和紙

蛇足
猿の生肝(いきぎも)
これは日本の民話です。
竜王が病気になってしまいます。そこで病気を治す妙薬「猿の生肝」をとり行くことになります。

ここで、2種類のお話があるようです。
使いに言ったのがクラゲ説と亀説です。
どちらも猿を騙して連れ帰る途中でつい本当のことを話してしまいます。
そこで猿は生肝を忘れてきたと元の場所に戻らせます。で結局猿は逃げてしまいます。

クラゲはその罰として打たれたため、骨が無くなってしまったそうです。
一方、亀説では、無事陸に戻った猿が石をとり、亀めがけて投げつけました。
石は亀の甲羅に命中し、それまでつるつるで美しかった甲羅に、たくさんのひびが入ったといいます。
また、亀は猿の生肝を手に入れる事ができなかったため、竜宮城に帰ることができず、ずっとあちらこちらを回遊しているんだそうです。

沐猴(もっこう)にして冠(かん)す
秦の末期、漢を建国する
劉邦と覇権を争った項羽(B.C.232-202)の話です。
項羽が、秦の都(咸陽)を落とし、焼いてしまい、故郷に錦を飾りたいと楚の国に帰ろうとします。
「関中の地は天然の要塞で、都とするのに適しているので残るべきだ」と諫言した側近を油の鍋で煮殺してしまいます。
それを聞いたある者が「猿が衣冠をつけたようなもので、天下をとれる人物ではない」といったといいます。
史記の項羽本紀に出ている話です。

沐猴にして冠す:外見は立派でも内実がそれに伴わない人物のこと。小人物がふさわしくない任にあること。

後に、彼は垓下(がいか)と言う所で劉邦の軍に囲まれます。
その時、祖国楚の歌が四方から聞こえてきます。「
四面楚歌」はこの時のことです。
そして「力は山を抜き気は世を蓋う。時利あらず騅(すい:馬の名)逝かず。騅逝かずいかにすべき。
虞(ぐ)や虞やなんじをいかんせん」と有名な言葉を残し、漢軍の中に突入し玉砕しました。
この虞が名高い
虞美人で、彼女の墓からはえてきた草を虞美人草と呼ぶようになったと言います。

■神代の国つ神に
猿田彦神がいます。
天孫降臨のときに、その道案内をつとめ、のち、伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したといわれています。とても背が高く、鼻が非常に高く恐ろしい顔つきをしていたといいます。
古くは、道の分岐点を守って邪霊の侵入を阻止する神、衢(ちまた)の神とされていましたが、中世に、障(さえ)の神と混同されて道祖神となりました。
また、仏教の影響を受けて、「猿」と「申(さる)」との混同から、庚申(こうしん)の日にこの神様をまつるようになったといいます。

使わし婢(め)
日本の猿は古来から神の使者と信じられてきました。
比叡の猿、熊野の烏、稲荷の狐、八幡の鳩、春日の鹿、弁天の蛇などが使わし婢といわれます。
日吉(ひえ)山王権現では猿を神の使者と考える信仰があり、山王祭・日吉祭などと呼ばれる祭礼も、陰暦四月の中の申(さる)の日に行われます。

猿と馬
「馬と猿」は仲のよいことのたとえに使われるほど、日本では猿と馬が結びついています。
猿は馬屋の守護で、正月のうまや祭には猿の絵馬が用いられました。正月の縁起物の猿回しも、大名家では、馬の病気を防ぐという俗信から、わざわざ厩で舞わせたりしたといいます。

猿股(さるまた)と言う言葉はこの猿回しの猿にはかせた股引(ももひき)が由来
です。股引の短いのが流行った時、猿のはく股引そっくりということから、猿股引(さるももひき)と呼ばれ、やがて猿股(さるまた)と呼ばれるようになったようです。

ひもつきと言う言葉もこの猿回しが猿につけている紐が語源だと言う説があります。


目次へ


和紙