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人肉食の基礎知識(1998年)
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中国文学科 三年(当時) 池田 雅典
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  この“基礎知識シリーズ”は、あまりにマイナーで別に知らなくても損はしない、いやむしろ得すらするんじゃないかと
思われる中国についての不要な知識を、わざわざ紹介してしまうという大きなお世話様企画である。

  さて、中国といえばやはり、宦官・纏足・人肉食の三者につきると思われるが、このうち宦官は『漢学館 第三号』にて拙作を発表させていただいており、纏足では余りにヤバい話になるので、今回は比較的穏便な路線で、食人に触れることにしたい。なお、一応お断りしておくが、この文章により読者にいかなる不都合が生じたとしても、私は一切責任を負いかねるので、そのつもりでお読みいただきたい。

  それでは本編、と行きたい所だが、まずここで白状しておかねばなるまい。今回の文章は、そのほとんどが
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  礫川全次 「歴史民族学資料 書2 人喰いの民族学」 批評社

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  に集められた論文によっている。私が付け加えることなど余計な感想くらいのものなので、本気で勉強したいのならこの
典拠をあたってほしい。いや、取り敢えず知識さえ得られればいい、という方に対してのみ、多少はましなものにする所存で
ある。
  さて、まずは、人肉食の定義から入りたい。まあもちろん、語る条件によって差は出てくるが、とりあえずここではN.W.
トーマスの分類を挙げておく。
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a、食料を得るための食人
   1、余儀なく行われた食人 (種々の遭難時)
   2、単純性食人      (人肉を得るための闘争)

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b、儀礼的食人        (葬式、親族によるもの)
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c、呪術的食人
   1、ある性質を獲得するため
   2、加害者又は被害者の霊魂に悩まされるため、死者の一部を食べる

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d、神に捧げる供物      (古代メキシコ、フィジー諸島等)

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e、刑罰及び復讐
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f、病気治療の目的
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トーマスは、「できるだけ広義にとらえて分類した」というので無理もないのだが、このままでは使いようがない。

  思うに、個人がそれを行うものと、二人以上の集団が合意のうえで行うものとでは、分けて考えるのが筋というもの
であろう。「一個人が勝手にタブーを犯し、集団においては犯罪と認定されるもの」なのか、「集団に認知され、実行者は
無罪と判定される性質のもの」なのか。これを基準とし、上記の分類に手を加えたい。

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a、個人の犯罪行為(多く有罪)

   1、単純性食人      (殺人行為のあるもの。美味を理由とするもの。)

   2、その肉によりある性質を獲得するための呪術的食人

   3、その人物への怒り・復讐のための食人

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b、集団によるタブーに触れない食人(集団内では無罪、法では有罪の場合も)

    1、儀礼的食人      (その集団内での慣習)

   2、供物としての食人   (殺人祭鬼の際の下賜)

   3、病気治療を目的とする食人

   4、刑罰としての食人   (法による極刑を含む)

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c、余儀なき食人(法でも無罪となるもの)

   1、個人の危機      (遭難等)

   2、集団の危機      (遭難・飢饉等)

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  特に中国の人肉食について論じようとした場合、トーマスのものではあまりに世界全般を指し示しすぎるので、狭義に
設定する必要がある。これもまた良い分類とは言い難いのだが、この場ではこの分類に沿って話を進めたい。
  では、実際のところどのように人を食べるのか。とりあえず基本的なものから押さえていこう。
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  「臠」 きりみ。生肉を細かく刻んで食う。いわゆる刺し身。
  とりあえずスライスするという、もっとも手っ取り早い食べ方である。殺したその場で食べる、となればこれしかないだ
ろう(分類a-1)。さすがに、血抜きや洗いぐらいはしないと血液の催吐性にやられると思うのだが、わりと平気で食べて
いるようである。

  有名どころでは、晋の文公が放浪中食に困り、従臣の介子推が股の肉を裂いてこれを救ったというものがある(c)。
この股の肉というのは万病に効くという迷信もあり、親のため主君のために自分の肉を裂いた、という例は数限りない
(b-3)。

  その他、庶民の多くから恨みを買った大悪党などが通りに晒されると、人が争ってこれを引き裂き食らったという例も
あるが、これもまた臠の類いだろう(b-4。a-3要素も含まれるが)。また、凌遅という所謂一寸刻みの刑があるのだが、
多分刻んだ肉は執行者の役得として胃袋に収められたのだろうと、勝手ながら憶測する(a-1に抵触)。

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  「脯」 ほじし。先の臠を干して乾燥させたもの。いわゆる干物。

