アオザイを着た女子高生が自転車に跨って颯爽と走っている。なぜか野球帽を被ったのがいる。バイクに2人乗りしているのもいる。土埃の混じった熱風が純白の布地を吹き抜ける。
「もう駄目だ。写真に撮りたい」「バレないように俺を撮るふりをして撮ってくれ」 何も無い街角で意味も無くポーズを取る俺。カメラを構える友人。まさに今、隠し撮りをしようとした時、自転車の彼女はこっちを見て言った。
「ハロー!」
バレまくっている・・・。
  
    
HENGAPLAI  2001年3月

ホーチミンシティ
ベンタイン市場

 3月のホーチミンは30℃。照りつける陽射しは強烈で、一日歩いていると日射病になりそうだ。お昼になると人々はその辺で寝たりハンモックで寝たりしている。道はバイクに支配され、3人乗り4人乗りは当たり前。バイクの前を2輪の荷台にして6人も乗せた恐怖の改造バイクまで走っている。信号はあってないようなもの。バイクの洪水を横断するしかない。あっ、バイクがぶつかった。喧嘩してる。バイクは25万円もする貴重品なので必死です。二人乗りの自転車がコケました。道端の屋台にぶつかってマンガみたいな擬音が響き渡る。

 なんて騒々しい国だ。暑い。暑い。大音響で変な音楽を流しながら軽トラが走っていく。埃っぽい。ヌクマムなのか尿なのかわからない異臭が立ち込める。シクロやバイクタクシーの兄ちゃんがさっきから「乗れ」といって話しかけてくるのがうざったくて仕方ない。「シクロ!シクロ!」「コニチワ!」 おみやげ物屋の店員は日本語ができようができまいが強引に腕をつかんで「買え買え」という。小さい女の子が片言の日本語でTシャツを売ってくるが、シカトした。すると、正調の日本語で「ナンデカワナイノ!」 なんでと言われてもねえ・・・。

 暑さから逃れるために「ホーおじさん記念館」に入り、ホーチミンの写真などを眺めるが、扇風機が熱風をかき回すばかりで全身汗だくになってしまった。それにしても受付のブス姉ちゃんはアオザイを着ているので5割増(当社比)美人に見える。バイクの前後に絞めた鶏を50羽ほどぶら下げたバイクや前後数メートル鉄筋やサトウキビをぶら下げたバイクを避けながら道路を渡り、ベンタイン市場に入る。天井まで届く服や雑貨の怪しい店がひしめき合っている。奥に進むほど混沌としている。「オニイチャンヤスイヨ!」「ホーチミンTシャツワンダラー!」「&%$#*@!!!(聞き取れず)」白人や日本人の観光客も多い。「騙されたー。こっちのほうが安い」なんて今更言ってもねえ。安すぎてボラれても気づかないのが日本人の悲しい性。日本では3000円はするバックを7$と言われれば安いと思って買ってしまうが、本当は2$でした。でも現地人はもっと安く買っているに違いない。ノン(ベトナム笠)が10.000ドン=1$だったので購入。ノンは女性しか被らないので持っている男は観光客だとすぐバレル。でもそれ以上に1$で買った「SAIGON」と書いてあるTシャツを着ている俺は確信犯だけどね。おかげでいろんな人が話しかけてくる。

 食堂街に行き、PHO(フォー=ベトナムうどん)を食べる。10.000ドン(=100円)と激安だが、衛生的にはヤバイかもしれん。それと一緒に出てきた生野菜は死ぬほどまずかった。ドクダミくさいし。フォーはおいしい。瓶に変な果物が入っていたので指差すと、いきなり氷と水道水(ヤバイ)と練乳と果物をミキサーにぶち込んでアイスシェイク「シン・トー」のできあがり(5.000ドン)。メチャメチャうまい! 市場を出ても屋外に変な店がいっぱいあり、「シクロシクロ」「バイクタクシー」の声に囲まれた。バイクの後ろに乗るバイクタクシーは危険過ぎる。

