メニ・エピソード

(メニエル記・追記)

HPのトップへ戻る | 掲示板へ | 案内へ | 管理用


このページの内容は
私がメニエールで体験し感じた事などを思い出しながら
2004年1月〜4月のWeb日記へ書いたモノであります

メニエール病とは? | めまい | 原因 | 混乱 | 関連 | 関連・2 | 関連・3 | 治癒?

頑張る! | ジレンマ | 発作 | 発作・2 | 発作・3 | 診断 | 病名 | 勉強

受容 | 不満 | 不満・2 | 不満・3 | 入院 | 入院・2 | 入院・3 | 日常

日常・2 | 日常・3 | 日常・4 | 日常・5 | 仕事 | 手術 | 予兆? | 現在・そして・・・


《 メニエルとは? 》

自分のメニエル病体験から感じた事を書いていくつもりであるが
あくまでも、私個人が体験した範囲内で、自己解釈した内容のモノ。
一般論ではないので、あしからず・・・

さて、メニエル病とはなんぞや?
・・・と思われる方が多いと思われるが
確かに知らない人が大部分であろう。
私自身も発症するまでは、何も知らなかったし
例え、知識のある医者でも患者でも、自分が体験した以上の事は
理解する事は無理というものであろう。

私のメニエル発作時を、一般の人へ説明するとすれば
とてもひどい乗り物酔い(激しい嘔吐と気分の悪さ)プラス
体をぐるぐる回転させて遊ぶゲームみたいに
周りの景色が激しく回転している状態、プラス
頭痛・肩こり・耳鳴り(騒音に近い)などが、もう勘弁して状態。
それらが自分の体の動きで敏感に反応してしまう事である。

例えれば、正座を続けて足がしびれてしまうような事があると思うが
そのような時、しびれた足へ「触らないで!」と言いたくなるだろう。
同じように、私がメニエール発作を起こしている時には
上記にあげた症状に影響するので「そっとしておいて!」と
言いたくなるような状態を想像してみて欲しい。

このようなメニエル発作が、ある時、突然に起こってしまい
数時間、長い時では半日以上も続いたりもする。
発作が治まれば、通常の状態へと戻るのではあるけれど
ひどい乗り物酔いの後では、どうもイマイチ気分が良くないのと同じように
スッキリとさわやか〜な感じとならない事は、理解できるのではないかと思う。
このような発作が繰り返されるのがメニエルの特徴の一つであり
その発作の頻度は、個人差が大きく、一生の間に数回、年に数回
月に数回、あるいは私のように週に数回・・・と様々である。
内耳のリンパ液が異常に増えて、一時的に変形を起こしてしまう為に
このような症状が出るらしいのだが、なぜリンパ液がふえるのか?
諸説あるのだが、よく解かっていない現状らしい。
メニエルと似た症状となるような、他の内耳的病気もあって
医療現場でも誤解や混乱があるというのも頷ける。
昔は内耳的病気の全部を指して「メニエル症候群」としていたようだ。

内耳からくる、原因不明で確たる治療法がない病気の一つ・・・
それがメニエル病である。

戻る


《 めまい 》

「めまい」と言われて一般的にイメージするものは
立ちくらみ、クラクラ、フラフラ、ぼんやり、ボォ〜っとする・・・等々
少しだけ気分ががすぐれないとか、一時的なモノというイメージが
強いのではないだろうか?
少なくとも、発症前の私自身がそう思っていた。

確かに、軽い症状のメニエール患者では当てはまる部分があるかと感じるが
激しいめまい発作を起こす患者の症状を表すのに「激しいめまい」だけでは
とても不十分であり、「めまい」という表現は変えた方がよいとさえ思う。

私の場合は、初期症状としては「激しい嘔吐」から始まった訳であり
「めまいはありませんか?」と尋ねられて「いいえ」と答えるだけ。
実は自覚していなかっただけで、少し気分が悪い、なんとなく変だ
・・・と感じていた事が「軽いめまい」であったのかも知れない。
聴力検査、眼振検査・・・これらは、診断の対象となっていたはずである。

最初の頃は、とにかく、少しでも動くと気分が悪くなることや
激しい嘔吐になってしまう事を何とかしてくれ〜!!という願いだけ。
難聴や耳鳴りもあったはずだが、ほとんど気にならなかったのである。

見えているモノが横に流れるとか、回転して見える・・・という
「めまい」症状があるという知識は得ていたのだが
何度目かの発作の頃から、この「めまい」症状が起こってくるようになった。
実際に「めまい」が起こってみると、これもまた嘔吐とは別の意味で辛いものであった。
とても目を開けては居られないし、目を閉じても頭の中での感覚が
そのままであるから、大変なものである。
最もひどく体感した時には、体ごと空中に持ち上げられて
ありとあらゆる方向へ体を回転させられているような感覚であっった。
体を動かさなければ何とか治まっている嘔吐や悪寒とは違って
じっとしていても感じる「めまい」感だけは、どうにも出来ない。
「いっその事、死んでしまえば・・・」なんて思ったのも
こんな時であったかと振り返られる。

ジェットコースターみたいな乗り物に、ずっと乗り続けて居られますか?
メニエルを知らない人には、そう尋ねてみたいものだ。

戻る


《 原因 》

原因不明と言われているメニエル病であるが
原因がわからなければ、治しようがない・・・のは
当然な事であろうと思う。
だが、それは一般的に共通するような「原因」が不明なのであって
個人的には何らかの原因たるモノが存在するはずである。
現に発病しているのだから・・・
自分が、なぜ発病に至ったのか? 他人には理解できなくとも
自分なりには、アレコレと憶測できる事柄のいくつかは
出てくるのではないだろうか?

人には生まれ持った時からの体質や気質などの違いがあると思うし
生活環境での違いもプラスされているのであるから
大きな個人差があって当たり前である。
毎日の様々な変化の中で、健康体を維持できているのは
体の中の沢山の器官の働きのおかげであり
正常さを保てる限界は、人それぞれに違っていると考えられる。
それを器に例えれば、その大きさや強度には個人差があるという事だ。

疲労やストレスなどのマイナス要因が、その器に入ってくる。
その都度、上手く回復したり解消させる事ができて
器の中が空になれば良いのだけれど、たぶん、いくらかは残ってしまう。
それらが溜まって、やがては器いっぱいにまでなってしまう。
その後に、わずかな事がキッカケとなって溢れ出てくる事になる。
コレが発病・・・という事ではないだろうか?
メニエルに限らず、どのような病気にも言えそうな理屈でもある。
発病の箇所は、その人の弱い部分であったり
最も疲弊している部分であったりするのだと思う。

器がいっぱいにならなくとも、何らかの原因で
器そのものが弱かったり、傷ついていたりすれば
ひび割れや穴あきなどが起こって、マイナス要因が溢れ出してしまう。

コップいっぱいに水を入れて、表面張力で膨れ上がったところへ
コインを一枚ずつ入れて、水を漏らさずに何枚まで可能か?
というようなゲームを見たことがあるが
メニエル患者の「正常に保つ器」の中身が、まさにこのような
コインゲーム状態になっているのではなかろうか?
または、今にも割れたり、穴が開きそうな程に
器がもろくなっている状態なのであるかも知れない?

正常な人(器の中に余裕がある人)には何でもないような事であっても
メニエル患者にとっては、大変な事となってしまうのである。

自分の器の中身をいかに減らせるか?
マイナス要因をどれほど減らせるか?である。

戻る


《 混乱 》

「原因」の項では、個人の「正常に保つ器」について記述したが
その器から、疲労やストレスなどのマイナス要因が溢れ出せば
すぐに発作へと繋がるというモノでもないと思う。
なぜなら、耳は(内耳は)二つあるからである。
片方の内耳に水腫が起こって、その神経細胞から異常な信号が
脳へと送られていく訳だが、もう一方の内耳からは正常な信号が行く。
異常な信号と正常な信号との狭間で、脳が混迷する。
混迷の度合いが少なければ、修正(正常な範囲で処理)されているのだろうが
あまりに異常信号が強かったり、多かったりする事で
脳内に混乱が生じてしまう・・・コレが「めまい発作」と
なっているのではあるまいか?
バランス感覚は、内耳からの信号だけでなく
目からの光の情報、体全体で感じる重力変化の情報なども含めた
多くの情報を総合的に脳が処理する事で、対応されていると思える。
脳とのつながりであるから、精神的な事も大きく影響されるのは
当然の事だとも言えそうだ。

私の場合は、片側の(左の)内耳からのメニエル症状であるのだけれど
両側が原因となるメニエルを発症される方も2〜3割程度は見えるようだ。
片側だけでもあれだけの症状に悩まされたのであるから、両方だと・・・
その辛さや苦しみが思いやられて、頭が下がるような気持ちだ。
私自身でも、反対側の内耳が原因となるメニエルが
いつか発症する恐れは充分にあると感じている。
現に右側の耳では「突発性難聴」を経験しており
自分の体の中では、少なくとも耳に関係する部分においては
注意を必要とする状態であるのだいう事を
自分なりに理解し、覚悟もしているつもりである。

