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チャップリン
蛇足
□■チャップリン

今日は喜劇王
チャールズ・スペンサー・チャップリン(Charles Spencer Chaplin 1889.4.16〜1977.12.25)のお話です。
なお、父も、長男も同名です。

■知らない方の為に、ざっと
経歴
 ・父チャールズ・チャップリン、母ハンナ。ロンドンに生まれる。両親とも芸人。
 ・父の飲酒癖が原因で両親離婚
 ・5歳のとき、母親は声が出なくなり失業。父と死別。
 ・7歳の時、栄養失調のため母親が最初の発狂。
 ・以後、極貧生活が続き、貧民院、孤児院を転々とする。
 ・11歳頃から劇団の芝居に出るようになる。
 ・23歳渡米後、映画の世界に入る。
代表作「キッド(1921)」「黄金狂時代(1925)」「街の灯(1931)」「モダン・タイムス(1936)」「独裁者(1940)」
    「殺人狂時代(1947)」「ライムライト(1952)」
 ・63歳アメリカ追放
 ・83歳アカデミー特別賞受賞

サイレント映画からトーキー映画へ
映画が生まれて最初の30年間、映画が音を持っていなかったことは、サイレント映画という別個の芸術を完成させたと言えます。
映画は音がないという制約の中で、人間の眼にうったえることとはどういうことか、どうしたらよいか、を磨き上げたと言えます。

チャップリンはこのサイレント映画にこだわっていました。
彼は自伝の中で、「やっとサイレント映画をこなす監督達が出始めていたのに」「娯楽にはあらゆる種類が存在していい」と言っています。
また自分のパントマイムに絶対的な自信を持っていたようです。

「街の灯」は映画界がトーキー時代に入って以降の作品ですが、サイレント映画として製作され、トーキー映画をしのぐ興行成績を上げます。
しかし、次回作「モダンタイムス」以降はトーキーを採用します。
「街の灯」と言えば、ニューヨークでの封切日には、あの
アインシュタイン博士が来ていますし、ロンドンでの封切日にはチャーチルが来ているんですよ。

浮浪者の姿
彼が初めて浮浪者の姿を思いついたのは、「メイベルの窮境(きゅうきょう)1914」です。
突然、喜劇の扮装をしてこいと言われてとっさに思いついたようです。
もっとも、この扮装は前人の影響が多いようで、彼のオリジナルと言えるのは、あのアヒル歩きと竹のステッキだけだったようです。

この
竹のステッキ、当時日本が世界中に輸出していました。
彼はステッキをたくさん日本に注文したと言われています。
そういえば、彼の周辺には、秘書、運転手、料理人など日本人が多くいます。

五・一五事件
1932年(昭和7年)あの犬養首相が暗殺された事件です。
チャップリンは「街に灯」を作った後、ヨーロッパに出かけ、帰り、東洋経由で帰る途中、日本に立ち寄ったのです。
事件が起こった時、彼は犬養首相の息子と相撲を観戦していました。
当初、チャップリンも暗殺対象に入っていたといいます。
首謀者達は、彼を殺せばアメリカとの戦争を起こせると思っていたようです。
もっとも、彼はイギリス人でアメリカ国籍を持っていませんでしたし、生涯持ちませんでした。
首謀者達はこのことは知らなかったようです。
裁判記録にも彼の名前が出てきます。

女性達
彼の女性運は、あまりよくありませんでした。
最初の結婚などは、子供が出来たと嘘をつかれた結婚詐欺のようなものでした。
結局、四度目の結婚でやっと幸せをつかみます。
54歳の時、18歳の
ウーナ・オニール(劇作家ユージン・オニールの娘)と結婚したのです。
彼女との間には8人の子供をもうけました。

独裁者
チャップリンは終始ヒットラーを警戒していました。
独裁者を半分製作した頃でも、世間の風当たりは強いものでした。
まだ世間はヒットラーの危険性を認識していなかったのです。
その後風向きが変わり、かえって完成を急がされるようになります。
チャップリン扮するヒンケルが風船の地球儀をもて遊ぶシーンは有名ですね。
そして、最後の演説は「
世紀の六分間」とも言われ、教科書にも取り上げられるほどすばらしいものでした。

 チャップリンの誕生日は、1889.4.16 (ロンドン)
 ヒットラーの誕生日は、 1889.4.20 (オーストリアのブラウナウ)   

1948年フランス映画批評家協会は彼をノーベル賞に推薦。
1954年世界平和評議会より平和国際賞受賞

赤狩り(レッドパージ)
彼は第二次大戦が終わると、アメリカに吹き荒れたマッカーシズム(俗に「赤狩り」と呼ばれました)に巻き込まれます。
アメリカは彼を国外追放し、その財産を事実上、剥奪したのです。
1952年、40年住みなれたアメリカを後にし、以後、スイスに定住します。

彼は、「ニューヨークの王様」でマッカーシズムの告発をします。

1972年 アメリカ映画界は彼に
アカデミー・特別賞を贈ります。
20年前「魔女裁判」で追放した彼を三顧の礼をもって招待したのです。


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