
独立行政法人とは国民生活や社会の安定にとって必要な事務・事業で国が自ら行う必要はないが、民間に委ねるのでは実行されないおそれがあるものを委ねるために設けるものとされる。これまで国の機関であり、そこで働く人は国家公務員であるものを、なぜ独立行政法人という新たな制度を設けるかといえば、その直接の目的は行革の一環の公務員削減を実現するためである。
すでに国立の試験機関等が独立行政法人化されることが決まっているが、今度は国家公務員定数の大きい国立大学を独立行政法人化しようというのである。独立行政法人化はそれぞれの機関の特質を十分考慮し、機関や業務の発展のために工夫された組織改革ではないという点をまずおさえる必要がある。
独立行政法人の業務手続きは、その基本が「独立行政法人通則法」によって決められている。それによれば、独立行政法人は主務大臣の定める中期目標に基づいて中期計画を作成し、主務大臣の認可を受ける。これに基づき年度計画を立て、主務大臣に届ける。これらの計画期間終了時には、主務省の評価委員会が業務の実績等を評価し、結果を総務省の審議会に報告するが、そこでは事業の改廃を勧告できるなど、主務省、総務省の関与が認められる。さらに人事についても法人の長や監事は主務大臣が任命するなど、トップ・ダウンのシステムとなっている。会計については、企業会計を導入するとして、経済的効率性が強調され、営利事業ではないのに損益の計算をさせる。
こうした通則法に基く独立行政法人を若干手直しするために、文部省は「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」(99.9.20)
をまとめた。
その主な点は、国立大学に法人格を付与し、経営と教学を一体のものとする、中期計画期間は5年とする、文部科学省の評価委員会は教育研究の専門的事項については大学評価・学位授与機構の判断をふまえて意見を表明する、国立大学の独立行政法人の職員は国家公務員とするなどである。しかも来年度予算の概算請求の時期までに、独立行政法人化するかどうかの決断を迫っている。
以上のような、国立大学の独立行政法人化構想に対して、国立大学教職員を始め広範な大学人から厳しい批判がでているのは当然のことである。
これまで、教職員組合や個人・有志の反対声明や批判的見解、学会等の声明のほか、国立大学協会の総会を受けての蓮見会長の談話や国立大学理学部長会議の声明(99.11.10付)、同人文系学部長会議の声明(2000.3.13)
など、かつてなく広範な動きとなっている点に大きな特徴がある。こうした声明などで指摘されている国立大学独立行政法人化の問題点を整理しておきたい。
最大の問題は行革の論理からでたもので大学の論理、学術・教育の論理からでたものではないということにある。国際的に高等教育が各国の政策として重視されている中で、日本政府の動きはまったく異質である。
第二に、現在もかなり制限されている大学の自治をなし崩し、国立大学を主務大臣の指揮監督下に全面的に組み込むことになる。通則法で考える限り、この点はさけられない。
第三に、総務省の審議会は中期計画実施後の評価にもとづいて事業の改廃を勧告できることになっている。国立大学の統廃合に公然と道を開くことになる。
第四に、中期計画の認可や運営交付金の予算化などにあたって、大学審議会答申や経済政策などでいう国際競争力を付けるために役立つ技術の開発など当面の国策に沿った研究が優遇され、基礎科学、基礎研究が冷遇されかねないなど、関係者の強い不安がある。
第五に、評価がその構想のポイントとなっているにもかかわらず、評価の視点や方法などが客観的に示されず、専門家の養成が急がれるとしながら、実施を強行しようとしている点は大きな問題である。評価が恣意的に行われる可能性を排除しきれない。
第六に、独立行政法人は国の事業の実施主体であって営利事業体ではないにも関わらず、企業会計を導入し、損益計算をするという。また固定資産の計算方法は損益計算とは分離されており、減価償却費も計上されない。これからみると独立行政法人とは国の施設・機関の運営委託主体、すなわち下請け機関にすぎない。独立採算ということで、授業料の大幅な値上げも迫られかねない。この点での学生、国民の批判はきわめて強い。
第七に、国立大学の独立行政法人は、経営と教学を一体のものとするという。国立大学に法人格が与えられるという点で評価する向きがあるが、現在の制度では公立、私立とも大学・学校には法人格は認められていないのである。私立大学の場合も法人格を持つのは設置者である学校法人だけである。すなわち、設置者は法人格を持っているが、設置される大学・学校は法人格を持たない。これの善し悪しはあろうが、国立大学だけ法人格を持つというのは、国立大学だけ特別な制度原則を持たせる点で問題がある。(後述)
第八に、1国立大学1法人となると法人役員のポストが大量に生まれる点に注意する必要がある。すでに研究機関や博物館等の独立行政法人化では、59法人で288人の役員であるという。この割合で行けば国立大学全体ではおよそ450人にもなる。これは文部官僚などの天下り先になるおそれが強い。
果たして独立行政法人化は、国立大学を困難な状況からを救うだろうか。一部の有力大学にたいしては国際競争力をみとめ、政策的に豊富な予算(運営交付金)を交付することもあり得るが、そうした大学を含めて国立大学は大きな困難を抱えることとなろう。