戻る


《 関連 》

コレが原因だ!と言える様なモノが不明ではあっても
要因となるようなモノが頭に浮かばない訳でもない。
それをいくつか挙げてみよう。
繰り返しお断りするが、ここに記す内容は
あくまでも素人の私が主観的に感じている事であり
専門家からすれば「おいおい、それは間違いだよ」というモノも多いはず。
また、できるだけ専門的な言い回しはしないつもりもである。
専門知識その物が無いという事が本当のところではあるが。(笑)

さて、遺伝について
私の父が耳を悪くしていて、少々難聴気味であったらしい事は知っている。
その内容の詳しい事については聴いていないのでわからない。
すでに亡くなっているから確かめようもない。
遺伝子診断をした訳ではないので明確な事は言えないのだが
体質的・気質的なモノは親から継承されているのであるから
遺伝的?とも言えそうである。

職業
仕事量が多かった為に、毎日の残業や休日出勤は当たり前。
普通勤務では対応できずに、2交代や3交代勤務の形態となった時もある。
金属製品製造工場内であるから、騒音、油、煙や粉塵といった
汚れもあり、寒さや暑さも身に降りかかる。
同僚や上司、部下などとの人間関係、業績の事などと色々とストレスはある。

家庭
夫婦間の事や子供の事、ご近所との事、身内の事・・・これまた種種雑多。
私の妻が難病で身体者障害者となった事、妹がある病気を発病し
その後に離婚したので、調停の手助けをしたり・・・と
どこの家庭でもありそうな事ではあるけれど
私にとっては重なり過ぎた感じがしないでもない。

趣味
好きな音楽などをヘッドホーンで長時間楽しんだ事もある。
片道1000km程のドライブ(帰省)を毎年のように行っていた。
読書、映画などを徹夜で楽しむ事もしばしば・・・。
そのくせ、歩かない、簡単便利な道具の使用で
体を使わずに万年運動不足気味。
スポーツを楽しむ人でも、ある特定部分は運動できてはいても
他は動かされていなかったり、一部分だけを酷使する結果にもなる。
あるスポーツマンが、日頃と違うスポーツをすると
筋肉痛や体のどこかの不調を訴えるものらしい。

社会評価
学校での成績表などと、子供の頃から「人の評価が気になる」ような
そんな社会の中で、今、自分が生活して居るという事である

戻る


《 関連・2 》

事故
二十歳の頃に自転車に乗っていて、小さな交差点で小型乗用車と
出会い頭の衝突事故に遭った事がある。
徐行し始めた車に、止まってくれるものと思って交差点へ入った所へ
車はそのまま発進!車の右側から飛び出た形の私は
左側が車のフロント部と衝突し、私の体は車のボンネットから屋根へと
飛ばされて、転がる感じで近くの道路より低い位置にあった田んぼの中へ。
意識は有ったので大した事は無いと感じたけれど
前向きに伏せた格好のまま、救急車の到着までじっとしていた。
目の前の地面へ自分の血液がポタポタと落ちて、溜まっていくのが見えた。
左顔面を10針ほど縫うケガだけで済んだのは幸いである。
ボンネットから屋根へと飛ばされる際に、顔の左側をフロントガラスに打ちつけて
ガラスの破片や自分のメガネの部分で、顔面を裂傷したものらしい。
この事はメニエールとは無関係であるとの医者の言葉だが
顔面の左側に衝撃を受けているという事実が、私には少し引っかかるのである。

視力
小学校6年の頃に、それまでは両方共1.5であった視力が
右側だけ0.5に落ちて、左はそのままであった。
日常の生活には支障がなかったので、そのままにしておいたら
高校を卒業する頃には、メガネが必要になるほどまでに悪くなっていた。
右が0.1以下で左が0.4。日常的な視力として、右目の使用頻度が下がり
その機能が弱くなってしまう。左は右の分まで使われて疲弊。
その結果、両方の視力が悪くなるという悪循環。
現在でも両眼の視力の差は大きく、ストレスとなっているかも知れない。

アレルギー
世間で「花粉症!花粉症!」と騒がれるようになる以前から
私は花粉症に悩まされていたようである。
当時は「春先には、鼻風邪によくかかる自分だナァ〜」程度に感じていたのだが
鼻や目の症状の全部を体験したような・・・いまだに医者での受診はしていない。
体に入った異物に対する自分の体の反応であるのだから
それは正常な訳であり、正常な機能を薬などで変えたり
抑えたりしたくないという考えによってである。
どうしてもという時だけ、市販の薬でやり過ごしてきた。
スギ花粉が多いはずの田舎では、実は花粉症の人は少ない。
花粉の他に、いくつかの何かがプラスされての発症であると
私は思っている。
不便ではあっても、できる事なら田舎暮らしがしたい私でもある。

戻る


《 関連・3 》

アレルギーその2
現在の会社へ勤めて20数年になる私であるが
若い頃にはいくつか会社を変わっていた。
なぜか金属加工業だけは、無意識の内に避けていた感じがする。
事情で、その金属加工業となる現在の会社へ就職した当初に
工場内での作業後、手や腕だけでなく、顔全体にまでジンマシンのように
赤く腫れてしまっていた事がある! 幸いカユミは無いのであるが。
「ああ、油負けだよ。 時々そういう人が居るんだ。
 でも、あなたのはチョットすごいね〜」
会社の同僚の言葉であるが、労災扱いで病院での治療をうけて、数日間で治まった。
「慣れてしまえば、平気だよ」と、これまた同僚の言葉であったが
手袋の口元となる手首の部分だけは、赤くなる事が消えなくて
私は長い間、サポーターなどで手首を保護しての作業を続けることになった。
体の他の部分では、症状が出なくなったとは言え、油(防錆油)に対する
私のアレルギー反応が改善されたモノではないだろうから
体の内部でのストレスはいつも有ったと思える。


職場が金属加工業の工場内であるのだから
それなりの騒音とも言える「音」に、長期に渡って身体がさらされている事となる。
空気の振動が耳の鼓膜へ伝わって「音」と認識しているのだが
人間が認識していない領域の「音」もどこかへ常に存在しているはず。
また、空気以外の物質の振動も、「音」とは認識できていなくとも
体のどこかへ振動として伝わっているはずである。
曇りガラスを引っかいたような嫌な高周波音、それ以上の高周波では
聴こえなくとも体に悪影響があるように感じられそうである。
高架になった道路の継ぎ目を、大型自動車などが通行する事によって
発生する低周波音は、人間の耳には聞こえない部分が多いけれど
高音(高周波)よりもずっと遠くまで届いて、長期間浴びていると
体のの不調の原因となる場合もあるとか。
好きな音楽を大音響で聴いていると、精神的には喜びの対象であっても
実は、体の中では悲鳴をあげているのかも知れないと思う私である。

戻る


《 治癒? 》

この項目は最後の方で書くつもりであったが
発症して間もない患者さんや身近な方が感じる事(私自身もそうであったが)
「どうしたら治るのか?」という疑問に対しての私見を少々・・・

ハッキリと言えば「治らない! 原因が不明であるのだからどうしようも無い」のである。
・・・が! 私のように治療の結果、長期間めまい発作が起こらない
(耳鳴りは残っているが)状態が治癒したと判断するのであれば
「治る!」とも言える。
患者は「治りたい」し、医者も「治したい」はずであるのだが
原因が明確ではないから、対処療法が中心で、これが原因ではないかと
憶測されたモノに対応して行くしかないのである。
ワラをもすがる気持ちで、どのような情報でも!・・・という心理もよくわかる。
だが、そうしたあらゆる情報の中で、自分にできる事や相応しいと思えるモノを
選択し「答え」を出すのは自分自身である事を忘れてはならない。
「答え」を他人(医者も含む)へ求めてはならないのである。

医療の目的が「救命」を第一としている感じが強い現状では
命に関わらない病に対して、あまり力が注がれていない雰囲気があり
とても悲しい想いを抱くのだが、これもまた現実である。

メニエルでは、発作を繰り返す内に、少しずつ内耳の機能が壊れていくものらしいが
どの程度に壊れたところで「安定する」か?という点で個人差が大きいように思う。
「安定する」事(慣れる事)が「治癒」する事であるとも言えそうである。

私の場合(医者の談であるが)、一旦壊れた内耳機能を修復する能力が強く
ある程度に回復するのだが、また壊れてしまい、また少し回復・・・という繰り返し
この変動が発作を繰り返す原因となっているのではないかという事である。
だから、内耳機能を壊す働きのある薬を注入する事によって
故意に、内耳機能がある程度まで壊された状態にして
安定を図るという治療法も行った事がある。
残念ながら、私にはあまり効果がなかったのであるが
上手くいく人も居られようである。
他にもいくつかの外科的治療法があるけれど
その内のどれが、その患者さんを安定状態へと導いてくれるのかは
結果だけが物語る・・・という事となるのだろう。
薬の服用だけで長期的に安定する患者さんも少なくはないらしい。

医者も治療法も生活改善なども・・・自らの「選択」次第であるのだと思う。

戻る


《 頑張る! 》

常日頃、色々なメニエル症状に悩まされながらも
何とか生活し続けている自分自身を、うんと褒めてやって欲しいと思う。
一般の人と比較すれば、ウスノロでぼうっとしているかも知れない。
やたらとミスが多かったり、いい加減なところもあるだろう。
けれど、コレでも一生懸命にやっているんだ!
頑張って、頑張って・・・の結果がこの姿なんだよ!!
と大きな声で叫んでみたいところである。

