
==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
参考人質疑第 147 回国会 衆議院 文教委員会 第 6 号 2000 年 03 月 10 日より
名古屋大学大学院理学研究科教授
池内了氏の陳述
○池内参考人 おはようございます。名古屋大学の池内であります。
私は、宇宙物理学というおよそ世間と縁のないようなことをやっておるんで
すが、いつの間にやら、こういう場に引っ張り出されるようなことになりまし
た。と申しますのは、そうですね、この十年間ぐらいで、大学、特に国立大学
は非常に大きく変貌してまいりました。いろいろな意味で変貌してまいりまし
た。
例えば、いわゆる教養部がなくなって、大学四年一貫制教育というのが始まっ
たわけですね。例えば私たちの大学では、重点化で大学院、私は重点化によっ
て大学院の教授ということになる。そういう形で、かつそういう意味では大学
がいろいろな教育を引き受ける状況になってきた。その意味では私の学生時代
の、例えば三十年前とは大いに異なってきたのは事実であります。
そういう意味で現在大学は非常な変革期であるのは事実であって、かつ、今
回の法案に出ております、例えば東京大学とか九州大学が大学院を改組する、
研究部と教育部に分ける、そういうような案が出ておりますが、ある意味では、
これは遅きに失したかもしれない。つまり大学自身が、非常に限られたイメー
ジの中でつくられた法の中で、長い間同じスタイルを保ってきた。無論その中
でいろいろなスタイルがあってよかったにもかかわらず、そういうことがなか
なかなされなかったというのが事実であります。それが現在行われているんで
すが、非常に私は残念に思っておりますのは、その進み方が余りにも拙速であ
るということです。
例えば、四年一貫制、名古屋大学は六年ほど前に開始しましたが、その成果、
つまり現実の教育はどうあるのか。それから学生自身も、社会が変化するとと
もに学生も、先ほどもありましたが、変わってきているわけですね。分数がで
きない学生とかなんとか、そういうことも言われておりますように、いろいろ
な意味で学生の質も変わってきている。その中で大学教育も変わっていく。そ
の結果をどのように、私たちがやっているのをフィードバックをかけながら進
めていく必要があるんですが、余りにもその時間がないということが私にとっ
て非常に残念であります。
無論、それが私たちの、大学の人間の努力が足りないからだと言われればし
ようがないんですが、余りにも現在のいろいろな制度改革が急速に進んでいく
中で、私たち自身がゆっくり考え、ゆっくりフィードバックをかける状況が少
ないということを、私は非常に残念に思っております。もうちょっとゆっくり
考え、思考をしながら次のステップへ進むということがやはり必要であると思っ
ています。それがまず第一点であります。
第二点目は、評価機関について今回の法案に出ております。それに関して私
たちは、はっきり言って、正直に言いますが、現在の基盤整備が十分なされな
いまま、例えば三年前に任期制が施行されました、今回は評価機関という格好
で、いわば一生懸命しりばかりたたかれているというのが正直なところであり
ます。
これは御存じかもしれませんが、「ネーチャー」の一月六日号に、日本の科
学者よ、アクションすることを学べと書いてあるんですね。マスト・ラーン・
ツー・テーク・アクション。これは要するに、あなた方は非常にすばらしい仕
事をしているではないかと。例えばケミストリーでは世界第二位、東京大学が
第二位、名古屋大学は第四位。論文数、論文引用数等で判断するとそうである。
にもかかわらず、あなた方の研究場所はすごくひどいではないかというわけで
すね。これはアジアの特派員の方が、いろいろな大学を見た中で、これほど劣
悪な中で、これほどすばらしい仕事をしているのにもかかわらず、大学のあな
た方は何で黙っているのかということが書かれているわけです。
私自身は、現実にそうである、確かにおっしゃるとおり。それならそれで、
もっと大学の先生方は、皆さん、国民の方に知ってもらうように言いなさいよ
と。そうです。我々はそうしなければならないと思っています。
現実に有馬前文部大臣、彼が東京大学の総長時代にそういうことが行われて、
一定よくなったわけですね。ところが、それは途端に数年前からまた落ちてし
まいました。今回、学術会議のこの前の総会で、大学の研究施設整備をせよと
いう勧告案が出ましたが、それにも、大学のひどい状況が書いてあります。に
もかかわらず、やはりそれなりの仕事をしてきている、それなりというか、誇っ
ていい仕事をしていると僕は思っております。
それで、今度は三月二日号の、やはり「ネーチャー」なんですが、これは日
本の早稲田の先生が書かれたものなんです。そのアクションをせよというのに
こたえてアクションされたわけですが、英語で全世界に、日本の大学の現状で、
大学院大学に重点化でなりまして、大学院生の数がずっとふえているわけです
ね。現在、十八万人ぐらいまでにふえている。大学院の学生数のふえ方と、研
究施設のスペースのふえ方を見事に書いて、見事にギャップが生じているわけ
ですね。スペースのふえ方はずっとゆっくりしているのに、学生数は急速に上
がっている。かつ、これは二十五万人計画になっております。これはまだまだ
上へ上がるわけです。
