和紙

馬 その2
蛇足
□■馬 その2

中国の故事に由来する馬に関する諺など
人間万事塞翁が馬
前漢時代の「淮南子(えなんじ)」に出てくる寓話です。
中国の北境の塞(とりで)近くに一人の老人が住んでいました。(それで塞翁)
この老人の馬が逃げたので、近所の人が慰めましたが、気にする様子がありません。
果たして数ヵ月後、この馬は駿馬を連れて帰ってきました。
人々はお祝いを言いましたが、「これが禍にならないとは限らない」と喜びません。
馬は子供を産み良馬が増えましたが、乗馬好きな息子が落馬して足の骨を折りました。
やがて、戦争になり、参戦した多くの村の若者が戦死しましたが、足の悪い息子は参戦できず無事でした。

このように人生の吉凶は簡単には定めがたいことをいう言葉です。

ほくそえむ
「人間万事塞翁が馬」の故事に出てくる塞翁は別名を北叟(ほくそう)といいます。
叟は「翁」の意味です。
この北叟が少し笑った様子を指して「北叟笑い(ほくそわらい)」といい、それが「ほくそえむ」と変わったといいます。

泣いて馬謖を斬る
三国志に出てくるお話です。
馬謖(ばしょく)は諸葛孔明に重用された蜀漢の武将です。
漢中から魏領に攻め込んだ孔明は目をかけていた馬謖に街亭での指揮をとらせ、自らは他に転戦しました。ところが、馬謖は孔明の命に従わず険しい山上に布陣し魏軍に大敗を喫っします。
この大敗により孔明は魏領よりの撤退を余儀なくされます。
そして、泣く泣く馬謖を斬り、全軍に範を示しました。
この故事から、規律を保つため私情に流されること無く処分を行うことや、大きな目的のためには自分の愛する者をも切り捨てることを言います。

白眉
これは馬謖の兄の話です。
蜀漢の劉備に仕えた馬良という名参謀がいました。彼は秀才ぞろいの五人兄弟の長兄です。
兄弟の中でも馬良が最も優秀でした。
彼の眉毛には白毛が混じっていたので、人々は「馬氏五兄弟の中でも白い眉が一番」と噂しました。
このことから、最も傑出している人物、あるいは物を"白眉"というようになりました。

伯楽(はくらく)
伯楽は、春秋五覇の一人、秦の穆公(ぼくこう)に使えた有名な馬の鑑定家、孫陽のことです。(紀元前七世紀)
現在は、"人物を見ぬく眼力のある人"を指します。さしずめ、小出義雄監督などは名伯楽ですね。

博労(ばくろう)または馬喰と言う言葉があります。
馬や牛のことに詳しく、またその売買周旋などを業とする者のことを言いますが、この言葉は伯楽が変化したものだと言われています。

千里の馬はあれども一人の伯楽は無し
名馬はいつの時代でもいるが、その馬を見つけ出して、その能力を発揮させる伯楽はいないの意味です。
現在は、世の中には、いつの時代でも有能な人材はいるが、これを登用し、十分腕を発揮させる名宰相は少ないの意味で使われます。

天高く馬肥ゆる
杜審言(としんげん;杜甫の祖父、7世紀)が、唐軍の参謀として北辺の地にいる友人に唐軍の勝利に対し贈った詩の中の一句、「秋高くして塞馬(さいば)肥えたり」が出典です。
北方の騎馬民族は秋になると厳冬期の食料を求めて、肥えた馬にまたがって集団で漢民族を襲いました。
ですから、もともと"秋、馬肥ゆ"は騎馬民族の跳梁を意味する言葉でした。
これが、杜審言によって唐軍の勝利による平和を謳歌する言葉として格調高く詠まれ、後に"秋"が"天"に変わり気候の良い秋の季節を形容する言葉へと変わりました。

馬耳東風
唐の時代の詩人、
李白(701〜762)の詩に由来します。
当時は、高潔で優れた人物が不遇をかこつ時代でした。
李白の友人、王十二もそんな中の一人でした。
彼の愚痴に対し、李白の詠んだ詩に「世人はこれを聞いてみな頭を振り、東風の馬耳を射るがごとくあり」と言う一節があります。 「我々の言葉、我々の傑作には頭を振って耳を傾けようとせず、まるで東風が馬の耳に吹くようなものである」と言う意味です。

竹馬の友
「晋書」の
桓温(かんおん)と言う人の言葉。
東晋(317〜420)の武将だった桓温(312〜373)には早くから才名を世に謳われていた、幼馴染の殷浩(いんこう)がいました。
ところが、この殷浩、いざ軍を指揮すると連戦連敗で桓温に辺地に流されてしまいます。
人のとりなしで桓温が官を授ける手紙を出した所、殷浩は中身をなくし、官にありつけないまま死んでしまいました。
この殷浩を評し「私は子供の頃、殷浩と竹馬で遊んだものだが、私が竹馬を放り出すと、その後彼は竹馬を取っていた。
だからいつも彼が私の下にまわるのも当然だ」と言ったことから「竹馬の友」と言う言葉が使われだしました。
現在では幼馴染の友達の意味に使われますね。

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