==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
2000.5.15

国立大学法人化問題の概説 Ver 0.921

辻下 徹


目次


前書き

国立大学法人化への危惧の声は多方面から上っているが、吉野川可動堰の住民投票ほどの力もなく、予断を許さない状況だ。5月13日、文部省が国立大学協会の合意を待たずに法人化へ見切り発車を決意したと報じられた。しかし、東大を始めとして大多数の大学は慎重な姿勢を変えておらず、少数の大学の浅慮が国立大学全体を国策大学に退化させることはないと信じている。 国立大学法人化問題には、多様で異質な問題が重合している。理念的には検討に値しない国立大学独立行政法人化案がここまで現実味を帯びるに到ったということ自身に、大学・学問・日本社会の諸問題が凝縮されている。以下、この諸問題について私見を述べ、みなさんが考え出すきっかけを提供できればと思っている。 公立私立大学の方々も対岸の火事と思わず、独立行政法人化の内容を少しの時間をとって調べ、民営化とは全く異質のものであることを確認しておいて頂きたい。1時間資料を読めば愕然として反対せざるを得なくなる−−これが多くの人の共通体験だ。 5月11日の自民党政務調査会の提言にある国立大学法人について説明し、その意義と代償について述べ、国立大学法人化が今なお回避できないこと自身で明らかになった危機の諸相を指摘したい。

1. 経緯

よく知られていることだが経緯を簡単に振り返ろう(詳しくは表を見てほしい)(2000年2月までの経緯は東京新聞の連載が詳しい

1997年、行政改革の努力の一環として、行政機関を適切に縮小するための装置として独立行政法人制度が創案され国家機関への適用が検討され始めた。資金援助はするが経営は自由にさせ、うまく行けば民営化し駄目ならば廃止する−−それを見極めるための過渡的設置形態が独立行政法人制度である。制度設計した委員の中に国大教員がいたことにより、国立大学への適用は回避できたと言われている。しかし1999年初頭に有馬元文部大臣が太田元総務庁長官との3回にわたる個人的会談で説得されて独立行政法人化に転向したことは広く知られている。皮肉にも、国立大学の改善に最も大きな貢献をしてきた人自身の判断により、国立大学独立行政法人化計画の歯車が動き始め、1999年9月20日に有馬氏は文部大臣として全国国立大学学長会議を召集し国立大学独立行政法人化を進める方針を表明したのであった。千葉大学文学部の7月の反対声明以来、危惧する意見が無数に生じ国立大学協会は1997年11月の反対声明を撤回することなく今日に到っている。

2000年5月9日に自民党内の合意を経た提言が出た。行革本部の意見を最優先したものとなっていて文部省が当初検討していた特例措置は形のみで実質を失われてしまった。しかし、文部省は国立大学協会の合意を待たずに個別に法人化を進めることを決定したと伝えられている。これが5月14日の段階の情勢である。

主な出来事
1997.1 橋本首相:行政改革の項目に教育改革を追加
1997.6 国会:「大学の教員等の任期に関する法律」を可決
1997.10 自民党行政改革推進本部:国立大学の民営化またはエージェンシー化の検討を開始
1997.10 町村文部大臣:国立大学独立行政法人化に反対表明
1997.11 国立大学協会総会:「国立大学の独立行政法人化反対の声明」
1997.12 行政改革会議:最終報告では国立大学独立行政法人化を実質的に断念
1998.6 中央省庁等改革基本法成立
1998.11 自自合意:25%公務員定員削減
1999.1 有馬文部大臣:太田総務庁長官との個人的会談で国立大学独立行政法人化を容認
1999.3 文部省:非公式に国立大学協会会長に独立行政法人化の検討を指示
1999.4 閣議:「中央省庁等改革の推進に関する方針」の中で国立大学の独立行政法人化を明記
1999.6 文部省:全国国立大学学長会議で独立行政法人化の検討を表明
1999.6 国立大学協会:第一常置委員会に設置形態の検討を諮問
1999.7 国会:独立行政法人通則法成立
1999.9 国立大学協会:第一常置委員会中間報告で独立行政法人化の場合の必要条件を呈示
1999.9 文部省:全国国立大学学長会議で独立行政法人化の方向を呈示
1999.10 文部省:地区別国立大学学長会議で質疑に答える
1999.11 国立大学協会総会:1997.11 反対声明を変更せず
1999.12 国会:(工業技術院・国立博物館等)59独立行政法人個別法可決
2000.3 自民党:麻生議員を座長とする高等教育研究グループが大学関係者のヒアリング
2000.4 国会:国立学校設置法の一部を改正する法律案が可決(大学評価機構が設立)
2000.5 自民党:文教部会の最終提言
2000.5 全国国立大学学長会議開催予定

