ヨーロッパ大学めぐり (2001年1月〜2月)

 大学発祥の地、ヨーロッパに行くことは、大学研究家として当然の使命である。私は満を持してヨーロッパの大学を訪問することにした。今回は3カ国9大学を見学した。

イタリア
  →フランス  →ドイツ 【おまけ】ヨーロッパ鉄道の旅
【ローマ(ROMA)】

 まずはヴァチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂を見学。小生キリスト教にはあまり関心がないが、荘厳さと壮大さに圧倒された。隣のヴァチカン美術館ではシスティーナ礼拝堂でミケランジェロの「最後の審判」を堪能。天才の仕事ぶりを見る。とくに天井の神がアダムに命を吹き込む「天地創造」はいつまでも見入ってしまうほどの傑作だった。見学後は地下鉄で移動し、私の隠れ趣味「著名人の墓めぐり」でアウグストス帝廟へ行く。朽ち果てた土の建造物はアニメのラピュタのようだった。トレビの泉の近くには日本語が文字化けしないインターネットカフェがある。書きこみはローマ字だが。その隣の店のイタリアンジェラートアイスは驚異的にうまい。

 「コロッセオ」ではローマ兵の襲撃を受け、記念撮影代として5,0000リラ(約2,500円)奪われた。皆さんも現地へ行ったらお気をつけ下さい。他には映画「ベンハー」で有名な馬車競技場跡地「チルコ・マッシモ」や「ローマの休日」の「真実の口」を見た。市内観光はこれだけで、あとはローマ大学(Citta Universitaria)を見に行った。市街地にあり、中央駅のテルミニ駅から地下鉄で2駅と便利。鉄筋の巨大な校舎が立ち並ぶキャンパスで、出会った日本人留学生の助けを借りて大学案内入手。売店や書店を見た。日本の大学でいうと筑波大学のような雰囲気で、緑の中にビルが佇んでいる感じ。日本の大学の雰囲気に近い。この後に見た大学に比べると普通っぽかった。学生のビラも沢山貼ってあった。夜に食べたバジルたっぷりのPIZZAはおいしかった。ちなみにローマ大学のキャンパスは数カ所に分かれており、私が見たのは「大学都市」と呼ばれるメインキャンパスだけである。

ローマ大学
1303年創立 
建築学部、経済・商学部、薬学部、法学部、工学部、文学・哲学部、医学・外科医学部、心理学部、数学・物理・自然科学学部、政策科学部、統計学・人口統計学・保険統計学部、社会学部、公文書管理・図書館学部、航空宇宙工学学部の14学部。
ローマ大学

【ボローニャ(BOLOGNA)】
 イタリアの新幹線ESI(ユーロスター・イタリア)でイタリア北部の都市ボローニャへ。ボローニャ大学
(Universita di Bologna)は1088年創立(なんと914年の歴史)の世界最古の大学で、大学研究人にとって聖地と呼べる場所である。駅から市の中心まで中世の煉瓦建築の中を歩く。日本人らしきバックパッカーがいたので話し掛けたら韓国人学生だった。オレンジを頂いてしまった。誰だか知らないがありがとう。いつか韓国の大学も見に行きます。

 ボローニャ大学は狭い路地にあった。見た目は町の景色と変わらない古い建築だが、階段教室で学んでいる学生を見て大学であると確認。併設の博物館には動物の骨が展示してあった。図書館に入ろうとしたら荷物をロッカーに入れるようにと(イタリア語で)言われ、素性を聞かれたので説明して英語のできる人に図書館を案内してもらった。近代的な新館は個々の勉強机にライトが有り学生が勉学に励んでいた。OPACの前に連れて行かれて「どうぞ本を検索してください」と言われたが、図書館の見学が目的だと告げると「旧館を見せてあげましょう」といわれて図書館旧館へ。ここは凄かった。建物の古さもさる事ながら、驚いたのは2階建て本棚。天井が高いので階段を使って2階の本棚に行くこともできる(図書館職員のみ)。また、通された部屋は教会風建築の図書館だった。教会として使われたことはないとのこと。どうして教会の姿をしているのですかと問うと「当時はこれしか建築様式がなかった」いつの時代だ? 荷物をカウンターに預けてしまったので写真は撮れなかったが、この教会型図書館は一見の価値がある。日本人観光客でここに入った人はほとんどいないだろう。蔵書もとても多く、大学の発祥の学問である神学書、法学書などが多くあり、モーゼ像があった。やはり世界最古と言われるボローニャ大学。私が見たのは世界最古の大学図書館だったのだろうか? ここでは図書館に圧倒されてしまい他の建物はあまり見ないで終ってしまった。

