和紙

伊能忠敬
長久保赤水
□■伊能忠敬

伊能忠敬
(1745-1818)が"流行"っていますね。
彼が日本測量の旅(1800)に出て200年目にあたるからです。"伊能ウォーク"と言って彼の足跡をたどるイベントも行われたり、ゲーム付き万歩計「平成の伊能忠敬」なんて言うのも売り出されたりしました。

彼は病弱だったのですが、50歳まで千葉の佐原で家業に名主にと力を尽くし、隠居後江戸に出て55歳から71歳まで、17年、3736日に及ぶ測量をしたことです。その間、歩いた歩数、なんと四千万歩。
「中高年の星」、江戸時代の老人パワー、恐るべし!
しかも、最初の測量は、要した金の多くを忠敬は自分で出しています。

彼は、代々酒造業を営む伊能家の養子となり家業の建て直しをはかります。
そして、米穀の取引を行い、江戸に薪炭問屋も開いています。
明和・天明の飢饉には窮民の救済につとめ藩主から苗字帯刀を許されました。

ところで、彼が測量したデーターをまとめようとした時、実はずれていました。なぜでしょう?
そう、地球は丸いので、それを平面に書き写すことが出来ないのです。
勿論、彼はそれを修正し、今見ても完璧といえる地図「
大日本沿海輿地(よち)全図」(「伊能図」)を完成したのです。
緯度の最大誤差でも1/1000だそうです。

この、「伊能図」は一般市民は使いませんでした。幕府が極秘としたのです。
一般には
長久保赤水の作った地図が使われました。
伊能図が真価を発揮したのは、明治になってからです。
伊能図が我が国の地図の近代化に果たした役割はきわめて大きいといえます。

極秘の「伊能図」が、
シーボルト事件を引き起こします。
幕府の天文方、
高橋景保がシーボルトから洋書を譲り受けたお礼に「伊能図」の写しなどを渡したのです。
1828年景保は逮捕され翌年獄死、シーボルトは国外退去処分になります。
「伊能図」はシーボルト事件の後(1840年)にヨーロッパで出版され、高度な地図の技術水準が外国でも評価されました。
(シーボルトの項の蛇足参照)

ところで、地図と言えば、去年
エベレスト山(チョモランマ)の高さが8850mと2m高くなりましたね。
これは、1970年代米国国防省が軍事目的で開発した、カーナビゲーションシステムにも使われている
GPS(Global Positioning System)の活用によります。地球の軌道上を回る24個の衛星を使って位置を割り出すシステムです。

最近高さの変わった山を幾つか挙げると
キリマンジャロ 5892m -3
妙高山 2454m +8
阿蘇・根子岳 1433m +25
谷川岳 1977m +7
筑波山 877m +1

ところで、日本の山の高さはどこからの高さでしょう?
日本の平均海水面は東京湾の満潮と干潮の平均とされており、そこからの高さです。
地球温暖化で海水面が上がると山の高さは低くなる! ^^;

そう言えば毛利衛さんの
エンデバーでの飛行は、地球規模でのデジタル地図の作成でしたね。
陸地の80%を網羅する高精度の立体地図の作成で2001年には一般公開されるそうです。
パルス状の電波を地表に向け1000回/秒以上発信して、それをシャトル本体と60m離れた船外アンテナで受信することで行われました。精度は水平方向が30m、高さ方向が16mだそうです。

最近、もう一つ、地図に関する話題が最近ありました。
日本列島が
400mほど北西に動くというものです。東京湾では465m、那覇は488m移動します。
GPSで測定した世界標準の「
世界測地系」に改めるためです。
では、なぜこんなことが起こったのでしょう?

日本の測地系は明治初期に旧海軍水路部が天文観測で決めた経緯度線、東京都港区麻布台の「
日本経緯度原点」の北緯と東経が基準になっていました。
この時の観測技術の問題やアジア大陸の重力の影響で観測誤差が出やすかったことから、世界で最も世界標準からのずれが大きいのではないかと言われています。
2002年7月をめどに変更されるそうです。

ところで、東経135度の子午線上にあって、日本標準時のシンボルと見られている
明石市立天文科学館はどうするの? 
実は、子午線より東に約380mずれた位置にあり、今度の変更でかえって近くなるとか・・・。

最後に、
銀河系の立体地図つくりについて。
国立天文台は水沢(岩手)、入来(鹿児島)、父島(東京都)に直径20mのパラボラアンテナを建設し、銀河系の正確な立体地図を世界ではじめて作成するそうです。
「天文広域精測望遠鏡(VERA)計画」と呼ばれ、従来は300光年までしか測れなかったのを、一気に銀河系の地図を作ろうというもの。

足で歩いて地図を作った時代から200年、人類は銀河系の地図を作る段階にまで達したのですね。


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