2.「国立大学法人」とは何か

自民党文教部会が5月9日に提言した「国立大学法人」の概要を説明しておこう。名称に反して内容は独立行政法人通則法に基づいたものになっている。ただ、通則法では大学に合わない点を調整する法律を作ることを要求している。

独立行政法人制度についてまず説明し、後で調整を提言している点を述べる。

2.1. 独立行政法人大学

前節で述べたように、独立行政法人制度は行政機関のスリム化のために案出されたものである。その本質を理解するには特殊法人や地方自治体とのアナロジーが有効だと言われている。

特殊法人は日本放送協会・日本道路公団・理化学研究所等「公共の利益あるいは国家の政策実施上の必要から、それぞれの特別法によって設立された法人」。47万人の職員を抱え、監督省庁との癒着が問題となり行政改革当初の主要ターゲットとされていたが改革は見送られた。特殊法人に国の厳しい監督を加えたものが独立行政法人と近似的に言うことができるだろう。

「国は頭にして金主、地方は手足」と言われるが、独立行政法人監督省となる総務省の母胎は自治省であることを考えると、地方自治体との類推は類推以上の実体のあるものとなりそうである。

文部科学省は独立行政法人大学に3〜5年の「中期目標」を与える。大学は中期目標実施のための「中期計画」を立て「運営交付金」の交付を受ける。中期計画策定作業では大蔵省から綿密な指導を受けることになるはずだ。教職員の給与は交付金に含まれている。拠出根拠がある項目でも実際に予算がつくとは限らない点で運営交付金は地方交付金と似ていると言われている(たとえば、経営努力により剰余金を得ると、その分、次の中期計画期間の拠出根拠を得たことにはなるが、実際に予算化されるとは限らないのである。)。運営交付金の使用内訳は学長の裁量に任されている。学長は文部科学大臣が任命する。

中期計画期間終了後に活動成果が評価され改廃が総務省により審査される。寄付等の自己収入が増えれば運営交付金は減らされ、自立できると判断されば民営化ないし地方移管されることになる。交付金に見合う成果を挙げなかったと判定されると廃校となる。独立行政法人大学は、文部科学省評価委員会・総務省独立行政法人評価委員会の2段階で評価され総務省が最上位にある。

もう一つの焦点は独立行政法人会計基準だ。企業会計原則を独立行政法人用に調整したものだ。運営交付金は負債として計上され、教育研究活動は適当な「換算方式」に従って収益に転換され記載される。運営交付金を中期計画期間に使い終わった場合には、収益と運営交付金の額が一致すれば使命を無事果たした証しとなる。

なお、独立行政法人会計基準が適用される限り、独立行政法人通則法とは全く異なる大学法人制度が実現したとしても、大蔵省による予算を通した干渉は現在よりも遥かに直接的なものとなると専門家が警告している。

また、教育研究成果を収益に換算する方式は省令レベルで決まることであり、国立大学が法人化の是非を決断する段階では未確定であることも注意すべき点である。

国立大学法人大学

以上が独立行政法人通則法を厳密に適用した場合の独立行政法人大学だが、まさに、「国が金主にして頭、大学 は手足」である。これでは困るだろうから大学に必要な調整をすることを自民党は約束している。調整する点は 最初の項目は、「十分踏まえた内容」かどうかをチェックする機構はないので無内容である。次は、学長は大学には選ばせない、ということであり、最後は、第三者評価機関にも学術関係者以外の「幅広い関係者」が参画することを要求している。独立行政法人通則法を「大学の自治・学問の自由」のために調整するというよりは、「大学の自治・学問の自由」を独立行政法人通則法のために調整する具体的な方法を指示したものと言うことができよう。一言でいえば、国立大学法人大学は独立行政法人大学の具体化ということに過ぎない。