  食べ切れなかったときは脯の出番である。干物なので保存が効くから、籠城戦など、糧食の不足する際にあらかじめ
作って他の肉と混ぜておくとバレにくく効果的である。

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  「羹」 あつもの。煮こんだもの。いわゆる肉鍋。人肉しゃぶしゃぶ…
  秦末漢初に多く見られる調理法。高祖の配下が何人か煮殺されているが、せっかく煮込んだものを無下に捨てるよう
な人種ではないので、まあ食べたことだろう(b-4)。実際、高祖と項王との問答の際、「お前の親父を煮殺すぞ」と脅され
た高祖は、「お前とは以前義兄弟になっているから、俺の親父はお前の親父だ。それでも煮るなら後で俺にも一杯分けて
くれ」と言い返している。単に高祖が親不孝でお調子者なのだという疑念はなきにしもあらずだが、それでもこの台詞は、
煮たら食うものだ、という前提がなくては出て来るものではない。
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  「醢」 ししびしお。刻んで干して麹や荒塩と混ぜ、酒で付け込んで保存しておき、何カ月か置いておくといい味に仕上
がる。いわゆる塩辛。

  最もポピュラーな食べ方である。余った肉を無駄にせず、より美味しく食べようと思ったらこれ。
  (多くb-4、a-3ということもあるだろう)

  古くは孔子の高弟・子路が衛で憤死を遂げた後、殺害者たちの手によって醢にされている。それを伝え聞いた孔子は、
家に備蓄されていた醢を全て捨てさせたという。この捨てた醢が何肉かは興味深いところである。
  また、史書にいう最古の食人は、紂王が九公を醢にした、という記述である。さらにこの後、脯と羹も行っている点は、
さすがは紂王、とでも言っておこうか。
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  基本的には四点とも調理法の名称であって、肉が牛だろうと馬だろうと呼び名は変わらない。また、何もこの四点が
全てということではなく、蒸す、焼く、調味料をまぶす等、およそ肉料理のあらゆる調理パターンは全て有効である。要
するに、肉料理であるならばどれも人肉が使用される可能性がある、というわけである。有名どころでは人肉饅頭がある
が、人肉シュウマイや人肉ギョウザといったレパートリーも当然ながら存在したことだろう。
  分類で言うa-3やb-4を理由とする人食い行為は、その人物に対する恨みを晴らす、というのが目的である。「殺して
も飽き足らない」相手となればその先は、「食う」以外に何が残るのか、ということになる。

  特に脯と醢とは、刑罰として用いられることが多く、「脯醢」と一熟語に扱われるほどである。思うに、脯と醢との刑罰
向きな所は、他の二点に比べ手間と時間が多くかかる点であろう。刺し身や鍋ではその場限りで終わりだが、保存の
効く脯醢ならば、長い期間にわたって食べるたびに恨みを晴らし、それだけ相手の霊を苦しめることになるのである。まあ
臠や羹でも、食べきれなかった分は脯醢にして保存するのだろうが。

  以上が基本的な肉の食べ方だが、その他パーツごとに分けて調理する方法となってはもう挙げきれない。また、以前
あの佐川氏が、部分別に味を解説していた本があったのだが、残念なことに紛失してしまった。覚えているのは「太ももは
鳥のももによく似て美味い」という件だけである。しかしまあ、たいがいの人肉料理屋事件は、古今東西を問わず人毛が
混じっていた事によって発覚しているから、少なくとも不味かったり、特殊な味がする、というわけではないのであろう。

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  次からは、先の分類に解説を加えていこうかと思う。改めて警告するが、全くもって悪趣味なページになるので、神経
の細い方やこれから中国へ行く予定のある人は読みとばすなり他の作品に移るなりすることをお勧めしておく。
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a-1 単純性食人

 人肉を旨しとして行われ、犯罪臭を伴うもの。

  三国・呉の高 は、人を殺し生き血をすするのが好きで、毎夜ごとに家の周りを通りがかるものを捕まえては食べて
いたという。彼がこの後どうなったかは記録がない。

  萇從簡は後唐・後晋に仕え、節度使上将軍にまでなったが、密かに民間の子供をひっさらっては食べるという、誘拐
殺人の常習者であった。元々が屠殺業者であったからその習慣が抜け切れなかったなどと言うが、そうゆう問題では
ないだろう。

  宋の王彦升は、宴会の際に胡人の捕虜から耳を引き千切って酒の肴とした。捕虜は血だらけになり泣きわめくの
だが、彦升は一向に介さず、平然と談笑を続けること数百回という。中国の数百回等の数字を一々信じ込むことはでき
ないが、それでも宴会の際の慣例となっていたようだから、かなりの回数行ったのであろう。

