
LHAELEY DAVIDSON FL HISTORY
1941〜1969 簡略版はこちら
ビッグツインの定義とは
FLは74といわれ74キュービックインチ(1、200cc)のビックツイン系である。その登場は’36年に登場した61キュービックインチ(1、000cc)のELをスケールアップしたものであった。もっともビッグツインと呼ばれるようになったのはフラットヘッドを採用した’29年のD、750ccでこれがベビーツインと呼ばれてVツイン系にビッグツイン系のラインナップがこれ以降から確立されていったのである。FLのルーツとなったEL系1、000ccのナックルヘッドは、その名の通りロッカーハウジングが人間の指の付け根の部分に似ていることから命名された。 E系は、84.13×88.9o、983ccから36ps/4,600rpmを発揮した。その加速力は強烈といわれ、ハーレー量産車で採用した4速ミッションの各ギアで60・91・126・140q/hまで軽く出せ、100マイル160q/h)も可能であった。37年3月にはダートトラックチャンピオンのジョー・ペトラリがレーシング用にカスタマイズされたハーレーで217.89q/hを叩き出した。
ナックルFL登場する
’41年にはナックルヘッド1、200ccFL系がリリースされ、87.3×100.8o、1207ccになりボア・ストロークアップのニュークランクが造られた。46psのFは6.6のローコンプレッション、48psのFLは7.0のハイコンプレッションで両車とも4、600rpmにて発揮、時速100マイル(160q/h)以上をマークした。だが、42年より第二次世界大戦が勃発しこの年以降の主力生産は軍用車となっていった。よって、’42年以降の民間向けマシンは’41年型のまま生産が続行された。その渦中ハーレーダビットソン社も第二世代へと継承され、新社長にウイリアム・H・ダビッドソンが就任した。
戦後、パンヘッド登場
そして戦後を迎え、当時の自動車業界に流行していたインダストリアルデザインをバイクに取り入れることとなりデザイナーとして、ブルックス・スティーブンスを迎え入れた。インダストリアルデザインの基幹であるシンプルデザイン化が、’48年からのOHVニューエンジン「パンヘッドモデル」を生みだし、ナックルヘッドは戦後1年、’47年のみで姿を消すこととなった。新開発されたパンヘッドのエンジンはニューメカニズムとして、プッシュロッド内油圧タペットを採用しメンテナンスフリーを二輪車としては初めて実現させた。戦後のラインナップは、SVフラットツイン1、200ccが’48年のスプリンガーモデルまで残され、750ccは’51年まで生産が続行された。ニューエンジンであるパンヘッドは1、200と1、000cc系が生産ラインへと乗ることとなった。エンジンのボア・ストロークはナックルと共通であったが、シリンダーヘッドはアルミ・キャスト製となりロッカーアームへのオイルラインが別系統パイプでクランクケースとシリンダー内を通過しヘッド部へ送られるようになり、すっきりとした外観となった。PAN(お皿の形)をしたロッカーアームカバーは、ナックルに見られたオイルの飛散を防止するためにD型パッキンをヘッド全周囲に配置したフルシールタイプとなりそのためヘッドのボリュームマスが増えたためナックルのフレームではパンのカバーが当たってしまう。このためフレームのダウンチューブが途中から拡げられた。
ハイドラグライドの誕生
そして近代的スタイルのFLを’49年モデ」ルのハイドラグライドの出現で世の中にアピールした。テレスコピック・フォークに油圧つまりハイドロリックダンパーが組み合わされ、フロントドラムブレーキも8インチ(203o)大型シューサイズとなった。ブレーキのカム、メカニカルパーツ等はドラムプレートカバーに内蔵されたスマートでユニークなデザインを採用した。パンヘッドFLは53ps、167q/hをマークしELの43ps、160q/h に差を付けていた。ハイドラフォークの採用とともにヘッドランプもSAE規格による自動車サイズの7インチ径の大型ヘッドランプが装着され今日まで継承されている。また、テレスコビックとともにアメリカが誇るテイムケン製テーパーローラーベアリングがステアリングヘッド部に採用された。’50年代のFLから、よりシンプルイズムをめざし’47年以来の象徴であったドイツスタイルのフィッシュテールマフラーが、イギリス流のチューブタイプのメロートーン(静かな音)マフラーにと様変わりした。エンジンの機能、製造面の近代化も著しクロームメッキのピストンリングを採用、またピストンからクランクシャフト、シリンダー、フレームやフェンダーなどのパーツまでミルウォーキーにて生産され、高いグレードを誇った。
