==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
朝日新聞2001.3.5 朝刊

梅原猛「みんなの夢 泥靴で踏みにじられた」

文化勲章を受賞した梅原猛さん(75)は、KSDと政官界が大学設立をめざし動き出した後、総長への就任を依頼され、「背後でそんなことが行われているとは夢にも思わないまま」に、新しい大学の創設に情熱を傾けていった。だれがどのように接触し、何が起こったのか。その経験と現在の胸中を語ってもらった。(編集委員 佐田 智子)
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官僚OB厚遇に怒り

−−吉関氏や政治家との接点は。

翌年行った時に古関さんを紹介された。設立議員連盟もあると宴席を設け てくれ、村上正邦さんらに会った。応援団がいるので、先生、自由にやっで下 さいというようなことだつた。ところがだんだん私と野村さんと、古関さんや 労働省OBの財団専務理事との話が合わなくなってきた。
 最初は大学の名称。僕は国際とか技能とか二字の漢文化の時代はもう済んだ。濁らない大和言葉が新鮮に響く。「ものつくり大」でいったらと提案し、教員の間でまとまつた。
 古関さんが会いたいと言って来て、「国際技能工芸大」にしたいと。彼の財団の名前を大学名にして、影響下に置きたいと思ったんでしょう。僕は、その名はまことにわかりにくい、学生来やへんと言った。
 古関氏は譲らん。私は筆一本で飯を食ってきた。言葉のことは、あんたよりわかると言っで決着した。99年の秋ごろです。

--豊田氏を会長に、大学の設立準備財団は同年2月に発足していた。

建設予算は国と地方が各60億。民間の寄付も69億見込んだが4億も集まらん。夏ごろ野村さんが京都に来て、体育館も冷房もない。労働省に再三かけあってだめで私は降りますと。で、上京し増額を頼んだ。古関さんと政府筋を回り当時の森幹事長にも会ったが「それはだめだ」と。これでは責任が取れないと、労働省に辞めますと言つた。
 課長と局長が追いかけてきで、冷房や食堂はとにかくつくる、思いとどまつでほしいと。しばらくしで、20億も増額になったと聞いた。しかも私たちは反対で、古関氏が進めていた寮の建設予算がついていた。
 本当に怒ったのは、教員選考をし、事務職員を決めるころです。専務理事に野村さんが、責任者の自分に経理を見せてくれと何べん要求しても見せない。学長予定者の野村さんは常勤で年七百万。専務理事はその三倍で宿舎に財団の車を使う。労働、通産、建設、文部省OBの理事、職員らも一千万を超す給料だ。
 文部省に提出する大学の組織図も、総長、学長中心の組織図を書くと、理事会申心の組織図に書きかえてくる。事務局や理事会が支配する大学はありえない。予算は国立並みなのに、大学の体をなしてない。


いい大学にしたい

−−私大なのに国や県市の補助金が約150億円、割合が非常に多い。

各官庁が抱える大学校に近いものを構想したんじやないか。労働省OBを送り込み、労働省にたくさん金を出させ、KSDを大きくする、古関氏の狙いはそれだったんじゃないか。
 とにかく大学に対する考えが違う。教員連絡会で専務理事にただし、私が辞めるかあなたが辞めるかだと言った。2,3日後に労働省が、新しい事務局長候補を送ると言ってきた。
 これが去年の六月。野村さんと私が指導する形になり、ようやく落ち着いた。
 ロボットのような総長と学長が欲しかったんだろうが、誤算だったろうな。
 逮捕される直前、古関氏は、議員立法で、ものつくり大だけに技能士の国家免許を与える法案を作ろうとした。ものつくり大だけなのはおかしいと野村さんや私は強く反対した。 ・・・

−−ものつくくり大学は今後どうなるのですか。

世界で初めてのものつくりを根本的に考える大学なんですよね。職人の技術を受け継ぐだけじゃなく、機械を操ってものをつくる喜びを知り、創意工夫を働かせ、新しい技術を創造していく。教員の六割は日立とかトヨタとか現場出身者。授業の半分は実学です。
 身体で迷った時もあるが、今は心が決まった。知らなかったことはアホやし、ドン・キホーテですね。だけど、結果的にKSDとの関係は切れ、自由な大学ができる。どんなことがあっでもいい大学にしたい。来年は15年ぶりに私も講義をします。現代の人間の生きる指針になるような「ものつくりの道徳」をやさしい言葉で語りたい。