和紙

シーザー
蛇足
□■シーザー

今日の話題は
ガイアス・ジュリアス・シーザー (Gaius Julius Caesar:B.C.100−B.C.40)
歴史のお話は歴史書に譲ることにして、例によって、つまみ食いです。^^;

シーザーの名前は余りにも有名ですが、実際、彼の影響が私達の生活の中にも生きています。

まず、
ユリウス暦の制定です。
当時の科学技術の中心はエジプトのアレキサンドリアでした。
アルキメデスやユークリットなども来ていました。
シーザーはクレオパトラとの縁でアレキサンドリアの天文学者ソシゲネスに暦法の改正を命じます。
この暦がユリウス暦です。7月の英語名Julyは彼の名前に由来します。(Vol.10「暦」を参照してください)

新聞」を世界で最初に創刊したのはシーザーだと言われています。
B.C.59年「アクタ・ディウルナ(Acta Diurna)」と言う手書きの新聞です。
三頭政治を始めた時期で、元老院を圧迫しようと考えていた頃にあたります。
当時、元老院には議事録がなかったのですが、一般市民を味方につけるため議事内容を新聞の形で公表したのでした。

B.C.49年ガリア(フランス)遠征中のシーザーは成功を妬んだ元老院により、喚問のためローマへの単独帰還命令を受け取ります。
戦闘部隊を率いたシーザーは「
賽(さい)は投げられた」と叫び、国境のルビコン川を渡りローマへ進撃をします。
(当時、軍隊を解散してからしかルビコン川の渡河は許可されていませんでした。)
一般市民を味方につけていたシーザーはローマで大歓迎されます。

鉄道の「
レールの幅」はシーザーが決めたと言ったら、びっくりしません?
B.C.55年 シーザーはイギリスに上陸します。そして、イギリス人に戦闘用馬車を大量に作らせました。
イギリスは、その後2,000年にわたってシーザーの規格サイズを守って馬車の車輪を作ってきました。
そのため、イギリスの街には一定幅の車輪の跡が残されていました。これが1.435m幅の轍の跡です。
鉄道を敷く際もこの幅をそのまま採用したと言われています。日本では新幹線がこの幅ですね。

トランプの「
ダイアのキング」はシーザーだとされています。
ところで、ダイヤのキングだけ横向きですがなぜでしょう?
シーザーが金に対して執着心の強い人だったので、終始ダイヤをにらんでいるのだという説がありますが、眉唾。
多分、ローマ帝国時代、コインの絵柄にシーザーの肖像が使われていましたが、それが横向きだったと言うのが正解では?

ちなみに後の3人は
スペード K ダビデ王
ハート K シャルルマーニュ大帝(カール大帝):フランク王
クラブ K アレキサンダー大王

世界には
短い手紙があります。
ビクトル・ユーゴーが出版社にあてた手紙「?」。そしてその回答の手紙「!」が有名ですね。
本の売れ行きが心配で出した手紙で、ビックリするほど売れていると言う返事です。

さて、ゼラの戦いで、迅速を旨とするシーザーの戦法が効果的に勝利をもたらしました。
シーザーが戦いの後、ローマの友人に宛てた手紙も有名です。
「来た。見た。勝った。」

「ブルータス、お前もか!」
(又は「お前もか、我が子よ」) 死の間際、暗殺団の一人ブルータスにこう言います。
一説によると、シーザーはブルータスが生まれた頃、彼の母親と恋仲にあったのでブルータスを自分の子供かも知れないと思っていたと言うのです。
(脚注)

帝王切開の帝王はシーザーに由来します。ただし、誤解で!
ラテン語で帝王切開のことを sectio caesarea といいました。この caesarea は「切る」という意味なのですが、カエサル(皇帝)の意味と間違えてドイツ語に Kaisershinitt と翻訳され、それが世界中に広がったのです。

一説にはシーザーは帝王切開で生まれたなどと言われました。しかし、当時の帝王切開は母親が死んだとき子供だけでも助けるための手術でした。消毒の概念もない時代、現代で言う帝王切開など不可能だったのです。
彼が大きくなって母親に手紙を書いているのでこの説は否定されました。

最後に彼の書いた
「ガリア戦記」から
ガリア戦記(現在のフランス)に次のような記述があります。
「この地の誰も、60日の行程をかけても森の果てまで行った者はいないし、森がどこから始まるかも知らない。・・・森の大半は人跡未踏の原始林であり、野獣の棲息地である」と記録しています。
当時ヨーロッパは森林に覆われていたのです。(10世紀頃の記録にも同様のことが書かれています。)
今のヨーロッパにはそのような森林は存在しません。
あのドイツのシュヴァルツヴァルトの森でさえ16世紀以降の人工林なのです。

(注)
2003.07.12
「ブルータス、お前もか」のブルータスは、従来言われているマルクス・ブルータスではなく、彼のいとこにあたるデキウス・ブルータスという説で、この説をとる研究者も多いと言います。
シーザーはこのデキウス・ブルータスをかっており、死の半年前に書かれたシーザーの遺書には、遺産の3/4を後の皇帝、妹の孫にあたるオクタビアヌスに残すとしていますが、もし、彼が相続を辞退した場合はデキウス・ブルータスに残すとしています。
シーザーを殺害した後にこのことを知ったデキウス・ブルータスは顔色を変え、打ち沈んだと言いますし、ローマ市民の怒りも彼に集中したと言います。 (「ローマ人の物語X」塩野七生著)


目次へ


和紙