忙しい。これを盗賊の栄華と言おう。なんと非道ではないか。

 大道(ニ) 77 章

自然のことわりは、たとえて言えば弓を張るのに似ている。弓は引き絞られるとたわんで、上は抑えられ下は引き上げられる。余分にあるものは減らし、足らないものは補われる天の道のバランスを取る働きと同じだ。ところが、人のやり方はそうではなく、足らないものから削って余分にあるものに差し出している。では何者が余りあるものを世の中に返すことができるのか、(謙譲な)有道者だけだ。このことわりを心得ている者ならば、成果を独り占めしない、功績に安住しない、我が独りの賢さに走らない。

 謙下 66 章

大河や海が百もの谷川の水を集めて王であるわけは、善く谷川の下流にいるからである。そこで民の上にいようとすれば、必ず言葉で民にへりくだる。民を先導しようとすれば必ずわが身を民の後に置く。そんなであるから聖人が上位にいて民は重いと感じず、先導して民は危害を感じない。それで天下の人は喜んで担ぎ挙げて、いやがることがない。それは謙下して争うことがないからだ。それで世の誰も争いを仕掛ける余地がない。

 国交夫婦関係論 61 章

大国は天下の下流である。天下の国々が交流する寄り合いどころである。天下の主婦(原文;雌)である。主婦は常に静かでいて夫(原文;牡)に勝つ。静かに下手でいるからだ。それで大国は小国に下って小国を受け入れる(原文;取る)。小国も大国に下って大国に受け入れられる。それで下って寄り添い(原文;取り)、下って寄り添われる。大国は人を兼ねて養おうと望んでいるに過ぎず。小国は入りて人に仕えようと望んでいるに過ぎない。そもそも両者は各々その望みの同じくを得ている。大なる者は下手でいるべきだ。


20.81.15.7.24.56.28.47.50.55.70章)

 聖人論

 自画像 20 章(馬王堆老子版)

是非を峻別する学問を捨ててしまえば心安らかになれる。「はい」と言っても、「うん」と言ってもどれだけの違いがあろうか。善悪と言ってもはっきりしないところがある。ただ他人の恐れるところは私も避けなければならない。こんな考えだから私の心は茫漠としていて見極めづらい。人々は盛大な御馳走を前にしたように、春の花見で高台に登ったように、うきうきと楽しげだ。でも私独りはものも思わず、まだ笑うことを知らない赤子のようだ。また心沈んで疲れ果てて行き場もないかのようだ。人々は皆満ち満ちている、私独り は 欠落している。私は愚者のように物も知らず、明日をも知れないが、人々は明察で、明日なすべきことも心得ている。私は独り暗愚で、波打つ荒海の茫洋として止まらないかのようだ。独り人と異なり(善悪未分化の混成の)母に養われることを大切にしている。
今本、王弼版では「澹兮其若海、飄兮若無止。」であったものが、馬王堆版では「忽兮其若海、恍兮若無止。」でした。“澹”は静かなさまと揺れ動くさまの正反対の意味を持っていた。これが“忽”であったことは揺れ動くさまの意味でした。また“飄”が“恍”であったことは惚ボけているさまで“飄”とは意味が離れていたが、この“恍”の馬王堆版のほうがこの章の趣旨がはっきりする。「物あり混成し、天地に先立ちて生じる。・・以て天下の母たるべし。」混沌の本体に心が帰する時には善悪禍福も顕れることがない、思弁的神秘主義者の表白です。

 逆説的真実  81 章 

真実の言葉はとつとつとしてるが、聞き心地が良い話には真実味は少ない。善人は言葉多く弁解しないが、止めどなく弁じ立てる者は偽りがあることが多い。真実を深く突き止めている人は、何でも知っているわけではないし、博識な人が本当にそのことを知っていることはない。聖なる人は何事も自分だけのものと蓄えないで人に開けっ広げにしている。それでいて自分のものが無くなることもないし、人に与えてますます豊かになる。万象を統べる道の働きは万象をそれぞれ発展させることで、自らの思惑に従わせることではない。古への神聖な為政者のやり方は 仕事を成すにあたって、人の功績を妨げない。

  古の好人物  15 章

古の好人物は物事の真奥に通じていて、その人格も測りしれないものがあった。あえてその人物像を描いてみればこんなだろうか。冬に川を渡るようにおずおずと、強国に囲まれた小国のようにびくびくと、周緻に用心深い人。手厚く招かれた賓客のように威厳に満ちて静重な人。さらりとして氷の溶けるようにくったくなく、虚心で原木のようにナイーブな人。開けっ広げで谷のようで、分けへだてない濁り水のような人。いったい何物が、濁ったものを静かに保っていて、次第に清めるのだろう。久しい時間のなかで、次第にあらわにさせるのだ。またこの道を行なう人物はやり過ぎることを良しとしなかった。だから古きに耐えて、初めから出直しとなることがない。

