==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
大学の民営化は学術研究の将来を危うくするか?

「科学・社会・人間」2000年2号(通算72号)p3--17

大学の民営化は学術研究の将来を危うくするか?

桑原雅子*後藤邦夫**

(「科学・社会・人間」事務局の許可を得て転載します)
1. 当面の法人化案を論ずる前提:「30年の空白」の存在とその意味するもの
1-1  改革の第1段階:大綱化と一般教育組織の廃止
1-2 改革の第2段階:教養教育の「復活」、大学院重点化、産学あるいは地域連携組織の整備
1-3  改革の第3段階:「民営化」と「主体的マネジメント」の確立?
2.歴史的展望のもとでの大学の現在
2-1 近代における大学の再生
2-2 デジタル革命とハイテク社会における大学
2-3 大学の「生き残り」の必要条件
3.アメリカ的大学モデルのパラダイム・シフトと物理学
4.日本の国立大学の独立行政法人化について
5.展望と課題
付録 アメリカの大学: 自立を支える財政構造
  私立と公立のあいだ
  自治:政策決定のダイナミクス
  「システム」と「ディストリクト」
  財源および財政メカニズム

1. 当面の法人化案を論ずる前提:「30年の空白」の存在とその意味するもの

最近「経済改革」を論ずる人々のあいだでは、冷戦終結後の1990年代の「日本 経済の失われた10年」が云々されている。われわれは、近年の日本の「大学 改革」を考えるとき、あらためて「日本の大学の失われた30年」の大きさを 痛感する。1990年代に入ってから急速に進行した文部省主導の「大学改革」を、 この30年のギャップを一挙に縮めようとする試みのひとつと見なすことがあ るいは可能であるかもしれない。ただ、先進諸国における1960年代後半の公民 権運動、学生反乱、ベトナム反戦運動、フェミニスト運動などによる対抗文化 の形成とその大学への波及、70年代の経済構造の転換へのすばやい大学の対 応というふたつの側面をもつ大学のパラダイムシフトは、わが国ではほとんど 皆無のままに過ぎた[1]。1970年代の改革を見送ったことによって、現在の日 本の「大学改革」は理念や精神が一向に明らかでないまま、組織と機構や小手 先の運営方法の「改革」に終始し、いたずらに人々を疲労させているのである。 まず、その点の総括を3段階に分けて行うことから始めよう[2]。そして、 1970年代における彼我の取り組み方の相違を見ておくことにする。「進んだ西 欧と遅れた日本」というマナーリズムをそこで繰返すことになるのは、われわ れとしてはまことに不愉快で不本意である。しかし、事実は如何とも為しがた い。

1-1 改革の第1段階:大綱化と一般教育組織の廃止

大学審議会は1987年に設置された。この年、日本はバブル経済の絶頂にあり、 アメリカはウォール街のブラックマンデーの株暴落に苦しんだ。「ジャパン・ アズ・ナンバーワン」幻想が拡がり、「アメリカから学ぶものはない」と公言 する政治家、官僚や経済人にも事欠かなかった。その中で構想されたのが「戦 後教育の総決算」を唱える政治家主導の「大綱化」であり、その結果は「一般 教育」の責任組織と教育の両面における大後退である。われわれが予想したと おり、この間にフレッシュマン教育をおこなう主体の性急な解体が大学教育に 及ぼした混乱と負の影響は、はかり知れないものがある
[3]

1-2 改革の第2段階:教養教育の「復活」、大学院重点化、産学あるいは地域連携組織の整備

バブル経済の崩壊と日米逆転が明白になり、学生の基礎学力低下が目立ち始め た段階で、1997年から98年にかけて大学審議会等は、従来の改革路線とは異質 な一連の政策を打ちだした
[4]。端的にいうと、アメリカモデルの部分的導入 である[5]。「部分的」というのは、アメリカには存在しない「文部省」によ る「定員の管理」や日常的な細部の規制が強化されているからである。一旦 「教養部の解体」を行ったうえで「全学参加の教養教育」を再建することがい かに困難か、また、教養教育、4年完結型専門教育、重点化され拡大された大 学院教育の三者を、従来とほとんど変わらない規模とシステムで実行すること がいかに困難か。われわれとしては、現場における疲労感と徒労感の蓄積が日 本の学術研究の長期低落をもたらさないことを祈るばかりである。産学連携に ついても、最も肝心なビジネス・ノウハウに関する知識と人材がキャンパスに 蓄積されていない状況で、工学部における「壮麗な建物」ばかりが目立ってい る。

1-3 改革の第3段階:「民営化」と「主体的マネジメント」の確立?

