あの人は今!
トムシュルツ(ボストン、ギタリスト・エンジニア)

ステージの模様。一番右端がシュルツさん
| ロック界随一のおたっきーギタリスト(二番目はブライアンメイか)ボストンのトムシュルツさんが第三週の「あの人」に選ばれました。二週目、三週目と予告外の人間が突然現れましたが、そこはそれ、ほらもともと思い付きだから。 トムシュルツさんは元気でご活躍のようです。ボストンが76年に鮮烈にデビューを果たしてからはや22年が経過しているんですねぇ。その間にボストンがリリースしたアルバムは何とたったの5枚!内1枚はベストアルバム!(-_-;) なんという寡作家でしょう。 こんなにインターバルが空くなんてこれも億万長者の印税生活者だからだな、と、今はマサチューセッツの片田舎に広大な牧場でも買ってのんびり過ごしているんだろうな、と、だらだらと過ごすのに飽きたら「んじゃアルバムでも作るか」と、実はそんなふうに思っておりました。当然ですよね。 ところが、意外にも彼は彼なりにその間、いろいろとご苦労があったようです。そこら辺も押さえた記事を見つけましたので以下に載せます。ちょっと長いけど一生懸命読みましょう(^-^;
ロックバンド、ボストンは、ラジオを持っている人であれば誰にでもよく知られているバンドである。しかしながら独特のボストンサウンドに隠れているクリエイティヴな力はエンジニアであるということはあまり知られていない。 事実、トムシュルツのエンジニアリング技術が、ボストンを76年にスターダムに押し上げた原動力となっており、その技術が今だバンドのサウンドの屋台骨でありつづけている。現在シュルツは今年の終わりにリリースされる新しいアルバムの準備に取り掛かっている。 「トムシュルツは現代のルネッサンスなのか?エンジニアのエンジニアなのか」こう言っているのはDCウィリアムズである。彼は電子技術のエンジニアリングコンサルタントであり、「ボストンに投票しよう」というWEBを運営しているシュルツファンである。 ソングライターであり、ギタリストであり、またキーボードプレイヤーでもあるシュルツは、ボストン現象の裏にある技術的ブレーンのクリエイターでもある。また、彼はプロデューサーでもあり、サウンドテクニシャンでもあり、発明家でもある。実際彼の書棚には35近くの特許がある。事実シュルツの発明は、オーディオマニアやレコーディングにかかわるプロ達の間でも評判なのである。例えば彼独特のギターアンプやエフェクトボックスに使われているロックマン(エフェクトなどの製品ブランド名)によって、過去20年の間にプロフェッシナルミュージックの技術を飛躍的に進歩させている。 「多くの人々の生活は、他の誰かがどうにかした技術によって成り立っているんだ」とシュルツはEEタイムズ(http://www.eetimes.com/)の最近のインタビューの中で語っている。「彼らは彼らが注目しているのは自分達の生活が誰か他の人のビジョンの中で時を過ごしている、ということなんだ。僕にとってはそういうのはあまりいいアイデアとはいえないと思うんだ」 そしてシュルツは、音楽業界のスターダムからオーディオエレクトロニクスのアナルへと自分自身を旅立たせていったのである。 (ボストンのオフィシャルサイト) ドナルド・トム・シュルツは、1947年オハイオ州のトレドで生まれた。彼は周りの子供たちと比べても非常に背が高く(身長192cm)また、研究好きで、かつ非常に元気旺盛な子供であった。一方彼は勉強する方にも興味を向けていった。彼はクラッシック音楽の非常に真面目な学生であり、クラッシックのもつ「パワー」に魅せられていた(「キンクスとフーが出てくるまではロックはその手のパワーを持っていなかったんだ」シュルツ談)。彼はまた、プロになろうかと思うくらいバスケットボールにも熱中した。そんな中で彼はエンジニアリングに対する興味も芽生えていった。 「僕はフィクサーだったかな、ビルダーだったかな、発明家だったかな?覚えている限りのところでは。いろいろと言われたね」シュルツは言う。 メカニカルエンジニアの出発点として、シュルツはMIT(マサチューセッツ工科大学)のフルスカラーシップを獲得し、マスターの学位を取得して卒業した。ポラロイド(あのカメラの)株式会社は彼をシニアプロダクトデザインエンジニアとして採用し、マルチメディアプロジェクトの研究に携わらせた。 彼のME(メカニカルエンジニア)としてのスキルを育てる一方、シュルツはローカルバンドでキーボードをプレイしながら自分の趣味としてエレクトロニクスの方面にも深くその興味の方向を向けるのである。シュルツの持つギタースタイル、それは非常にメロディックなスタイルであり、ハーモニックなフレーズは今日もっともよく知られたスタイルのひとつであり、他のプレイヤーとは異なる特有のものであるが、実際彼がギターを手にしたのは彼が21歳の時であった。彼はギターを手にすると、ギターマスターと呼ばれるプレイヤー、ジェフベック、ジミーペイジ、エリッククラプトンなどを学びながら急速に上達していった。 彼はポラロイド社で一生懸命働きながら、だんだんとリスクについて計算し始めた。そして次の六年間をレコーディング機器のために費やそうと考えたのである。