3. 国立大学法人化の政治的背景

国立大学独立行政法人化案が再浮上したきっかけは小渕内閣発足時の公約で定員削減が20%になり、1998年11月の自自合意によって25%になったことにある。独立行政法人化が決まっている国立研究所等の81国家機関と国立病院の職員7万人の他にあと7万人が必要でありその実現には13万人余の教職員を擁する国立大学を独立行政法人化が不可欠だったのである。このような馬鹿げた政治的かけひきから生じたことを国立大学はどうして拒否できないのか。

昨年6月、「藤田論文」(藤田宙靖「国立大学と独立行政法人制度」ジュリストNo1156)が国立大学教職員13万人全員に配付された。国立大学の独立行政法人化が決まれば定員削減10%から逃れる可能性があるので2000年7月以前に独立行政法人化を決めることに意義があることを指摘した。独立行政法人化により25%削減の一律な適用から逃れるだけでなく10%削減から逃れる可能性もある−−国立大学が独立行政法人化するための強い誘因が作られた。

独立行政法人化しない場合の「25%削減」には懲罰的な意味以外に根拠はないことはいうまでもない。25%削減は国立大学独立行政法人化を前提として出てきた数字であり、その前提が崩れたときには文部省だけ25%削減しても全体として25%が達成できるわけではないのである。

さて、独立行政法人化後には国立大学については「定員」という概念がなくなるので「定員削減」はなくなるが、運営交付金の削減により実質的には<50%定員削減>も起こりうる。それを承知で独立行政法人化を検討している大学があるのは運営交付金が増えて実質<定員増加>となる大学も有りうるからだ。

2000年の5月の現時点では、10%定員削減は独立行政法人移行時点まで適用されることとなっているだけでなく、10%削減を20%削減に競り上げた方は亡くなられ、20%をさらに25%に上乗せした自自連立も解消して、国立大学を独立行政法人化に向かわせた当初の誘因は消滅していている。


4. 国立大学法人化の意義と言われていること

しかし動きが一向に止りそうもないのは、やはり法人化には種々のメリットがあるからだ。「焼け太ろう」という動機は論外としても、部分的に見れば確かにメリットは大きい。主なものは以下のような点である。

4.1. 運営上の自由の獲得

国立大学は国が経営する学校であり経営上の権限と責任は国にある。国立大学学長には独自の判断で大学を運営する権限がなく、文部省に要求して認可を受けるという冗長なプロセスを繰り返さなければならない。文部省の担当者数は大学の数に比べれば余りに少ないため、99国立大学の多様な創意を活かす能力はない。法人格がないことが国立大学の自然で多様な成長を阻む大きな障害となっているのだ。この障害が解消されることが独立行政法人化の意義の最大の点であろう。これに付随して国立大学が今抱える運営上の多くの問題点がが解消される。

4.2. 財政的自由度の増加

現在、年度毎に予算を使いきらねばならないため、年度始めと年度末は国立大学は財政的空白期間があり研究教育活動に差し支えることが少なくない。また、予算が余っても次年度に使えるわけではない。独立行政法人化によって運営交付金を5年単位で計画して使うことができるようになる。

4.3. 社会と大学の繋がりの増大

国立大学教員は現在厳しい兼業規制を受けている。これが企業と大学の共同研究を阻むだけでなく、国立大学教官の社会的活動を制限し国立大学の存在感を薄いものにしている。法人化後は社会的活動も重要な業務となるので、大学と社会の繋がりが増し、国立大学は国民に対する多様な使命を果たすことが可能になる。

