『探 偵』

 (*本短編には、横溝正史先生著『犬神家の一族』および『百日紅の下にて』に関してネタバレが御座います。御了承下さい。筆者拝)

 それは、私が雑司が谷であの事件に巻き込まれた年よりも、少し前の事だったと思う。その秋の或る日も、私はだらだらと続く眩暈坂を上って古本屋・京極堂を訪ねたのだ。ゆっくりと午後の陽射しの中を歩いて行くと古本屋の建物が見える。その前で、うろうろと中の様子を窺う様にしている男が居た。
「あ、あの──」
『骨休め』と書かれた木札が下がる扉の前で、私は恐る恐る男に声を掛けてみた。
「え? あ、ああ、いや、どうも」
どうもと云われても困る。こちらは見覚えが無いのだから。私よりも少し年齢は上の様で、顔色があまり良くは無いその男は、書生風の着物と袴姿で下駄を履いている。この古本屋の主も着物姿を好むのだが、どうもこの男もそうらしい。左手には風呂敷包みを下げ、右手は被っていた不可思議な帽子をくしゃくしゃに握りながら蓬髪を掻き毟っている。その表情は、人見知りする私でさえ警戒感を解きたくなる様な、そんな人懐っこい笑顔だった。
「あ、失礼。この古本屋、京極堂さんはお留守でしょうか?」
「ああ、その『骨休め』の木札ですか。それは此処の主の我侭ですよ。中にちゃんと居る筈です」
「そうですか、そりゃ善かった。実は明日から信州へ行ってしまうものですから」
実に嬉しそうな笑顔を浮かべて、男はまた頭を掻き毟っている。頭に虱でも湧いているのだろうか。ふと気がつくと、風花の様な頭垢が舞っていた。これにはさすがの私も眉を顰める。

 私が訪うて主を呼び出すと案の定、中禅寺秋彦は離れ島の一つや二つさっさと沈めてしまいそうな仏頂面で現れた。書見の邪魔をされたからだろう。
「関口君、また君か。此処にちゃんと『骨休め』と書いて有るだろう。その位は幾ら君でも読めると思ったのだがね、今度から平仮名だけにするかな。ん? こちらは──」
枯草色の着流しを纏った古書肆が、地味な鼠色の書生風を眺めている。
「どうも御休憩中のところを相済みません。或る外国の本を扱う店で聞いたんですが、此方ならお化け、ああいや、妖怪とか憑物ですか。随分お詳しいし、その関係の書物も豊富だと伺いまして」
云いながら、また頭を掻く。ふと黙っている中禅寺に目を遣ると、さっき迄の仏頂面が何かしら興味を引かれた様な目付に変っている。
「では、もしや貴方があの──」
「おっと、そこまでで勘弁して下さい、はははは。山内さんには外国のミステリイ関係の本をいつも手配して貰ってましてね。それで紹介して貰いました」
独り置き去りにされた様な私は、二人を交互に見ながら途方に暮れてしまった。
「関口君、昼間から何を呆けているんだい。さっさと奥に入って、座布団でも用意してくれたまえよ」

店は閉められたまま、私と訪問客は奥の座敷に通された。座布団を二枚、津軽塗の卓袱台の周りで空いている場所に置く。床の間を背負う場所は主の居場所であり、縁側に近い場所はこれまた常にとぐろを巻いて居る榎木津の場所である。そしてその日も、榎木津は指定席に寝転んでいた。眠っている様である。其方へ顎をやりながら中禅寺が云う。
「これがやっと大人しく寝たところなのでね、出来るだけ静かに願いますよ」
「これ、ですか。はあ」
荷物を置いて、座布団に座った客が少し不思議そうな表情になる。中禅寺の細君も、忍び足で茶を出しに来た。にこやかな表情で熱い茶を並べている。客が風呂敷包みからごそごそと何か取り出した。
「あの、これ、つまらない物ですが、どうぞ」
「おやおや、空也の最中ですか。これは有りがたい。其処にいる関口君などはいつも手ぶらで来ては琵琶湖が溢れる程の油を売って行くのですよ。千鶴子、早速これを」
なんと云う言い草。
「な、何を云うんだ。だいたい何を持って来たって、君はひとくされ文句ばかりつけるじゃないか」
「あのなあ、君は何時だってその辺で偶々見かけた物や、その時自分が食いたい物を持って来るだけじゃあないか。こうして相手の身になって考えないと、手土産と云う物は価値が無いのだよ」
最中を渡された細君はそのやりとりに吹き出しそうになりながら、それを菓子器に移してそっと卓袱台に置くと奥へ下がった。客の男は、困った様な照れた様な微妙な表情で苦笑している。何かというと頭を掻くのが彼の癖らしいが、その度に机上に頭垢が散るのにはさすがの古書肆も閉口した様で、先程まで読んでいた本をそそくさと片づける様子が、なんだか可笑しかった。
「で、調べ物と云うのは何です?」
「はあ、それが──『いぬがみ』、と云うものなんですが」
熱い茶を啜っていた私は、思わずむせてしまった。