彼は音楽で自立できれば、と考えたのであるが、趣味以上のものにはならないかもしれない、とも思っていた。 多くの期待は持っていなかった彼だが、「モアザンフィーリング」(MIDIをDLできます)をチャートに送り出すことになった。「ボストン」(右がそのジャケット)とシンプルにタイトルされたデビューアルバムはグラミー賞候補になり、最終的に1600万枚を売り上げた。これはデビューアルバムの記録としてはいまだに破られていない。 ボストンでの成功は彼を次なるステップ、ロックのプロデューサーとしての興味へと導いた。デビューアルバムの中の曲である「ロックンロールバンド」はバンド生活のストーリーを歌ったものであるが、このサウンドは非常にファンタジックな出来である。シュルツは言う「最初のアルバムのバンドの写真を撮る前は、バンドとしてのボストンっていうのは僕のテープレコーダーの中にもう存在していたんだ。」 その表現は少しだけ誇張されている。というのはシュルツはボーカルパートはやらないからだ。しかしファーストアルバムの全てを自分で(一部は共同製作だが)書いているし、全ての楽器を演奏し、レコーディングし、全てのトラックのエンジニアリングもしたからである。 5枚のボストンのレコードジャケットのトレードマークとなっているSFのテーマでさえ、シュルツのコンセプトだ。「このアイデアはエスケープだ。僕は『スペースシップギター』(よぉくジャケットを見てください。一見UFOですが実はギター)を思い付いたんだ。」 彼の自宅があるマサチューセッツのウォータータウンに彼がフォックスグローブスタジオを建てた時、彼はレコーディング業界をその後革命的に変貌させるようなコンポーネントを作り上げた。彼の発明はエンジニアリング上の必要性から生まれたものであり、彼の頭の中にあるサウンドを何とかしてテープに残そうと奮闘努力した結果でもある。 彼は自分のギターワークをキャプチャーし、リプロデュースするロックマン製品を開発した。それはその当時広く使われていたビンテージものの真空管回路に代わるものであった。シュルツのユニークなアンプやエフェクトボックスはソリッドステイト(ICなど)なエレクトロニクスを使用し、クラッシックな「真空管アンプ」サウンドをエミュレートするものであった。 シュルツはまた彼のそう言った発明品を開発し販売する会社、シュルツ・リサーチ&デヴェロップメント(SR&D)を起こした。だが残念なことに、少なくとも70名を雇用していたこの会社は、彼の方向とはそぐわないものとなってしまった。 「僕はそういうのが嫌になったんだ」彼は短かったビジネスマンとしてのキャリアをそう言う。彼の会社はかなりのセールスを記録したが、そのビジネスの経験は彼に冷たいものしか残しはしなかった。ボストンのクリエイティブリーダーとして、80年代後半彼に起こった出来事がそれに追い討ちをかけた。 シュルツは78年に「ドントルックバック」をリリース、このアルバムはチャートのナンバーワンを飾った。しかし彼のレコード会社はボストンから得るものに対して決して満足はしなかったのである。82年、エピックレーベルのオーナーであるCBSはシュルツに対して、契約不履行として2000万ドルの賠償を訴えたのだ。また以前のマネージャーやバンドメンバー達によって起こされたほかの件に関しても90年代初めまで彼を苦しめる原因となった。 「音楽業界はいいところだと思うよ。そこがドラック中毒者とビジネスマンによって支配されているということを除けばね。」 彼は最終的にCBSの訴訟に勝つことができた。しかし彼は95年にSR&Dをダンロップに売却した。ダンロップは現在でもロックマン製品の開発と販売を継続している(http://www.jimdunlop.com/rockman.html)。
シュルツは今だこの業界ではプロデューサーとしてまたレコーディングエンジニアとしてよく知られている。古い学校のアナログ男としてではあるが。だがまだ彼は後ろを振り向いてはいないのだ。 「僕のたった一つの興味の対象は、CDプレイヤーが終焉を迎える時にどうやって素晴らしい音で音楽を録音できるかということなんだ。」また彼は言う。「キミのアコースティックギターに2000ドルのマイクロホンをつけることほど重要なことではないとは思うけどね、いや、実際、それが僕の尻の痛みだ」 彼のもっともよく知られている曲は安価な機器で録音されていると言っていた。「『モアザンフィーリング』のアコースティックギターは100ドルのヤマハ製12弦ギターを使ってレコーディングしたんだ。しかもかなりローエンドなダイナミックマイク(エレクトリックボイス RE−17)を使ってね。それからドラムはShureのSM57、ずいぶんとちゃちなセットだったよ。ボストンのファーストアルバム全体では、ボーカルトラックを除いて数千ドルしかレコーディングにかからなかったよ。それで特に高価なものを使わなくってもいいんだってことに気がついたんだ。」 実際、シュルツは今日主流となっているMIDIスタイルのサンプリング楽器やPCを使うなどの新しいテクノロジーには抵抗感を持っている。 MPUに対する嫌悪 「彼は敬謙なるアナログ信者である」EEのコンサルタントであるウィリアムズは言っている。