あえて疑問符を付した。現在提示されている「独立行政法人化」が民営化への 一歩となるか否か。学長と評議会への権限の集中に向けて進んでいる管理運営 の改善がマネジメントの確立につながるか否か。現在は流動的な段階にあると 考えられるからである。「大綱化」が自由化ではなく「全国一律の教養部廃止」 となったように、今回も「文部科学省」による集権的管理の強化にならないと いう保証はない。  この第3段階については本稿の主題でもあり、後に詳しく論ずるであろう。 そのなかで、一部で主張されている「国立大学がなくなれば日本の基礎研究が ダメになる」という、私たちにはほとんど妄言としか思えない言説についても 批判を加える。  日本の大学制度の特徴を一言で要約すると個別大学が「法人格」をもたず、 したがって経済活動の主体ではありえないということである。国立大学は国が 設置し国が運営する「国営大学」である。公立大学は地方自治体が設置し運営 する。私立大学でさえ、設置者は学校法人であり大学自体は法人格をもたない。 (大学の学長が法人の理事を兼ねることで、運営上、大学の当事者能力を保つ 方策はある。)しかも、学校法人を含む日本の公益法人に対する国の管理の強 さについては先進国間で定評がある。公益法人に対する「主務官庁」の役割に ついて欧米人に理解させることは極めて困難である。不完全な「NPO法」で すら、その制定には阪神大震災の多数の犠牲者とボランティアの献身が必要で あった。われわれは、このような体制は「開発独裁体制国家」のエリート養成 のための高等教育では一定の合理的根拠があると考える。しかし、日本が「開 発独裁」を脱したとするならば、それは遅かれ早かれ行き詰まり変革される運 命にある。  さて、主要大学が近代国民国家の成立以前から活動していた英米は言うに及ば ず、ナポレオンによる改革後の強力な中央集権的官僚制国家のもとのフランス の大学も法人格と財政上の自治権をもつ。ドイツの大学は明確に国の機関であ るとともに公的な法人格を持つという二重性をもっている。伝統的に大学がもっ てきた自主性を一挙に明文化し顕在化させたのは1970年代に行われた改革であ る。その直接の駆動力はもちろん1960年代後半の「学生運動」であった。した がって、「自治」と「参加」、とくに「学生の参加」がキィワードであった。 (最近の日本で云々される「学生による授業評価」はそれに相当するであろう か?)  1968年11月制定のフランスの「高等教育基本法」は、その第3条において、大学 を「法人格と財政上の自治権をもつ公的機関」と明確に規定し、随所に学生の権 利と参加について述べている。  1976年制定のドイツの「大学大綱法」では、上記の二重性が明文化される。日本 と異なり大学間の移動が自由な正規学生についても、自治と参加が保証されてい る。すなわち、構成員として大学の政策に対する利害を代表する学生の自治組織 の設置とその機能、運営が明文によって規定されている。 国家としての統一した法規はなくても、 70年代以降のアメリカの大学におけ る学生参加の実態は、われわれがアメリカ研修中に十分に体験した。テキサス大 学オースティン校の評議会には6名の学生評議員が正規メンバーとして参加し、カ リキュラムに関する事項では彼らのプレゼンスは必要条件である。学長候補者選 考委員会にも学生代表が参加する。しかも、評議会の討議内容は、主要発言者の 氏名と発言内容を含め、日刊の学生新聞と週刊の大学広報に公開される。学長と 学部長の権限の強さだけを見習えばよいのではない
[6]。 イギリスの大学にも、多少文脈が異なるものの、この間に大きな変化があった。 すなわち、1965年に開始され1992年に完了したポリテクニク・スクールの大学へ の格上げである。これによって長く続いたイギリスの高等教育の二元構造は制度 的には終了した。 同時期の日本では、「大学運営臨時措置法」による「正常化」のあと、多少は改 革の気運があったものの、文部省による統制はむしろ強化され、「大学、特に国 立大学の自立」と「学生の参加」についてはほとんど何事もなされないままであ った。そして、「学生の減少」という「パイの縮小期」である現在、「生き残り をかけた競争」に直面しているのである。高等教育政策をほぼ一元的に担い、大 学に対して強い統制力をもつ政府の責任は重い。(ただ、1970年前後の文部省内 に諸外国の動向について情報を集め検討する人々がいたことは確かである。当時 の省内調査資料はそれを反映するものであろう[7]。)同時に、「紛争」の終息の みを望み、大学改革を怠り、キャンパス内に「対抗文化」を形成することに失敗 した多数派の大学人たちを免責することはできない。 現に存在する100近い数の「国立・国営大学」はそれぞれに複雑な構成をもって いる。経済の知識集約化が一層進み、知的活動の拠点としての大学の社会的役割 が増大するならば、その複雑さは一層増大するであろう。これらの大学のすべて を中央官庁の少数の部局によって管理し、若干の学長経費以外の全予算について、 細部にわたって管理し決算を行なうことは容易ではない。まして、それぞれの大 学のそれぞれの学部・学科・講座について、変化の著しい社会の要求や学問に内 発する必要性に応えてゆくことは不可能に近い難事である。第一、現在の官僚機 構には高度な学術的専門性が必要なそれらの問題について判断や評価を行う能力 は備わっていない。その結果、明治以来の大学の序列に基づく「前例」と「規則」、 そして「陳情」が幅を利かすことになる。これは、旧ソ連型社会主義の末期に見 られた状況である。 このようなシステムを転換し、日本の各国立大学が、責任ある主体としての当事 者能力をもち、国、民間、学生等から明確な契約に基づいて資金を受け取り、文 化と学術と教育の成果をもって社会に寄与する存在となることが必要である。そ の意味で、法人格の取得と財政に関する自治権の取得は「歴史の必然」がそれを 要求している、とわれわれは思う。問題は、果して今回の「独立行政法人化」が その方向をめざすことになっているか、ということである。この点はあとで検討 しよう。

2.歴史的展望のもとでの大学の現在

「歴史の必然」といった以上、その根拠を論じておかなければならないだろう。 大学史の解説をする場所ではないが、最低限の事項を指摘しておきたい。

2-1 近代における大学の再生

大学(ユニバーシティとカレッジ)はイスラムの影響を受けた中世ヨーロッパ文 化の所産である。したがって、そこで行われていた学問も中世的なものであった。 (ただ、中世ヨーロッパの学問文化はそれ自体としては極めて価値あるものであ る。)近代科学の直接のルーツである17世紀の自然哲学の形成の場は、ロンドン のクラブ、パリのサロン、プラハをはじめヨーロッパ諸都市の宮廷や貴族の館、 僧院などであって、ニュートンがいたトリニティ・カレッジはむしろ例外的ケー スであった。 18世紀末の産業革命もアダム・スミスのいう「普通の働く人々」の手で始められ たもので、自然哲学の直接の寄与も少なく、大学は圏外にあった。その結果、中 世的大学は少数の例外を除いて近代工業社会の成立期に一旦は存亡の危機に立っ た。 国民国家の成立とともに、軍事と産業を扱う新たな理工系高等教育機関が登場し た。大学はその影響をうけて変容し「近代国民国家」との関係を強め、19世紀に 「復活」を遂げる。近代ユニバーシティーの誕生である。その際、大学は伝統的 学芸(リベラルアーツ)と近代的学問の双方を組織の内部に抱え込んだ。結果と して両者の葛藤が大学の知的活力を増大させた。以後、大学は伝統的要素をうち に保持しながら、社会の変化に応え、新たな要素を組み込み、異質な要素のあい だの対立・葛藤が活力の源泉となるという特徴をもった組織として現在にいたっ ているのである。この大学の組織体としての特徴は、学問研究の場としてよく適 合している。

