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ボストン茶会事件
□■ボストン茶会事件

 18世紀に入って
イギリス東インド会社が東洋貿易の主導権を握るようになると、お茶の輸入に関しても独占的な立場を得るようになりました。
そこで、今までは貴族の間でしか飲まれていなかった貴重品の紅茶も、アジアにおける大量生産が可能になった為、誰もが気軽に飲める飲み物となりました。

 同じ頃、当時イギリスの植民地であったアメリカ、特にイギリスからの移民の多かった東部でも紅茶を飲む習慣は一般化していました。
ところが、イギリスが、
コーヒー貿易の競争でオランダやフランスに敗北し、紅茶貿易に切り換えたことにより情勢が変わりました。その頃のイギリスは大変な財政難で苦しんでおり、なんとか克服する手だてはないものかと思案していました。

 そこでイギリス政府はアメリカでも大量に消費されるようになった紅茶に着目し、アメリカに対して
紅茶条例を制定しました。これはアメリカに輸出した紅茶に税金をかけてイギリス国内の財政負担をアメリカに負わせようとしたのです。

 ところがこれに猛反発したアメリカ東部の市民の間では、イギリスに対する独立の気運が一気に広がりました。
そしてついに1773年12月、ボストン港に停泊していたイギリスの紅茶運搬船がインディアンに変装したボストンの市民達に襲撃されました。船に満載された342個の茶箱が海中に投げ捨てられたのです。これが世にいう
ボストン茶会(ティーパーティー)事件です。

 この事件はイギリスからのアメリカ独立論を唱える急進派が起こした事件ともいわれており、この事件に対してイギリス側も引き下がるどころか態度を硬化し、ついには
独立戦争(1775-1783)に突入していくきっかけとなったのです。

 これまでさかんに紅茶を飲んでいたアメリカの人々は、イギリス本国の不当とも言える紅茶税に反発して喫茶の主流を紅茶からコーヒーに切り換えました。

 ボストン・ティー・パーティーと言われますが、パーティーがあったわけではなく、お茶の葉を海に投げ込んだ事件です。


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