天気が変わると同じように、身の周りの環境は常に変化しているのであるが
健康な場合であれば、体の中の沢山の器官が頑張ってくれて
体がいつも安定するようになっている。
だが、病気や障害などによってその機能のいくつかが失われると
ごく普通の状態で居るだけでも、実に大変なことなのである。

いつも、いつも頑張ってくれている自分の心と体・・・
発作など症状が悪くなってしまった時ぐらいは、労わってやろうではないか。
ゆっくりと休めよ。また調子が良くなったら頑張ればイイのだから・・・と。
何を頑張るべきなのか? 毎日の生活の中においてマイペースでぐうたらする事!
このできるだけマイペースを保つ事・・・実に難しいものである。
世間一般のペース(評価)というモノがあり、自分のかつてのペース(能力)もある。
それらを承知の上で、自分の体や心の状態を考慮してのマイペース・・・
そう簡単ではない事が理解できるであろう。

他の人はともかく、自分自身にはよく解かっているはずである・・・
数々の耐え切れない様な症状の中でありながら
普通に仕事や勉学に勤めたりと、通常通りの生活を送っていくのに
どれほどの頑張りや努力を必要としているかを!
誰からではなく、自分で自分をシッカリと褒めてあげよう!
そして、頑張って、頑張って、御バカで能天気な毎日を過ごせるように!!

どんな強風にもビクともしない大木には成れないだろうが
風に揺られ、翻弄されるような身であろうとも
たとえ小さくとも、シッカリとした根を持つ草花であれば
折れた茎も傷んだ葉も再びよみがえる事もあり
散った花もいつかは咲く日が来ると信じたい!!

「今にみちょれ!今にみちょれ〜!(今に見てろ、今に見てろ)」
・・・が私の心の中での口癖であったかと思う・・・

戻る


《 ジレンマ 》

メニエルの発作時には「往診」が望ましいと
図書館で開いたある本には書かれてあった。
発作の時には動かない(動けない?)方が良いのであるから
なるほどと納得できる。
だが、「往診」をしてもらえるなんてのは、余程の金持ちか
VIPでもなければ、まず不可能であろう。
大抵の患者さんが救急車で運びこまれるか、ある程度の回復を待ってから
自分だけ、あるいは誰かの付き添いなどと共に、自らの足を運んでいるはずである。
症状が最も悪い状態の時に診察してもらいたいのに、それが叶わない。
患者にとっても、医者にとっても、これは大きな壁の一つになると思う。
私の主治医が「悪い状態を診てみたい」と言うので
発作の最中に無理をして、救急車で病院へ運んでもらった事があった。
診察室のイスへ座らされた途端、ひどい嘔吐となり、診察どころではなくて
そのまま入院。医者の白衣が私の嘔吐物で汚れただけであった。

悪い時に診てもらえずに、(ある程度に)治まった状態しか
医者には知られていないという、悲しい現実がメニエル患者には有る。
医者も、容態の実体を把握できなくて困っている事であろうと思う。
冒頭で述べた本の著者(医学者)は、自分の勤務する大学病院で
たまたまメニエル病に罹っている看護婦が居た為に
幸運にも知る手がかりを得たと述べている。
彼女が院内での勤務中に発作を起こした際に、すぐに検査や診察が可能な
環境であったから、データーを残せたものなのだろう。

病気の原因の中で大きなウエイトを占めるであろう「ストレス」であるが
何が一番のストレスとなるかと問われてみれば
「仕事」や「勉学」などと、自分の生活には欠かす事の出来ないモノが
頭に浮かんで来る筈である。
治療に専念するのであれば、それらをやめるのが良いはずだが
それが自分の生活であるのだから、しない訳にはいかないのである。
治療についての相談は医者などとは出来るが、生活の中での治療(闘病)は
医者などではわからない。自分(自分達)で考えてやって行くしかない。

生活の事も、医療費の事も、病気以外のすべての事を気にすることなく
現代医学の最新の設備とスタッフなどをそろえるというような
最高の環境を整える事ができるのであれば
メニエルはあるいは治せる病であると言えるのかも知れない。

だが、それは夢のまた夢・・・

戻る


《 発作 》

前項で「ストレス」について少し書いたが
メニエル患者にとっての最大の「ストレス」は
病気がもたらす「発作」や日頃の「症状」ではないかと思う。
発作や症状の辛さや苦しみは言うまでもなく、それがある為に
生活上で出来なくなった事、諦めなければならない事などは
大きなストレスとなってしまう。
また、メニエル症状への周囲の人の理解の無さは
患者への精神的ストレスを更に増加させてしまうものでもある。
日常の生活ストレスが引き金となって発症し
その症状が新たなストレスとなって、さらに病気を悪化させているという
悪循環が起こってしまっているようなのだ。

この悪循環を何とか断ち切らなければならない訳であり
私の場合には、耳鳴り、難聴、浮遊感、悪心、コリや痛みなど
付随して起こってくる症状に対しては、どうにか対応していけるものの
「発作」だけは自分ではどうにもならない事と解かってきた。
だから、何とか「発作」にならないように!
なっても、できるだけ「短時間」で終わるように!
・・・が私にとっての最大の課題とも考えていた。

では、初めてメニエル発作を起こした頃の事から順に
書いて行こうと思う。
今にして思えば、初めての発作が起きる数年前、あるいは数ヶ月前
そして数日前には、メニエルの予兆とも言えるような諸症状が
いくつか自覚できていた訳であるのだが、それはまた別な項で述べよう。

最初の「発作」それは1991年11月の早朝、突然に起こった。
目が覚めてトイレへ行こうと体を動かした途端に、猛烈な吐き気!
私の初期症状では「めまい」はなくて「激しい嘔吐」だけであった。
前の晩に、あまり食欲がなくて胃のむかつき感もあったので
夕飯は食べずにいたのであるが、コレも発作の前兆であったのものと思える。
食欲はなくとも空腹のままは良くないから、少しでも何かを口にしていた方がイイ。
ただし、体は出来るだけ動かさないで居るように注意が必要であるが
この最初の発作時には、そのような事は知る由もないから
絶食し、普通に寝ていただけの私であった。
メニエール患者の発作の際には、本人にとっての一番楽な姿勢でじっと動かない方が良い。
横になるばかりとは限らない、人によっては座った形が良い人も居る。
私の場合は、右側を下にして横になる格好が最も楽であったようである。

戻る


《 発作・2 》

しばらくの間、じっと寝ていても激しい吐き気は治まらない。
実際には、寝返りをうったりなどと頭を動かしている訳で
内耳のリンパ液が刺激されて、症状が出るのは当たり前であるのだが
この時点では、誰もそのような病気である事を知らないから仕方がない。
「大丈夫?大丈夫?」と励ましや心配からの声かけ・・・コレも良くないし
嘔吐している人の背中をさすったりする行為・・・コレもまたダメ。

ともあれ、車を運転できる者は、私以外では家族の中には居らず
早朝だから頼めそうな相手も居ないので、救急車を依頼することになった。
苦しさの中、どんな嘔吐物であるかだけを、息子に確かめるように指示。
その後は、とにかく吐き気と気分の悪さに耐える事・・・それだけであった。
救急車のサイレンで集まったらしい野次馬さんらの気配やら
救急隊員がどのように対処してくれたのかなどを
気にしている余裕は、この時の私にはなかった。
胃の調子が悪くて嘔吐したような場合は、吐くだけ吐いてしまえば
その後はある程度スッキリとするのだが、胃の中身とは無関係に吐き気は襲う。
前の晩から何も食べていないから、出るのは胃液ばかり・・・
吐くべきモノが無いのに吐くというのは、かなり辛いものである。
オマケに、救急車での移動では体への振動と揺れがあるものだから
それが変化する度に、体の具合の悪さが大きく増したりもする。
メニエール患者と分かっているのであれば、容態が悪い時には
心配ではあるだろうが、救急車などでの移送はやめておいた方が良いと思う。
内耳には流動するリンパ液の変化を感知する器官がある訳なのだから
無重力状態でもない限りは、刺激を与えずに移送することなど無理というものだろう。
こぼれそうなくらいに水を入れた容器を持ったまま、中身をこぼすことなく
どうやって移動できるというのであろうか?
それほどに過敏な状態になっていると想像してみて欲しい・・・

Ko市民病院での救急外来で診察を受けた訳だが、何しろ苦しんでいる最中である。
どのような扱いを受けたとか、交わした言葉の内容など
ほとんど覚えてはいないというのが正直なところである。

(同じ「K」でややこしいのだが、「Ko」は隣の市で「Ka」が わが市の名前の略としていきたい)