2-2 デジタル革命とハイテク社会における大学

国民経済における「知識」や「サービス」の比重が高まってきたのは、1970年代 なかば以降である。大学は社会の知的活動を独占することは出来ず、大学以外の 知的活動を行うさまざまな機関の挑戦を受ける。大衆化した学生・消費者のコン シューマリズムにも直面する。とくに、産業活動における研究開発 の比重の増大 は、大学の理工系分野にとって重大な挑戦である。企業の研究開発費は平均で売 上高の3%、電気・電子、化学、精密機械などでは5%、いわゆるハイテク産業では 10%以上になる。(売上げが3兆円を上回る日本の主要な電気・電子企業の場合、 研究開発費は一社で1500億円になる。旧帝大をルーツに持つ国立大学の年間予算 の倍に近い。) さらに、いわゆる「リニア・モデル」の崩壊が広く認識されるようになってきた。 すなわち、「基礎研究」「応用研究」「開発研究」「商業化研究」が時間的順序 によって「リニア」につながるという図式は、明確な検証を経ないままに流布さ れてきたものに過ぎない。むしろ、アメリカで巨額の軍事研究への国家支出の正 当化のために強調されてきた節がある。すなわち軍事研究が結果的に「基礎研究」 を強化し国を富ませる、というわけである。現実の研究開発のプロセスはそのよ うに単純ではありえない。強いてモデル化するならば、それぞれのタイプの研究 が同時進行的に、情報を共有しつつ進むというべきであろう。事実、市場の要求 に引っ張られた開発が基礎概念を揺るがすような研究を促した事例も珍しくない。 こうして、研究開発型企業と大学との相互関係の再構築が課題となる
[8]

2-3 大学の「生き残り」の必要条件

ここで「生き残り」というのは、最近の教育ジャーナリズムでいう「少子化時代の 学生の減少」に対して生き残る、という意味ではない。中世起源の大学が近代工 業社会に生き残ったように、工業社会型大学がデジタル革命と知識集約化のポス ト工業社会時代に生き残れるであろうか、という問題である。この十数年の間に、 「分権」と「フレキシビリティ」を特徴とするアメリカの大学の多くはこの転機 を乗り切って繁栄を続けている。もちろん失敗した大学の事例にも事欠かないが、 むしろ地域社会の経済的繁栄を牽引したのは、みずからの生き残りをかけた大学 の自助努力であった、といっても過言ではない。その間に、Entrepreneurial University なるパラダイムまで形成するに至った
[9]。しかも、「大学全入」 (クリントン大統領)という途方もない政策と「質的卓越性」との両立をめざし ている。他の国や地域の大学もそれに引き続いて変化を遂げつつある。日本の国 立大学は、その「集権的構造」と「硬直性」を払拭しないかぎり、個別の教員や 研究者が国際的競争に伍することは出来ても、システムとしての大学は落後する ほかないであろう。

