
Profile
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荒俣 宏(あらまた ひろし)
1947〜
字も荒俣宏、通称 アラマタ、号して遊魚亭。
またの名を本野虫太郎、本読みまぼろし堂店主。
昭和22年(1947年)7月12日、東京生まれ。
キリスト教系の幼稚園〜板橋第七小学校等を経て、日本大学第ニ学園〜慶應義塾大学法学部を卒業。
身長183.5センチ、推定体重120キ強。B型。高校時代は園芸部所属。
生家は鶯谷で非鉄金属(カメラ部品等)卸業を営んでいたが、商売に行き詰まりアラマタが小学校1年生のころ板橋の金井窪(現在の大山金井町)へ夜逃げ。同地で瀬戸物販売兼タバコ屋兼貸間業の「みどり屋」を始めるが、これも軌道にのらずアラマタが小学校6年生のころ、練馬へ夜逃げしている。
決して裕福とは言えない少年時代を送った模様である。
なお、両親はともに生粋の江戸っ子。
父方の祖父はかつて浅草でブリキ缶製造に携わっており、母方の祖父は腕のいい大工だったらしい。
小学生の頃から趣味は海産生物採取と読書(当時のアダ名は「天の邪鬼」!)。
幼いころパチンコ好きの父を待つ時間に知った漫画の魅力にも取り憑かれ、小学生の頃から貸本屋通いも始まる。実際、自身も漫画家を目指し少女・幻想マンガを書きまくる。
(大学生のころの作品「TheDustLady」は、集英社文庫・荒俣宏コレクション「漫画と人生」ISBN4−08−748237−5に収録。必見!)。
中学生の頃、病床で偶然読んだ「世界恐怖小説全集」(東京創元社)にハマり、以降は海外幻想文学の世界へも傾倒。同作品の翻訳家の1人である平井呈一氏にフアンレターを送った事をきっかけに、氏に師事する事となる。通い門弟で書簡のみのやりとりが長く続くが(実際に会うのは大学生になってからとなる)、氏から、
「いやしくも英米文学を読もうという男が、翻訳をあてにするとは何ごとか。原書で行け、原書で」
との書簡が届き、苦手な英語を猛勉強、中学生くらいから原書を紐解いている。
(もっとも当時は、現在の様に手軽に海外幻想文学が読めなかったため必要に迫られた事も大きい)。
大学生になってからは本集めのためにアルバイト三昧。好きな作家が掲載されていたことから、当初はペーパーバックの収集を行うが、しばらくして稀覯本の収集へ移行。
大学卒業後は日魯漁業(現ニチロ)に就職し、コンピューター室にプログラマーとして勤務。
船員給与ソフト開発などに携わり、その後北海道拓殖銀行への出向(東京事務センター)、外国部勤務などを経て、79年に退社。以降は文筆家としての道を歩むこととなる。
なおこの間、早川書房から翻訳の誘いがあり、大学4年生頃から翻訳家としても活躍している。
これはサラリーマンになってからも継続して行われ、企業が二足の草鞋を認めないこともあって、「志村みどり」「団 精二」「孝標(たかすえ)めのこ」(未使用)の名前で作品を出している。
また平行して、紀田順一郎氏らとともに雑誌「幻想と怪奇」の発刊も行っていた。
日魯漁業退社後は、4年間ほど「平凡社 世界大百科事典」の編集に携わる。
その後、87年には初めて書いた長編小説「帝都物語」(角川書店)が350万部のベストセラーとなり、第8回日本SF大賞を受賞。また、89年には「世界大博物図鑑第2巻・魚類」(平凡社)でサントリー学芸賞を受賞し、その地位を確立した。
日本文芸家協会、日本SF作家クラブ、路上観察学会、世界妖怪協会会員、玉川大学客員教授。
プライベートでは、88年に作家・杉浦日向子氏と結婚するが半年で離婚。