戻る


《 発作・3 》

Ko市民病院・救急外来の当直医での診断は
「耳からのものでしょう。後で耳鼻科の診察を受けて下さい」
脳や神経系、消化器系などからのモノではないとは分かったものの
「何も処置はしないの? 耳鼻科?内科でなくてイイの?」
という疑問が湧いてきたが、私には言葉を交わすだけの余裕がなくて
耳鼻科の一般外来診察の時間が来るまで、とにかく待つしかなかった。
「治まって来たようですね」
傍らに居た看護婦が、私に付き添ってきた家族へ話しかけている。
部屋の片隅のベットで、長くじっとしているのだから当然なのであるが
ようやく私にも少しだけ理解できていた。
なるべく動かないで居た方が楽である・・・と。
そんな中、今度は便意が・・・
「こ、こんな時にぃ〜!!」
出来るだけ我慢したのであるが、それも限界となって
嘔吐物を受ける容器を顔の前で抱えるように持ちながら
トイレへそろりそろりという感じで移動。
それでもゲェーゲェーしながらの用足しである。
自律神経などとも影響しあっているせいからであろうか
ひどい発作の最中に、尿意や便意を催すという症状は
この後も何度となく経験する事となり、ずいぶんと困らされたものだ。

やがて診察開始の時間となり、看護婦さんの介助で車イスに乗せられての移動。
車イスだから楽そうだが、それは違う。救急車での移送でも述べたが
重心の微妙な変化でも症状には影響するのであるから
動き出す、曲がる、止まる・・・どの変化でも結構つらい。
水でいっぱいの容器を運ぶぐらいのつもりで、車イスの操作をして欲しいものだ。

さて耳鼻科では、眼振の検査、聴力検査の結果「メニエル」との事。
私にとっては病名などはどうでもよくて、とにかくこの症状を何とかしてくれ〜!であった。
「この点滴をすると楽になりますから・・・」
しかし、症状は一向に改善されたと感じられない私。点滴が終わっても起き出せないでいる。
「甘えていちゃダメですよ。頑張って起き上がらなくちゃあ!」
と言う看護婦は、自分も以前メニエルを経験したと語っていた。
私を叱咤激励のつもりか、単に邪魔扱いをしたのかどうかは分からないが
自分の体験だけで、他のメニエル患者も同じようなモノと誤解しているみたいな
この看護婦と同様な人が多いものだと、後になって私は知ることになる。

戻る


《 診断 》

私を診察した医者の診断名は「メニエル病」。
「内耳の中で、原因不明の異状があって吐き気などが起こってくるんです」
この時点では、まだ私には「めまい」症状は自覚していなかったのである。
眼振はあったのかも知れないが、他には耳鳴りが伴っていただけであるから
この「メニエル」という診断は「メニエル症候群」または
「メニエルの疑い」というモノであったのであろうと思う。
当時の事をほとんど覚えていないのが残念であるのだが
この時の医者の説明は少なくて、不充分なモノであったように感じている。
「命には別状ありませんから、安心して下さい」とも言われたが
病気についての説明は、ほとんど無かったに等しい。

私は思う、医者に「断」を下してもらうよりは
医者の「考え」を聞かせてもらいたいものだと。
例えば、天気予報では、県別に分けて言う場合が多いと思うけれど
「○○県地方の明日は、晴れ、時々曇り、所によっては一時雨か雪となるでしょう」
コレではどのような天候でも当てはまるではないか!?
このような予報よりも、地図上のポイントポイントでの降水確率だけを
発表してくれるだけの方がはるかに良い。
現在のような情報社会でもなく、一般人の知識のレベルも低かった昔ならばともかく
今は患者自身が判断や選択できるだけの環境が揃っているとも言えそうであるから
それなりの情報を伝えてくれるだけでも良いのではないだろうか?
医者の独善的な判断のみを押し付けられるのは御免である。
まして、「メニエル」のように原因不明と言われるような病気では
諸説や様々な考え方があり、医者もそれぞれに違った判断をしているはずだ。

「よく分かりません」医者がそう言うと、余計に不安を募らせてしまう患者が多いようだが
人間の医学界でわかっている事は、ほんの一部分にしか過ぎないのである。
もっと言えば、「わからない」という事が「わかっている」に過ぎない事が多いのである。
よくはわからないが、試してみたら結果がよかった・・・という事も実に多い。
医者や薬などの治療によって病気が治るもの・・・
と勘違いしている患者が多そうであるのだが
治すのも悪くなるのも、自分の体であるという事を、患者はシッカリと認識すべきである。
勉強不足の医者に、バカな患者ではどうにもならないではないか。
共に努力しなければいけないと私は思う。

戻る


《 病名 》

私にとっては病名はあまり気にならない。
「メニエル」が真性なのか擬似性なものか
あるいは症候群であるのか、という事は問題とは感じていない。
その違いによって、治療法が変わってくるとか
医療制度的な事での差異が生じるようであるのならば
ちゃんとした診断名を要求するかも知れないが
現在のところでは、これらの中では大きな違いは無いようだから
ほとんど気にかけてはいないのが正直な気持ちである。

実際、大学病院での数回の検査を受けた時には
診断名は付かず(症状が出なかったという事もあるが)
ずっと世話になっていたKa市民病院の医者が
「典型的なメニエル病ですね〜」
と言ったのは、何年も経過してからの事であった。
数年間の私の症状を診て来た医者だからこそ言えるのであって
単に数回程度の診察や検査結果などから「メニエル」と診断するのは
難しいと言うか、正確なモノであるとは思えないのである。
大抵の場合、「メニエル」かそれに近い症状を見せる内耳的な病気(症候群)の一つであろうと
とりあえずは判断して、医者はその為の治療を考えて方針を立てて行くのであり
前者でも後者でも、その方向には大きな差は無いものであろうと感じている。

様々な検査が行われる訳であるが、それは耳の機能の壊れや変化の度合いを確かめたり
メニエル(内耳的な病気)以外の病気ではない事を確認するのが目的であって
「メニエル」そのものの悪さ加減が分かるような検査ではないようだ。
内リンパ水腫の状態が見える訳でもなく、めまいの具合や痛みの大きさ
気分の悪さ加減などを表すモノなどはどこにもない。
聴力の悪さや変化、眼振の状態を診て、メニエルの悪さ加減を推測しているに過ぎないのであろう。

例えば、気候での日照時間と気温との違いにはズレが有るように
体の機能の変化と、患者の容態に影響する事にもズレが生じるのかも知れないし
患者の体が持つ対応力にも違いがあったりもするので
検査結果の数値と、患者が自覚する症状の悪さ加減には差異があって当然なのかも知れない。
だからこそ、検査データなどだけではなくて、人間としての患者そのモノを
人間としての医者の目から見て欲しいのである。
カルテや書類だけしか見ずに、患者の顔をほとんど見ないような医者も
中には居るような気がしている・・・

戻る


《 勉強 》

初めて耳にした「メニエル」
名前すら知らなかったのであるから、どんな病気であるのかは知るはずもなく
とにかく、メニエルについて自分なりに調べてみた。
最初は自宅にあった「家庭医学書」
新しい物はないかと、書店で立ち読みなどもしたのであるが
その当時「メニエル」について書かれた本は少なかったように感じている。
いく冊か書かれた本が目についても、「メニエル=自律神経失調」的な
内容のモノばかりで、大して参考にはならなかった。
一つだけ印象に残っているのは「最初は同情されるが、やがて疑いの目で見られる」
さらに「例え身内であっても理解してもらうのは難しい病気である」
と記述されていた部分である。
心の中で大きく頷きながら読んでいた記憶が残っている。
市の図書館へ行って、分厚い医学関係の事典のような本を開いてみた事もある。
なにしろ、自分の事である、勉強するのには余念がなくなるのは当然であろう。
色々調べては見たけれど、やはり「原因不明・治療法も不確か」な病の一つであることが
どうにか私にも理解できてきただけの事であった。
健康グッズや健康食品などの広告の中で、「メニエル」という言葉が
やたらと気になり出したのもこの頃であろう。
原因と対策などを言い出せば、実に諸説様々であって、要するに
どのような病気についても当てはまるような事項が並べられているに過ぎないのである。
診察時に医者へ尋ねるのが一番良いのであるが、限られた診療時間内で
満足出来るだけの答えを期待するのは難しかろう。
医者が相手とする患者は、私ひとりではないのであるから・・・
ある程度の予備知識や質問事項をまとめておけば
こちらも好都合であるし、医者にとっても助かるのではあるまいか?
自説にはあまり拘らず、柔軟な姿勢を持つ医者であってくれると
私にとっては好感度が増してくるみたいである。
たとえ未熟であろうとも、一所懸命さがあれば私は好きだ。
ベテラン・一流な医者でも初心者な頃はあったはずである。
こちらの話を医者に聞いてもらいたいと願うから
私も医者の言葉をよく聴くようには努めたつもりである。
ついつい、治療や薬の効果をすぐに求めたくなるものだが
早く効く分だけ、副作用も強かろう・・・
果たしてどちらが本当に体にとって良いものやら・・・
医者を信頼したいし、私も医者から信頼されたいと願うばかり。

戻る


《 受容 》

突然の発作に加えて、原因不明で治療法はわからない・・・
などと告げられたら、さぞやショックであろうし
心の動揺や不安が起こってきても当然であると思う。
が、私の場合は、自分でも意外なほど冷静に
医者の言葉を聴いていたようである。
当初では、まだグルグルめまいの症状がなかった事が第一の理由。
他には、自分の妻が、やはり原因不明で治療法が確立していない難病の一つである
背髄小脳変性症(SCD)でずっと治療を続けている事。
自分が子供であった頃から、身の周りの誰かしらの持病の話などを耳にして
ナカナカ思うようにならない病があるものだと、何となく納得もしていたようでもある。
メニエル発症のちょうど一年前ほど前に
私自身が右耳の「突発性難聴」を体験した事があって
この時も医者から「原因不明で治るかどうかは判らない」と言われたのだが
治療のおかげで何とか回復したという体験が大きく影響していたのだろう。

原因が不明で、明確な治療法も無い病気・・・
考えてみれば、風邪という病気でさえ対症療法がほとんどではないのか?
わが身を振り返って見れば、それなりの原因らしきモノもあるだろうし
治療とまではいかなくとも、自分なりの対処の仕方が見つけられないものか?