【フィレンツェ(FIRENZE)】
夕闇迫るサンタ・クローチェ教会

 フィレンツェはルネッサンス発祥の地。まずフィレンツェの象徴ドオモ(花の聖母教会=サンタ・マリア・デル・フィオーレ)を見る。写真で見るとたいした事なかったが、実物はやはり凄い。非常に美しい。でもクーポラ(円蓋)に草が生えていた気が・・・。中世の自由都市時代に市民が議論していたシニョリーア広場や、橋の上に貴金属店が建ち並ぶポンテ・ヴィッキオから見たフィレンツェの街は絵のように美しい。なぜ日本の町並みは美しくできないのだろうか。サンタ・クローチェ教会はガリレオやミケランジェロやマキャヴェリも眠る墓マニア必見の地。ドオモよりもこちらのほうが内部装飾が多く規模も大きい。フィレンツェ大学(Universita di Firenze)は金曜の夜ということで閉まっていたが、警備員に大学案内を貰ったので見学校に加えさせてくれ! ボローニャ大学同様古い町並みに溶け込む歴史的建造物のような校舎だった。あとはアカデミア美術館でミケランジェロのダビデ像を見た。フィレンツェは実に素晴らしい。美しすぎる。芸術を志すものは絶対に行かねばなるまい。

フィレンツェ大学
1321年創立
農学部、建築学部、美術学部、経済学部、教育学部、工学部、法学部、数学・物理・自然科学学部、医学・外科医学部、薬学部、政策科学部の11学部。

【ピサ(PISA)
 雨だが空は明るかった。駅からバスで斜塔を見に行く。なぜか中国・韓国人観光客が異様に多かった。斜塔ばかり有名だがガリレオが振り子の原理を発見したと言われるドオモも荘厳で大変美しい。また、芝生が広いのでフィレンツェの教会以上に絵になる。斜塔から歩いて10分ほどのピサ大学(Universita Degli Studi di Pisa)はガリレオが教鞭をとってた大学。校舎は例によって町の一角に溶け込んだ歴史的建造物で重厚だが、狭すぎる。大学の周辺は学術書を扱う本屋が多かった。

【ジェノヴァ(GENOVA)】
 コロンブスの生まれた街だが、宿泊しただけで観光はほとんどしていない。港町ということもあり雑然とした雰囲気で非常に治安の悪い空気があり、あまり町を歩かなかった。王宮は入場料金が要るので入らず(ケチ)、さっさと寝た。日本のマンガ専門の本屋があったのは笑えた。翌朝テレビで「一休さん」をイタリア語で放送していたのには萎えた。

フランス
【パリ(PARIS)】

 パリは物価が高くいい思い出が無い。凱旋門に登ったがエレベーターが無くてしんどいし、エッフェル塔は入場料が高いし、ベルサイユ宮殿はパリ・モンパルナス駅からわざわざSNCF(フランス国鉄)で行った割には規模が小さくて盛り上がらないし(でもルイ14世やマリー・アントワネットの絵を見たので無駄とはいいませんが)、インターネットカフェも高いし、日本料理店のラーメンも高いし、安宿も高いし、ルーブル美術館は定休日だし、パリ大学の図書館には入れてもらえないし(写真を撮って持ってくれば入れてやるといわれたが、あまりにも面倒なので割愛)、まあ、そんな感じです。