3.アメリカ的大学モデルのパラダイム・シフトと物理学

さらに詳しくアメリカ的大学モデルについて検討してみよう。そのことは同時に、 「物理学が代表的な基礎科学であって、国立大学の形態によらなければ水準が維 持できない」という一部の主張に対する反論を行うことになる。 歴史に入る前に、アメリカの大学についての知見を整理しておこう。 研究大学に限れば、アメリカの主要大学はおおよそ4種類のルーツをもつ。 1) 植民地時代のイギリス式カレッジ。「紳士」と「聖職者」を育成する教育 中心の名門校 2) 建国直後の同盟国フランスから移植されたウェストポイントをモデルとす る軍人養成の理工科学校 3) 学術的に高度な19世紀のドイツの大学をモデルとしたジョンス・ホプキン ス型の大学院大学(学士課程を含む) 4) 南北戦争後に連邦政府から「モリル法」によって無償で供与された土地を 経営基盤とする大型州立大学(ランドグランツ大学) これらが相互の長所を取り入れつつ競争した結果、財政的にも教学的にも一定 のパターンに収束していった。すなわち、 1) 財政的に自立している。州立といえども独自の基金を持ち多極的な収入 を確保して経営をおこなう。 2) 4年制学士課程教育は原則としてリベラルアーツが中心である。 3) よく整備された大規模な大学院を持つ。学生は同一大学の学士過程から 進学しないのが普通である。 4) 医師、法律家、経営者などの「職業教育」を行う大学院レベルの「専門 職学校: professional school」を併設する。 とくに財政構造については、後段の日本における「法人化」を考えるうえで 参考になると思われるので、[付録]として巻末に収録する。 さて、こうして近代ユニバーシティとして完成したアメリカの大学は、第二 次大戦後にどのような経緯をたどったであろうか。 1947年、大統領の諮問に応えて「アメリカにおける科学と公共政策」という 報告書が提出された。委員長の名を取って「スティールマン・レポート」と呼ば れるが、委員の一人バネバー・ブッシュの強い影響のもとで書かれた。戦災によ って荒廃したヨーロッパに基礎研究を期待しえない以上、アメリカは自前の基礎 研究を築かざるを得ないが、その投資は必ず報いられる。「科学はエンドレス・ フロンティアである」。こうして「基礎研究」に対する支出の大幅増額が勧告さ れた。 勧告に基づいて全米科学財団(NSF)と 国立公衆衛生院(NIH)が設立されたが、 基礎研究への投資は報告書の起草者を満足させるものではなかった。転機は1957 年のスプートニク・ショックである。ソビエトの学術の進歩に遅れてはならない という国を挙げての空気の中で、1958年のNSF の基礎研究支出は一挙に3倍とな り、当初の目標に近づいた。さらに、航空宇宙局(NASA)が設立され、国防高等 研究局(DARPA)が発足した。(DARPAはインターネットの前身 ARPA-net の開発 で知られる。) これよりさき、戦後の核兵器の開発と管理をめぐって、マンハッタン・プロジェ クトの体制の継続を望む軍の意を受けたメイ・ジョンソン法と原子力委員会( AEC)による文民統制への転換をはかるマクマホン法が対立し後者の勝利となる。 AEC は、オークリッジ、ロス・アラモス、アルゴンヌ等に加え、ロレンス・リバ モア、サン・ディア、ブルクヘブンと傘下の国立研究所を充実させ、一部は大学 に運営させることになった。(AEC はオイル・ショック時代にエネルギー研究開 発局(ERDA)に統合され、ERDA はエネルギー省となる。) 1949年にソ連の核兵器保有が明らかになったとき、空軍はレーダーとコンピュー タを結合した「早期警戒システム」を開発したが、それを実質的に担ったのはマ サユーセッツ工科大学(MIT)のフォレスターのグループである。(彼はローマク ラブの「成長の限界」のバックとなったSD モデルでも名高い。) こうして、冷戦の勝利をめざして豊かな国家支出が物理学を含む「基礎科学分野」 に投入され、その余沢を受けたアメリカの大学の「黄金時代」が始まったのであ る。物理学と物理学者が最大の受益者のひとつであったことはいうまでもない。 その中で、国家に巨額の研究費を要求することが物理学者の生態となった。 故早川幸男先生の著書『素粒子から宇宙へ』(名古屋大学出版会、1994)には、戦 後まもなくある物理学者によって作られた「持去れお前の10億ドル」と題する詩 が紹介されている。ワシントンの多額の資金にむらがる物理学者をバークリティ ス(バークリィに巣くう伝染病)とよんで揶揄して歌われたものである( 144-147頁)。しかし、いつのまにか巨大な政府資金にありつくことは、冷戦下の 物理学者にとってあたりまえになってしまった。 日本の物理学もその影響を受けたのである。「物理学は真理探求に最も寄与する学 問であり、国の安全と社会の発展に役立つ。したがって、国も社会も物理学に要 する金を惜しむべきではない」あるいは「国民に代わって、科学的真理という公 共的インフラの構築に励む物理学者は国立大学における特別な研究公務員として の地位が与えられて然るべきだ」という言説である。われわれはこの種の言説を 斥ける。もしも、真に科学的真理の使徒を自覚している人々であれば、「神の真 理」に仕えたイェズス会所属の学者達のように、研究成果の報奨として得られる 金、名声、安定した世俗の生活を望んではなるまい。イェズス会を引き合いに出 したのは、有名な「ガリレイ裁判」でガリレイを告発した人々だからである。