和紙

蛇足
8月10日は「道の日」です。
今日は道に関する話題を、例によって雑多に集めてみました。

■ローマ道
"
すべての道はローマに通ず"(*)と言われますが、領土が最大だったトラヤヌス帝(A.D.53〜117)時代のローマ道の総延長は290,000km、国内主要幹線道路が86,000kmと言われます。 ローマ道はほぼ600年をかけてつくりあげられた道路網です。
中でも、ローマとカプアを結ぶ230kmの
アッピア街道(執政官アピアス・クロデウスの名に因む)は有名ですね。

ちなみに、日本の高速道路は6,400km、国道で54,000km(1998年現在)です。

このローマ道は、当初、火山灰と石灰を混ぜた
モルタルを接着剤として利用しました(紀元前2世紀頃の発明)。
後に、このモルタルを改良し、砂利3/4と石灰モルタル1/4を混ぜた世界最初の
コンクリートを作っています。

(*)出典はフランスの詩人
ラ・フォンテーヌ(1621〜1659年)の『寓話』です。

ヨーロッパ各地ではローマ道に補修を加えて、これを近世まで公道として使っていました。ですから、ヨーロッパでは、文字通り「すべての道はローマに通じ」ていたのです。

また、文化的側面もあります。 ドイツの歴史家
ランケ(1795〜1886年)の有名な言葉に、「一切の古代史は、いわば一つの湖に注ぐ流れとなった。ローマ史のなかに注ぎ、近世史の全体はローマ史のなかからふたたび流れ出る」があります。
古代文化は一度ローマに集まり、そこから北欧に広がりました。そのためヨーロッパ文化のほとんどあらゆる源流は、ローマにあるといっても過言ではありません。
なお、この言葉は、転じて、「手段は異なっても目的は同じであることの例えや、、真理は一つであることの例え 」に使われます。

■一里塚、マイルストーン
★一里塚
織田信長が、一里(約3.9km)ごとに塚を築き、その上に榎、黒松を植えて、旅人の目印としたのが、一里塚の最初と言われています。
この榎については面白い話が伝わっています。
信長が関西地方の街道修復を大々的に行ったときのこと、「松や杉ではなく、余(それ以外)の木を植えよ」と言ったのを部下が榎と聞き誤ったと言うのです。

一説には二代将軍
徳川秀忠が本多佐太夫に「異なる木を植えよ」と命じたのを聞き誤ったとも言います。
秀忠は慶長9年(1604)に東海道、中仙道、北陸道の3道に一里塚を築かせています。
★マイルストーン(1マイル=1,609.344m)
ヨーロッパにもマイルストーンという、1マイルごとにおかれた石の円柱があります。
この石の里程標は、紀元前321年にアッピア街道が作られたときから設けられており、その後のほとんどのローマ道に置かれたものと考えられています。

■五街道
江戸幕府は全国の幹線道路の整備を行いました。
不便なく旅ができるようになったのは吉宗の享保年間の頃だと言われます。
さて、皆さん、五街道を正しく言えますか?
東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中の五つです。
京に通ずる街道はただ「道」としそれ以外は「道中」としています。
これは幕府が天皇への気遣いをしたからだと言います。

ところで、東海道五十三次はあまりに有名ですが、実は東海道は幕府の「道中方留帖(とどめちょう)」によると、終点は大坂になっており、本来は
東海道五十七次なのです。
これも天皇への気遣いとしか言いようが無いそうです。
なお、
中山道は京が終点です(六十九次)

■言葉
★花道
平安時代の
相撲節会(すまいのせちえ)では、東から登場する力士は「」、西から登場する力士は「(ゆうがお、夕顔)」の造花を髪に挿して登場したことに由来します。 平安時代以前は、東西の通路に実際に葵と瓠の花が植えられていたそうです。

★三度笠
これは
三度飛脚がかぶった笠に由来します。
三度飛脚とは江戸時代、月に三度、江戸・大阪間を定期的に往復した飛脚のことです。
この笠、菅笠(すげがさ)の一種で、ごく浅く、遠くから見ると一文字に見えます。
飛脚や旅商人などが多く用いたようです。

★道草
江戸時代から広く使われたようで、語源は馬が道端の草を食べながら歩き、なかなか進まない意味からきた言葉です。
似た言葉に「
寄り道」がありますが、江戸時代は「道寄り」と言ったようです。
「みち」は途中の意味で途中どこかに寄るのが道寄りです。

★散歩
中国の魏晋の時代に
五石散と言う鉱物から作った薬が流行ったそうです。
虚弱体質の改善に効果がったといいます。
この薬、即効性ですぐ体が温まり、その状態を「散発」と言いました。
しかし、この散発がないと死ぬこともあったため、散発を早めるために歩き回ったそうです。
これが散歩の由来だとか。

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