新潟大学ソフトテニス部OB諸君へ


新潟大学 高原 隆一

 時は平成15年11月。私の寿命もあと5ケ月。諸君と約束をした5kマラソンもまじかだということだ。

 昭和43年1月1日に新潟大学に赴任して36年になる。着任してまもなく大学紛争がはじまった。今の五十嵐地区に移転したのは45年4月だ。当時は今硬式テニス部が使用している5面のコートで、48年に10面の今のコートが完成した。

 49年にコートサイドに用具室・小屋が100万円をかけて完成した。この小屋は、私の宝物の一つである。色々な葛藤をへてようやくできたものだ。

 この宝物の小屋の棚板に、私が書いた文字を覚えているかい。

 『必勝の心』.魁璽叛鞍 日常生活 創意工夫 の習での汗と涙 ヂ領
とチョークで書いた。

 この5ツは、私の哲学であり、信念であり、全てであり、あとは何もない。

 諸君への機文も今回が最後であろうから、この5ツの内要、意図することを述べる。

コート整備

 「最高のコートは、最高のテニスマンをつくる。さればテニスマンは常にコート状態を最高にしておかねばならない。常に最高のコートを愛し、最高のコートに愛されたい」

 これは私のテニスへの哲学だ。そしてこの10面のコートは私の命だ。

 国立大学でまとまって10面もあり、こんなにも整備されたコートが他にあるかい。今でこそ人工芝の砂入りコートが主流になってきたが、ソフトテニスの良さは土のコートであり、土のコートが技術を心身を一番鍛えてくれるのだ。

 人工芝の下はコンクリートだ。道路屋が作ったコートに哲学があるだろうか。土という文字は、プラス(+)とマイナス(−)でできており、+−イクオール=0、ゼロが私の哲学だ。土は誰に対してもゼロで平等だが、よく整備してプラスにするか、使いほうだいや整備しないでマイナスにするかは、そのテニスマンの心掛けしだいだ。

 今のコート状態は、60点ぎりぎりの「可」だナ。部員はよくやっているが、土の補充もなしではやむをえないだろうが、やはり残念で、老いる姿を見たくないこの頃だ。

 コートの状態を常に最高にしておくことがテニスマン、テニスをする人の一番に心掛けねばならないことだと思うが間違いかネ。まずコートありきではないだろうか。それを心得たうえで、そのコートで最高の技術を求め、精神力を高め、強健な体力を錬磨していくことが真のテニスマンではないだろうか。

 一流といわれる選手は、自分の競技への哲学をキチッともち、心技体を錬磨していく上にその哲学を一本の筋として持ちえた人ではないだろうか。

 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるたとえなし」 鴨 長明(方丈記)

日常生活

 その選手、その人間のありようというか人間性は、つまらないと云っても決して過言ではない。一日一日の日常生活の中から生まれるのではないだろうか。人生は日常の連続だ。そしてその日常は実にくだらない。朝起きて、顔を洗って、学校へいく、そして興味などとてもわかない講義を聞く、部活をやる。この積み重ねが日常だ。これを繰り返して何が出てくるというのだ。平凡の繰り返しだ。されどそれが人生ではないか。つまり日常をキチッとやれということだ。キチッとやっても何も出てこないかも知れないが、この日常をキチッとやれないヤツに何かできるというのだ。

 ディーゼルエンジンのピストンをぐっと圧縮すると空気が600度にも圧縮されるという。そこにガソリンを噴霧状態で吹っかけると爆発する。するとピストンが動くのだ。空気というあるのかないのか良く分らない平凡なヤツを、ドンドン圧縮していったら600度にもなり爆発する。つまり平凡なものが質的に変わるのだ。

 日常生活は非常にくだらないように見えるけれども、これを丹念に丹念に積み重ねていくしかない。その積み重ねがその人の人間性として現れ、顔に現れ、生きる証になっていくのではないだろうか。