フットシフト時代の幕開け
’52年にはフットシフトチェンジが採用されたが、ハンドシフトファンも多く、両方式にて’72年まで生産が続行された。’53年にはラインナップが整理されVツインは1200FL、750Kのみになった。1、000ELは883KHに吸収される格好で自然消滅したのであった。改善は絶え間なく進み’53年ローラータペットに油圧リフターを内蔵して’54年にはピニオンシャフトが強化された。小改良が進む中で、’55年”ニューパンヘッド”がリリースされた。新型クランク、クランクケース、シリンダーヘッドが新規パーツとなった。さらにスプロケットシャフトにテイムケン製テーパーローラーベアリングを装着、同時においる潤滑系も強化された。またヘッドからの戻りオイルリターン穴がシリンダーウォール面に開けられピストン潤滑の貢献ができるようになった。
ビクトリーカムの開発
また世界のガソリン品質向上に対応してFLは高圧縮7.25にアップ、またビクトリーカムの開発で55ps/5、400rpmをマーク、マニホールドもブッシュ式からOリングシール方式になった。ビクトリーカムをアピールするため、外装スタイルもLもVマーク付きハーレーロゴとなり、テールランプもスマートな楕円レンズとなった。さらに’56年からスーパースポーツモデルFLHが登場した。さらに高圧縮8.0にアップ、ポリッシュポート開発で60ps/6、400rpmに出力アップした。外装もツートンカラーに、また、メーターのスケールは1−12のシンプルなデザインとなりトリップメーターが新しく組み込まれ、プラスチック製のハードサイドバッグもう誕生した。’57年からハーレーはスポーツスターXL系にもOHVエンジンを搭載して力を入れたが、その技術テクニックを駆使したニューフレームとエンジンがやがてFLの姿を変えてゆくこととなる。
デュオグライドがもたらしたもの
その結果が’58年型のニューマシン、デュオグライドとして確立された。スポーツスターのノウハウを導入、デュオ、つまり前後に油圧サスペンションを持つ新開発グライド・フレーム系がFLに採用されたのである。エンジンもピオンシャフトがさらに太くなり強化され、以後’77年まで同径サイズが継承された。デュオグライド系ではリヤブレーキが油圧作動となったがこれはそれまでのサービスカーでの技術を生かした好例といえた。
パンヘッドのエレクトラグライド
軽量化と豪華さを演出したアルミ製パーツもFLを引き立てた。’60年にアルミヘッドランプナセルを装着、そして’65年にアルミプライマリケースとセルモーターが組み込まれたのであった。パンヘッドの最終モデルにふさわしく新型エレクトラグライドはホワイトタイヤ、デュアルシート、古パッケージのサイドバックにキャリアやウインドスクリーン、フェンダーモール等のアクセサリーも加わり世界一の”キング・オブ・ハイウェイ”マシンとなった。セルモーター装着によって新型12V電装となりバッテリーは6V大容量を2個搭載直列化、ヘッドランプも6Vの45/35Wから12Vの50/45Wにされ夜間走破性がアップされたのである。パンヘッド系FLの生産台数は’56年ハードテイル5、786台に対し、’58年デュオグライドが6、038台を記録したが’63年には4、246台に下降した。すでに日本車がセル始動があたりまえだったためについにハーレーもセル採用に踏み切ったといえよう。’65年6、934台を生産してパンの最後を飾ったのであった。
ショベルヘッド登場