やがて、何度目かの発作の時からグルグルめまいが起きるようになってきて
「見るものが回ったり、横に走ったりしませんか?」
と、いつも医者が私へ質問していた意味がようやく理解でるようになった。
まだグルグルが無い時でも、一歩も動けないような状態ではあった私だが
更にグルグルが加わって、その辛さ・苦しさは数倍してきた感じである。

発作そのものに対しては、何とか耐えるだけの力は自分にもあるだろう。
その為に生命が脅かされる事が無いのも、いくらかの慰めにはなるだろう。
問題は、発作の頻度である。
それも、予測できない程に突然に起こってしまう点が大いに困る。
妻の介助をするべき私が、誰かに介助されなければならない立場に?
突然の発作で仕事が続けられるのか?生活はどうなる?
病気の症状への心配よりも、これらの事の方が
私にとっては気がかりでならなかったのである。

戻る


《 不満 》

長い間、いくつかの医療機関で多くの関係者の皆さんにお世話になった。
おかげさまで、現在までのところ、普通に生活が出来ている自分が居る事を
心から感謝しているつもりだ。
だが、ただ一つだけの不満が残っている。
それは、メニエル発症当初のKo市民病院での対応についてである。
どの医者で、どの看護婦であったかなどは、当時の記憶がほとんど無く
たとえ再会することがあっても、わからない程ではあるし
たまたま、私がそこに居合わせた時だけの事であったかも知れない。
私個人のまったくの偏見のようなモノである事を、初めに断っておきたい。

さて、「発作3」の項での最後の方に書いた看護婦の言動・・・
「甘えちゃいけない、早く帰れ」的な態度には腹が立ってしまったのだが
あの頃の私の症状では、グルグルめまいがまだ出ていない事もあって
「軽い症状」であると見られた可能性が大きいようである。
なにしろ、気分の悪さ加減を表せるような検査機器は
どこにも無いのであるから、本人以外では知りようがなかろう。
土日の休みを挟んで、2度目にその耳鼻科へ訪れた時には
新たな検査が加わっていたから、この日の医者が「めまい外来」の
担当医であったように感じているが、病気についての説明がほとんどなく
処置についても前回同様に点滴のみであった。
ある日、私が点滴を受けている時に電話が鳴って、近くの看護婦が受けていた。
受け答えの様子から、相手はどうやらメニエル患者の家族の人であるらしい。
「数日間、頭を動かす事さえ出来ずに食事が全くとれていない状態だから
 何とか入院治療を受けられないか?」
という内容らしく、どうしますか?と受話器を持った看護婦が医者に尋ねている。
「自分と同じような苦しみを体験している人が居るんだなぁ〜」
と、私はベットの上から同情の念を強く抱いていた。
看護婦の問いに対して、そこに居た数人の医者の言動・・・
「そうか、食べられないのなら仕方がないかなぁ〜」
ヘラヘラ笑いながら、何か雑談でもしているような感じで言葉を交わす。
私はそんな医者達の様子にも腹が立っていた。
彼らにはこの苦しみがわからないのか?
理解する気も無いのか?

その後、この耳鼻科で受診をした際に、私は最悪の対応をされてしまい
それ以来、私がここで受診する事は、一度もなかったのである。

戻る


《 不満・2 》

私に最悪と感じさせたあの日の事・・・
最初に救急車で運び込まれた日以来、再び気分が悪くなるような事もなく
1ヵ月あまりで通院は終了した。
それから約2ヵ月後にまた同じような発作が起こった為
通院を再開させたばかりの頃のことであった。
その日は、前日から耳の聞こえ方が変になっていたから
予約日ではないが、休みを取って来院していたのである。
当時のKo市民病院では、まだ土曜日の半日営業があって
普段では、会社の休みである土曜日を通院日としていた。
聞こえが変な感じは、最初に発作を体験した前日と同じようであったから
特に気になっていたのである。
待合席で待つ間に、気分が悪くなってきて、その事を診察時に告げたのだが
別に変わった処置もなく、いつものようにベットに横になっての点滴。
点滴の間にさらに気分が悪くなる・・・
隣のベットで点滴を受けていた人が、心配して看護婦を呼んでくれた。
嘔吐するといけないので、その為の容器を借りてじっと耐えるのがやっとの事。
やがて、終業時間となってきたのであろう、看護婦が来て言うには
「悪いけど片付けなくてはいけないので、出てもらえますか?」
以前の事もあったので、私は借りた容器を持って何とか室外の待合席へ。
そこで横になり、じっとする事しか私にはできなかった。
どれほどの時間が経ったであろうか・・・辺りは薄暗くなり
少し寒ささえも感じるようになったが、まだ動けないでいる自分。
やがて、先ほどの看護婦かどうかは定かではないが、声をかけてきた。
「どなたかご家族をお呼びしましょうか?」
私はかろうじて電話番号のみを伝えたり軽く頷く程度の動きだけで
目を開ける事さえしなかった(できなかった?)。
迎えに来た家族と共にタクシーで帰宅したが、途中の辛さは言うまでもないだろう。
病院の駐車場内に残してきた自分の車を引き取るために
私が外出できるようになったのは、その3日後の事であった。
まだグルグルめまいが無かっただけで、非常に悪い発作状態と
ほとんど同じ感じであったのだから無理もないと思う。
Ko市民病院・・・今ではもうあんな事は無い・・・と信じたいが?

戻る


《 不満・3 》

私は、Ko市民病院やそのスタッフの事を悪く言うつもりはない。
ただ、あの時の私(メニエル患者)への対応の仕方について
もう少し配慮が欲しかったのである。
当時のKo市民病院では、建物や設備が新しいモノに変わってからあまり年数が経っていない事や
国内ではまだ2台だけという最新の設備「ガンマナイフ治療装置」が導入されるなどしており
近隣から多くの患者が来るような状態であった事が背景にはあると思う。
その頃の巷のうわさでは、軽い症状の入院患者は
早目に退院させられるようだとさえ言われる環境であった。

SCD患者である私の妻もこの病院でお世話になっているし
私自身も一年ほど前、同じ耳鼻科で「突発性難聴」の早期治療が効果あって
無事に聴力が回復していたので、感謝の気持ちは充分に持っていたつもりだ。
だが、メニエルの治療をこのまま続けて行けそうな雰囲気が
ここでは感じられなかった為に、私は転院を考えるに至ったのである。

私がメニエルを発症した早期の頃に、もっと適切な処置を受けていたら
その後の7年間苦しめられた症状が、もう少し軽くてすんだのではないか?
・・・とずっと感じ続けてきていた。
あの「突発性難聴」が早期治療で回復したと同じように・・・という気持ちからだ。

最近の新聞記事によると「滅私奉公タイプ」の人が
メニエル患者には多いというデータがまとまったようで
この研究者も、早期のメニエル患者の場合では、生活改善などをはかる事で
治癒する場合もあるという例をあげているから、私の考えも間違ってはいなかったようである。

次の診療機関は、会社を休まなくても治療が受けられるようにと
夜や土曜日でも営業している開業医を探し求めた。
小さなところであったが、近くで見つけて受診。
そこでの初めてのメイロン注射は、頭がス〜っとして気持ちがよかった。
そう告げると「皆さん、そうおっしゃいますよ〜」と看護婦さんが言う。
「調子が悪くなったら、注射にいらっしゃいよ」

その後の数回の発作を体験し、その頃からグルグル症状が出るようになった。
開業医の老医師は、そんな私を見て、何も検査する事もなく
「これは入院治療しなければいけないよ」
と、Ka市民病院への紹介状をすぐに書いてくれた。

そして、私のKa市民病院での長い闘病生活の始まりとなったのである。

戻る


《 入院 》

メニエルの場合、外科的治療をする以外では入院したからといって
特別に治療法が変わるものでもない。
発作が頻繁に起こっているような時には、静養(休養)の意味では
入院は有効であると言えるかも知れないが
私の場合では、その効用も少なかったようである。
なぜなら、妻の介助の為にと、土日の度に外泊や外出をしていたからで
ご近所さんは、私が入院している事さえ気がつかない程であった。(笑)
何とか症状の改善に繋がらないかと、一度だけ自分から入院治療をお願いした事があったが
それ以外では、発作の様子を医者が見た時に入院の指示を出すような感じであり
「それなら、発作のたびに入院って事になるよぉ〜」
と、私はいつも心の中で叫んでいたような・・・(笑)