 平凡なことでも毎日毎日絶えず繰り返してやっていくことが「非凡」につながっていくのではないか。『平凡の非凡』。毎日々々おんなじことをやる、ツマラン ツマランで終わればそれまでや。ツマランことでも性根こめて、心を入れてやるかやらんかでその人間が決まり、素晴らしい選手にも、人間にもなっていくのではあるまいか。諸君どうかネ。

創意工夫

 人間と宇宙というか、人間でない他の存在すべてと人間はどこが違うか考えたことがあるかネ。
  1.人間は「アタマがよくなる」たった一つの動物だ。
  2.人間は「理性と知性と良心がある」動物だ。
  3.人間は「創ることができる」動物だ。
  4.人間は「悟ることができる」ただ一つの動物だ。
  5.人間は「地球上の動植物の究極の存在」だ。
  6.人間は神に比べると「肉体を持たざるを得ない」存在だ。

 宇宙との違いとともに、人間である以上、人間の特性を知らねばならない。

 それは人間には欠点というか短所といってもいい特性があるのだ。どんなにすぐれた子どもでも生後2〜3年間は、親が生育してくれなければ生きていくことができないということだ。それはなぜか、「親身」ということと「互助」という社会の仕組みを教えるためと思う。そして人間には体毛が少なく、裸の猿だ。裸体では生存が不可能であり、肉体的には非力だということを教えている。人間に知恵がなかったら、人間という「種」は、あっという間に絶滅だ。

 人間の生後2〜3年のありようは、人間の使命というか役割を学ばせる期間ではないだろうか。私がいう「創意工夫」とは、人間は「アタマがよくなる」たった一つの動物であり、根本的に知恵があるということだ。この原点をしっかりと自覚し、『体は有限、頭は無限』なりだ。テニスは足ニスであり、アタマを最大限に使えということだ。

練習での汗と涙

 一年は365日もあるのではなく、365日しかないのだ。また、一日は24 時間もあるのではなく、24 時間しかないのだ。

 24 時間のうち、練習に使える時間は、全国どこでもそんなに違いはあるまい。されば、その時間を集中して無駄やサボリをなくさなくてはいけない。

 誰でも運動をはじめれば2、30分で一度汗が出る。そのまま運動をつづければまた汗をかく。一日に2回は誰でも汗をかく。本物の練習をすれば、3度目、4度目の汗をかくはずだ。汗が出なくて塩を吹くぐらいの練習が『ケイコ』といわれるのではないだろうか。

 練習ではアタマを使って、使って、後頭部が痛くなるほど「考えて」やれ。そういう『ケイコ』をつづけることが、血のにじむような、涙を流しての練習へとつながり真の実力がつくのではないだろうか。

 スポーツの技術は、山奥の清流の岩肌に和紙を一枚二枚と張っていくようなもので、目に見えるようなものではない。しかし、見る人が見れば、アイツ二枚張ったな、三枚張ったなと分るものだ。三枚張れば三枚の努力、頑張り、辛苦が、そのプロセスが分る。そうそのプロセスが大切なのだ。

「体力」

 素晴らしい人間というか一流の人間だというのは、いったい何をもってだ。

 財産やお金があるだけで素晴らしい人間というかネ。いい大学、高学歴であるだけで人間として一流というかネ。素晴らしい人間であるかどうかは「徳性」というものさしで、はかることができるのではないだろうか。

 私がいう「徳性」とは、 一つ誰に対しても「誠実」さを持って全力でことにあたる。二つ「勇気」を持って前に進む。三つ「思いやり」の気持ちをもちつづける。四つ「責任感」を持って行動する。ということだ。

 この「誠実」「勇気」「思いやり」「責任感」とともに「体力」があれば一層素晴らしい人間だといえるのではないか。

 諸君の「体力」はいかがなりや。5km。たかが5kか。走ればわかるよ。

 諸君は今、人生で一番かがやいている現役だ。私に負けるような へナヘナ ヨタヨタしたOBには、当然のことながら手痛いペナルティが待っている。心されたし。アーメン