報告要旨

伊藤 正貴
「米国における日本人移民排斥への対抗運動についての一考察 —1920年カリフォルニア州外国人土地法制定前後の運動を中心として—」
     カリフォルニア州では1920年、日本人への借地権を否定する外国人土地法が住民投票によって成立する。本報告の課題は、同法成立前後の時期において日米の政府・民間団体がどのような連携の下にどのような対抗運動を行ったかを、日本側の対応を中心に検証することである。これら諸州談の土地法への対応を包括的に分析した研究は管見の限りでは存在しない。土地法案成立阻止運動の際、サンフランシスコ総領事・ロサンゼルス領事は在地の日本人移民の自治的組織である日本人会に対し、資金供与や対抗運動の具体的施策の指示によって強い指導力を発揮していた。またまた啓発運動員と呼ばれる宣伝工作員が総領事館・領事館に所属しており、在地のキリスト教団体と連絡を保って演説・意見の公表などの対抗運動を行っていた。一方日本においては、渋沢栄一を中心とする民間団体である日米関係委員会が原内閣と密接な連絡を保ち、反排日派の米国側団体への協力を求めるなど排日気勢の緩和に努めた。渋沢ら委員は原内閣に対して排日解決に向けた有識者協議の開催を迫り、政府もそれに同意したが、幣原駐米大使の強硬な反対により結局米国側への提議は為されなかった。また在外公館と本省との間にも対抗運動の方針に関して意見の衝突が存在していた。 土地法への対抗運動を通じ、第一次大戦前から存在した日米の民間有志による排日問題解決のための連絡はさらに密接なものとなり、1921年の渋沢の渡米を期に東京−ニューヨーク−サンフランシスコの民間団体による排日対抗ネットワークが形成される。ワシントン会議を機として渡米した渋沢は、ニューヨークとサンフランシスコにおいて財界人・宗教関係者などの民間有力者と会見し、移民問題解決に向けた日米間の民間ネットワークの緊密化を訴えたが、こうした活動には日本の在外公館が協議に参加するなどの形で関与していた。1924年移民法成立の際にはこうした民間ネットワークが機能し、日本側・米国側の民間団体は共に連絡を取りながらそれぞれの政府に日本人排斥条項挿入阻止を訴えた。清浦内閣は民間有力者の米国派遣及び有識者会談を事態の打開策として最後の局面まで考慮しており、その意向は渋沢ら日米関係委員に伝達されていたが、埴原駐米大使の強硬な反対によってここでも米国側への提議がなされることはなかった。
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