ガ リレイは偉大な学者であったが、実生活においては金、名声、安定した世俗の生 活を追求した人であり、それゆえにこそ近現代の科学者の祖とされるのである。 (このことは同時代のケプラーの生涯と対比すれば明らかであろう。)われわれ はそれらの世俗的価値の追求を否定しない。そのような人間的欲望が近代の科学 技術の駆動力だからである。非難すべきは「国立大学教官のみが国民に代わって 科学的真理を追究している」といった思い上がった言説を弄ぶことである。 話をアメリカに戻そう。その後、アメリカの大学には二つの重要な転機が訪れた。 1. 1960年代のベトナム反戦、公民権運動、フェミニスト運動がキャンパスに波及 する。たしかに、冷戦の受益者として潤沢な研究費を享受していたアメリカの研 究大学は、当時の選抜徴兵制度のもとで「厳正な成績評価」に基づいて学生達を ベトナムの戦場に送りだす役割を果した。特権的研究者と「ベトナム行き」の対 比はあまりにも明確である。きびしい追求の中で「白人の文化」としての西欧的 学問の意味が問われた。さらに、これらの学生運動の「男性中心主義」に対峙し て生れた新たなフェミニズムの大学への侵透が、「白人男性の文化」としての伝 統的学問の基軸に挑戦した
[10]。以来、アメリカの主要な研究大学では、伝統的 学問文化と「文化多元主義」や「ポスト・コロニアリズム」などの強力な対抗文 化が葛藤しあう場となった。「STS(科学・技術・社会)」や「女性学」のプログ ラムも次第に定着した。この点は他の西欧諸国も同様である。日本の「大学紛争」 では、多少の芽生えはあったものの、そのような成果は生まれないままに終わっ た。 近年、日本でも云々される「サイエンス・ウォーズ」なるものは、このような葛 藤の表層に現れた現象のひとつである。この問題に関する日本での論評は、歴史 的視点を踏まえない浅薄なものが多い。「対抗文化」に本当に足許を脅かされた 経験が無い以上、当然かも知れない。「科学を知らない科学社会学者」同様、 「歴史、社会、思想を学ぼうともしない自然科学者」も困りものである。これに ついては機会があればあらためて論じたい。 2. 1980年代のレーガン政権は、大軍拡を行なう傍ら、減税と歳出カットを大幅 に行い、社会的インフラは減耗した。結果として地域経済は衰退しマイノリティ の失業は増えた。軍拡の恩恵を受けなかった多くの大学は地域社会との連携に活 路を見出し、地域の傷ついた社会基盤を大学を含む NPO が支えた。(同じ時期、 同様の大軍拡で社会基盤を減耗させた旧ソビエト社会には、このような地域の自 主的活動は存在せず、荒廃は進むばかりであった。)その中で大学は、技術移転 センター、リサーチパーク、インキュベータ、その他、様々な機構を持つことに なった。こうして、1980年代に大幅に増えた「大学関連リサーチパーク」は協会 を結成して連携を図った[11]。このようにして、80 - 90年代、特に冷戦終結後、 ハイテク社会の主役となるための条件を地域社会と大学は獲得したのである。こ こに見られる「産学協同」を冷戦期における「産軍複合体」のもとでの「産学協 同」と同一視してはならない。主役は理工系学部に流れ込む国防省やエネルギー 省の大金ではなく、地域の活性化や技術移転を課題として取り上げるようになっ たビジネス・スクールを中心とし、工学部や理学部を巻き込んだ地道な活動であ る。こうして形成されたEntrepreneurial University のパラダイムは、伝統的大 学像と拮抗しながらキャンパスの活性化に寄与している。強調すべきことは、こ のような動向が「政府の政策」によってではなく、大学と地域の生存と発展をか けた切実な施策として構想され実現されてきたということである。 これらの「葛藤」こそがキャンパス・ライフと学問の活性化をもたらした。それ を可能にしたのは、州立・私立の別なく、多様な財源の上に築かれた自立した財 政と経営である。 その中で、物理学も「冷戦の受益者」のひとつとして巨額な国防費に依存するだ けではなく、企業やNPO を含む地域社会との連携を基盤とする方向を模索しはじ めた。その動向がいわゆる「モード2」の議論である[12]。 確かに、国民生活 と直結した「市場」に依存する方が「真理探求」を餌にした「軍事費」に群がる よりは健全であろう。 さらに、Entrepreneurial University のパラダイムの思想的側面にも注目しな ければならない。大学は学生の教育と教員の研究、および、若干の社会サービス の機能を持つとされてきたが、国民国家の枠組みから離れて地域と世界を結ぶ NPO のひとつである大学の役割は、在来の機能に加えて、新たな形態の企業の育 成と雇用の創出をもその任務とするようになった。その背景には、工業社会にお ける組織の大型化の中で失われた個人の自由な活動の復権をポスト工業化やデジ タル・ネット化の社会で実現しようという思いが込められている。それは、農業 社会におけるジェファーソン・デモクラシーや初期工業社会におけるプルードン のユートピアの再生の運動としての側面を持っている。日本の大学人の間では単 なる「金もうけ手法」と見られがちな、インキュベータ運動やスピン・アウト・ ベンチャーの歴史的・思想的意味を見落としてはならない。この運動は巨大な国 家組織・官僚統制とは本来なじまないものであり、そのようなシステムのもとで は不可能である。