4.4. 競争原理による大学の活性化・人事の流動化

独立行政法人大学学長は業績に従って教職員の待遇を決めることができるので、真剣な競争が生まれ研究教育活動は活発になる、と期待されている。また、任期のついたポストが大幅に拡大され、教員の出入りが増え日本の知的人材が有効に動員されることになると期待されている。また、有能な研究指導者を良い待遇で国立大学に招くことができるようになることも期待されている。これらの点は、大学外部の賛成意見の中核をなすものである。

5. 国立大学法人化の代償

以上のような法人化のメリットは支払わなければならない代償によって意義が無に等しいものとなる。

5.1. 大学の発展ではなく淘汰を目的としている

国立大学が各々独自のビジョンを持って大学を運営し、独自のかけがえのない個性を持つ大学に育つ−−それを望んで進められている政策ではない。目的はあくまで国立大学全体にゼロサムゲーム(あるいはサバイバルゲーム)をさせることが、大蔵省の財政制度審議会制度改革・歳出合理化特別部会(1999.11.26)の議論から明らかである。運営の自由も、この目的のために大学に与えられるに過ぎない。独自の判断で新しい企画をしても失敗すれば淘汰されるだけなら大胆な企画は生まれようもない。

5.2. 国立大学の国策大学化

国立大学を縮小する理由の一つは、科学技術創成立国の資金を作るためだ。それだけではなく、国立大学自身をオーバーホールして「科学技術創成立国の推進装置」に組み立て直すことが目的となっている。そのための装置として、中期目標・評価による運営交付金のコントロールがある。運営の自由を得るために、運営目的の自由を放棄するのは余りに馬鹿げた主客転倒ではないか。

5.3. 大学評価機構への国家の干渉

自民党の提言では、大学評価機構に「大学関係者のみならず幅広い関係者が参画する必要がある」とある。これは、第三者である大学評価機構に、文部科学省の独立行政法人評価委員会の役割を実質に果たさせることになると思われる。これで特例措置が骨抜きになっている。

5.4. 教員の非常勤化講師化・人事の硬直化による大学の空洞化

任期制の拡大だけでなく、経費節約のため国立大学法人は企業と同様に教職員のアウトソーシングを進めることが予想される。全学教育科目の非常勤講師依存率は上がり、常勤教員と同数の非常勤教員がいる現状はさらに悪化すると思われる。

また、科学技術創成立国の視点で大学を再編成し、少数の大学の重点化が予定されているので、教育・研究環境の格差がさらに拡大され人事流動は極端に硬直化するだろう。任期制は、人事交流としてではなく研究者の使い捨てとして機能するだろう。若い時しか優遇されないような不安定な職場に、有能な若者が数多く集まるとは思えない。


6. まとめ:表面化した危機の諸相

国立大学法人化への財界の異様な熱心さは、国立大学が享受している知的財的物的資源を、世界規模の経済戦争に総動員できる期待に基づいているようだ。「死んでも種籾には手をつけるな」という古えの農民の智慧は太平洋戦争前に失われたまま、同じ愚行を繰り返そうとしている。国立大学法人化は平成版「学徒動員」なのである。財界がここまで盲目になったのは、物作り経済からギャンブル経済に移行したことによるのだろう。ギャンブル経済の基盤は数学が作ったとは残念なことだ。

国立大学法人化に熱心なのは財界だけではない。種々の<強者>の多くは潜在的推進派である。

教育界の<強者>文部省は、大学自治の厚い壁に阻まれてきた積年の高等教育政策が、一挙に実現できることに気づき国立大学法人化に熱心になった。国策分野の国立大学教員は研究費で人を雇えるようになることに強い魅力を感じている。

一部の学長や大学幹部は、5月9日の提言のような形骸化した特例措置で問題が解決されたして、次世代の知的環境への影響を危惧することなく法人化を進めようとしている。「強者」が強者の義務を忘れる末世的現象が大学でも生じるのは仕方ないが日本の陥っている危機の広がりと深さを実感する。