ベンタイン市場から歩いてアオザイの店に行くものの、「地球の歩き方」の地図が間違っていたので迷う。だがそのおかげで高校生と写真を撮ったりオジイに道を聞いたりして話をすることができたり、絵屋のオバチャンに只で店の電話を貸してもらうなど珍しい体験をした。ベトナム人はやさしくて親切な人がたくさんいる。

大学を見学する
人文社会科学大学

 私はベトナムに行きたかったのであって大学見学は二の次なのだが、せっかくなので見に行く事にした。ホーチミン市内にはいくつかの大学があるが、今回見学したのはホーチミン国家大学人文科学社会科学大学という文系の大学だ。校舎は鉄筋だが冷房はなく、蒸し暑い教室を扇風機が掻き回していた。
 アオザイを着た女子学生の集団を発見したのでフラフラとついて行ったら、いきなり日本人が日本語の授業をやっていたのでお断りして授業見学をさせてもらう。30人ほどの学生が授業を受けていた。アオザイを着た女子学生もいる。2年生の授業だが日本語のレベルはとても高く、学生も日本語だけで会話していた。日本語の例文「そんな〜(such a)」の答えを学生にさせていたけど「神戸ではそんなにたくさんの方が亡くなったのですか?」という例文はどうなんでしょうか先生。それから「あなたの家族は何人いるのですか?」「あの人は何歳ですか?」などの例文を勉強する。先生は「私は昨年8月、仕事を辞めて北海道からベトナムに来ました」「両親と妹に反対されました」「早く結婚したいです」などと実体験を交えた例文で学生を魅了する。 だが135分授業なので学生達はさすがにだらけてきて、後半の大岡越前の長文はかなり省略ぎみだった。「できれば〜したい」という文章ではピンクのアオザイの女子学生が「できれば日本人と結婚したい」という例文を作ってみんなに冷やかされていたので、そのまま連れて帰ろうかと思った。

 授業の後先生に事情を話し、私の本を大学の付属日本語学校の図書室に寄贈する事ができた。越(こし)充則先生、大変ありがとうございました。

水上人形劇を見る

 ベトナムといえばベトナム戦争を避けては通れない。戦争証跡博物館を見に行く。途中で変なオヤジが「センソウハクブツカンコッチダヨ」と強引に私の手を引っ張って連れていった。そのオヤジがあまりに怪しいので、どんなぼったくりをしてくるのかと身構えていたが、博物館の入口で去っていった。ただのいい人だった。博物館にはベトナム戦争で使われた兵器や収容所の模型や残酷な写真がたくさんある。物言わぬ物証の数々はあまりにも悲惨だった。ベトナム戦争は私の生まれる前の話なので特に思い入れは無いが、博物館を出ると待ち構えていたように腕の無い人が物乞いをしているのを見たときは、これが現実に起きた出来事だということを思い知らされた。
 戦争博物館の片隅に変な建物がある。ここは水上人形劇というベトナムの民族文化を見せる所だが、客が集まったらやるという感じで実にやる気がなかった。それでも日本人が数人興味を示して近づいてきたので切符売りがやる気になったらしく、どうやら始まる雰囲気になったので私と友人は慌てて切符を買い(2$)、中に入った。客は日本人ばかり8人。切符売りは客寄せすらせずにぼんやりしている。日本なら「まもなく○○ショーが始まります」などとスピーカーで騒ぎそうなものだが。
 階段状の客席の前には2×3mほどのよどんだ池があり、そのうしろは中国の宮殿風の建物に緑色の幕がかかっている。雑音だらけの怪しい中国風の音楽がスピーカーから流れてきて開演。水の中から龍が出てきた。龍は音楽に合わせてウニョウニョと動き、口からピューと水を出す。シャンシャンと銅鑼の音の混じった音楽が流れる。もう1匹真っ赤な龍が出てきてシャンシャンと踊り、口から水を飛ばして退場。次は騒がしい音楽に合わせて真っ赤な獅子が水面に登場。マリのようなものを追いかける。ジャンジャンとうるさい音楽。もう1匹獅子が登場し、2匹でマリを使ってサッカーらしき事をする。尻でマリを蹴り上げてパスをする。水飛沫が跳ね上がる。
 お次は真っ赤な孔雀らしき鳥が水面をもぞもぞ動き、首が伸びたり縮んだりする。白い鳥に求愛して終了。しばらく間があって(準備中らしい)、鴨の親子が登場。水面を動き回る。後から褌一丁の農夫の人形が出てきた。農夫は「пщюяФ!」と言う。農夫の嫁らしき人形が出てきて「дИгжёф!」と言う。すると農夫の鴨を横取りしようと猫が現れ、鴨を狙う。農夫は猫を追い払おうとして水面を所狭しと動き回る。人形の動きが巧みで実に面白い。バシャバシャと水を跳ね上げて人形が暴れまわる。哀れ鴨は猫の餌食になり、猫は舞台の端にある竹に登った。まさか竹の棒まで舞台装置になっているとは思わなかったので驚く。竹の上で猫は向きを変え(どうやって操っているのか不明)、水に潜って逃げた。農夫が悔しがって終了。
 こんな感じの分かりやすくて短い話を数本やる。最後に人形がやたら出てきて踊り、どうやら終りかと思ったら、演者のおじさん達が水の中からでてきて挨拶をした。これでおしまい。惜しみない拍手を送る。何を言っているのかよくわからなかったが、言葉など無くても十分に面白い。ベトナムに行ったら水上人形劇を是非見よう。ちなみに水上人形劇の本場はハノイだそうです。