発作の回数が多いか、少ないかの違いだけで
私にとっては入院時も通院時も大した差は無いのだが
一般の人にとっては「入院するほどに重いのか?」程度の認識の違いにはなるようだ。

病棟では冷暖房完備であり、規則正しい生活を余儀なくされる訳で
そうした中での症状の変化を感じる時には、天候、特に気圧などでも
大きく影響される事がよく理解できる結果となった。
気圧の変化だけもこのような状態になるのであれば、普通の生活の中での
家庭や職場での生活環境がどれほど症状へ影響されるものであるか?
それは、自分が想像していた以上に多くて大きいものだと感じさせられた。

普段は気がつかなでいるが、自分の体はあらゆる場面で頑張ってくれているんだと!
だから、今、体が悲鳴を上げている時ぐらいは、労わって少しでも助けてやろうではないか。
自分の生活改善を図り、少々の辛抱が必要ならそのようにして行こう。

こんな事を思いながらの入院生活であった。
なにしろ、考える時間はたっぷりとある。

さて、この後は私が入院している間に感じた諸々の事などを記していきたいと思うが
メニエル患者さんが期待するであろう治療内容については、ほとんど書かない。
と言うより書けないと言う方が正しいのかも? ほとんど記憶が無いのである。(笑)
個人の症状に対する対症療法であるから、違いは当然であろうし
基本的な部分では、変化はないと思うので、大した違いは無いものと考えてもいる。
ただ、両側のメニエルだけは未体験であるから、その点だけは私には認識不足であると感じている。

戻る


《 入院・2 》

生活費と治療費への不安を除けば
入院生活というものを私はそれほど嫌いではない。
どんな人であっても患者となれば寝間着を着ての共同生活。
患者はもちろん、医者も看護婦もその他の関係者の皆が
病気の治癒という目的を目指して、共に治療を頑張っていく毎日・・・悪くない。

医師や看護婦さんにはとても世話になった。
(今では看護師というべきだが、私の周りでは看護婦ばかりであったから、こう呼びたい)
食事を作る人、掃除の人、その他の職員さん、出入りの業者さん・・・
入院だけでも沢山の人にお世話になってもいる。
特別にやさしい言葉や扱いを受けたという訳ではないが
これらの人々の働く姿が、自分への強い励ましともなっていたようである。

「私の旦那もメニエルなのよ。具合が悪くなると2週間ぐらい入院しているわ〜頑張ってネ〜」
と明るく話す威勢のよい看護婦さん。
自分の荒れた手を恥ずかしいそうにしていた若い看護婦さんも居たっけ。
「患者さんの中では○○さんが一番好き〜」
まさか私に魅力がある訳ではなくて、一番手間がかからない・・という意味ではあるだろうが(笑)
なにしろ、具合が悪い時には放っておくのが一番良い患者の私であるのだから。

患者自身も、闘病生活を明るく楽しむ・・・という訳には行かないだろうが
自分の見栄や外聞を捨て、弱さをさらけ出し、本音で日々を送ることは
自身を見つめるには良い機会であるのかも知れないと思う。

私は思う。世の中で、上手く行っている時には誰であっても皆が同じようなモノで
何か問題があった時にこそ、その人の真価が現れてくるものであると。
だから、こんな時にこそ、自分自身がどの程度の人間であるのか
本当の意味で問われているのではないか?・・・という事。

治療は入院期間中だけでもなく、通院期間中のみが対象でもない。
生涯が治療期間であると考える方が良いのではないかさえと思っている。
生まれ出でた時から持っているものは体一つ。いくつもの替えがある訳ではない。
生きる過程で得るモノあれば、失うモノもあるだろう。
人は成人すれば成長が終わりではなくて、死ぬまで成長を続けるものだと思う、少なくとも精神(心)だけは。
メニエルという持病を持つ身で「どう生きるか?」
生涯の宿題なのかも知れない・・・

戻る


《 入院・3 》

入院中の食事は、美味しく頂いたという事は少ない。
病院食がマズイというのではなくて、発作を何度も繰り返すなど
メニエール状態の悪い時であるから、嘔吐感が無い時であっても
そんなに食欲が出るとまでは行かないって事。
胃の調子もイマイチで、ご飯をお粥に変えてもらって
何とか流し込んでいるような時が多かったようである。
ご飯を口に出来なくて、リンゴジュースやカ○リーメイトの
ブロックやジュースの世話になっていた日も少なくない。
数日間、ロクな食事もしないでいたりもしたから、胃の大きさが小さくなってしまったようだ。
一時に沢山の量が入らなくなってしまっているので、回数を多くするしかないのかな?

入院時はできるだけ体を慣らす事に努めた。
体調が悪い時には動かない事が鉄則であるが
悪くなければ、なるべく動いた方が良いはず。
病棟内では、あまりに静かで冷暖房が行き届き過ぎているから
慣らしには不向き、なるべく外出や外泊を多くしたいところである。
私の場合、週末の外出・外泊はその必要もあったので
自然と慣らしの形をとっていた感じでもある。
平日は病棟内の廊下や階段を歩いたり、屋上に出て外気に触れながら
軽い運動として、足の屈伸運動や腕立て伏せなどやったりしていたが
飛んだりはねたりは避けていた。
階段の昇り降りの上下移動では、まるでエレベーターに乗っているような感覚。
階段の踊り場でグルリと体の向きを変えるような時は、やはり要注意に感じた。
平坦な所を真っ直ぐに移動する場合にはあまり問題は無いが
上下の変化、左右の方向転換など、重心移動の大きな変化には注意が必要だろう。
首だけを向けるのではなくて、体全体をゆっくりと向けるような動作にしたいものでもある。

医療器具のガチャガチャした金属音は、やはり苦痛に感じる時もあったりするので
耳鼻科の関係者さんにはご一考願いたいところだ。
総合病院である利点を活かして、気になる症状があれば主治医と相談し
他の科での受診も積極的にやった方が良いかも知れない。
メニエルの原因を突き止める事に繋がれば嬉しい限りだが・・・
私は眼科へもかかったし、胃カメラを飲んだりもした。
歯科は残念ながら無かったので、外出しての受診となった。
精神科・神経科もあれば受診していたかと思う。
通院時に個人的に行った事はあるのだが・・・

戻る


《 日常 》

メニエル闘病生活での日常を振り返ってみよう。

まず、私が幸運であった事が二つある。
一つは職場が自宅にとても近かったという事。
会社のすぐ隣・・・と表現しても良いほどで
普通の人なら5分とかからずに、仕事の現場へ到着できるだろう。
もう一つは、通院先の病院もまた近くにあって
車で10分もあれば通える範囲内であった事である。
通勤や通院だけでも大きな負担、ストレスの原因の一つにもなるから
この点で私はとてもラッキーであったと思う。
現在は引っ越しているので変わってしまっているが
それでも職場へは車で10分、病院への距離はもっと近い距離になっている。

私が最も気をつけているのは「生活のリズム」を同じようにする事。
平日、休日ともに関係なく、就寝時間と起床時間をできるだけ変えない事。
夜は10時に寝て、朝は4時に起きる。
体調が悪い時や疲れたと感じるような時には、これ以上に増やす事はあるが
睡眠時間を減らすような事はできるだけ避けている。
夜の10時のつもりであっても、色々やっていると30分ぐらいは遅くなるのが普通であろう。
朝は目覚めた時にという感じであるから、5時を過ぎるような時もタマにはある。
たとえ休日であっても、食事の時間もなるべく同時刻になるように気をつけているし
具合が悪くて食欲どころではないような場合であっても
できるだけ何かを口にするようにしているつもりだ。
そしてまた、トイレ・・・
「よく食べて、よく出す」これが快適な体の基本であるから
便秘などにならぬように、これまた同じような時間に行くようにする。
出ても出なくともあまり気にせずに、ホンのチョッピリでも「OK」と考える。

運動は普通の「歩き」ができたら万々歳!・・・と受けとめたい。
特別に何かをやらなくとも、ご近所をお散歩する程度でも良し!であろう。
会社からの帰宅後、夕食を終えてからの夜の散歩。
ご近所を回ったり、チョット車で出て、市が整備してくれている散歩道を歩く。
こちらでは歩きやジョギングを楽しむ方々との出会いも多く
お互い気軽にご挨拶♪ 軽く会釈するだけでも気分は悪くない!
めまい発作がなくなってから、平日の夜の散歩はしなくなり
天気の良い休日の昼間、カメラバックをぶら下げてのお散歩が
最近の私の楽しみとなっている。

戻る


《 日常・2 》

週休2日であるから週の5日間は仕事である。
生活の基盤となるから仕事を避ける訳にも行かず
闘病の為には仕事のことは大きく影響してくるものである。
裕福な家庭であって、治療に専念できる立場であれば
仕事上のストレスから遠ざかるのは当然の事だと思う。
だが、そう出来る人は世の中ではごくわずかな人であろう。
勤め人ではなくて、学生さんや専業主婦の人であっても
それぞれの「仕事」に頑張らなくてはならない訳である。

さて、発作時以外では普通の人と変わらないはずなのであるが
ナカナカ発症前のような状態には程遠い自分自身を
とても情けなく、悔しく、辛く思える毎日である。
実際には軽い症状が出ている時もあると思えるし、精神的な不安や苛立ち
治療や薬の副作用からの体調の不具合などもプラスされているのだろう。
お天気に例えれば、今にも振り出しそうな感じの暗くて重い曇天のような
そんな毎日なのである。 スッキリ晴れたお天気の日が欲しい!!