4.日本の国立大学の独立行政法人化について

今回の政策が国立大学に法人格を与え、自立した財政に基づく真の自治を日本 の国立大学に与える一歩となるであろうか。もしそうならば、その発端が「公務 員削減の数合わせ」であり、そのルーツが英国において定型業務のアウトソーシ ングのために導入されたシステムであったとしても、一定の評価を下すことが出 来よう。たしかに、1999年9月の「国立大学の独立行政法人化検討の方向」(文部 省ニュース)を見れば、「教育研究及びそれを支える意思決定と実行の仕組みや 人事・財務等における大学の自主性・自律性を確保し、さらに拡充すること」と あり、到るところで「大学の自主性・自律性を担保するため、・・・」という表 現に出あう。 しかし他方、「行政の一端を担い、公財政支出に支えられることに 伴う国としての必要最小限の関与は避けられず・・・」という趣旨が述べられて いる。とくに「主務大臣による中期目標の設定と評価」が問題になっている。 「人事・財務等における大学の自主性・自律性を確保」と「公財政支出に支え られることに伴う国としての必要最小限の関与」という、二つの側面をどのよう に調整するのか。現在われわれが入手できる情報に基づくかぎり判断を保留せざ るを得ない。すなわち、現段階では「特別法」と「通則法」の間の調整もまだ完 全には固まっていない状況で後者の枠組が支配的となる見通しも語られている。 最も警戒すべきことは、政府側の既得権擁護と大学側の既得権擁護とが癒着・合 体した奇妙な体制が実現されることである。 その場合には、大学が国の「行政」の代行機関であるという側面が肥大し、形式 的な予算編成権や管理権が大学に移ったとしても、文部省の各部局との関係は現 状に近い状態として残るであろう。結果として起こりうる事態は「分厚い長期計 画や中期計画」をめぐって「文部科学省」と大学とで多くの作業が重複して実行 され、単に煩雑さが増え、実態は何も変わらず、人々が疲労し教育も研究も停滞 することである。そのような危惧があるならば、完全な私立大学化こそが望まし いと言わねばならない。国費は、現在私立大学が受け取っている助成金や科研費 等の形態で支出されればよい。その場合旧国立大学には、自立した財政構造を確 立するまで、従来の既得権を一定期間保障すればよい。しばしば言われる学費問 題は奨学金制度の拡充で解決可能である。また、すでに統計的に明らかなことで あるが、主要国立大学はもはや「貧乏人のための学校」ではない。「貧乏人」の 多くは国立学校のための税金を払いながら子供たちを私学に入れているのである。 「第三者機関」による評価が謳われてはいるものの、「大学評価・学位授与機構」 (仮称)は従来の「学位授与機構」を受け継ぐかぎり文部省に限りなく近い組織 であり、その第三者性が担保されているとは考えられない。単一の組織に属する 「審議会」の顔触れをどのように多様化しても、所管官庁の一部である「事務局」 の実質的権限によって支配される事例をわれわれは見てきたのである。それを防 ぐには以下の方法をとるほかはない。 (1)複数の評価機関を設置し、それぞれが独立し、「固有の異なる評価基準」を 事前に明示すること。 (2)評価機関には公募による期限付きの専従の専門職を配置し、実質的な評価を 行う体制を持つこと。これはNSFが多年にわたり実行していることである。いわゆ るピア・レヴューは、繁忙な研究者による短期間のサイド・ビジネスとして行わ れるかぎり、知名度や大学名に基づく不完全な評価におわるおそれが常につきま とう。 (3)資金の出所についても可能なかぎり分散することが必要である。国費につい てもそのような方針がとられるべきであるし、それ以外に、多くの価値観が異な る財団が十分に機能するような施策が進められなければならない。 「大学の自主性・自律性」をいうとき、大学の経営管理組織とその能力が問われる ことは言うまでもない。「一見不急不要な学術の長期的価値」の実現もそれにか かっている。現在のところ、組織体としての大学の機能と管理システムに関する 研究は国際的にも緒についたばかりである。たとえば、大学の管理運営機能は少 なくとも以下の5種類が相互に関連しながら形成されているといわれる
[13]。 1)学術の現状と将来について、社会の状況を考慮しつつ戦略を決定する「文化的 マネジメント」 2)組織の維持と発展を合理的手法でおこなう「企業的マネジメント」 3)学術研究の世界に固有の「分権的マネジメント」 4)教育の場で必要な「参加型マネジメント」 5)各単位組織から全組織に及ぶ「民主的マネジメント」 在来型の学長を頂点とする伝統的体制でこれらの複合的運営をどのように実行でき るであろうか。その適合性が問われるであろう。

