和紙

蛇足
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2000年問題も無事過ぎたようですね。次は8000年後の1万年問題まで大丈夫? でも、2月29日が危ないって話もありますけど。

今日は暦にまつわる話を集めてみました。

こよみ」の語源って何でしょう?
日をふつか、みっか、よっか、と呼ぶことから、日(か)読み=暦 という説が古くから言われていすが、
定説にはなっていないようです。
英語の
カレンダー(calender)は、ラテン語のカレンダエ(kalendae:古代ローマ暦の月の第一日)に由来します。

昔から、正しい暦作りは執政者の大きな責任でした。中国では天文台を建設し暦の精度を上げる努力が昔から行われてきました。そう言えば、エジプトのピラミッドや、マヤのピラミッド、イギリスのストーンヘンジなども天文台の機能を持っていると言われていますね。
日本では天武天皇が675年に占星台を作ったと日本書紀に記述があります。

さて、今年は”
うるう年”ですね。
4で割り切れる年は”うるう年”、でも100で割り切れたら”うるう年”でない。さらに400で割り切れると”うるう年”。
この400年に一回の変な?”うるう年”は歴史上2度目のことです。と言うのは、今の暦、グレゴリオ暦(注)が使われ出したのは1582年からだからです。(もちろん、日本では初めてのことです。)

ところで、「日にち」ってずっと続いていると思うでしょう。でも、実は歴史上存在しない日があるんです。
西暦ではユリウス暦からグレゴリオ暦への変更のとき、つまり1582年10月4日から1582年10月15日に飛んでしまったのです。10日間の空白ですね。

実は、
暦の空白、日本にもあります。旧暦から新暦への変更のときです。明治5年12月2日から明治6年1月1日になります。12月はたった2日だったので給料は出ず、ただ働きになったとか。

さて、よく話題にのぼる疑問です。

1.
なぜ、10月は8を意味するOctoberなのでしょう?
(octってoctave:オクターブ octopus:蛸 などにも使われていますね。)

古代ローマは最初1年が10ヶ月、304日でのロルムス暦を使っていました。これだと、季節がずれるので
1年が12ヶ月、355日のヌマ暦に変更されました。 この時、付け加えられたのが、11月ヤヌアリウス、12月フェブルアリウス。
そして、次に採用されたタルキニウス暦(二年ごとに22日と23日の閏月を交互に加える)の時、ヤヌアリウスを1月にして、すべてを2ヶ月シフトしたのです。

理由は、ヤヌアリウスはローマの門神ヤヌスに因んで付けられたのですが、ヤヌス神は「はじめ」を司る神でもあるから、年の初めに持ってくるのがふさわしいと考えられたようです。

で、10月が8を意味するOctoberなのです。

2.
なぜ、7月、8月と31日の月が続くのでしょう?

カエサル(ジュリアス・シーザー)は自分の誕生月(ロルムス暦五月)を「ユリウス」と、その養子のアウグストゥスはトラキアの戦勝記念としてロルムス暦六月を「アウグストクス」として、その時その月を31日としたのです。

1月 January ローマの門神ヤヌス
2月 February 贖罪の神フェブルウス
3月 March 戦いの神マルス
4月 April 愛と美の女神アプロディテー
5月 May 農耕の神マイア
6月 June 結婚を司るユノー(最高神ユーピテルの正妻)
7月 July ジュリアス・シーザー
8月 August アウグストゥス
9月 September ラテン語の七:セプテム 
10月 October ラテン語の八:オクト
11月 November ラテン語の九:ノヴェム
12月 December ラテン語の十:デケム

では、最後に
日本の暦について。
日本が独自の暦を作ったのは江戸時代です。というのも、日蝕が2日もずれてしまったからです。
それまでは平安時代以来800年間も当時中国から伝わった暦を使っていたのです。

ところで、江戸時代のカレンダーは「
大小暦」といって、大の月が何月と何月、小の月が何月と何月、と単に大小の月を書いたものが使われました。
やがて、遊び好きの?日本人のこと、判じ物めいた大小暦が出回り、自分達で工夫した大小暦をお正月にやり取りするというようなことも流行りました。
皆さん機会があったら、大小暦を見られるといいですよ。結構、面白いものです。

江戸時代、この大小暦からヒントを得て、店の名前にした人がいます。
下村彦右衛門がその人です。彼は大小暦の「大」の字が〇で囲んであるのにヒントを得ました。
もう、わかりましたね。^^; そう、大丸デパートの前身、呉服屋の大丸です。

(注)(2001.02.26)
この暦を制定したのは
グレゴリオ13世です。
実はこの法王に会った日本人がいます。天正10年(1582)に九州のキリシタン大名大村純忠・大友義鎮・有馬晴信が宣教師ワリニャーニの勧めによってローマにおくった少年親善使節達四名がそうです。
伊東マンショ達で当時14〜15歳の少年でした。天正遣欧使節と呼ばれています。
グレゴリオ13世は彼らが滞在中になくなっています。彼らの帰国は天正18年です。

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