ベトナムのチャイナタウン
アオザイの女子高生

 戦争証跡博物館からタクシーに乗る。クーラーが利いていてとても気持ちが良い。12.000ドン(120円)で市街地の外れにあるサイゴン駅に行く。私の多彩な趣味の一つである鉄道を研究するためにわざわざ来たのだが、今回は時間の都合上鉄道には乗れない。それでも列車の写真でも撮れればと思って来た。駅は殺風景で広い。中は暗く、切符売り場と改札と売店があるだけだった。駅の外の店で何の果物かわからないジュースを飲み、駅員に写真を撮らせてくれと頼んだらなぜか無料でホームに入れてくれた。優等列車が1日4本来るだけの駅なのにホームには売店がいくつもある。有料トイレはそれを経営している一家の住居のようになっていたが深く追究するのはやめておこう(1.000ドン)。偶然列車が来た。いきなり走っているドアから飛び降りて改札とは逆のほうに去っていったオバアがいたがキセル乗車だったのだろうか? 列車がホームにつくとわらわらと人が降りてくる。車内に入ってみたが冷房がなくきつそうだった。ノンをかぶったオバアと客車の写真を撮って帰る。

 サイゴン駅から再びタクシーに乗り、ホーチミンのチャイナタウン「チョロン」に行く。20〜30分かかったが46.000ドン。タクシーは日本人の感覚から考えると恐ろしく安い。まずは中国風の極彩色のチャータム教会を見る。町はノンをかぶったおばちゃん達が天秤棒に担いだ野菜や果物をその場にしゃがんで売ったりしている。見たこともない赤い果物を発見し、買ってみる。目の前でおばちゃんがナイフを入れるとキウイの種のようなものがぎっしり詰まった白い果肉が出てきた(タンロンと言う)。そのままかじる。メロンのようなキウイのような味。3つで10.000ドン。そのままビンタイ市場を探検するが面白いものがないのですぐ出る。道路でいきなり水浴びをしているガキがいたので見ていたら金をせびってきたので逃走。シクロをかわしつつ町を歩いているとプリンの屋台を曳いているおばあちゃんを発見。プリンを買ってみる。
 アルミの型に入ったプリンを陶器の皿の上に出すと、真鍮(?)のクーラーボックスからカキ氷をすくってきてプリンにかける。さらにカラメルのようなものをかけてはいどうぞ。スプーンですくってみるとカラメルのようなものはコーヒーだった。氷とプリンとコーヒーが口の中で混ざり不思議な味。これで20.00ドン(20円)は安すぎて怖い。むしろ屋台のプリンも出自が疑わしいが、なかなかうまいのであまり考えなかった。こんな変なプリンは始めてだ。この後、高級ベトナム料理屋で11.000ドンもする高級プリン「バイン・フラン」を食べたのだが、日本と変わらない普通の味だった。よってこのチョロンのアイスコーヒープリンを私は「ベトナムの絶品プリン」に認定するので、みなさんもベトナムに行ったら屋台のプリンを食べてみよう。

