==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
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教育学術新聞 2001.2.14 私学高等教育研究所より

国公立大学の「独法化」案をめぐって

村井 実


 先ころの新聞に、「小・中学校をコミュニティスクールに」といった表題の記 事が目についた。
 とっさの印象は、「コミュニティー・スクール」とは面白い、ということであっ た。多分現在の小・中学校を文部省の規制から解放して、村や町での自由な運 営に委ねてはどうかという趣旨の記事であろうと思ったのである。だがすぐに、 日本の村や町はおよそ自由に独立した市民がつくるコミュニティーなどではな いのに、そこにコミュニティー・スクールをつくろうといっても、無理な話で はないか、という疑問が起こった。戦後の一時期、いわゆる新教育の学校がア メリカにならってコミュニティー・スクールと呼ばれたことがあったが、たち まち掛け声だけに終った。この空しさの経験は、いまはもう忘れられたのであ ろうか?結局、私たち日本人の間には、自立した子どもたちの教育を本気で工 夫するという機運は、まだ熟してはいないわけだ−−と感じたのであった。
 ところで、これは小・中学校のことであるが、私はいま、大学についても同じ 問題が考えられることを痛感しているのである。
 明治以来130余年、小・中学校同様もっぱら国家利益を目的に中央集権と政 治主導で運営されてきた日本の大学であるが、その国公立大学について運営上 の目に余る行き詰まりからであろう、いっそ「独立行政法人」化してはどうか という案が政府で発想され、いま関係者の間に賛否の議論がさまざまに行われ ているということである。
 一方では大学の運営や財政に自由の度が増すことを期待して賛成するものがあ り、他方では、大学の現状に異質の要件や干渉が入り込むことを恐れて反対す るものもあるという。
 正直に言って私自身は、「独立行政法人化」ということが制度上何を意味する かには、ほとんど不案内である。だが、少なくとも明治以来の歴史と現状につ いての私の理解からすれば、上記の政府の発案やそれへの賛杏の論議を聞いて の印象は、なに、政府はいまなお日本の大学や学術を政治主導で動かそうと考 えているのか、そして人々はいまなお、この事態を、単に国公立大学の行政改 革の問題としてしか受けとめず、それ以上に、日本の教育と学問の自立と民主 の理念に関わる根本問題として徹底した体制変革を要するものとは考えないの か、ということである。‐
 日本の大学が明治の当初からいかに国家目的に応じて政治主導のもとに整えら れてきたかは、逆説的ではあるが、その事実自体に人々が無関心のままで今日 に至つたとい一つ歴史の経過によって、もっともよく知られる。
 最初は、ただ一つの大学が、東京大学として政府によって設けられたのである。 そしてやがてそれを頂点として、全国に国公立諸大学がピラミッド型に新設さ れていき、後れてそれらの社会的役割の補いとして、いわゆる私立の諸学校も また大学として認められるに至った。それが急速に膨大な数にまで拡大されて 今日におよぶという経過が生じたのである。
 これがいかに国益を目的とする政治主導の成り行きであったかは、この経過自 体がよく物語っているわけである。そしてその経過が、まずもって人々の自立 の活動として生まれた欧米各国での大学と学問の成立事情に比していかに異様 であったかも、ここに同時に現れている。釈明すれば、それは遅れて近代化す ることを迫られた日本にとっての運命的な選択であったということになろう。 だがそこから、この経過の異様さを、日本人自身が、政治家はもちろん大学関 係者たちでさえ、つい気付かないという結果が生じたと思われるのである。
 しかし私は、いまや私たち日本人は日本のこうして成立した大学体制、あるい は高等教育と学術体制の異様さを、国民をあげて認識しなければならないと思 うのである。
 政治家たちは、大学の教育や研究のあり方を国益を目的に決定してきた過去の 姿勢を反省して、真の国益というのは、国民が大学において極力自由にその教 育と研究とに従事ずるところに生まれるはずのものであったことを知らなけれ ばならない。教育や研究については、そのあり方を考えるのも決定するのも、 政府ではなくどこまでも大学目身でなければならないことを知らなけれぱなら ない。大学の「独立行政法人化」という今回の発想にしても、政府にそういう わきまえがあってはじめて、発想が積極的な政治的意味をもつといえるのであ る。
 だがそうなれば、この「独立行政法人化」という発想については、過去の大学 体制の克服という意味で、とくに重要な二つの要件が含まれていなければなら ないことになる。
 一つは、すでに上記の議論でも明らかなことであるが、教育と学術研究とを政 治から独立する働きとして確実に保障するということである。
 振り返れは、明治以来の日本の教育と学術研究は、いわゆる殖産典業・富国 (強兵)という国益を目指してまさに「政教一体」とも呼ぶべき建前で推進さ れてきたといってよい。だが、今後はその「政」と「教」とがすっきりと分離 され、それぞれに独立して協調の働きを展開することにならなければならない のである。
 もう一つは、国公立大学と私立大学との区別は、もはや完全に取り払われなけ ればならないということである。今にして思えば、明治の当初に官学というも のを政府がわが物顔に設けたこと自体、まさに維新政府のエゴイズムの現れで もあったのである。私塾や私学はしはしは邪魔者として見られた。そこへ社会 の進展とともに、次第に私学を補助として認めざるを得ない情勢が増大して、 やがて国公立と私立という、いわは正副の二本立てをもって教育体制が整えら れるという結果が生じたのである。
 歴史上この二本立ての体制に馴れきって育った私たちは、世界中多くの国に同 じ二本立ての体制が見られるではないかという印象をもつかもしれない。だが、 注意しなければならないのは、この「公」と「私」の発生の歴史的順序、ある いは序列の正副のありようである。「私」が先立ち、やかて「公」がそれを補 うというのが欧米諸国の通例であった。日本の場合との大きな違いがそこにあ るのである。そしてこの事実が、いまや画一性・硬直性を嘆かれる日本の教育 と、創造性と多様性の貧困を指摘される学術とに共通する、ひそかな根本原因 として真剣に反省されなければならないのである。
 また、これは無意味に醸された国民的怨恨ともいうべきものであるが、明治以 来今日に至る間に、私学がどれだけ政府による差別に泣かされ、経営上の不当 な労苦を強いられてきたか、また、そこに学んできた多くの学生たちが身分上・ 経済上の差別処遇にいかに苦しんできたかも、忘れられてはならない。
 この実情は、たまたま国公立の学校に学ぶことのできた一部の人々や、そこに 育ってそのままそこに働くことになってきた大学教師たちの多くにとっては、 ほとんど想像もおよばないこどであったろう。あるいはこの意識されない事実 が、現在の国公立大学の「独立行政法人化」問題をめぐる論議の奇妙な低調さ に反映しているかもしれないのである。
(本稿はへ慶応義塾大学名誉教授の村井実氏にご執筆いただいたものです)