医者は言う「症状への影響の少ない仕事へ変えられないですか?」
それが簡単に可能であれば、苦労は無い。
ストレスとなるから病気には良くない・・・とわかっては居ても
それをしない訳にはいかないのが現実の生活である。

そして、こうも言う「何か具合が悪くなったりしたら、来て下さいね」
悪い時には動けないんですよ。あるいは動かない方が良いのでは?
こうして診察へ来ているという事は、具合は良い方なのでありますよ。

メニエルが一般に知られていない事から、職場をはじめとして
自分の周りの人へ病気の説明をしなければならないのだが
いい加減にうんざりとしてくる場合も多い。
結局、未体験者にはどうやっても分からない・・・コレが私の結論。
命に関わる事であるとか、入院や手術が必要な程のモノであれば
さぞや重症であるのだろう・・・普通の人の認識ではこんな程度だと思う。
どんなに日頃から自分が頑張っていても、それはタダ普通にしか見えない。
入院して手術します・・・と言えば、そこで初めて相手の対応に
変化が現れるような、そんな感じなのである。

誰も褒めてくれないから、自分で自分を褒めてあげるんだよぉ〜!
冗談まじりで話すような内容ではあるのだけれど
メニエル患者さんなどでは、まさにその通りに実行してもらいたいところだ。
頑張れ〜自分! 頑張れ〜メニエル患者さん達!!

戻る


《 日常・3 》

最近、ある大学教授が7年間のアンケート調査研究の成果を発表した。
メニエル患者の中では「滅私奉公タイプ」の人が通常よりも
2〜3倍程度多いという事がわかったそうである。
以前から「几帳面」とか「神経質」な人に多いと言われていた事から
特に目新しい情報ではない、と私は感じているのであるが
有名新聞の全国紙面に載ったり、ネットの公式サイトで紹介などされた事から
たちまちの内に広がったような気配がして、新たな誤解が生じないでいる事を祈っている。
決して「滅私奉公タイプ=メニエル」でもなければ
「無理や無茶な生活形態=メニエル」というモノではない。
一般よりもそういうタイプの人が数倍多い、というだけの事なのだ。
あたかもそれが原因のごとくに書かれた記事については、少々気になって
愚見を感想メールとして出さずには居れなかった私である。

さて、私自身もどちらと言えば、この滅私奉公タイプに属するかも知れないが
だからどうだ・・・である。
もって生まれた気質や性格などというモノは、簡単には変えられそうもなく
その人の生活環境も、他人がどうこう出来る範囲は少なかろう。
要は患者本人がどのように認識して、どう対応させて行くか?にかかっていると思う。

私はメニエルである事を、自己改善(特に精神面)する手段として
逆に利用してきているつもりである。
毎日の生活の中では様々な事があって当然。
家庭や仕事上などの色んな面で心配であったり、気になったり、義務感を負ったりと
自分の頭の中がいっぱいになってしまう時も有るのだけれど
「もしも、ここでめまい発作が起こったら!?」
と、自分の気持ちを切り替えてみるのである。
発作になれば、何も出来ない!何も考えられない!何かを感じてるヒマもない!
だから、今できるコレだけの事で、終わりとしよう。許してもらおう。
発作となって、自分が苦しむよりは、周りへ迷惑かけるよりは
このままがきっと最良なはずであるのだから・・・と。

発作を起こさない事が第一。
もしも、発作になった時にはどうする、と覚悟や準備をする事。
ここで滅私奉公タイプを発揮してはダメ!
自分が楽しむ事や喜びを我慢する事なく、できるだけやればイイ。
こうやって考えてくれば、何をどうやればよいのか
自ずから答えが見えてくるはず。

頑張って「バカ」になっている私なのである・・・

戻る


《 日常・4 》

夏の暑さや冬の寒さも大きなストレスとなっているはずであるが
私の場合は、暑さにはわりと平気なようで、寒さ対策が必要。
メニエルを発症したのが11月、翌年の2月に再発したことを皮切りに
年間を通じて症状の悪い時が多かったのは、秋から冬、春という季節なのだ。
だから、秋の早い時期から、少しでも寒さを感じたら衣服を増やすようにしている。
上半身よりも、主に下半身への着用を心がけているつもり。
ズボン下や靴下などを愛用し、見栄や体裁などは構ってはいられない。
元々ファッションには無頓着な私ではあるけれど
めまい発作時の自分の姿と比較すれば・・・何のその!である。
花粉症対策の為のマスクは、防寒にも効果が有って冬はありがたい。
マスクをするのには非常に抵抗があるし、面倒なモノでもある。
花粉症の症状からストレスとなり、メニエルの発作を誘発するなど
花粉症とめまいという最悪な状態になるよりは
マスクをかける事など何の苦にもならぬはず。
まあ、私が中年過ぎのオジンであるからこそ、出来ると言えなくもないが(笑)
マスクはごく普通のガーゼマスクを使用しており、それでも
保湿と保温効果はあるのもので、職場では一年中の着用である。
仕事以外では、11月から5月にかけての外出時に大体は着用している。
このマスクのおかげなのかどうかはよく分からないが
ここ10数年の間は風邪らしい風邪はひいていない感じだ。

春と秋という季節では、過ごしやすい気候である為、人に好まれる傾向だが
実際には、体の変換期、夏型と冬型の切り替わる時期であるから
体は不安定な状態になっている事であろう。
肉体的部分だけではなく、精神的な面でも変化があり、不安定さが増しているはず。
また、一日の中で体が切り替わる時・・・朝の起きがけ時や出勤時
仕事の合間の休憩時間、昼休み、終了時間、帰宅時、入浴時、就寝時など
心理的変化と体の変化のどちらか一方、あるいは両方の重なり方によって
症状が現れる度合いが違っていたようにも感じている。

夏の暑さには平気な私でも、冷房の風には要注意!
直接に冷気へあたる事は避けるようにして、少しでも寒く感じるなら
やはり重ね着をするようにしている。
スーパーなどでの冷凍(冷蔵)商品棚などの冷気に対しても過敏な私。

どこでも冷暖房完備が当たり前だが、自律神経には良いとは言えないと思う。

戻る


《 日常。5 》

このメニ・エピソードも今回で28回目となった。
読み返してみると、文を上手くまとめられない為に
長々と同じような事を繰り返しているようで
読者さんには申し訳ないような気持ちである。
あと数回で終わる予定(?)だから、ご勘弁を!

さて、発症の当初から私は手術を医者へお願いしていた。
何度も発作を繰り返す上に、いつ悪くなるのかが不明である病気。
更には、原因も治療法もよく分からない・・・とあっては
毎日の生活、特に仕事に関しては困る事が明確であるからだ。
しかし、余程の事情でもない限りは、手術(破壊術)はしない方針であるらしく
私の希望通りにはいかなかった。
内リンパ水腫の逃げ道をつくる手術もあるらしいのだが
効果がない場合もあるらしいので、これは最初から眼中には入れなかった。
手術もダメ!治療もダメ!・・・ならば、あとは自分の生活の中で
改善できる事をやって行くしかなかろう! そう覚悟した。

学生のように、毎日の生活を日課どおりに進める訳にはいかないが
少なくとも睡眠時間と食事の時間ぐらいは、毎日を同じようにする事。
これは、平日・休日共に変わらず、どこかへ出かけた場合でも同様だ。

枕や布団、毛布などの寝具やパジャマなど寝間着に気を使ってみたり
時間があれば、散歩など軽い運動と気分転換などをする。
柔軟体操など体のストレッチに努めたり、適度な趣味も続ける。
「悪い時は休むしかないけど、良い時に頑張れば良いから!」
と自分の気持ちを切り替えて、クヨクヨ悩む事はやめる。
症状の為には良くない・・・と感じるような事は出来るだけ避けて行く。
ダメ元で、何でも試して見るのも悪くはなかろう。
どんな場合であっても、自分の体や心に無理をさせない!
無理をしないようにする事が、最も「頑張る」べき事としている私である。

枕は低反発なモノに変えた。
寝具には敷き毛布を増やした。
シェーバーは振動から回転式に変えた。
交代勤務も残業も出来るだけ避けるようにした。
運転時の左右確認時の頭の動かし方に注意した。
目や耳への負担の軽減。
温泉の利用で、心と体をほぐし。
低周波治療器、サプリメントなども補助的にはOK。
買い物の送迎はしても、人ごみは避けての待ちタイム。
どんなに好きな事であっても、ホドホドで我慢の子で居よう。