 大自然の長命 7 章

天空と大地とは何と悠久なものだろう!その秘密は何か?それはただ在るだけで、人間のように在り続けようと求めなくてもよいからか? ところで聖人と言われる人も、人のことを先に自らのことはらち外にして、それで身を滅ぼすこともない。私をなくして身の後先を思わないで、それでいて計らずも私を全うする。

 無駄  24 章

つま立つものは長く立っていられない。大股で歩くものは疲れて遠くまでは行けない。自らの知見に固守するものは知に限りがある。自らの立場に固守するものは真実の妨げ(原文;不彰)になる。自ら誇って奢れば功績も台無しになる。これは道においては余分な食べ物のようなもので無益な行為だ。人々はこれらを嫌うものだ。事の善し悪しを心得た人物ならそんな不用なことにかかわらない。

 融和者  56 章

本当の知恵を得たものはもう言うべき言葉がない。あれこれ難しく言うちはまだよく分かっていない。静かに座して知覚器官を静止し、その高ぶりを鎮める。才知の勢いをくじき心のもつれを解いて、純一なものに至る。さらに英知の光を融和して通常なものに帰っていく。これを深められた通常さという。こんな人と知りあっても、軽々しく親しむことができず、また疎んずることもできない。利益で誘導できず、また危害を加えることもできない。持ち上げることもできず、またさげすむこともできない。それでこの人には、誰も手に負えない。

 徳目 28 章  

雄の直情強行を知っていても、雌の柔軟受容性を守るならば、谷の徳から離れることなく、根源の一つ嬰児に帰るだろう。白の明白さを知っていても、黒(知の限界の闇)を忘れないならば、世の基本式にたがうことなく、根源の一つ、極のきわみに帰るだろう。栄誉を知っていても屈辱を忘れなければ天下の谷(根源)となる。天下の谷となれば常に徳が足りて樸に復る。原木(樸)は切り分けてさまざまの器を作る。聖人はこれを指導者の徳目とする。大いなるものとは、万器を生み出す原木のようなものだ。

 内なる知恵 47 章

家を出ることなく、世の中の出来事の真意、人の心情を知る。窓から窺わなくとも、天体の運行=天の道理に通じる。この知恵は、家を出ること遠ければ遠いほど、動き回ることが多いほどに少なくなる。だから聖人は、出歩かないことによって知り、見ないことによって知り、静にしている(原文;不為)ことによって、静重が生む内なる知恵を完成する。

 不死身  50 章

秘められたものから出ていることが生であり、秘められたものへ入って行くことが死である。ところで、人は長命のものが1/3、短命に終わるものがまた1/3あろう。だが自分自身から死を招いてしまうものが、さらに1/3あるのだ。こんなことになってしまうのは何故か?その生きよう生きようとする思いが強すぎるからである。ことわざに言う「寿命に恵まれたものは、遠く旅してもサイにもトラにも出会わない。軍隊に入っても前線で武具をよろわない。」サイも角を突き立てる所がない、トラもツメを掛ける所がない、兵士の剣も斬りかかる所がないとは?それはどうしたことか。それは死の属性が(硬直力み、興奮狂乱、驕り行き過ぎ、生と死の思いなどが)ないからである。

 赤子の徳  55 章

深い徳を抱くものは赤子に比べられる。ただ無心に居るものは、蜂やサソリ、マムシも、ささない、猛獣も、つめをかけない、猛禽のくちばしにも、かからない。身は柔弱だが、握りこぶしだけは固い。男女の交わりも知らないで勃起するのは充実した生気のなせる業だ。一日中泣き叫んでも声を枯らさないのは生気が調和しているからだ。このように無心な生気の調和は長久である。長久なものは自然の理りに適っている。ところが調和によらず、無理に寿命を延ばそうとするのは不吉だ。心で気力をあおるのは強壮を強いるもので、万事盛んなものは衰える。道理に反したことだからすぐに行きづまる。

 わが道  70 章

私の言葉はとても理解しやすく、実行しやすいものですが、世の中に理解され実行されることがない。それは大本を知らないからです。(ただ無為=ことさらなことはしないだけだ。大股で歩かない、つま立ちしない。また、驕らないことで。こんな さしたることもないことを尊ぶ)私を理解してくれる人は希で、私に習う人は少ない。だから聖人とは普段着を着ていて、尊い玉を抱いているようなものだ。

原文「我に則るものは貴し」を福永光司著「老子・下」の貴しは匱トボしとする説によった。無為はさしたることがないように見えるので意義が理解されることなく実行されることがない。たいしたものでない普段着のように見えるが、本当は玉のように尊いものだと云う。



郭店老子竹簡の衝撃。上の竹簡の左から二文字以下点から点まで八文字は今本老子19章の「仁を絶ち義を捨てれば、民孝慈に復す」にあたるが、この竹簡には「偽を絶ち慮を捨てれば、云々」と記されていた。


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