こういう大きなギャップ、施設整備とか基本的な部分での整備がなかなかな
されていないにもかかわらず、いろいろな形での改革を要求されていくという
ことに対して、正直言ってフラストレーションを感じているというのが私の正
直な気持ちです。
例えば、この施設整備の中でも、実は私は全国五つの大学をめぐり歩いてき
たんですが、京大、北大、東大、阪大、名大と五つ、旧七帝大の五つを回って
きたんですが、この七帝大と言われている、日本では一流の大きな大学ですが、
その中でもやはり大きな格差がありました。
かつ、私はいろいろな大学に集中講義に出かけるわけです。三十大学ぐらい
今まで回ってきましたが、地方の大学あるいは単科大学等に来ると、さらに条
件としては厳しい。はっきり言って、建物一つ見ればわかりますね、どのよう
な条件にあるかと。そのような、非常に大きな格差が残されたままであるとい
うこと。
この二つの点に関しては、私は、はっきり現状を、文教委員の皆さんには状
況を知っておいていただきたい、押さえておいていただきたいというふうに思
います。
そのような中で、今回、第三者評価機関というものが出てきました。私は評
価を拒むものではありません。ある意味では、積極的に評価に関してはやるべ
しというふうに考えてまいりました。例えば三年前の任期制のときにも、私は
こう言ったんです、我々は動くべきであると。しかし、お上に言われて動くと
いうのは何たることか。大学の先生として恥ずかしくないのか。我々自身の手
で現実の厳しい評価をできるような大学にしなければならない、そのような大
学人でなければならないというふうに思っております。
その意味で、今回の第三者評価機関も、我々自身がこの中身をいかに有効に
するかということを真剣に考えねばならないと思っています。にもかかわらず、
今回のこの資料集を見ますと、いろいろな面で私は問題があるというふうに感
じているわけです。
実は評価というのは、特にそれは資源配分等にはね返るということになって
おりますが、評価は、本質的には、そこで学んでいる者、あるいは我々のよう
な研究、教育を行っている人間に対してエンカレッジする、力づけるものであ
るべきであろうと思っております。ディスカレッジする、つまり、優劣あるい
はランクづけを行って、おまえさんはだめだ、おまえさんはいいということを
していくものではなくて、現状はこうであって、ここにいろいろな問題がある
が、ここはこうすべきであろうというような形でのエンカレッジしていくもの
でなければならないと私は考えております。
その意味では、先ほど言われましたが、質を評価するというふうにおっしゃ
いました。実はこれは非常に難しいことなわけですね、質というのは。我々は
肉を表面から見ただけではわからないわけです。食べてみないとわからない。
だから、基本的には今まではやはり、先ほどおっしゃいましたように数量、論
文数とか引用数とかインパクトパラメーターとかいろいろな数値がありますが、
そういう定量化するもので判断しております。これはいわば肉をはかりにかけ
るとか、体積、密度がどれだけとか、そんなものを調べているようなものであ
りまして、やはり本質的には、それはいい肉か悪い肉かは食べてみないとわか
らない。
つまり、質を判断するのは、そこの最も近い現場の人、ここではピア・レビュー
という言い方をしておりますが、つまり同僚者批判、評価なんですが、その評
価をするということになっております。それ自身は実は、少なくとも私たちの
理系分野では既に十分行われてきている側面があると私は思っています。無論、
後の公開の問題、これはこれから言います。
つまり、例えば私たちは科学研究費補助金というのをもらっておるわけです
ね。これはせいぜい長くて三年、通常は大体二年とか一年です。それを常に出
していくわけですね。それが当たらないと、なかなか研究費は保障されない。
あるいは、この数年間、特に科学技術基本計画ができてからいわゆる競争的
資金といっていろいろ新しい事業に、文部省なり科学技術庁なりいろいろな省
庁が事業を行って、いわゆる競争的資金というのがたくさんあって、これも我々
が常に応募しているわけです。いろいろな形での応募という格好で、既にいろ
いろな面での研究評価はなされているわけですね。
あるいはいろいろの面で、例えば私はさっき五つ大学を回ってきたと言いま
したが、それはいずれも公募でありまして、私は延々と履歴書を書き、論文の
リストを書き、研究計画を書きというふうに、これによってレビューされてい
るわけです。
その意味では、評価というものを単に評価機関で項目を決めてやるのではな
しに、例えば今のような実質的に行われているものを参考資料にする。あるい
は、人事というのは基本的に公募であり、その公募によって客観評価が行われ
るべきものである。そういう日常的に行われるもの、通常行われ得る事柄を各
大学が通常的に行いなさいということを明確にするというような方が、私は重
要であるというふうに思っております。
無論これは、一つの評価機関という格好というよりも、むしろ日常的な大学
の業務、仕事の中でそういうものを厳しく評価し合う風土というのですか、学
風をつくるということこそ最も重要なことであり、そのような雰囲気をいかに
つくり上げるかということを本来考えるべきではないかと私は思っております。
それから、先ほどの教育に関する評価というのは、確かにこれは特に難しい
