和紙

蛇足
■□レンブラント

レンブラントと日本の関係を書き忘れていました。^^;
彼は17世紀の人ですが、当時オランダに輸出されていた日本の和紙をエッチングやスケッチに好んで使用しています。

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間宮海峡

「シーボルト事件の密告者」は間宮林蔵だとされています。
そのため、シーボルトは間宮林蔵には好意的ではありませんでした。
しかし、その著書「日本」で「間宮林蔵の功績は功績として認めねばならない」とし、間宮林蔵が発見した樺太とアジア大陸との間の海峡を間宮海峡と命名しました。これが、国際的に認知され現在、間宮海峡の名が世界地図に残っているのです。

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シーボルトの持ち帰った地図

彼は、シーボルト事件の発覚を悟り、景保から彼に贈られた地図が没収される前に徹夜を重ねて模写し、帰国に際してはこの模写を密かに持ちかえったといわれています。

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シーボルトの再来日

安政5年(1858)に日蘭通商条約が締結されました、そのため、シーボルトの追放令は撤回されます。
彼は1859年オランダ商事会社の顧問として来日し、約2年間滞在し文久2年(1862)に帰国しています。

■□シーボルトのピアノ

日本最古のピアノが山口県萩市の熊谷美術館にあります。
このピアノ、シーボルトが萩の御用商人熊谷五右衛門に贈った物です。
「我が友クマヤへ、別離の記念に、ドクトル・フォン・シ−ボルト、1828年」とオランダ語で書いてあるそうです。

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