和紙

月 その2
蛇足
□■月 その2

■日本人にとって、月はとても身近なものでした。
★有名な、
月を詠んだ和歌や俳句
「名月を取ってくれろと泣く子かな」 一茶
「名月や池をめぐりて夜もすがら」  桃青(芭蕉の1675-1682頃の俳号)
「菜の花や月は東に日は西に」    蕪村
「月月きに月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」    詠み人知らず
「月見れば千々にものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど」 大江千里
「此の世をば我世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」  藤原道長

「あまの原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」  阿倍仲麻呂
  古今和歌集、中国蘇州で帰国に際し詠んだ歌です。
  しかし船は難破し結局、中国に戻り日本に帰国することなく没します。

★江戸の
お月見
名月とは普通、旧暦八月十五夜と旧暦九月十三夜を言います。
お供えはお団子とススキですが、お団子は十五夜には十五個、十三夜には十三個、大き目のをお供えし、各人は別に小さなお団子を各々、十五個、十三個食べました。
十五夜は別名、
芋名月といい里芋も供えます。
十三夜は別名、
豆名月といい豆も供えます。
この夜に「
へちま」の茎を切って水を取ると、良い化粧水になるといいました。

金色夜叉
明治30年(1897)から明治35年(1902)まで読売新聞に連載されました。
「来年の今月今夜、再来年の今月今夜、十年後の今月今夜、ぼくの涙で必ず月を曇らせて見せる」と言うのは有名な台詞ですね。
旧暦(太陰太陽暦)ならこの台詞はいいんですが、太陽暦だと月が出ていない可能性があります。
出てない月をどうやって曇らせるんでしょう? ^^;
日本の太陽暦の採用は明治6年1月1日からです。

旧暦15日は満月?
旧暦では日付が月齢を表します。しかし、実は旧暦でも十五日が満月とは限らないんです。
新月から新月の周期が平均29.53059日、一方旧暦の一ヶ月は29日の月と30日の月があります。
2001年の中秋の名月は10/1日でしたが、満月は10/2日になっていました。

■月と
ギリシャ・ローマ神話
月の女神は
アルテミス(Artemis)でローマ神話でのディアナ(Diana)に相当します。
アルテミスは、オリンポス十二神の一柱であり、主神ゼウスとレトの娘で、アポロン(太陽と音楽の神)とは双子の兄妹になります。
彼女は月の女神であり、狩の女神でもあり、山野を支配し、誕生、多産、子供の守護神なのです。

実はギリシャ・ローマ神話にはもう一人、月の女神がいます。
セレネ(Selene)です。ローマ神話ではルナ(Luna)に相当します。
父がヒュペリオン(太陽神)で、ヘリオス(太陽神)、エオス(曙の女神)と三兄妹の末子です。

なぜ二人いるのかというと、このヒュペリオンやセレネなどは、タイタン一族に属します。
「Vol.36チタン」に書いたように、ゼウスたちオリンポスの神々に破れ、取って代わられたのです。

■月に関する言葉
月下氷人
媒酌人のことを月下氷人と言いますね。
これは、「月下老人」と「氷人」の二語が合体したものです。

まず、「
月下老人」のお話。「続幽怪録」の故事から
唐の韋固(いご)が宋城に旅をしました。その時、月の下で袋に寄りかかって本を読んでいる老人を見かけました。袋の中に赤い糸が見えるので、それは何かと尋ねると、老人は縁結びの糸で、夫婦となるべき男女の足をこれでつなぐと応えました。
そして、彼の将来の妻を予言したといいます。14年後彼はそのとおりの人と結婚したといいます。
この故事から、夫婦の縁を結ぶのを「
赤縄(せきじょう)を結ぶ」、「月下老人」を仲人の意味で使いました。
次に、「
氷人」の方のお話。「晋書‐芸術伝・索たん」の故事から
昔、晋の国に令狐策(れいこさく)と言う人がいました。氷上に立って氷下の人と話をする夢を見ました。
夢占いにたけた索(さくたん)に占ってもらったところ、氷上の陽と氷下の陰が言葉を交わしたのは媒介のことで、君は仲人をするに違いないと言われたといいます。
事実、間もなく上司の息子の仲人をつとめることになったと言います。

蜜月
英語のハネムーンの訳です。
昔、スカンジナビア地方では、新婚夫婦は一ヶ月間蜂蜜のお酒を飲んだ習慣からとする説や、満ちた月もやがては欠けていくように夫婦の愛情もしだいに冷めていくと言うことをたとえたとする説があります。

月とスッポン
「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」(喜多村信節1830年)では
スッポンのことを上方では丸(まる)といい、また、中国では円魚と書くように、丸い点では月もスッポンも似ているが、実際には天と地のように非常に違っている。
としています。
他に、スッポンではなく朱盆(しゅぼん:朱で塗った丸いお盆)のなまりとする説もあります。

月並み
「月並俳句」が元の形です。
明治の半ば過ぎのことです。正岡子規たち俳句革新運動派の俳人が、芭蕉以来の伝統を重視した、伝統的な俳句や俳句界を「卑俗陳腐にて見るに堪えず、称して月並調という」と批判し「月並俳句」と言ったことに由来します。
やがて、陳腐な俳句の意味が、一般に陳腐なものの意味にも使われるようになりました。
月並のもともとの意味は、月ごとに決まって行われるです。


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