「彼の好きな言葉の一つにはこんなのがある『マイクロプロセッサーのあるところ、必ずトラブルは起きる』だ」 「僕はいまだにいつもそうしていたようにレコーディングをしているよ。」シュルツは言う。「マスターはテープに録り、僕はそれをアナログでミキシングする。僕が使っているボードはもう20年前のオーディオトロニクスのミキシングコンソールさ。今の時代のものと比べてよくない?そうだね、実際には多分悪いんだろうね。」 シュルツがデビューアルバムに使っていたテープでさえ、スコッチ226だったのだ。このテープは現在では生産中止となっているがいまだ彼はレコーディングでこれを使っている。彼のレコーディングテクニックと機器類はこの226の「ヘッドルーム」とバイアス調整に合せてあるので、このブランドを大量にストックしてあるのだ。 彼が使っているビンテージもののレコーディング用アイテムは「非常に古い」ファダックスのフェイダー・オートメーション・システム、2台の3M社製M79 24トラックアナログテープデッキだ。こういった機器類はシュルツを楽しませている「原始的」ロックサウンドルムーブメントという最近起こっているルネッサンスにとてもよくフィットしている。「今の人たちはこういった古いテープデッキを捕まえておこうとしてるみたいだ」また彼は「幸運なことに僕はまだ動いているものを取り替えるのがすごく遅い人間なんだ。」
シュルツはデジタルエディットツールを使ってのミキシングも行っている。「コンピュータープログラマーはこの世の終わりが来る前に狂ってしまうんじゃないかな。でもキーボードを使って効果的にギターを演奏できる方法はまだ無いよ。キーには特に限界があるからね。弦の上での指先のコントロールは本当に並のことじゃないんだ。」 「人間の音声も同じ事さ。キミが本当に聞きたいミュージックレコードがあるとすれば、キミはそれをプレイすることに執着するよ。」 ボストンサウンドのリプロデュース(ステージでの再生)は特異性と表裏一体である。シュルツの機器リストはグループのショーで働く技術者泣かせとなっている。典型的なボストンのツアーでは、少なくとも12名のエンジニアを必要とする。彼らは半ダースのトレーラーいっぱいの機器類と格闘しなければならないからである。 「ボストンが使ってる機械は殆ど究極のビンテージものだよ。全く交換がきかないものばっかりだ。」そう言うのはテクトロニクス社(計測機器メーカー)のハードウェア設計エンジニアのビビカ・マッダラ氏だ。彼はボストンの最後のサマーツアーの間、プリプロダクションに追われていた。「普通は三台か四台くらいは予備を持っておくもんだ。だけど、トムが持ってるものはみんなかなり高度にモディファイがしてある。もし彼がメインで使ってるロックマンのサスティーン(ギターのエフェクタ)なんか、どっか調子が悪くなっても他の普通のサスティーンと単に交換するってわけにはいかないんだ。ま、それを聞いてる99%のリスナーはその違いがわからないだろうけどね。だけどトムはそういう細かいところに非常に気を配ってるんだ。」 だがしかし、このことがアルバムのリリース間隔が非常に長いことで有名でありながら、それでもなお長期間に渡ってボストンが成功しているキーファクターであることを証明している。86年に「サードステージ」がリリースされた。「ボストン」がリリースされてから何年も経っていたにもかかわらずこのアルバムもまたプラチナを獲得し、ナンバーワンヒットとなった。 また、さらに三年に渡るレコーディングがバンドとして4枚目のプラチナアルバムとなる「ウォークオン」(94年リリース)には必要であった。昨年の「グレイテストヒッツ」の編集には新曲が二曲入り、これもプラチナを獲得したのである。 現在、シュルツは次のボストン製品(?)のために曲作り、演奏、レコーディングにと忙しい。「クリスマスには出す予定だ。来春にはツアーも考えている」そしてもちろん彼は彼の「アナログベースの公式」に執着している。 彼はまた、音楽の配信の未来についても注目している。特にインターネットを通じてという方法にである。ボストンのオフィシャルサイトもある。「電話なりケーブルなりを通じてキミがセットアップしたとする、するとキミはレコードショップに旅をしなくてもいいわけだ。」彼は気づいている。「もうこれは時間の問題だね。」 シュルツはまた新しいデザインエンジニアリング会社を設立した。会社名は「ハイブリッドデザイン」。もちろん彼自身は経営には携わらないだろうが。 ところで、彼はいまだに若いミュージシャンやエンジニア達にインパクトを与えつづけている。テクトロニクスのマッダラ氏は「サードステージ」が発売された当時まだ12歳だった。「私も『トムシュルツサウンド』を自分自身の音楽にエミュレートしたいと思っていた。」また彼は言う。「そして私はエンジニアとしての自分のキャリアの中でも彼の影響を絶対的に受けている」 けれどシュルツにとってはそれは全て音楽のためなのである。「音楽は僕にとってエスケープの場所なのさ」彼は言う「数百万人の人たちが僕といっしょにエスケープできること、それが僕の到達地点なんだ。」 感想:そうして彼は今日もハンダゴテを片手に頑張っているんすね(^-^; |