客人は『いぬがみ』と云った。その一言で、私は何かで見た古代埃及のピラミッドに描かれた壁画を思い出した。冥府に居ると云う、黒い犬の頭部を頂いた魔神。思わず、身体が強ばった。中禅寺の眼が俄然、光を帯びた。そして榎木津は依然、眠り猫の様に目を閉じて丸まっていたが、くふうんと云う様な声を出した。
「『いぬがみ』と云うと、これから四国に向かわれるのですか」
中禅寺が袂から紙巻きを取り出して点ける。私も煙草の包みを取出すと、客の男が済まなさそうに無心した。一本渡すと、とても嬉しそうに火を点ける。
「いや、四国ではなく信州ですが──」
「いぬがみ、『狗神』と書きますがね。これは四国方面に多い、まあ伝承です。集落の中に『狗神筋』と称ばれる家が有る。その家では狗神様を祀っていて、栄えさせて貰う。また、その家の人間が嫌う、或いは敵意を持った相手にその狗神が喰らい付く。禍を及ぼすと信じられています。狐、管狐などとも似たものです。管狐やおさき狐なら信州にも有るだろうが、さて、狗神とはまた珍しい。この僕も、あまり聞きませんね。否、送り狼の様な犬の伝承がひとつ有ったか──」
「はあ。いや、やっぱり倫敦堂さんに勧められただけは有るなあ。相当お詳しいですね」
「何、詳しいも何も、少々その手の分野が好きなだけです。そもそも実家は寺、僕も裏の神社の宮司を兼ねているのでね。いわば半分は職業的なものですよ」
「ああ、いや、これは御見逸れしました。もっと聴きたいですねえ。調査の予備知識には持って来いです。大いに助かります」
客人氏は最初呆れた様な、次に破顔一笑、蓬髪を掻揚げながら中禅寺に向かって頭を下げた。平生の私などとは違って随分素直な聞き手である。私は中禅寺が此の手の蘊蓄を語り出すと、とてもついて行けなくなることが多い。この客は慥か、調査、と云ったが──。
「今云った様なものの他に、例えば土中に犬を首だけ出して埋めて、目の前に肉なんかを置くのです。勿論犬は欲しがる。それをそのままにして、犬が涎を溢れさせ、飢えて狂いそうな状態でその首を落とす。それを祀るのですね。『犬蠱』と云います。一種の呪術ですが」
私は食いかけていた最中を置いた。上顎の裏に貼付いた最中の皮がなかなか取れない。慌てて茶を飲んで、またむせる。そんな私の背中を、とんとんと叩いてくれながら客人氏は続けた。
「ははあ、犬蠱ですか。色々と有るんですねえ。ところで先程の、その四国方面の狗神ですが、そういった狗神を祀る家と云うのは、今でも有るんですか」
「有る、と云いますね。実は、こう云った憑物筋の話には裏が有りましてね。集落の中で或る一家が急に羽振りが良くなったとしましょう。ひと山当てた、まあ現代なら株でも事業でも、成功したと思って下さい。すると同じ集落の他の家は面白くない。ついこの前までは同じ様な家だったのに、突然暮らし向きが良くなる。そうすると、あの家は狗神筋だ、狗神様のお陰だ。簡単に云えば、こうなる訳です」
「納得できる理由付け、ですか」
「そうです。しかも相手が狗神と来ては仕方が無い。下手に構うと祟られる」
「成程。やっかみ半分ですね。しかもその家を仲間外れに出来る。善く考えられている」
「しかしそうは云っても実際に狗神に憑かれて不幸になったとか、きちんと祀らなかったが為に狗神筋の家が拙くなったとか、そういった話も昔話だけでは無く、今でも有る様です」
「すると──憎まれた相手ばかりではなくて、狗神筋の家自体も、その──呪われることが有ると云う事ですか。しかも現代に至るまでそんな話が有る、と」
親しみの湧く笑顔とは別の眼の輝きが、この客の男には有る、と思った。何処か透明感の有る、その眼の光──。
「そうとも云えます。それに面白いのは、その『筋』の家では、代々娘が狗神様を祀るのです。女系ですね。母から娘へ、そしてまたその娘へと。多くは長女が引き継いでいくのですが──」
こういった憑物の話を、後に再び聞くことになるなど想像もつかず、ただ私は二人の会話に耳を傾けていた。