ダメな奴と思われても、ゆったり、ノンビリ・・・と。

戻る


《 仕事 》

私の仕事は工場内での作業であるから、体を動かすモノ。
だから、症状が出た時には仕事は出来きない。
コレはヤバイかな?と体の不調を感じたら
仕事を中断して、帰宅する事がしばしばである。
すでに他の項で書いたように、自宅が近くにあったので
会社を早退して、フラフラ歩きながら帰宅した。
あまりにひどくて、数人が付き添ってくれた事もあったりした。
通院をする日などもあったりして、発作の多い期間では
一週間をまともに働けた日は無かったようである。
発作の少ない安定期には、残業なども少しはやれたのだが
気持ち的には時間外労働は避けたかった。
役職もなくし、配属も転々と・・・
私のような勤務状態では当然の事であろう。
メニエルの症状を持ちながらの転職も考えられずに
ただ、解雇されない事を祈りながらの毎日であったかと思う。
不安や心配はしなかった。精神的には良くないからだ。
やるだけやってダメなら仕方が無い。また出来る事をやるだけさ・・・と。
その代わりに、プライドはいくつも捨てる事となった。
妻と子供と、そして自分が生きる糧を得る為には
自分の小さなプライドなんて、どうって事はないさ。
人間としてのプライドさえ持ち続けて居られるのであれば・・・
私は、自分が「仕事人間」でなくて良かったと
心から感じていたものである。
状態の良い時であっても、発症以前の自分と同じようには成れなくて
常に体の中は生卵状態のような感じである。
体の動きに対して、自分の中身が後からズレてついて来るような感覚。
頭の中も、目の焦点も定まってくれなくて、思考も集中も満足には出来ていないから
仕事内容もまともなモノではなかっ事だろう。
最近の日本の経済情勢であるから、業務の縮小、早期退職者を集うなど動きの中
何とか7年間、私なり頑張って来たのだが、ついに上司からの声が・・・
「会社を休まないようには出来ないのか?」
それが無理なら退職せざるを得ない雰囲気となって来た。
もう手術以外に方法はないだろう。
「このままでは会社をクビになります」
私は医者に強く訴えるだけであった。
幸い過去に行なった2度のゲンタマイシン注入術の為に
私の罹患した側の聴力はほとんど無くなっていたので
何とか破壊術を行う方向へ進めてみようとの返事を
医者はやっとしてくれたのである。

戻る


《 手術 》

いよいよ手術の方向へ動き出した。
私が大学病院へ行って手術するか?
大学病院の手術医がこちらの市民病院へ来てやるか?
週一で「めまい外来」を担当しているドクターは
名古屋私立大学病院の若い方であり、その大学病院と
相談しながらというのが、これまでの私の主治医の姿であった。
結局、大学病院へ入院して行う事に決まった。
何しろ顕微鏡で見ながらやるような手術でもあり、脳にも近い部位だから
私もその方が安心できるような気がしていた。
これまでの私の経過はそっくりと伝わっているであろうから
その点も好都合であるかとも思う。

手術(内耳破壊術)の条件としては
片側のみが罹患している事
聴力の回復が望めない事
他の治療法の効果が認められない事
現状のままでは患者の生活に著しい障害が起こる事
・・・等々が揃うような場合に限って許されるようである。

全身麻酔で脳に近いという事などもあって
私なりに一応の覚悟はして臨んだつもりである。
手術部位の近くには顔面神経がある為に
術後には一時的な顔面マヒが起こるそうで
私の場合は、左まぶたの動きと左半分の口の動きが悪くなってしまったが
看護婦さんから頂いた「顔面神経マッサージの方法」を参考にして
毎日、お風呂に入った際に、目や口の運動を続けていたら
1、2ヶ月で元のように戻り、今では何ともない。
この時の私のマヒは顔のごく一部にしか過ぎないのだが
病気やケガなどで、体の機能がマヒするという事の恐さや不便さを
あらためて思い知らされたような気持ちになったものである。

術後にはメニエルの症状が一時的に悪化したり
発作が頻発するかも知れないと言われたけれど
私の場合には、特に悪くなるような事もなく
痛みもあまり感じないまま、順調に回復できたようである。
いまだに残っている症状としては「耳鳴り」のみ
これはほとんどの場合、実際の音ではなくて
脳が音だと認識しているだけのモノ(体内の電気信号など)であるから
聞こえないはずの左耳(内耳破壊術をした側)でも聞こえている。
手術以前と変わらずに24時間絶える事はない。
片方の耳の機能を失った分、左右のアンバランスから体が慣れるまでの間は
多少の違和感や不安定さ、体内の動揺的な感覚はあったかと思うが
めまい発作が起こらないという嬉しさから
私にとっては問題と感じるような事ではなかったようである。

戻る


《 予兆? 》

何度も発作を体験していると、発作になりそうな前兆が
何となく分かる様になってくるものである。
前兆を感じたら、早目にその為の準備をするようにした。
時には、何も準備する間もなく、全くの突然に!という場合もあり
そのような時は本当にどうしようもなくて
ただ、その場で動かないで居るしかないようだ。
私の体験からすれば、無理して動いた分だけ、発作の悪さ加減が
増してしまったり、時間が長引いていたように感じている。
発作の前兆は人それぞれに違うと思うので、ここで具体的には書かない。

だが、発作を誘発しやすい条件があるようにも感じている。
朝に目覚める時の、夜型から朝型へ体調の切り替わりがある場合。
夜に就寝する時も同様である。
仕事などを始める時の過度の緊張から来る場合もあろう。
逆にその緊張が緩んだ時にも要注意である。入浴時も似ている。
季節や天候の変化がある時にも、体の中はその切り替えの為に
大変な状態なのである。
また、心理的変化でも体内の器官は大きく影響されるだろう。

一言にするなら「変化に弱い」ので
出来るだけ「能天気なマイペース生活」を保つようにする事。

メニエルを発症していない場合でも
その予備軍とも言うべき人は多いと感じている。
私の例で上げるならば
マッサージは気持ち良くて好きなのだが
その振動が何となく嫌だった。
人ごみが嫌いで、騒音のある場所も避けていた。
疲れると視力が悪くなり、ぼやけて見えるような感じ。
(私は近視の度合いが進んだと思っていたのだが)
なぜか食欲がなくて、むかついてしまうような時が
ごくタマにあって、私は胃腸のせいだと思っていた。
乗り物酔い、貧血などと言われる気分の悪さ・・・
誰もが一時的に軽いメニエル状態となるけれど
すぐに回復できているだけではないのだろうか?と
こんな極論さえ持ってしまうような気持ちだ。

何でもかんでもメニエルと結びつけるつもりは無いけれど
どのような病気でも、一時的には悪くなってはいても
体の修復機能や自然治癒力のおかげで、短時間で治ったり
問題と感じない程度で済ませたりしているのはないだろうか?

病気の原因となる要素は、身の周りにはごまんと有るが
それでも正常に保てる能力は、人には有る。
自分の何が弱いか?何が無理となっているか?
何が重なっているか?
いま一度、反省してみよう。

戻る


《 現在・そして・・・ 》

この項で、メニエルのエピソードも終わりにしたいと思う。

罹患した左内耳の摘出術を受けてから5年半・・・
めまいの発作らしきものは一度もなかったのは幸いである。
両側のメニエルになる確率は2〜3割程度あるらしいのだが
私なりの解釈では、100%の確立であると心しているつもりだ。
同一の人間の右と左の違いだけで、条件は同じであるのだから
両方が罹患しても不思議な事ではあるまい。
片側だけの異常で済ませている自分の体に感謝して
なるべくなら、労わってやらねばならないだろう。

残っている後遺症は「耳鳴り」だけである。
あの発作時の耐え切れない程までではないにしても
その大きさは決して小さくはない。
生きている体の発する「音」ぐらいに思って
慣れていくしかないように思う。
時々ではあるが「アレ?」と思う感じで、ほんの一瞬だけ
右の耳鳴りの音が止む事があるから
治る可能性は「0」ではないのだろう。

少し離れた所から「オ〜イ!」などと呼ばれると
どの方向からなのか分からない事がある。
片方しか聞こえないせいであるのだが
カーステレオなどもモノラルにしか楽しめない事が
チョットだけ悲しいかな?(笑)

片方の機能が失われていても、残った側や他の器官が頑張ってくれて
何とか正常な生活を続けられるのは、実にありがたい事である。
真っ直ぐな道を普通に歩きながら、目を閉じてみると
上下左右の感覚が悪くなって、チョット不安感が出る。
これは視力が助けてくれている事の現われだと実感できる。

ある動作の時に、たまにフラッとする感じがするのだが
まあ、バランス機能の補正が間に合わない事もあるわいな〜
・・・という程度に感じて、あまり気にしない様にしている。

メニエルとは別の病気ではあるが、メンタルな部分でも
私には弱い部分があるものと実感できているから
他の項でも述べたように、めまい発作になればどうにもできないからと
自分の気持ちや感情を切り替える手段に利用している。
細心の注意はするが、大らかな気分で過ごせるように
そんな毎日を送る為の努力をしているつもりである。

気候や周りの環境の変化、心理的な影響・・・
「耳鳴り」一つだけをとっても、大きく違ってくる事が
今の私なればこそ、よく分かっているのである。

苦しいけど、辛いけど
それ以上に、嬉しい事、楽しいさも
また有るさ♪

戻る