和紙

蛇足
★江戸町奉行所の変遷
町奉行の初めをいつとするかは、諸説あります。
ここでは、次の説を取らせていただきます。もちろんそれ以前にも奉行は存在します。

寛永8年(1631)10月に、加賀爪民部少輔忠澄を
常盤橋番所(北町奉行)に、堀民部少輔直之を呉服橋番所(南町奉行)に任じました。

呉服橋番所は後に
中之番所(1702[元禄15]〜1719[享保 4]までの17年間)となり、やがて廃所になります。

鍛冶橋に
北町奉行所が設けられ、常盤橋番所は数寄屋橋に移転し南町奉行所になります。

大岡忠相は最初北町奉行でしたが、就任の翌々年の享保4年、南町奉行所と改称され、以後、大岡忠相は南町奉行とよばれます。

北町奉行所は現在の
東京八重洲北口、南町奉行所は有楽町マリオン前に相当します。

江戸時代は身分によって奥さんの呼び方が違っていました。
・将軍                御台所(みだいどころ)
・三家、三卿            御簾中(ごれんちゅう)
・大名                奥方さま、御内方(おうちかた)
・武士 お目見え以上(旗本)   奥方さま(奥さま)
     お目見え以下(御家人) 御新造さま
     下級武士         御新造さん
・町方                おかみさん

★八丁堀の七不思議
本文で挙げた二つの他は、諸説あるんですが、どうも意味不明なものが多いようです。
3.金で首が継げる
4.地獄の中の極楽橋
5.貧乏小路に提灯掛横丁
6.寺あって墓なし
7.儒者、医者、犬の糞

★懲役刑は無い
小伝馬(こでんま)町に牢屋敷がありましたが、当時は懲役刑はありませんので、収容されていたのは未決囚です。
明治にいたるまで破牢は一度もなかったそうです。

寛政2年(1790)に火付盗賊改、長谷川平蔵の建議で
江戸石川島人足寄場が設置されますが、ここは、無宿者に手業を習得させるのが目的でした、後に追放者なども収容したといいます。

★刺股(さすまた)
犯罪人や乱暴者などを捕えるのに用いた捕り物の三道具(みつどうぐ)の一つです。。
刺股」はU字形の鉄製の頭部に木製の長い柄をつけたもので、のど首を押さえつけるのに用いました。最近、警察でも採用しているようです。
あとの二つは「
突棒(つくぼう)」:九尺余りの槍状の棒の先端に熊手のような刺を植えたもので、髪の毛や衣服を絡め取ったようです。
袖搦(そでがらみ)」:長い柄の先にとげの出た鉄叉(てっさ)を上下にたくさんつけたもので袖を絡め取りました。

★護摩の灰(ごまのはい:胡麻の蝿とも書きます)
人をだまして金品を取る坊主のことや、親切な旅人を装い、同行の旅人を騙して金銭を掠(かす)め取る者のことをいいました。

元禄時代、高野聖を装って、弘法大師のありがたい護摩の灰と偽って、ただの灰を高い値で売り歩いたにせ坊主がいたのですが、この坊主を称して護摩の灰と呼んだことに由来するといいます。

蝿のようにうるさくつきまとい、黒い胡麻の上に黒い蝿が止まっても見分けがつかないことに由来するという説もあるようです。

★大岡裁きの虚
大岡政談のほとんどが創作で、実際の事件でも他人の裁だったりします。
吉宗後落胤事件の「
天一坊事件」の裁きは勘定奉行、稲生(いのう)正武です。
また、「
縛られ地蔵」や「三方一両損」は特に有名ですが、原型は京都所司代板倉重宗(1587〜1656)の「板倉政要」にでてきます。
実母継母の詮議」は中国小説に源をたどれます。
はっきり彼の裁きだとされるのは「
白子屋お熊」くらいだとか。

★拷問
普通言う拷問には2種類あります。
責問(せめどい)」:鞭打、石抱、海老責
拷問」:釣責(つりぜめ)
町奉行の権限は責問だけで、拷問は老中の許可が必要です。
また、拷問の対象は殺人・放火・強盗で証拠があり自白しないものに限定されます。


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