その後、93年にお見合いで美人の日航パーサー・ヤスコ氏と再婚している。
持病は胆石と痔、糖尿病、歯槽膿漏。 歩き方から見るに腰の具合もよくないと推察される。
2つ違いの妹(マンガ家、藤子不二雄関係のスタジオに勤務)と弟(幸男氏)の存在が確認されている。
たいやき・大福・カルピス好き、飛行機嫌い。
アルコールは一切ダメ。
また、家をいくつも持っていながら帰らない、平凡社での寝泊まり、風呂嫌い、などの奇行の持ち主としても知られている。
ちなみに、公式プロフィールはこちら。
※なお、上の似顔絵は私がペイントツールで2分で描いたものです。あまりにも
下手っぴで遺影のようにも見えますが、現在もお元気でご活躍中であります。
くれぐれもお間違えの無いよう・・・・・
年譜
| 年月日 | 出来事 | 備考 | 社会 |
| 1947年(昭和22年)7月12日 | 東京・鶯谷で出生 | 生家は非鉄金属(カメラ部品等)の卸業を営んでいた | 日本国憲法施行、アルフォンソ・カポネ(ギャング)死去 |
| - | キリスト教系の幼稚園に通う | - | - |
| 1954年(昭和29年)頃 | 板橋の金井窪(現在の大山金井町)へ夜逃げ | 瀬戸物販売兼タバコ屋兼貸間業の「みどり屋」を開業 | 『ゴジラ』第1作公開、メートル法実施 |
| 1959年(昭和36年)頃 | 練馬へ夜逃げ | 「みどり屋」の運営も不振だった模様 | - |
| 1965年(昭和40年)3月 | 日本大学第ニ学園卒業 | 高校時代は文芸部・園芸部・剣道部に所属 | 米、北ベトナム爆撃開始、ル・コルビュジエ(建築家)没 |
| 1970年(昭和45年)3月 | 慶應義塾大学法学部卒業 | この間、早川書房から翻訳の誘いがあり、大学4年生頃から翻訳家としても活躍 | アポロ11号が人類初の月面有人着陸、ドラえもん連載開始 |
| 同4月 | 日魯漁業入社 | コンピューター室にプログラマーとして勤務。船員給与ソフト開発などに携わり、その後北海道拓殖銀行へ出向(東京事務センター) | - |
| 同年 | 英雄コナン・シリーズ『征服王コナン』出版 | 団 精二名義で処女出版 | 大阪万博開催 |
| 1973年4月 | 雑誌「幻想と怪奇」創刊」 | 紀田氏らと編集にかかわる | - |
| 1976年5月 | - | 平井 呈一氏 没 | - |
| 1979年(昭和54年) | 日魯漁業退社 | その後4年間ほど「平凡社 世界大百科事典」の編集に携わる。 | 天然痘が根絶 |
| 1983年(昭和58年) | <神霊小説 帝都物語>連載開始 | 角川書店「月刊小説王」1号(1983年10月号) | 東京ディズニーランド開園 |
| 1987年(昭和62年) | 「帝都物語」(角川書店)が350万部のベストセラーとなり、第8回日本SF大賞を受賞。 | - | JRグループ7社が発足 |
| 同年5月 | 世界大博物図鑑 刊行開始 | - | - |
| 1988年(昭和63年) | 作家・杉浦日向子氏と結婚するが半年で離婚 | - | 青函トンネル開通、東京ドームが完成 |
| 1989年(昭和64年) | 「世界大博物図鑑第2巻・魚類」(平凡社)でサントリー学芸賞を受賞 | - | 昭和天皇が崩御し、皇太子明仁親王が即位 消費税開始。税率は 3% |
| 1993年(平成5年) | ヤスコ婦人と結婚 | - | Jリーグ開幕 |
| 2011年 | 心不全で死亡の予定。享年64。 | 「私の死亡記事」(文芸春秋)より | - |