5.展望と課題

われわれはアメリカの大学の運営に関する若干の知見と日本の私立大学における経 験とをもっている。その立場で以下のように提言したい。 (1)一時的な条件悪化を恐れず、国立大学は基本財産を持つ「独立法人」となり、 私学との差は、教育と研究の委託契約に基づく国の資金支出の多寡のみとすべき である。 (2)高等教育費に関わる公的資金の支出は増額すべきである。ただし、多元的 な評価に基づき異なる基準による複数の資金供給のチャネルを公私を問わず整備 すべきである。関連して、民間資金の投入や寄付を促進する制度改革が必要であ る。 (3)組織体としての大学の構造は複雑である。その管理システム自体の研究開 発が緊急の課題であり、成果を急がなければならない。 このようにして、財政構造の自律性とマネージメントの能力を大学内部に蓄積し つつ、国立大学は民営化を志向することが、わが国の学術研究と教育にとって、 最善の策であるとわれわれは主張する。設置者と教学、経営等の管理運営とは別 個のカテゴリーに属するものである。「国公立・国営・公営大学」(かつての社 会主義国家と日本の現行大学の形態)から「国公立・民営大学」への道である。 けっして平坦な道でないことは、よく承知している。ランドグランツ大学の誕生 以来、100年以上の財政活動の経験がある彼の国の州立大学と、これから武家の商 法をはじめるわが国の大学とでは、実力に雲泥の差があることは率直に認めなけ ればならない。ただ、わが国の私立大学が困難な条件下で全学生の80%に高等教育 を受ける機会を提供するなかで、多くの大学人が経営と教学の矛盾に悩みながら 経営と学術の両分野で少なからぬ寄与をなしえたことも事実である。その間に蓄 積されたノウハウは決して小さいものではない。「収支均衡を考える私立大学で は基礎科学はできない」というのは妄言である。私学に存在する経営資源の活用 が図られるべきである。 それにもかかわらず、とくにこの小論の冒頭でも述べたように、「失われた30 年」は痛恨のきわみである。この痛みに私学、国公立の別はない。それどころか、 社会経済システムから教育、文化の全体にわたって、われわれ国民はさまざまな 形で「失われた30年」の負の遺産を共有している。また、アジア諸国にたいし ては、依然として加害者の役割を果たしてきた。30年の遅滞がこれまで許容さ れ、わが国が工業社会最後の果実をむさぼることができたのは、冷戦構造の傘の 利と60年代の経済的成功の余禄にほかならない。 いま社会のいたるところで、われわれは大きな変革のうねりを経験している。大 学も同様である。わが国社会の変わり身の早いことは昔から定評がある。大学の 変身も案外、急速に進行するかもしれない。 その際、われわれはひとつの危惧をいだいている。さきに、大学は伝統的要素と 社会の変化に対応した革新的要素をあわせもつ複合的組織であると述べた。しか し、ミレニアム単位で測られる不変なるものと、時代により変わりゆくものとの 対立、葛藤を内に抱えるという構図は、われわれの文化になじむのであろうか。 そこで、われわれが大学のなかで守るべき不変なるものを、われわれは100年の歴 史のなかで構築しえたかという深刻な疑問につきあたる。 アメリカの大学は、ある意味でヨーロッパの大学以上に西欧的学問のスタンダー ドに厳格である。その核心部分は、さきほど言及した非西欧マイノリティーや女 性の攻勢にもいまだ確乎としてゆらいでいない。産学共同によって地域の活性化 に成功した大学は、それによって得た資金で、まずギリシア古典学の充実をはか り、天文台を整備し、ノーベル物理学賞の学者を高給で招聘するのである。それ が研究大学のステータスをあげ、さらに地域に貢献する優秀な学生や研究者を吸 引する近道である。 国家によって支えられずとも存在しつづける、俗世の利益とは無関係な修道女/ 士、学僧たちによる学問の営為が、基礎科学と呼ばれるものの核心には確かにあ るだろう。心のなかにギリシャ神殿もキリストの十字架も持たないわれわれが、 それをどのように駆動していけるかが今後の問題である。国立大学にいる国家公 務員でなければ、基礎科学は維持できないとか、独立法人になれば大学は殺され るとか、自殺だとか、はたまた痩せたソクラテスの居場所がなくなる、などとい う言説があふれている。(現実のソクラテスは痩せてはいなかった。もし、彼が 今の世にあれば、街頭の群衆の前で物理学者を捕まえて大声で問うことであろう。 「宇宙のひとかけらでしかない君が、どうして宇宙の創成について語ることが出 来るのか。君は一体何者だ。まず君自身のことを研究したまえ」。その彼が「国 立大学」の録を食むことはありえない。)「国家」への依頼心を赤裸々に顕わす このような昨今の論調を見聞するにおよんで、われわれはこの国の学問のコアの 存立に対して、心寒い思いを隠すことは出来ない
[14]。 注 [1] 桑原雅子(1994)『先端科学技術と高等教育:アメリカ多元社会展望』学陽 書房。 [2] 桑原雅子、後藤邦夫(1999)「大学改革と科学技術教育」中山茂ほか編『通 史 日本の科学技術』5-II 巻、学陽書房、558-570。 [3] 桑原雅子、後藤邦夫(1994)「理工系大学改革における歴史的序論」21世 紀の自然科学系大学教育に向けて編集委員会編『大学改革』朝倉書店、1-27。 桑原雅子、後藤邦夫(1991)「大学審議会報告と一般教育の将来について」『科 学・社会・人間』35号。 [4] 1989年3月14日の大学審総会における、当時の西岡文相の一般教育にかんす る発言と、1990年10月31日の大学審総会における町村文相の「諮問理由説明」を 比較すれば、その相違は歴然とする。町村文相の発言については、文部省高等教 育局(1997)『大学資料』135/136号 .143-148を参照。桑原雅子(1998)「大学 改革と教養物理教育」桃山学院大学教育研究所『研究紀要』7号、31-54。 [5] 前掲[2]。 桑原雅子(1997)「アメリカの大学におけるSTS教育と研究 I − いま、なぜアメリ カの大学か」『科学・技術・社会』15号、STS関西ニュースレター。 桑原雅子(1998)「アメリカの大学におけるSTS教育と研究 II」同上誌18号。 [6] 前掲[1]IV章3節、233-236、6節、251-260。 桑原雅子(1994)「多民族社会テキサス州の高等教育」桃山学院大学教育研究所 『研究紀要』3号、35-59。 [7] 1970年当時の文部省資料。たとえば、 教育調査・第77集「ヨーロッパにおける大学問題」文部省大臣官房、昭和44年1月 教育調査・第81集「欧米における大学改革 I アメリカ合衆国」文部省大臣官房、 昭和44年12月 教育調査・第82集「欧米における大学改革 II イギリス」文部省大臣官房、昭和 44年12月 教育調査・第80集「欧米における大学改革 III フランス」文部省大臣官房、昭和 44年10月 [8] 桑原雅子(1995)「軍主導から民主導のR&Dへ: 科学技術研究開発ニューア メリカモデル」桃山学院大学教育研究所『研究紀要』4号、35-50。 [9] 前掲[1] II 章、79-138。 [10] 桑原雅子(1997)「ジェンダーと科学技術 I」桃山学院大学教育研究所 『研究紀要』6号、55-101。 [11] 前掲[1] II章[付録]133-138。 [12] Ziman, John (1994), Prometheus Bound : Science in a Dynamic "Steady State", (Cambridge : Cambridge University Press). 邦訳、村上陽一郎ほか (1996)『縛られたプロメテウス』(シュプリンガー・フェアラーク東京)。 Gibbons, Michael et al.(1994), The New Production of Knowledge : The Dynamics of Science and research in Contemporary Societies, (London : Sage Publications). 邦訳、小林信一(1997)『現代社会と知の創造』(丸善)。 [13] M. Heitor, et al, On the Evolution of University's Organization and Management, the First International Conference of Technology Policy and Innovation, Macau, 1998. この国際会議はその後も引き続いて行われ、新時代の大学のマネジメントの構造 変化は常に重要課題の一つである。 [14] たとえば、岩崎稔、小沢弘明編(1999)『激震!国立大学』未来社、59-64、 73-83。『科学』Vol.69 No.11(1999), 892-893.など。これらはいずれも官尊民卑 の思想に充ちている。国家権力により異端とされた学問、不要不急の学問は、む しろ私立大学によって担われた歴史は忘れ去られてしまったのか。われわれは、 1930年代から敗戦まで、多くの日本のまともな社会科学者が国立大学を追われ、 私立大学が彼らに居場所を提供した歴史的事実を忘れてはいない。

付録 アメリカの大学: 自立を支える財政構造

(桑原雅子『先端科学技術と高等教育』[1] I章4節(53-60ページ)の一部分の抜 粋。若干の修正を加えた。文献、資料等の詳細は拙著を参照されたい。)

私立と公立のあいだ

周知のようにアメリカの高等教育機関には、設置者によって私立と公立が存在する。 第2次大戦後は、大衆化の波を引き受けた公立部門の伸長が著しい。 わが国の場合は、設置者によって公私を分ければ、両者の性格の違いは歴然としてい る。アメリカの場合、教育にかんして、州は国家に相当するから、州立大学はわ が国の国立大学と同じようなものであろうと類推するのは、全くの誤りである。 そもそもアメリカの大学は、植民地時代の出発点において私立でもあり、公立で もある混然とした存在であった。州立大学は、これらの植民地カレッジをモデル として設立された。したがって設置者は州であったが、独立した理事会をもち、 州からは相対的に自立した機関であった。自立を維持するために、土地、つまり 大学の「荘園」が交付されたのである。州立大学は、この荘園からのあがりをも とに財政基盤を築いた。この伝統は現在にも引きつがれている。一流州立大学の 行動様式と財政構造は、一流私立大学のそれに極めて類似している。