「なんだ、その双子の婆さん。面白そうだな。でも婆さんに武者飾りは要らないな」
榎木津が目覚めた様だ。まだ寝惚けている様だったが。
「釣り鐘の下に隠れるのか。鐘を突かれたら大変だなあ。ぐわんぐわん言うぞ。関君、一度やって貰え! ぐわんぐわんのごおんごおんだ。わははは」
「晴れ着で逆さ釣りか。まあそんな趣味の人も居るだろウ。ふん」
どうにも訳の解らない事ばかり続けざまに喚いている。まあ常々そう云う人間だから、
私も中禅寺も驚きはしないが、客人の吃驚した顔と云ったらなかった。
「あ、あ、あの、い、い、今のは?!」
驚いた拍子か、少し呂律が怪しい。
「ああ、それは榎木津と云って、まあちょっと珍しい煩瑣く喋る人形の様な物です。気にしないで下さい」
「なんだと、京極! 気にしないで良いものか、僕は大いに興味が有るぞッ!」
がばっと一気に起き上がる。その動きがなんだか不自然だ。起上り小法師の様でも有る。そしていきなり最中を摘む。茶色味を帯びた柔らかい髪の毛が、爆発して揺れている。
「其処の人。さあ、この僕が聞いているから話を続けなさい」
呆気にとられる客人を余所に、榎木津は最中を割ると中の餡だけを取り出して食べだした。卓袱台の上にぱらぱらと最中の皮がこぼれる。
「──は、はあ。あの、榎木津さんは岡山県警にお知り合いでも見えますか?」
「ン? けんけ−。ああ、警察か。警察の知り合いは真四角骰子豆腐男ひとりだけで充分だ。それに、そんな遠くに知り合いは居ないよ。おお、この餡子は、ンまいぞ」
「──そうですか」
客人は、どうにも納得が行かない様だった。

「ですからね、今から向かわれる信州のその館、或る時を境に急激に裕福になったその家で、何か事件が起こったなら、今僕が云った話をお忘れ無く。狗神筋の家の話をね」
最中を食べ終えた京極堂が客人の眼を見ながら云った。
「え? いやあ、お見通しですか。はははは」
「ンまいけど甘いっ。関君、お茶」
榎木津に急須からお茶を注ぎながら、私は着物姿の二人を見比べて云った。
「事件って云うけど、何なんだい。それに貴方いったい──」
「なんだ、関君、金隠しさんを知らないのか。何という無知。探偵だ、銀閣寺探偵」
「ああ、榎さん、云ってしまったな。申し訳ないですね、これはそういった心遣いとは無縁の物なのですよ」
金隠しに銀閣寺。探偵?──。そうか。金田一、金田一耕助! 数々の連続殺人事件を物の見事に解決した名探偵。今どき解らない方がどうかしている。あまりにも私の抱く『探偵』というイメエジから、かけ離れたその姿に惑わされたのだろう。本も新聞も真面目には読まない榎木津が知っていたのは、友人の木場刑事経由だろうか。金田一探偵と共に名の売れた等々力警部は、木場の上司の大島警部と警視庁の先輩後輩だと何時だったか聞いた様な気がする。
「榎木津さんと云うと、もしや元子爵の──ああ、やっぱり。いや、椿子爵邸の事件の時に貴族名鑑で慥か拝見した覚えが──。それに貴方。その立派なペンだこは、物を書いてらっしゃる手ですね。作家の関口さんと云えば、関口巽先生でしょう? 僕はね、『稀譚月報』の熱心な読者なんですよ。奇遇ですねえ。是非お見知り置きを」
「あ、うう──あ、あの、探偵と云うと、もっとこう、洋服とか──」
私は言葉を失って焦った揚げ句、妙な事を口走ってしまった。
「はははは。いや、関口先生がおっしゃる通りです。ほら、有名な明智さん。あの人も最初はこの僕みたいな格好だったんです。でもだんだん売り出して、どんどん格好良くなったそうですよ。そうそう、お洒落な探偵と言えば、木暮さんなんかアメリカのピンカ−トン探偵社仕込みでいつも颯爽としてらしたですねえ。でも、僕はこれで良いんです。これで。はははは」

