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1970年代以降加速する「大学の大衆化」は、市場原理による
競争を激化させた。その競争は、当然高等教育サービスの販売競争
という形をとるが、その場合「大学」における研究水準や、教育サ
ービスの質・内容よりも、各種の方法による知名度のアップや施設
などのハ−ド面の充実のほか、個性重視を大義名分とする選抜方法
の多様化に重点をおいたものとなっている。川口氏が指摘するよう
に、「大学」は「高等教育」というよりは「中等後教育」の水準に
とどまるとともに、事実上基礎教育や「総合知」教育の軽視、ひい
てはエリート教育に不可欠な工−トスに関わる問題の軽視に帰結し
ている。市場原理にもとづく競争は、「神の見えざる手」に導かれ
てより良い安定した教育制度をもたらす、というのはオプティミス
ティックな幻想のように思えるのである。
最後に、本書で触れられなかった日本独自の問題について、一言
しておきたい。「大学」に在籍する学生が、パートタイム労働力の
重要な供給源となっている点である。大学生のマジョリティを占め
る人文・社会科学系学部学生の大部分と、理科系学部学生の一部分
は、サービス産業を中心とする単純労働のパートタイマーとして恒
常的に労働市場に参入しており、その数は現在150万人を下回る
ことはないと思われる。しかも、かれらは、社会保険など一般の労
働者に保障されている権利が与えられていない労働力、言い換えれ
ば雇い主にとって「使い勝手のよい」労働力であり、現在では日本
の労働市場の不可欠の構成要素となっている。本来ビジネス・エリ
ート養成を目的とする高等教育機関の学生が、エリートとは無縁の
単純労働の恒常的な供給源となっている、というきわめて皮肉な事
実そのものが、田口氏のいう「新制大学の死」を告知しているとい
ってよい。この点をふくめて、現在のような形で「大学」が組みこ
まれている日本的市場経済の構造が根源的に変わらないかぎり、
「大学院大学」・「高等教育機関」・「中等後教育機関」の三種類
への「大学の種別化」と、市場原理による淘汰が進められたとして
も、日本の大学の「新新制への転生」は現実のものとはならないで
あろう。
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