 パリではパリ第1〜第7大学を見た。これはもともとパリ大学という総合大学だったものが学部ごとに独立した大学になっているもので、中でも文学部・人文科学部の第3・第4大学は別名ソルボンヌ大学と呼ばれフランス大学界の最高峰に君臨している。ソルボンヌの周辺はカルチェ・ラタンと呼ばれる学生街だというので期待していったが重厚な建物があるばかりで学生街という雰囲気はいまいち感じられない。セーヌ川のほとりサン・ミッセル・ノートルダム駅かクリュニー・ラ・ソルボンヌ駅から徒歩5分。ゴシック建築(か何か知らんが)の石造りの宮殿のような校舎だった。内部は長い廊下の両側に教室があり、時計台のある中庭は大学とは思えない聖堂のような雰囲気で、大学内にチャペルもある。隣のパリ第1大学の校舎の1階には自販機や軽食堂があり、フランスパンにハムやチーズを挟んだものを売っていた。隣の図書館は写真がないので入れず。そこから徒歩5分ほどのところにあるパリ第6・第7大学は理学部などがあり、30階建ての高層校舎を始め鉄筋校舎が集まっている近代的な大学だった。そんな感じでパリはたいして面白くなかったので語ることはない。物価の高いフランスを脱出してドイツに逃げた。

ドイツ

【ハイデルベルク(HEIDELBERG)】
ハイデルベルク大学。学生牢もこの中にある。

 パリ東駅から国際急行「モーツァルト号」ウィーン行きに乗り、ストラスブール経由で5時間かけてドイツのハイデルベルクへ。歴史と伝統あるドイツ屈指の観光地ハイデルベルクには、ドイツで一番古いハイデルベルク大学がある。ハイデルベルク駅から路面電車でビスマルク・プラッツに行き、中世の古い町並みを歩いて10分程で到着。ハイデルベルク大学(Universitat Heidelberg)は1386年創立。日本の大学のように近代化が目的で設立されたのとは訳が違う長い歴史を持っている。最も古い校舎「旧館」はバロック式建築で1712年建造。1886年の大学創設500周年(!)記念にできた講堂「アウラ」はキリスト教美術館のような華麗な装飾。また、独自の大学法により治外法権の大学内では、学内の犯罪も大学自身によって裁かれ、大学生達が入った「学生牢(シュト
デンテン・カルツァー)」が残っている(1914年まで使用)。学内で不正行為を働いた学生を2〜4週間監禁した。6畳間に机とベットがあり、壁は落書きだらけだった。ここは入場料を払って見ることができるが、とても面白いので是非ハイデルベルク大学へお越しの際は学生牢を見ていただきたい。

 現在9学部3万人がこの大学で学んでいるが、人文系をのぞくほとんどの学部は郊外の近代的なキャンパスに移転している。それでも旧市街の大学は今でも精神的には大学の中心であり続けている。1903年建築の大学図書館は地下1階、地上5階建て。エレベーターもある。この図書館はパリ大学と違い誰でも入れる。ただし、大きい荷物はコインロッカーに入れて入館する。ドイツ語の本が中心だが、貴重な古写本も収蔵している。ただし、中世の戦争で戦利品としてローマ皇帝によってヴァチカンに運び去られた大量の古書は未だに返還されていない(いつの話だ)。蔵書検索用PCも多く、インターネットもできるが日本語のページは文字化けで読めなかった。
 なお、ハイデルベルクでは学生食堂を発見。ドイツ料理の数々を味わったが、メニューは日本よりも少なく軽食程度のものしかない。それと、学食に隣接してインターネットカフェがあるのはいいが営業時間が短すぎる(10:00〜14:00)。

 この大学に拙著を寄贈したのですが、日本人留学生の意見に従って、大学付属図書館ではなく、東洋学部日本学科の学科図書室に寄贈しました。寄贈に際し日本学科のDr.Wolfgang Seifert(ヴォルフガング・ザイフェルト)教授には多大なご尽力を賜りましたので、厚く御礼申し上げます。