最後に危機の諸相をいくつか指摘して終わりたい。

6.1. 2つの価値観

目に見えぬ儚い価値を重視する<不可視価値観>と、目に見えぬ価値を信用しない<唯可視価値観>との闘いは古代より続いている。両価値観は相容れないものだが一方が他方を抹殺するとき社会は病むことは歴史を見れば例に事欠かない。現状は不可視効果を信じて行われる教育・研究活動の陣営に対する唯可視価値陣営からの激しい攻撃だ。唯可視価値観に立って大学の意義を説いても余り意味はない。国立大学法人化を巡る攻防は半世紀にわたって続けられた戦いの最終段階であり唯可視価値観が圧勝すれば日本は急速に衰退するだろう。

6.2. 無関心

不可視価値の拠点である大学が国策大学化して失われて被害を受けるのは未来の世代であり、現在大学にいて運営に携っている世代ではない。また国策分野の指導者には当然危機感はない。国立大学法人化の内包する危険性に無頓着な人たちに共通するのは他者の運命に対する無関心であろう。無関心は日本全体が陥っている困窮の正体である。痛みを覚えるはずもない人が「改革には痛みは伴う」と平然として言ってのける。
「愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。美の対極にあるのは醜さではない。無関心である。知の対極にあるのは無知ではない。それもまた無関心である。平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である。生の対極にあるのは死ではない。無関心、生と死に対する無関心である。」(エリ・ヴィーゼル「ふたつの世界大戦を超えて」(文芸春秋2000年1月号p214-217))
いまの日本では次世代が困ることが到るところで平然と行われている。次世代の運命に国民の大半が無関心になった時点で国は滅んでいるのだ。それが可視化されるのは歴史的タイムスケールからすれば瞬時だ。大袈裟なことでもなんでもなく当たり前のことだろう。

6.3. 社会からの乖離

国立大学の行末を心配する人は大学外ではほとんどいない。「国鉄や電々公社と同じように国立大学の民営化も取り沙汰される時代が来たようだ。社会では多くの人がリストラ解雇で苦しんでいる中、国立大学教職員も仕方なかろう。」といった反応しかないようだ。大学が社会の諸問題に無関心だった分だけ社会は大学に無関心なのだ。オルテガの言うような「制度としての知性」(オルテガ・イ・ガセット「大学の使命」玉川大学出版部1996, ISBN 4-472-09901-2, p67)たる大学が、国家・企業・学問以外への関心を持たない以上、政府・企業・学問への不信感に比例して大学への不信感が日本に広がったのだと言えまいか。

納税者への義務、それは、企業への貢献だけではないし学問的進歩によって国家の威信を高めるだけでもない。人々が直面している諸問題へ知的助力を惜しまないことで大学は頼りがいのある存在として認知され、民間や個人から広く財政的支援を受け真の自治を獲得していくことになる。国立大学が独立行政法人化して国策大学に退化すれば国民から頼られる大学に成長する可能性は永久に閉ざされるだろう。


終わりに

国立大学法人の詳細設計時に大学の主張を入れることができるだろうと考えている方もいるだろう。独立行政法人化プロセスが2年先行している国立研究所の経験に耳を傾けるべきだ。どこで誰が何をしているかわからない不透明なプロセスで、制度設計の細部が確定していき、最終的に手にする完成した設計図は運営の自由すらない「国は頭にして金主、大学は手足」という国策大学に過ぎないことは確実だ。法人化が決まってからが自分の出番と思っている人も、今なら1の努力で回避できることが千の努力でも回避でなくなると考えるべきだ。

5月12日の報道によれば、文部省は国立大学協会の合意をまたずに大学ごとに法人化を決めることにしたそうだ。全国に先駆けて法人化を進めようとする大学は、国立大学全体を国策大学に矮小化する流れを作る罪を負う。当該大学の教職員は執行部の独走にストップを掛け日本の大学の変質を防いで欲しい。これが国立大学に今勤務するものの歴史的使命であると訴えたい。

国立大学法人化の動きを一旦白紙に戻すことこれが目下の急務である。その上で十分時間を掛けて、入試廃止を含め大学の在り方を根底から考え直し、学問と教育の自由を支えるための運営の自由の獲得としての法人化も含めて、真の大学改革を目指して努力を開始しなければならない。