この頃スポーツスター系のオーナーが増えたこともあり、またFL系OHVユニット生産はナックルヘッドが11年なのに対して、パンヘッドは17年間も継続しておりライダー達はよりパワフルで新しいエンジンを要求していた。その結果がスポーツスター系のノウハウを投入したニューFL系ショベルヘッドだった。このパワー・ユニットはパンヘッド系をXLの造型に変えたものでロッカーアームカバー形状がSHOVEL、つまりシャベルに似ていたことから命名された。当初のものはパンヘッドと寸法的に共有寸法のパーツも多く、カムシャフトやバルブガイド、バルブスプリング等がそれであった。特に’69年までのモデルは旧アーリーショベル系と称されエンジンメカニズムは’55年以降のパンとあまり変わりないといえるものだった。だが’66年のショベルには、スポーツスターと同じスポーティーなリンカート製DCキャブレター与えられた。パンのリンカート製のM74B型キャブ低・高速ノズルに対して、DCは、低・中・高速各ノズルがつき、フロートチャンバーもキャブレター下からサイドにつけられていた。このキャブレターは後にS&SのLと称したレーシングとレコードブレーカー用に発展したことでマニア達には人気があった。ところが’67年にはキャブが一新され加速ポンプ付きのティロットソンとなった。エンジン出力はFLが57ps/5、200rpm、FLHが66ps/5、200rpmとよりパワーアップしたが、その要因はY字型インテークマニホールド、ビックバルブ、加速ポンプ付きキャブレターによる結果だった。また、点火方式も手動進角から自動進角になり左グリップの点火調整が不要となり操作面において大いに楽になった。
AMF時代に突入する
ハーレーダビットソンの変革期は’69年、AMF=アメリカン・マシン・アンド・フォンダリ社が親会社となってから訪れた。AMF会長のロドニー・ゴッドの作戦通り進行して、’74年にアッセンブリー工場をペンシルバニア州ヨークのテニスラケット工場から転換し年産5万台にむけたのだった。’70年からのショベルは、エンジンが改良され低速からバッテリーを充電する交流=ACG(ACジェネレーター)がクランクシャフト直結となりプライマリーチェーンケース内に内蔵された。’36年以降クランクケース前部にあったDCジェネレーターが消え、タイミングケースはきわめてシンプルなものになった。また、ポイントがカムシャフト軸駆動式となり円形キャップのハウジングが加わった。’71年モデルからFXスーパーグライドがビッグツイン系に加わり、’72年モデルからAMFのマークがタンクサイドに入った。この頃からAMFらしい世界的グローバル産業の底力が表面化’73年にウィリアム・H・ダビッドソンが去り、息子のジョン・ダビッドソンが社長に就任した。時代は高性能の証としてディスクブレーキを必要としていた。だがハーレーのブレーキはサスペンション系が旧式で開発のネックだった。この解決のため剛性上日本製にすることとなる。ディスクブレーキはFL系に’71年から前のみ’73年から前後ともに、ハーレー各車種共通のアメリカ・ケルシー・ヘイズ製の10インチ径を装着した。日本製のパーツの採用は’74年からケイヒン製キャブレター装着でより一層すすんだ。そしてFX系の生産台数が9、233台とFL系の7、267台を抜いたのも時代の様変わりを示した。以降、排気量は74から80へと変わりエンジンの形状もエヴォリューションが主力となっていった。
ハレーダビッドソンF系が1、200cc以上を意味するものになったのは’21年FDからだ。Vツインは’09年Dが’12年E、’13年FLに発展、排気量810−1、000ccだった。1、200ccの登場は’20年に限定生産されたFD、FDSからでヘッドライト付きJD、JDSとメカニズム的に同じ吸気OHV、排気SVの俗称ポケットバルブを採用した。’26年に1、200ccはJD、JDSに統一され’28年にレーシングマインドのツインカムJDHがデビューしてJD系は終演を迎えた。ハーレーの開発設計者ウィリアム・S・ハーレーはより耐久性の高いメンテナンス性の高いSVフラットヘッドの採用を’27年に初公開し’29年型750ccD、DLの名で発表、名称もスモールツインと呼ばれた。