「そんなことはどうでも良いんです、安全第一さん。それよりも僕は面白い話が聞きたいんだ。あなたは沢山面白い事を知っていルでしょう?」
榎木津が半眼で金田一氏の頭の上辺りを見つめている。
「え?──」
「黒い猫も居るし、男の様な女は居るし、その赤い花は何だ?」
金田一氏は混乱してしまった様だ。恐らく榎木津は彼の得意な能力、他人の記憶を視ると云うやつで、目の前の探偵の記憶を視たに違いない。
「事件のことですか?でも、事件なんて何も楽しくは無いですよ」
また髪をくしゃくしゃにしながら金田一氏は言った。その表情には、何故かしら少し哀しげな影がよぎった様に思う。私達よりも、少し年上なだけだろうに、それにしては随分と何処か透徹した様な眼の光を見た様な気がした。

その後、榎木津が奇天烈な事を始めた。中禅寺の細君に人数分の紅茶を淹れて貰い、台所で、どれかに砂糖ではなく塩を入れたと言う。私にどれでも好きなのを選んで飲めと云うのだ。
「いいか、必ずお前は塩入りの紅茶を選んで飲む。僕が保証する」
なんだろう、この自信は。
「ど、どれでも良いんだね」
云い出すと聞かない子供の様な男なので、仕方なく私も従った。別にどの杯に印が有る訳でも無く、紅茶の量や色が違う訳でもない。何一つ異なる要素の無い四つの杯。私は意を決して一つの杯を取り上げると、紅茶を口に含んだ。
「──ぐ──ううう」
ものの見事に塩入り紅茶だった。私が苦しんでいる間に、榎木津はさっさと片づけて、あらためて千鶴子さんが紅茶を出してくれた。
「酷いなあ。いつもながら酷いじゃないか。随分塩辛かったぞ。でもどうして僕があの杯を選ぶと解っていたんだい? 目印は何も無かったし──」
「うふふふふ。百日紅の紅い花だ。サルが見事に滑った。ああ愉快だ。わははは」
榎木津はそれだけ云って、笑って答えない。金田一氏はずっと面白そうに見ていたが、その言葉を聞くと、はっと何かに気がついた風で榎木津を見つめていた。溜息をつきながら、中禅寺が解説してくれる。
「榎さんも人が悪い。本職の探偵さんの前でそんな手品みたいな遊びは止したが良いぜ。それに関口君もそれくらい解りたまえよ。最初から全部の紅茶に塩が入っていただけじゃあ無いか。全く、しっかりしたまえよ。君なんか詐欺の良いカモだね。丸裸に剥かれるな」
金田一氏は、まだ榎木津から目が離せない様で、頭を掻く癖も忘れられていた。

「ああ、こりゃいけない。随分とお邪魔してしまいました。いや、失敬。そろそろ失礼しましょう」
懐中時計を取り出して金田一氏が云った。ごそごそと身支度を整える。その時、私の袖を引っ張って、真面目な顔で榎木津が言った。
「関君、絵描きやバンドはもう辞めだ。僕は『探偵』になる。お洒落に格好良く颯爽と登場して、あっと云う間に事件を解決する探偵だ。しかもあんなに面白そうじゃないか。もう決めた。決めたゾ!」

秋の日は釣瓶落としである。外に出てみると、もう空は一面の夕焼けであった。京極堂の店の前で私達は金田一探偵に別れを告げた。
「お気を付けて」
「みなさん、今日はとても勉強になりました。今度またゆっくり飯でも食いながら話しましょう。そうだ、探偵料が入ったら奢りますよ。はははは」
またあの笑顔を浮かべ、頭の上に帽子を押し付けると、下駄の音を響かせながら探偵は長い坂道を下って行く。茜色の夕日を浴びて、長い黒い影がその足下から伸びている。坂の途中の少し平坦な場所に来ると、彼は突然ひょいっと右足のちびた下駄を蹴り上げた。からん、と乾いた音が響いて下駄は地面に落ちる。
「明日も良い天気ですね。じゃあ」
手を振りながら大きな声で私達にそう云うと、ひょこひょこ動く長い影を道連れに、探偵は遠ざかって行ったのだった。犬神家の連続殺人事件が世間を騒がせたのは、その少し後の事である。

  

   <<了>>



<あと書き>

私の原点は横溝@金田一さんなのですね。先にそれを読んでからクリスティに戻ったりしたら、ネタが直ぐわかっちゃって随分と損をしました(涙)。ヨイ子は先ず古典的名作を先に読んでから色んな作品を読みましょう。でも年代的に、京極堂達と金田一耕助が東京の街角で擦れ違ったかも知れないと云うのは本当なのですよ、多分。↑話自体はたわいも無い代物(汗)ですが、両者邂逅の可能性を御楽しみ下さい。