第一に、行革の職員定数削減であるが、国立大学の教職員は国家公務員とするというのが文部省の方針であり、そうであれば独立行政法人移行直後はともかく、やはり定員削減は迫られることになろう。
第二に、大学の自治は人事、予算など様々なチャンネルを通してますます抑制されることになるだろう。特に、中期計画と実施後の評価、外部評価などは直接、教育や研究の内容に踏み込むものであり、学問の自由が大きく制約されることになる。今年度より設置が決まっている運営諮問会議や評議会もこれを促進することになろう。
第三に、中期計画といってもわずか5年であり、この間に目立った成果を上げることは大学の特質からいっても困難である。特に、基礎科学、基礎研究はすぐには研究成果や経済効果を生み出さないものが多い。中期計画や評価において成果の見えやすい課題が重視されることになるなど、大学の健全な発展が阻害されるおそれが強い。
第四に、損益計算をして剰余金についてはその法人が自由に使えるようにするというが、剰余金ができるほど「効率的運営」がされたのであれば、次の中期計画策定の際には基準経費はその分削減されることになろう。このように国立大学は今以上に経費節減の競争システムに組み込まれることになる。
第五に、独立行政法人が経営と教学を一体とすることは、運営上大きな問題が生じるだろう。学長がその両者に責任を持つということになるが、その制度的仕組みを現実的に見るならば教学より経営的観点が優先する運営に陥る恐れが一層強まるだろう。
これらの結果、国立大学を国際的な経済競争の即戦力にするために役に立つ教育と研究が重視され、教職員にとっても大学にとっても政府の政策に沿った教育研究や運営をすすめるための競争と改革に追い立てられることになる。文部省などは国立大学の自由度が高まるというがこの競争に参加する上での自由度であって、大学の自主的な判断を可能にする自由度が高まるのではない。現在、国立大学は規模や予算などで大きな格差をつけられているのであり、企業の期待や大学のある地域の経済力も大きな開きがある。この現実がこの競争の出発点なのである。旧帝大や大都市にある大学ははじめから有利な条件にあるというべきである。政府にとって好ましい成果を上げられない大学は地方移管や民営化あるいは統合・廃校のいずれかをとるよう迫られる恐れが強い。いずれにしても、独立行政法人化されることになれば、10年もたたないうちに国立大学のもっている活力と潜在力を使い果たし、国立大学の様相は一変することになろう。
国立大学の独立行政法人化の理由として私立大学との「公正な競争基盤」を作るといわれている。はたしてそれはできるのだろうか。最大の問題は独立行政法人化された国立大学は5年の中期計画にしばられることである。5カ年の計画をもつという面では計画的になるといえるが、それ以上の長期の見通しの計画はもてない。また事情が変わったときの計画変更も大学の判断だけではできない。その意味で状況の変化に対応する機動性に欠ける制度ではないだろうか。長期的に見たとき、国の積極的な財政支援なしに私立大学と対等に競争できるかどうか疑問がある。
一部の教職員や国民の間にある、法人格を持つことによって国立大学の自由裁量が広がるのではないかという期待は、文部省などの宣伝効果でもあるが、他方、現に多くの制約を持っていることからくる思いでもある。
しかし、以上検討してきたように、独立行政法人化では自由裁量の余地はますます狭くなるのである。これまで国立大学が様々な制約を持たされてきたのは、国立大学という制度上の問題よりも、予算の削減を含む文部省の様々な行政的な規制であって、やめようと思えばいつでもやめられる規制である。
公立大学や私立大学にとっても国立の独立行政法人化が行われれば、大きな影響を受けることになる。早くも公立大学の中には、設置者が「独立行政法人」とすることを検討しているというところがでている。主務大臣の権限が強くなることは、私立大学の場合、学校法人理事会の指揮が強められることになろう。今でさえ、理事会の権限が強く、ワンマン経営も少なくない私立大学で、いっそう大学の自治は制限されることになりかねない。
また国立大学と研究資金等の獲得競争が強まることになろう。教育研究の社会的開示の要求がいっそう強まり、開示された情報に基づいて補助金の査定を行うなど、国や経済界の教育研究への関与が進行することが予想される。そうなれば、大学審答申でいうような目前の経済的要求に応える教育や研究が評価され、公立大学や私立大学においては時間のかかる研究、基礎的研究はますます困難になるだろう。また経済的効率性や教育サービスの質が強調され、教員の削減などリストラをすすめる口実にもなる。
こうした公立・私立大学への直接の影響もさることながら、より重大なことは、国立大学の独立行政法人化は国公私立を含む大学についての考え方の大きな転換であることである。それは、大学は当面の経済や国策に奉仕すればいいという考えへの転換を意味する。これでは、「学術の中心」(学校教育法第52条)という大学の役割は果たせない。