 プリンを食べた後は道教の寺「天后廟」を見たり(孫悟空もご神体になっていた)、路地に入って庶民の家を見たり(靴を脱いで上がる家とそのままの家がある)、ホーチミン国家大学医学薬学大学を見たり(教室の机とイスが文系大学より豪華)したが、あまりの暑さにやる気がなくなってしまい、6人乗り路線バス(20.00ドン)でベンタイン市場に戻った。バクダンというカフェで27.000ドン払って巨大なココナツアイス(ココナツをくりぬいて果物やアイスがぎっしり)を食べる。隣の白人が「日本人か中国人か」と聞くので「日本人です。あなたは?」と聞くと「私はスイス人だが、奥さんはベトナム人だ。スイスにすんでいるが時々ベトナムに来る」という驚きの人だった。中年の奥さんは人一倍美人ということもなかったが、きっと昔このスイス人はアオザイを来た若い頃の奥さんにコロっといったのだろうと容易に推測できた。ホテルに帰るとアオザイの店の人が私がオーダーメイドした男物のアオザイを届けに来てくれた(値段は秘密)。男のアオザイは実に地味だ。一抹の悲しさを覚える。テレビではベトナム民謡のダンスや香港ドラマや子供向け番組などを見た。

クチトンネルを見に行く
ベトナム戦争の戦車

 翌日は現地の旅行社に申し込んだクチトンネルツアーに行く。本当はメコンデルタのジャングルクルーズにも行きたかったのだが、旅行日程が短すぎた。まあ、ベトナムに行けただけでも良しとせねばならないだろう、なかなかこんな機会はないのだから。朝8:30に若い女性のガイドさんがホテルに来た。クーラーの利いた良い車に乗って、郊外に出て行く。このガイドさんが曲者だった。なぜなら自伝を語るのです。
 ガイドのヴェン・メイ・リン(阮美霊)さんは28歳独身ですが、見た目は若かったです。「私なんかババアです」などと笑えないギャグを飛ばします。ホーチミン国家大学人文科学社会科学大学で日本語を学び、通訳になったのですが契約していた日本の商社が倒産し、見事クビ。転職を繰り返し、今はフリーのガイドをしています。生活は決して楽ではないようです。「私は不幸です」を連発します。この名前中国だとメイリンさんなどと呼ぶのでしょうがベトナム人はミドルネームを持っているので彼女の名はリンさんです。リンさんからはクチトンネルに行くまでベトナムのいろんな話を聞きました。ベトナムは3月8日が「女性記念日」という祝日だそうです。この日は男がお世話になった女性などに花を贈る日だそうです。バレンタインは男が女にチョコを送ります。リンさんは5人家族で38歳の姉がハノイにいて33歳の兄と両親がホーチミンにいます。こっちが何も聞いていないのに、5年も付き合った彼と別れてしまい、彼はもう結婚して子供がいるなどと語りだし、そのあまりに不幸な境遇は小生他人事と思えませんでした・・・。
 リンさんは日本の歌が沢山歌えます。「つぐない」「空港」「酒よ」「恋人よ」「二人酒」「別れても好きな人」が得意です。「私は「酒よ」がとても好きです。この歌は日本でとても流行っていますか?」と聞かれたので結構困りました。中国と違い日本の新しい歌はあまりベトナムでは浸透していません。「ベトナムの人はみんな「コナン」を読んでいますね」というと「ドナン!?」とか意味不明の回答をします。
 途中で生春巻のライスペーパーを作っている工場(っていうかあばら家)を見学し、広い広い田園風景の中を運転手の車は暴走運転します。友人は眠っていましたが私はリンさんといろんな話をしていました。