 ハイデルベルクは大学もさる事ながら街自体も大変に美しい。1日しか滞在しなかったのは痛恨の極みだ。


【ミュンヘン(MUENCHEN)】

 ミュンヘンではミュンヘン大学(ルードヴィッヒ・マクシミリアン大学)を見学。ハイデルベルク大学のヴォルフガング教授にミュンヘン大学日本学科(Japanologie)の住所を伺い、ミュンヘンで宿泊したYMCAの人に道を聞いて地下鉄、路面電車を乗り継いで到着。日本学科だけ本校からえらく離れている。ここでは日本学科の教授であるDr.phil.Klaus Vollmer(フォルマー・クラウス博士)にお会いして拙著をお渡ししたのだが、彼は「僕は会議で忙しいので」といってすぐ去ってしまったので、図書室に寄贈できたかどうかは不明である。

ミュンヘン大学日本学科ホームページ

 大学の本部キャンパスは地下鉄(Uバーン)のUniversitat駅の真上にある。重厚な石造りの校舎で図書館も広くて大きい。ここではPC室を発見したが、パスワードがわからず使えなかった。
 ミュンヘン市内ではネオゴシック様式の市庁舎(1867年)とルートヴィッヒ2世の廟がある聖母教会(1468年)を見た。雪の降る町に教会の鐘が鳴り響いたりしてロマンチックだったなあ(遠い目)。


 ミュンヘンから鉄道で2時間の
ノイシュヴァンシュタイン城にも行ったが、雪が積もっていて狂気に近い美しさだった。城を造ったルートヴィヒ二世は冬の城を最も好んだと言われており、私は最高に美しい城を見る幸運を得た事になる。しかしよく観光パンフに出てくる写真は山の上から撮ったもので、実際に現地に行くとあの角度から城を見ることが出来ないのは詐欺だろ。

【ベルリン(BERLIN)】


 最後の見学地ベルリン。ドイツの中では歴史の浅い町で、ベルリンのターミナル駅であるツォーロギッシャー・ガルテン駅の前に建つカイザー・ヴィルヘイム教会(第二時大戦の爆撃で破壊されたまま修復されていない)やベルリンの壁に象徴されるように戦争の傷跡が色濃い街だ。ここではまずフンボルト大学を見学。

フンボルト大学
1810年設立 学生数 約3万2千人
在学した著名人(学生・教員) アインシュタイン、マルクス、ビスマルクなど

法学部
農・園芸学部
第一数学・自然科学部(物理学、生物学、化学、薬学)
第二数学・自然科学部(数学、情報学、心理学、地理学)
医学部
第一哲学部(哲学、歴史学、図書館学、ヨーロッパ民族学)
第二哲学部(外国語学、ドイツ学)
第三哲学部(社会科学、アジア・アフリカ学、文化芸術学)
第四哲学部(教育学、リハビリテーション学、スポーツ科学)
神学部
経済学部

 フンボルト大学の校舎はドイツ帝国時代の宮殿を使っている。ゼミ室、PC室、図書館などはそれぞれ別の建物。大学からフリードリヒシュトラーセ駅を挟んで徒歩5分の所にフンボルト大学日本学科の付属施設である森鴎外記念館がある。月〜金の10:00〜14:00と開館時間が短いが、入場無料で、森鴎外の実際に住んでいた部屋が再現され、森鴎外の娘がフンボルト大学の学長に宛てた手紙や、著書や、「舞姫」の原稿などが展示されている。ほかにも日本語の新聞が読めたり1988年に映画化された「舞姫」の写真があったり(森鴎外役が郷ひろみ)なかなか面白い。入場無料だがフンボルト大学も苦しい経営を強いられているのでおみやげにフンボルト大学グッズを買って差し上げてください。それと、館員は日本人ですので安心です。
 森鴎外記念館から徒歩10分ほどのところにはフンボルト大学日本学科の校舎があり、4階建てで中には教室、研究室、図書室などがある。図書室はかなり充実しており、寄贈すべき自分の本が手元にないのが惜しかった。教室では授業で日本語を学ぶ学生がいて、ビデオをみて一生懸命会話を発音している

再現
「すみません、上田一丁目はどちらですか?」
「この角を右に曲がって、3つ目の信号を左です」
「ありがとうございます」

こんな感じの会話を先生(ドイツ人)が読んで学生達が変な発音で練習している。なんか笑える風景だが、自分達もそうやって英語を学んでいたわけだし、こんな極東のマイナー言語を学んでくれるフンボルト大学の学生には深く感謝してしまった。