1998年10月にユネスコ高等教育世界会議で採択された「21世紀に向けての高等教育世界宣言−展望と行動−」および「高等教育における変革と発展のための優先行動の枠組み」は、高等教育の使命を人権と民主主義、持続可能な開発および平和にとって重要な役割を果たすものととらえ、各国政府が国際的視点に立って高等教育を発展させるべきことを明確にした。その前年のユネスコ総会で採択された、「高等教育の教育職員の地位に関する勧告」では、大学の自治は「学問の自由が機関という形態をとったもの」として、学問の自由と自治を守ることを政府の義務とした。
日本政府はこれらの会議に参加したが、いずれの内容も国内では周知しようとしていない。これは厳しく批判されるべきであるが、まさにユネスコの宣言と勧告が日本政府の政策と大きく異なっていることを、政府自身が認識していることを示すものである。(宣言と勧告の翻訳は、日本科学者会議と東京高等教育研究所(東京私大教連内)の共同で刊行されているので、参照されたい。)
すでに見たように、国立大学の独立行政法人化問題への関係者の立ち上がりは早く、広い。各大学の教授会や教官有志、個人の声明、組合などの取り組みが進んでいる。教員の任期制問題の時には見られなかった、学部長会議の声明も出されている。
こうした中で、国立大学協会も、独立行政法人化に賛成する大学もあるといわれながら、協会として賛成を表明していないし、蓮見会長も様々に問題点を指摘している。明らかに大学人の総意は、国立大学の独立行政法人化に賛成していない。
こうした状況は、政府・文部省の独立行政法人化推進に大きな障害となっているというべきである。
3月に入って、状況の打開を模索して自民党が国立大学の独立行政法人化の見直しを始めたが、この動きも大学人の反対の強さを示すものである。もっとも、「見直し」というわりには、その実、独立行政法人という名称を使わないだけで、通則法を前提にして特例法によって一部の変更を加えるというもので、当初のねらいを変更するものとはなっていない。
すべての大学人は気を緩めることなく、反対の声をもっと強めていかなければならない。そのためには、以上で検討したような、国立大学の独立行政法人化のねらいやその結果もたらされるものについて広く、同僚、学生、国民や社会に訴え理解を求めていくことが重要である。国立大学を独立行政法人化することは、長期的に見れば国立大学の基礎体力を確実に消耗させることになり、経済界にとっても決して得策とはいえないであろう。まして、日本の社会全体にとって見れば、国立大学がますます国民から遠ざかり、一部のために奉仕する存在となっていくことである。
同時に、独立行政法人化反対に国民の広範な支持を得るためには、国民や社会にとっての大学の意義、特に国立大学が全体としても、個々の大学としても果たしてきた、また現に果たしている役割をわかりやすく伝える努力が一層求められる。そして今後どのような役割を果たしていくか、その決意を表明することが重要であろう。
教員組合、市民団体、有志などで作られた日本の教育改革をともに考える会は、今年1月に21世紀への教育改革提案を、4月には提案を説明する報告書を発表した。(いずれもフォーラム・A発行)この高等教育の部分のとりまとめを行ったが、参考にしていただければ幸いである。
現在の国立大学を含む大学の困難、貧困の主要な原因は、貧弱な高等教育予算である。文部省の教育白書でも認めるように、国民所得に対する高等教育予算の割合は先進国のおよそ半分の額でしかない。政府としてはなによりも高等教育予算を大幅に引き上げることを、行わなければならない責任がある。政府の高学費政策は、学生や親の負担の限界にきている。国際的にも無償化がめざされ、先進諸国では高等教育の学費はすでに無償または事実上無償となっているし、奨学金も給付が一般的である。
政府の高等教育政策を転換させ、日本の大学を、教職員がのびのびと教育や研究を進め、学生が経済的な心配なく学ぶことができ、国民や社会がそれぞれの必要に応じて教育や研究の成果を利用できるようものにしていくことが求められている。
ところで、国立大学の法人格をめぐっての検討が、東京大学などで始められたようである。現行制度の大学の法人格はすでに見たとおりであるが、諸外国の事例の研究も含めてこれから本格的にすすめる必要がある。
戦後設けられた学校法人の制度は、国民の教育の自由を保障し、また学校の民主的運営を保障する立場から、たとえば複数の理事をおき理事会を構成すること、2人を越える同一親族を役員にしない、卒業生を評議員に加える、設置する学校の校長を理事にするなどさまざまな工夫がされている。また戦前の私立学校は学校そのものが法人格を持っていたが、戦後の改革によってそれをやめて、現在の制度が採用された。
これは国公私立とも財政・経営の問題は主に設置者が担当し大学はもっぱら教学に専念するという考えであり、この両者が交渉を持つことで与えられた条件の中で最善の解決を見いだすという制度であって、教育行政は教育条件整備を行うという教育基本法の規定と通ずるものがある。このことの意味は十分検討されなければならない。
現在では、学校法人によって設置される学校は私立学校というとされているが、このような組織体制は必ずしも私立学校に限る必然性はないと思う。国立大学の法人格を論議するにあたって、学校法人についても十分に研究する必要がある。(拙稿「戦前期私立学校法制の研究ー私立学校の設立・組織を中心にー」「工学院大学共通課程研究論叢」第35−1号1997年参照)
(以上)