自治:政策決定のダイナミクス

注目すべきは個々の大学の政策決定過程のメカニズムとダイナミクスである。学 長、教授団といった大学内意志によって、どの範囲まで決定できるのかという問 題である。すなわち、学生の入学・卒業、学位授与、カリキュラム、教員人事、 継続教育・拡張講座など社会的活動、研究プロジェクトなどの諸施策が、どこで、 だれによって、決定されるかである。米国の大部分の私立大学では、これらの事 項について教授団、学長、理事会という大学内機構が決定権をもっている(教会 など、大学外機関が決定権をもっている大学も一部にある)。つまり「自治 -autonomy」が存在する。州立大学の場合は、学士課程の入学基準については、州 の教育政策を考慮の外におくわけにはいかないが、最終的な決定権は大学がもっ ていると考えてよい。その他の事項については、私立大学と変らず大学自身が決 定権をもっている。但し、研究大学から総合大学、コミュニティカレッジへと教 授団の力は弱くなり、州や地域の委員会など大学外機構の決定権が大きくなる。

「システム」と「ディストリクト」

州立大学の場合、同じ州内のいくつかの大学が連合して「システム」とよばれる 機構を構成するのが一般的である。経営の責任は「システム」が負い、総長のも とに理事会がある。つまり、財政についての基幹部分にかんする自治権は、シス テムが担っている。教学的には傘下の各大学は独立した存在であり分校ではない。 それぞれが学長を擁している。これは、わが国の私学における学校法人と傘下の 各教育機関の関係に似ている。たとえば、「カリフォルニア大学(UC)システム」 には、バークレイ、デイビス、アーバイン、ロスアンジェルス、リバーサイド、 サンディエゴ、サンフランシスコ、サンタバーバラ、サンタクルーズの各校が所 属し、教学面ではそれぞれ独立した大学である。 なお、一般に州立大学のなかでも、UCのように University of ○○と名乗る大 学グループにたいして、○○ State Universityと称するものは、一段ランクが下 がり(ペンシルヴァニアは例外)、別個の「システム」を構成する。たとえば 「カリフォルニア州立大学(CSU) システム)。 「ディストリクト」は、「システム」のコミュニティカレッジ版である。「シス テム」は、孤立した大学を新しく傘下にひき入れ、次第に強大になり、州政府に たいする発言権を強め、自立性をたかめる。このように経営と教学を分離してい ることが、財政活動を容易にしている。

財源および財政メカニズム

高等教育機関の経常資金歳入current-fund revenue は、以下の表のように類別 される。
歳入 出所 コントロール 1. 授業料・納付金 私 自前   基金収入 〃 〃   営業収入 〃 〃 2. 民間寄付・助成金・委託研究費 〃 〃 3. 連邦政府国庫支出金  公 非自前+準自前 助成金・委託研究費 公 準自前 4. 州・地方政府支出金 公 非自前+準自前  助成金・委託研究費 公 準自前 5. その他 私 自前
営業収入は、学寮、ユニオン、競技施設など学内営業体、教育活動など公共サー ビス、病院などから上る収入である。公私立ともに全歳入の20%あまりを占め る。 「コントロール」とは、大学が外部の介入を受けず、どこまで自由裁量で金を 使えるかの目安を示している。 「自前」とは、完全に自己のコントロール下にあるもの。 「準自前」 は、公金であるがほぼ自由に使うことができるもの
[*1]。  助成金、委託研究費は教授団を経由し、大学、学科、教員で配分比率が定まっ ている(いわゆる1/3ルールなど)。 「非自前」は、議会によって支出が承認された公金のうち、用途指定のもので、 自由な使い方はできない(用途無指定の場合は「準自前」になる)。 私立と公立では三者の比率は異るが、コントロールの構造そのものは同じであ る。さらに一流州立大学は、「自前」と「準自前」をあわせた額の全歳入にた いする割合が私学とほとんど同じになっている[*2]。大学の基本資産となる基 金収入endowment income は公立、私立ともにあって、公立大学も基金をもっ ている。大学はそれを運用して、配当金や利子収入を得る。 ランドグラント大学は、その土地を農業や鉱業、その他の収益事業に活用し、 その利益をさらに債権、投資などによって運用して、基本資産を増やしてきた。 そうして一部の州立大学は、私立大学に匹敵する基金をもつに至った。たとえ ば、基金額の1位はハーバード大学であるが、2位は州立のテキサス大学シス テムである。基金による自前の教員ポストも数多く存在する(たとえば、テキ サス大学オースティン校では全教員のほぼ半数が自前ポスト)。このことが、 新しい学問の立ち上がりを容易にし、カリキュラムの革新を支えている。プロ グラム(日本ではコースに相当)の新設にいちいち州政府や連邦政府の教育省 にうかがいをたてる必要などまったくないのである。 わが国の国立大学の場合、授業料やその他の収入は国庫におさめられ、ここで いう「自前」と「準自前」は、ほとんど存在しない。近年になって、項目2) の一部がわずかに「自前」財源として認められるようになったに過ぎない。学 生の授業料や自力で得た資金の大部分は、一旦、大蔵省の金庫におさまる。オ カミによって予算化され、国庫金として配分されれば、浄化されたお金になる のであろうか。 付録注 [*1] つまり、どこからきた金であれ、もらったものは自分のもの、先方が用 途を細かく指定してこなければ勝手に使う、ということである。冷戦崩壊後、 スタンフォード大学などのあまりにずさんな準自前資金の使い方が連邦議会で 問題になった。大学所有のショッピングセンターやヨットの経費にあてていた ことが発覚し、スタンフォードでは学長が辞任した。以来、直接経費と間接経 費の比率が指定されるようになった。 [*2] Keer, Clark (1991), The Great Transformation in Higher Education: 1960-1980, (New York : SUNY Press), 34.
* 桃山学院大学教育研究所  大阪市阿倍野区昭和町 ** 桃山学院大学文学部  大阪府和泉市まなび野