ベルリンの壁
←これです。

 ベルリンは雪で歩きにくかった。ホテルのあるツォーロギシャー・ガルテンから鉄道でフリードリヒシュトラーセ駅に行き、歩いてベルリン大聖堂を見に行くと、鐘が鳴り響いていた。中には10mぐらいの巨大なパイプオルガンがあり、私が入った直後にいきなりミサが始まって私以外の人が全員聖書(?)を持って賛美歌を歌い始めてびびった。聖歌隊によるドイツ語のアカペラ賛美歌もタップリ聴かされてとってもプロテスタントまみれになってしまった。
 教会を出て、「ノイエ・ヴァッヘ」を見る。ここは戦没者祈念堂で、日本語の追悼文もあり、警備員がいる。石造りの部屋の中には死んだ息子を抱いた母親の銅像があり、花が手向けてあった。銅像の部分だけ天井が無く、そこだけ雪が降り積もる様子は鬼気迫る美しさだった。

【追悼文】

ノイエ・ヴァッヘは戦争と暴力支配の
犠牲者を追悼し
記念する場所である。

我々は追悼する、
戦争によって苦しんだ諸民族を。
我々は追悼する、迫害され、
命を失ったその市民達を。
我々は追悼する、
世界戦争の戦没兵士達を。
戦争と戦争の結果によって
故郷において、また捕虜となって、
そして追放の際に命を落とした
罪なき人々を。

我々は追悼する、
幾百万の殺害されたユダヤ人達を。
我々は追悼する、
殺害されたシンティとロマの人々を。
我々は追悼する、
血統や同性愛の故に
或いは病気や身体の弱さの故に
殺されたすべての人々を。
我々は追悼する、
生きる権利を否定されて
殺害されたすべての人々を。

我々は追悼する、
宗教的或いは政治的な信念のために
死ななければならなかった人間達を。
我々は追悼する、
暴力支配の犠牲となり
罪なく死を迎えなければならなかった
人々を。

我々は追悼する、
暴力支配に対して抵抗し
その命を犠牲にした
女達や男達を。
我々は讃える、
良心を曲げるよりはむしろ
死を受け入れたすべての人々を。

我々は追悼する、
一九四五年の後に
全体主義的独裁に反抗し
迫害され、そして殺害された
女達や男達を。

 「ベルリンの壁記念館」もそうだが、ドイツの戦争に関する展示って、どうしてこうも「カッコイイ」のかねえ。日本だとひたすら悲惨なだけだが。本当にドイツは見せ方がうまい国だ。


地下鉄に乗り、コッホシュトラーセ駅で降りると「ベルリンの壁博物館」。まさに壁があった所に博物館があり、検問所が残っている。博物館は写真や映像が中心だが、それらを見ていると冷戦というのが随分遠い時代のような気がした。そこから徒歩5分の所には壁が残っている。壁の絵は削られて売られている。他に壁が残っている所はほとんどなく、今や東西ベルリンの境はほとんど分からない。ブランデンブルク門は改修中で絵にならなかった。ジーゲズゾイレ(戦勝記念塔)は綺麗なので見に行こう。

ジーゲズゾイレ。黄金の天使像。

Technische Universitat
フンボルト大学には工学部がない。そのかわり(?)ベルリン工科大学がある。1879年にロイヤル・テクニカルカレッジとして誕生。55学科に30,600人の学生、留学生も5,750人いる。キャンパスはフンボルト大学の何倍も広く、近代的な高層校舎が林立している。校舎の中に昔っぽい中庭を復元してサモトラケのニケが飾ってあって渋かった。さすが理系、日曜なのに学生が多かったが、カフェテリアが閉店していたのが残念。

そんな感じでヨーロッパの旅は終りましたよ。帰国予定日に雪で飛行機が飛ばす、ベルリンで1日足止めをくらいましたが、おかげでテレビで「風雲たけし城」を見ることができました。 完


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