
研究機関としての国立大学しかし、教育と研究を明確に分離することも難しい。それは一つには後継者を 育成しながら研究する必要があり、また、教育を行うことが研究の促進になっ ている、というニつ間のバランスに留意する必要がある。研究においても、研 究機間を助成するのか、研究を助成するのかが問題となる。特定の研究を助成 することは、国家にとって必要な研究を促進することに有利である反面、研究 には非常に長い期間と費用がかかる。となると、各学問の伝統の中で幅広く促 進しておく必要もある。 ある必要とみられた議論が意外に長持ちしなかったり、見捨てられていた学問 が急に注目を集めたり、急に発展することも珍しくない。また、他の学問を理 解することはきわめて難しく、それぞれを評価することの難しさは否定できな い。したがって、ある程度のバラマキ的な要素も否定できない。しかし、研究 機関支援だけでなく、研究支援を行うことで予算,研究資源の効率的活用が可 能になろう。 研究を支える基金いずれにしても、高等教育ももっと自由に機能できるものでなければ、本来の 役割も果たすことができない。価値財的性質の強い高等教育と公共財的性質の 強い研究を同特に行わせるためには、たとえ民営化によって私立大学化したと しても、同時に研究を支えるための基金が必要になる。 大学に基金を持たせて、その収益で運営しているアメリカの大学は、その機動 性と自立性を同時に兼ね備えている。たとえば、現在の経費を一定率で割り引 いた交付国債を交付して、その運用益で大学を運用することとし、特別会計で なく一種の会社としてその内容を大学に委ねることも一つの方法になる。いわ ゆる教授等の給与の資金(教授の給与はチェアーの基金から出される)ととも に基本的な研究費用も基金の運用益から供給されねばならない。交付国債であ れば国債の利子が収入となる。学問の自由と国家予算との矛盾から解放される ためにも有効な手段となろう。 このように高等教育・研究分野にも、競争原理を持ち込むことになり、より効 率的な教育・研究を可能にしていくだろう。一般に考えられている民営化論―‐ 学生の授業料で大学を運営しろというのは「私立大学」ではなく「専修学校」 の発想である。新しい時代をつくる発想から改革を考えねばならない。」 |