和紙

蛇足
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今日は紙のお話です。

さて、「
紙」って何でしょう? 改めてこう聞かれると困るでしょう?
辞書によると「植物繊維を水中でからみ合わせ、薄くすきあげて乾燥させたもの」となっています。
ですから、あのエジプトのパピルスは紙ではありません。
パピルスは、「髄の細長い薄片を縦横にあわせ、圧搾し日光で乾燥させたもの。」で、
漉く(すく)と言う工程が無いんです。
しかし、英語の
paperの語源はこのパピルスです。

では、
紙はいつ、どこで作られたのでしょう?
後漢書によると、後漢の時代の宦官(かんがん)、
蔡倫(さいりん)によってA.D.105年に発明されたことになっています。
しかし、前漢時代の遺跡からも紙は発見されていますので、彼が行ったのは紙の製法の確立と考えた方がいいようです。
ちなみに、中国でのパピルス状のものは紀元前11世紀の殷末期の遺跡から発見されています。

紙」の字の意味は、糸偏は生糸や麻糸を合わせて撚ったものの意味です。
また、氏は平らなことを示しますので、元々は厚い絹、薄い絹を用いたものを紙と呼んでいたようです。
また、「
かみ」と言う日本語は、字を書くのに用いられていた、竹のふだをいう「簡」の音が変化したものとされています。

では、
いつ日本に伝わったのでしょう?
実は、蔡倫が紙を発明した二年後(A.D.107)に倭の国王、帥升(すいしょう)が奴隷160人を差し出し後漢の安帝に謁見を求めた記録があります。
このころ蔡倫は宦官の最高位にありましたから、帥升は紙の話を聞いたり、お土産にもらったかも知れませんが記録には残っていません。

記録に出てくるのは日本書紀に「A.D.285年に百済から王仁(わに)が来て"論語"10巻を献上した」と言うのが最初です。
そして、A.D.610年に高句麗の僧が日本に製紙法を伝えたと記述されています。
現存する日本最古の紙は、聖徳太子が斑鳩の宮で著した「三経義疏」(仏典の注釈書)といわれています。

この日本に伝わった紙は、画期的な進化を遂げます。
平安時代に、わが国独自の、植物性粘液(トロロアオイの根の粘液)を保水剤として用いる「
流し漉き」法が完成したのです。
これで、唐からの輸入紙の品質を凌駕しました。
蔡倫以来の造紙法は「
溜め漉き」と呼ばれ、飛鳥時代中国から日本へ、シルクロードを経て西洋へと伝わり、今日でも世界中で採用されています。

和紙の最大の特徴はその保存性です。
洋紙が100年程度に対し1000年は持ちます。これには、紙の酸性度が大きく関係しています。
洋紙はインクのにじみを防ぐため硫酸アルミニウムを使うので、酸性紙(Ph3〜6)なのです。そのため、今世界中の図書館で本がぼろぼろになる現象が起き、その対策に追われています。最近では中性紙など酸化しない紙も普及してきていますね。

一方、和紙は楮(こうぞ:桑の仲間:Broussonetia Kazinoki)や三椏(みつまた:Paper-Bush)の皮から不純物を取るため苛性ソーダで煮ます。そのためアルカリ紙(Ph8〜10)なのです。

土佐の
典具帖紙(てんぐじょうし)って知っています?
別名「カゲロウの羽」とも呼ばれる、世界でいちばん薄い紙(20μm)です。
バチカンのミケランジェロ大壁画などの文化財の修理にも用いられ、いまや世界中の図書館での修復に欠かせないものになっています。

さて、紙といえば
リサイクルの優等生ですね。では、いつ頃から紙はリサイクルされていたのでしょう?
驚く無かれ、平安時代からなのです。
平安時代には「
紙屋院」という官立の紙の製造所がありました。
最初は新しい紙を作っていたのですが、地方勢力の台頭により原料が不足し、「
宿紙」(しゅくし)と呼ばれる再生紙を製造するようになります。

江戸時代には「
浅草紙」と呼ばれる粗悪な再生紙の製造所ありました。
浅草近辺から日本堤、やがて山谷(さんや)一帯に広がったようです。
ここで、江戸時代に詳しい人はピンと来るでしょう。(^_-) そう、あの遊郭吉原のすぐそばです。
紙漉き職人は煮沸した製紙原料を水に浸し、それが冷える間に近くの吉原遊郭を一回りしました。
これが「
ひやかし」「ひやかす」の語源です。

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