というふうに思っています。ここの資料では、例えば学生の就職とかいろいろ
な面でやはり定量化する、一流会社へ行けば五点、二流で三点とか、そういう
定量化も僕は非常に恐れているわけですが、そういう定量化できるものが結局
使われていくのではないか。
学生のエバリュエーションというのは確かに非常に重要でありまして、その
点では、先ほど言いましたように、日常的に大学自身でやるべきことの中で、
その評価そのものをやはり公開する、オープンにするということが我々は非常
に重要な基本的な原則ではないかと思っています。
例えば、学生の評価を張り出せばいいんですよと僕は言うんです。つまり、
五十人の学生がいて、その六割の学生が、この先生の授業はおもしろくない、
先生は勉強していないということを指摘したら、これは当たっているわけです
ね。五十人のうち二人だったら当たっていない。しかし、六割だったら大体傾
向は正しいわけです。そういうような形での個人の研究、教育に対しての厳し
い評価、あるいはそれがさらされるということは、僕自身はやってもらって構
わないと思うし、それは当然やるべきだろうと思っています。そういう形のも
のこそ重要でありまして、評価項目を決めて、これに何点何点とつけていくよ
うな評価そのものは、私は形式に流れるだけであるというふうに思っておりま
す。
それからもう一点は、今回の評価機関の教育及び研究評価で、五年周期で、
かつ結果が資源配分の参考になるというふうにこの資料には書かれております
が、私はこれは非常に問題が大きいと考えております。
特に今念頭に置いているのは研究評価なんですが、教育にも実際わたってい
ると思いますが、研究の場合は、例えば評価というのはこれまでの仕事に対し
てなされるんですね。しかし本来的には、萌芽的、あるいは今後長い時間で見
てすばらしい、独創的な仕事というのは、これまでの研究業績だけでははかれ
ないわけですね。
単純に、こんなことは言わぬ方がいいかもしれませんが、私はこの年になり
ましたから、例えば私の仕事は萌芽的というよりはこれまでの研究業績の中で
総合的に見るとか、そういう側面になると思います。だから、例えば三十歳の
若手の研究者にとっては、まさにこれからなわけですね。あるいは三十五歳の
方、そういう若手の研究者と違うわけですよ。そういう場合に五年周期でそう
いうものをはかられた場合どうなるであろうか、あるいはまだ現在仕事を構想
している中でまさにそういう評価というものが進められたらどうなるであろう
かということを、私は非常に心配しているわけです。特に若手に対する、若い
研究者が大学に残らないのではないかということを非常に心配しております。
それから五年周期というのは、果たして研究というもの、あるいは教育とい
うものが五年の期間ではかれるものか。それ自身が特に長期的な仕事を必要と
するもの、私たちのような天文学のような分野、あるいはフィールドに出るよ
うな分野ですね。フィールドもそうなんですが、あるいは発見法的な、例えば
考古学上で大発見があったといいますけれども、あれは初めから考えてあった
わけじゃなしに、偶然あるようなわけですね。そういうような仕事にとっては、
いつどのような新しい発見があるかわからない。読めないわけです。
そういう分野にとっては、むしろじっくりとそういう時期を待つ、あるいは
そういうことがあったときにすぐ対応できるような体制をつくっておくという
ことが重要でありまして、その意味で、五年周期で、かつそれが研究費あるい
は人員等にはね返っていく、資源配分にはね返っていくということは、いざと
いうとき、そういうときには非常に問題を生ずるのではないかというふうに思っ
ております。
そろそろ時間ですが、もう一つ、この文教委員会等で議論していただきたい
のは、直接この法案に関係ないことを申し上げて申しわけないんですが、私た
ち大学の人間にとって、やはり概算要求等で新しい計画を進めていっているわ
けです、あるいは大きなプロジェクトを進める。いろいろな機関から出してい
くわけですが、現状では、文部省及び大蔵省の最終的な予算要求で決まってい
くわけです。
ところが、やはり大きなプロジェクト、特に十億円を超すような大きなプロ
ジェクトは、本来国会のこういう文教委員会で――アメリカでは科学技術委員
会というのがありますが、そういうところで大きなプロジェクト等を議論して、
いろいろ、こういう研究者を呼んできて、仕事の内容を吟味した上でプロジェ
クトが進められていくわけですね。実は、日本にはそういうシステムはない。
残念ながらありません。せっかく国会議員の方々がおられて、そういう新しい
プロジェクトを進められる、考える機会をつくり得るんですから、私は、この
文教委員会というのは本来そういうことをやっていただきたいというふうに思っ
ています。
最近アメリカのブラウンという議員が亡くなったんですが、彼はアメリカの
科学技術委員会を三十年ぐらい務めた人で、「ネーチャー」にちゃんと弔辞が
出て、彼がどういうことをやったかというのが出るわけですよ。
そういうふうに、日本の、特に大きな研究プロジェクトに関しては、やはり
これは国家の一つの重要な仕事でありますから、そういうものをちゃんと議論
する場、まさにそれは評価する場であると思いますが、そういうものをこそちゃ
んとしたものにしていただきたいというふうに思っています。
ちょっと出過ぎたことを申し上げましたが、私の意見とさせていただきます。
(拍手)