 ホーチミンから2時間でクチトンネルに着きました。まずはベトナム戦争のビデオを見せられます。なぜか日本語でした。「タム・ハは、歌と鳥を愛するやさしい少女でした。彼女は落とし穴を掘り、176人の米兵を倒し、表彰されました。爆撃が止むと、自動小銃を背負って、農作業をし、敵が現れれば、鋤を銃に持ち替えて、敵と戦いました」などと片言の日本語で淡々と、しかし壮絶な内容で白黒ビデオは放映された。
 ビデオを見た後はトンネル見学。緑色のユニフォームのオヤジに先導されてジャングルの中の道を進む。ガイドのオヤジが「アブナイヨ、キヲツケテネ」というので気をつけて歩いていたのだが、ヒモで仕掛けられた地雷を踏んでしまい、私は爆死した。

 と思ったら、森の中にオヤジと同じ服のスタッフがいて、客が通る前にヒモを仕掛け、人が通る度に爆竹を鳴らすという「地雷ごっこ」をしていた。国家公務員が何を遊んでいるのかと思ったが、これも戦争の恐怖を伝える一環に違いない。でも後から来る客の為に再び地雷を仕掛けているスタッフは心から楽しそうだった。ちなみに戦争の時の地雷はほとんど米軍の不発弾から手作業で作ったそうです。ベトコン強すぎる。
 そしてベトコンが誇る恐怖の落とし穴の数々を見学。見た目はただの森なのに、落ちたら最後鉄の杭に貫かれる。杭の先には毒蛇の毒が塗ってあり、致死率は高い。他にも「映像の20世紀」で見たジャングルのどこかから飛んでくるトゲトゲの鉄の塊や、地味に効く痛そうな鉄の罠など恐ろしいものばかり、これでは米兵が精神的におかしくなるのも無理はない。ガイドのオヤジは「イタイイタイヨ(笑)」という。痛いって言うか死ぬと思うんですけど・・・。この人の変な日本語はかなり笑えて実は日本人じゃないのかと思った。
 トンネルの入口は30X40くらいしかなく、大柄な人は入れない。米兵が入れないように小さくなっていた。今は拡張した入口から入る。中はしゃがまなければ歩けないぐらい狭い。しかも死ぬほど暑い。汗がダラダラ出てくる。これでも観光用に拡張したというのだから信じられない。地下3階まである。閉所恐怖症の人には耐えられないだろう。さらにはトンネル内にも落とし穴があった。このトンネルは200kmもあり、米軍の基地にまで到達していて、ベトナム戦争時のゲリラ戦で大活躍したそうだ。まさに地下帝国。クチは難攻不落の地下要塞で米軍は最後まで攻略できなかったという。仮にトンネルに入れてもゲリラだらけだし落とし穴はあるし狭くて通れない所に引っかかったりしたようだ。しかもベトコンはどこにあるかわからないこのトンネルを駆使して自分達の拠点を攻撃しに来る。恐ろしすぎる。今ではすっかり観光名所になって白人観光客だらけのクチトンネルだが、戦争が終ったのはわずか26年前の事なのだ。ガイドのリンさんは「絶対にメコンデルタのほうが面白い」と言っていたが、クチも凄い所なので絶対に行く価値がある。
 トンネルを出ると会議室や野戦病院を見た。本当はトンネル内にあるのだが再現されて今は半地下になっている。野戦病院は土を掘っただけの部屋に粗末な木のベットと点滴や医療器具があるだけで、こんな所で手術しなければならないとは辛すぎると思った。ここでべトコンの非常食だったタロイモとお茶をごちそうになる。イモには豆と塩を砕いたのを付けて食べる。味は悪くないが戦争しながらこれを食していたと思うと何ともいえない気持ちになる。

 そんな感じでクチトンネルツアーを終え、ホーチミンに帰って来たのだが、正直なところ不謹慎ながら非常に楽しかった。今やベトナムを代表する観光地になったクチトンネルを皆さんも見に行きましょう。

