和紙

町奉行
蛇足
今日は、時代劇を見る時、知っていると面白いお話です。

■町奉行
江戸時代、町奉行は幕府直轄の重要都市におかれました。
江戸・京都・大阪・駿府・奈良・日光・堺・大津・長崎などです。
しかし、単に「町奉行」といえば江戸町奉行をさします。

なお、江戸町奉行は南北ですが、大阪は東西に分かれていました。

■江戸町奉行
☆南北奉行所

江戸には南町奉行と北町奉行がありますが、この二つは一ヶ月交替の月番勤務です。
南と北はあった場所にちなむ名前ですが両方はそれほど離れてはいません。
(詳しくは蛇足でどうぞ。)

☆組織
町奉行には各々、与力二十五騎、同心百二十人づつ所属していました。
この少人数で江戸の町と町人に関する、行政・司法・立法・警察・消防を管轄していたのですから大変です。
与力は200石、同心は30俵2人扶持で、住まいは八丁堀です。

☆町奉行
役高は3000石です。
有名な町奉行としては次の三人でしょうか。、
大岡越前守忠相(ただすけ1677-1751):大岡裁きで有名ですね。
  歴代の町奉行の中で大名(三河国大平)に取り立てられたのは彼だけです。
根岸肥前守鎮衛(やすもり1737-1815):「耳袋」の著者として有名ですし。
 「はやぶさ新八御用帳」(平岩弓枝)や「震える岩 霊験お初捕物控」(宮部みゆき)に登場します。
遠山左衛門尉景元(1793-1855)   :桜吹雪の金さんですね。^^;
  でも、彫り物の話は後世の創作のようです。

■雑
★捕物帳と捕者帳

捕物帳の最初は、
岡本綺堂(きどう)の「半七捕物帳」(大正6年)と言われます。
実際の町奉行所が扱った刑事事件の公式記録は「捕者帳」で主要事件の報告書です。

★目明しと十手(じって)
「目明し」は「御用聞き」「岡引」ともいい町奉行配下の同心がそれぞれ個人的に使っていたもので、以前、ぐれていたり、諜者(間者)のようなことが好きな裏の道に詳しいものがなったようです。
中には入牢中に他人の犯罪を訴えて自分の罪を軽減された者もいたといいます。

収入も、同心からの小遣い程度ですから、別に仕事をもっていました。
また、中には、博奕や売春などの犯罪で弱みを持つ者につけ込んだり、町人を脅し金を出させるなどの不法行為を働く者もいたようです。
ですから、享保の頃には、たびたび「目明し」廃止令が出されています。
しかし、実態は江戸期を通じて常に存在していたようです。

十手は、捕吏のシンボルですが、目明しが単独で十手を持つことはありえなかったといいます。
唯一、同心について歩くときだけ、「十手捕縄」を貸与され、普段は同心の名刺を持ち歩いていたというのです。なお、目明しの十手に房はついていません。

しかし、これは表向きで、実態は、初めの頃は捕り物の手伝いの時だけ貸し出していたようですが、後には預けっぱなしになってしまい、目明しの親分が勝手に十手を作って子分に与えるようなこともあったといいます。

十手の差し方ですが、
与力は佩刀と並べて差します。
同心は左の腰のところに差します。
岡引は腰の後ろの帯のあたりに差すか、多くは袱紗(ふくさ)に包んで懐に入れていたようです。

★八丁堀の七不思議(有名な二つだけを紹介します)
「与力、相撲に火消しの頭(かしら)」と八丁堀の役人はもてたようです。
1.奥様あって殿さまなし
 与力は200石なので女房は「奥方さま」(=奥さま)と呼ばれます。
 一方、与力は「殿さま」と呼ばれるべきなのですが、なぜか「旦那さま」と呼ばれたようです。身分が御家人だったからだといいます。

なお、同心は「旦那さま」「御新造さま」です。(詳しくは蛇足でね。^^;)

2.女湯の刀掛け
同心はまず、内湯(家にある風呂)はありません、与力でも無い場合があったようです。
そこで、銭湯に行くのですが男湯は朝から職人などで混んでいるので、朝湯は女風呂に入ったようです。そこで刀掛けが必要というわけです。

★不届きに付き、不埒(ふらち)に付き
御白洲での決り文句ですね。でも、この二つ結果が大いに違います。
不届きに付き」は幕府の手の届かぬ所で、大それたことを仕出かしたという意味で重罪だということです。死罪以上です。
これは奉行が言い渡すのではなく、係りの与力が伝馬町の牢屋敷に出向き、その中庭で言い渡し、牢屋敷内の刑場で刑を執行しました。
不埒に付き」は身分を忘れ埒(一定の枠)から逸脱した不心得者という意味で首はつながったといえます。遠島以下です。これを言い渡すのはお奉行の仕事です。

★十両盗むと死罪
「御定書(おさだめがき):江戸時代の法令一般の名称」によると10両に相当をする物を盗むと死罪となっています。
しかし、大岡越前の時代になると貨幣価値が下がっていましたから、御定書どおりに運用すると死罪が多くなります。そこで彼は盗難届に九両三分二朱と書かせたといいます。
江戸時代、お金は四進法です。一分(ぶ)は1/4両、一朱は1/4分

何(ど)うして九両(くれよう)三分二朱  古川柳
 

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