だが時代はニューヨーク・ウォール街の株価暴落に端を発した世界大恐慌に突入し1、200ccビックツインもコストを低減したV、VLを’30年にリリースした。この年の生産台数は18、036台に対し輸出台数は7、630台を数えた。こうなるとヨーロッパ市場で台頭してきたイギリス製OHV・VツインがハーレーのライバルとなったためハレーではOHVの量産車設計を’31年から開始した。同時に大恐慌が尾を引き、海外でのドル建てレートが経営を圧迫していた。輸出もわずかに1、974台と激減した。ビックツイン系の強化がはかられフラットヘッド74=1、200ccに加えて80=1、280ccが’35年に登場。こうした間にもOHVの開発が順調に進み’36年型E、ELが5年ぶりの61=1、000ccで公開された。アルミ製のロッカーボックスの”こぶし”形状から英語のげんこつを意味するナックルヘッドのニックネームがついた。84.13×88.9o、983ccからEは36ps/4、600rpm、ELは40ps/4、800rpmをマークしたが高性能ぶりに驚いたディーラーはより大きいエンジンを要求した。’41年びはナックルヘッドFLがボア・ストロークアップ87.3×100.8o、1207ccで登場、同時にクランクがつくられた。Fは46ps、FLは48ps/4、600rpmとなり100マイル以上をいつでも出せた。装着タイヤもオプションだった16インチがこの年から標準装備となった。だが、すでに第二次世界大戦突入となりシビリアンモデルは開発が凍結となり’41年型のまま’46年まで少数生産され、’47年にギヤシフトをそれまでの逆の1−N−2−3−4に変更して有終の美をかざった。そして戦後型ともいえるパンヘッドの登場は’48年からでドイツのBMW的なアルミヘッド、皿状のロッカーカバーを採用、カバー形状を表現してパンヘッドと呼ばれるようになる。車体はナックルのままだったが’49年にフロント・フォークを油圧テレスコピックに変更しハイドラグライド時代に突入したのであった。’50年にスポーツマフラー’52年にはアメリカ上陸が盛んになってきたヨーロッパ車と同じフットシフト車FLHを追加、クラッチを左手動レバー式とした。’55年に高性能なスーパースポーツ格のFLH,FLHFを加えた。H=ハイコンプレッションを意味し圧縮比8とポリッシュポートヘッドを装着、クランクケース強化、FLの53psに対しFLHはビクトリーカム採用で58.5ps/5、400rpm。’58年にはリアにスイングアームのデュオグライドが後輪油圧ドラムブレーキなどを装備して登場、変革的新型車時代を迎え’60年にアルミヘッドランプナセル採用、優雅さを増した。富めるアメリカを象徴したのがデュオグライドと言えよう。ホワイトリボンタイヤの装着に始まり標準クロームパーツの装着、オプションでは11ものグループを用意した。”キング・オブ・ハイウェイ”グループは豪華さを強調したウインドシールドとサドルバック・パティシートなどをラインナップしていた。’61年に日本に正規に輸入再開され、家一軒近い価格=当時100万円以上した。’65年にセルモーター採用、名称も”エレクトラグライド”FLHB、FLHFB、FLFB、FLBとなり機種名にBが加わった。電装が12Vとなり、点火系もそれまで左グリップ手動から自動進角となり、操作の簡略化が図られた。セル採用に伴い一次駆動カバーが鉄製からアルミ性となりフレームからツールボックスが消えバッテリーボックス内へ移動、フレームも小変更された。また、サイドバックが大容量角型にイメージを一新する。パンヘッドの’62年以降の最終仕様ではFLが56ps、FLHが60psにパワーアップされた。そして’66年には冷却効率性アップの”ショベルヘッド”に交換したニューFL系が登場。’70年にクランクケースを一新、ACGを採用。’71年からFL、FLHに機種を絞り全車足動チェンジになったのである。
Last
updated : 1999/07/06.
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