HENGAPLAI VIETNAM
屋台のうどん屋さん

 最終日はホーチミン市内を散策していた。五行廟では電飾でクリスマスツリーのようになった仏像を拝んだり、おばあちゃんと孫娘がやっているPHOの屋台で激辛うどん「BUN BO HUE(ブン・ボー・フエ)」を食べりした。ここのPHOは5.000ドンと激安の上高級店のよりもうまい。屋台はヤバイというがなかなかどうしておいしい。屋台をやっているおばあちゃんは親切だし孫娘はベトナム語で挨拶してみるとはにかんで逃げちゃうし、とっても素敵な二人でした。じーっとこっちを見ているオバアがいる。身なりはきれいだがどうも乞食らしい。外国人である私たちを見てノン(すげ笠)を出し、金を入れてくれとせがむ。私はPHOを食っていたのでシカトしていたが、小銭はどうせ余るしと思って500ドン札を入れた。オバアは去っていったが屋台のおばあちゃんをみると私に対して「良いことをしたね」という顔をしていた。これは間違いない。その後は暑くて仕方ないので冷房の効いた店でアイスを食っていた。
 時間が余ったので看板に惹かれて胡散臭いマッサージ屋に入った所、中国娘(ややブス)に揉みまくられ、ツボを押されて激痛の海へ。しかも料金(1時間14.000ドン=7$=1000円という料金体系だった)と同額のチップを要求された。嫌がると関係ない中国娘が片言の日本語で怒ってきた。どうやら料金は店に入ってしまうらしく、チップだけが彼女らの収入らしい。しかもチップの多さが待遇に反映されるらしく彼女達も必死だ。あまりの剣幕に敗北し、言われるがままに料金を払うが、それでも日本のマッサージ屋よりも驚異的に安かった。数日は筋肉痛だったが本当に健康に良かったのか? 今から思えばちょっといやらしいマッサージ屋だった気もするが深く考えないことにする。

 ベトナム歴史博物館に入った時の事。博物館の展示物を一通り見て帰ろうとすると中庭に女の子たちが数人いてこっちをみてがやがや喋っている。一人が近づいてきて何やら言うがさっぱりわからない。どうも彼女達の中に日本語を学んでいる人がいるらしく、自分の覚えた日本語が通じるのか試したいらしい。喜んで協力させてもらいましたがはっきりいってへたくそで通じない。彼女らは困って英語でベラベラ言ってきたが今度はこっちが苦慮する番だった。フランス語とか中国語とかいろいろ使わされたが意思の疎通にはかなり苦労した。悪いことはいわん、みんな英語はぺらぺらになっておこう(ため息)。
 このままでは間がもたんと焦っていたら、日本語を学んでいる女の子がノートにひらがなで「あなたのせんもんですか」と書いた。解読に10分ほどかかったがどうも大学での専門を聞いているらしかったので「教育学」とかデタラメを言う。彼女達は観光の専門学校に行っているらしく、ガイドになる勉強をしている人達だった。年齢は高校生くらい。フランス語のできる子はフランス人とのハーフじゃないかという感じの美人だったが謎だ。日本語のできる子はモンゴル人っぽかった。彼女達の名前はThao、Tam、Hoa、Ha、Lanと言い、メールアドレスを持っている子もいたのでアドレスを交換してきたが英語で手紙を書くのが面倒なのでまだメールは出していない。少しはベトナム語を覚えようといろいろ聞いた。good byeがTam bietでgood nightがchuc ngu ngonとか知ったが使う機会がないね。そんな風にしてかなり長い時間話をしたり一緒に写真を撮ったりしたが、先生がきちゃって彼女達は帰る事になった。こっちは慣れない英会話でくたびれているのだが彼女達はメチャメチャテンションが高く、「もうお別れで残念です」と英語で言ってきた。私がTan bietと言うと誰かが、Tan bietはgood byeですが、ベトナム語でsee you againの事をHen gap laiと言います。だから私たちもHen Gap Laiと言って別れましょうと言った。私はHENGAPLAI!と叫んで手を振って彼女達を見送った。

                               おしまい

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