  唐の則天武后の時、臨安の役人の薜震は、寺の参拝客を泊め、酔わせてこれを殺し、その肉を食べた。骨は水銀
で溶かていたので、久しく露見しなかった。あるとき妻を殺そうとして逃げられ、取り調べにあって自白し、杖打ち二百回
の刑にあって死んだ。

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  ここいら辺でやめておこう。しかしこういってはなんだが、実のところこれらの例は一部の異常嗜好者の犯罪であって、
こんなものをいくら挙げたところでただの与太話にすぎない。これを以て中国人は人食い民族などと考えたのでは単なる
偏見である。これらは、その史書の中に五行志などを設け些細な怪異をも載せている、記録好きな性格をこそ証明する
ものではあっても、決してそれ以上のものではない。
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  五代の趙思綰は、人の肝が好きで、酒の席のたびに、生きたまま解体してこれを食べた。その際、「私は長いこと酒を
飲んでいるが、人ほど肴に適するものはない」、或いは「人の肝は勇気をつけるというから、私にかなうものなどいないだろ
う」などと放言していた。また長安では、食料を補給するために女子供を家畜のように殺した。

  前秦の苻登、隋の朱粲、唐末の秦宗權などは、行軍の際、ろくに食料を携帯していなかったが、「朝に戦えば、夕に
食に困ることはない。どこに行こうと、人がいる限り飢え死になどしないものだ」と公言していた。このうち特に朱粲は、唐に
降伏した後、酔っ払いに「人の肉というのはどんな味ですかね」とからかい半分にたずねられ、「君のような酔っ払いは、
酒粕に漬けた豚肉といったところだろう」と答え、これを殺して食ってしまったという。
このような例を見るに、古くから軍が略奪を行う際、得られる糧食の中には、人肉も含まれていたであろう事が想像出来る。
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a-2 その肉によりある性質を獲得するための呪術的食人

 呪術的食人の基本的な考え方は実に単純で、要するに自分に足りない所を補おうと思った場合、その要素の詰まった
部分を自分に取り込めばよい、ということである。例えば、虎のような力が欲しければ虎を、夜目を効かせたければフクロウ
を食べればよいのだが、なにぶん動物と人間では体の構成が違うから、より効果を得たければ力の強い人間を、目のいい
人間を、と展開していくわけである。肝を食べれば勇気がつくとか、若い女の生き血で若返るとか、まあそのような迷信じみ
たものである。傾向としてはb-3に近いが、こちらは完全に犯罪であるものを指している。『孟子』に、「指の曲がったのは
治すために何でもするくせに、心の曲がったのは打ち捨てたままだ」という趣旨の文章があるが、こうした食人などまさに
それであろう。

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a- 3 その人物への怒り・復讐のための食人

 先程も少し触れたが、恨みを晴らす手段の究極的なものは、その相手を食う、というところに落ち着く。思い切り怒り
叫ぶとき、その口は大きく開かれていることだろうが、これが「食う」ということに集約されるということだろうか。

  大抵の敵討ちは、相手の肝を食うことでその恨みをはらしたこととなる。しかし中には変わり種もいて、かの有名な
伍子胥でさえ、白骨相手には鞭打つしか術がなかったというのに、隋初の王頌は、父が陳の武帝に殺されたことを恨み、
陵を暴いてその骨を焼いて粉にし、水に混ぜて飲んだ。これがまた『隋書』の孝義伝に載せられている話というのがなか
なか中国的でいい。
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b-1 儀礼的食人

 中華の地ではあまり聞かないが、その辺境の属国には、長男が生まれたらそれを殺して皆で食い、次男に当たる者を
長子として扱うという国もあったという。

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b-2 供物としての食人

 殺人祭鬼というのは、要するに人身御供を出す地方独自の祭りのようなものである。大概、土着のわけのわからん神の
ために捧げられるのだが、殺された者は極楽浄土にいけるし、村の者は安泰だしと、皆が幸せになるということで、それを
行う側は全く罪の意識がないというそら恐ろしいシロモノである。

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b-3 病気治療を目的とする食人

 親孝行の見せ所がこの病気治療食人。たいていは股の肉を食べさせる形である(脇の肉もOK)。田中香涯によると、
唐中期以降の習慣だとのことで、儒教が普及して「身体髪膚は之を父母より受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」
という価値観がひろまったことで、逆に重視されるようになったものかと思われる。犯罪に走らなかっただけ立派という
ことにしておこう。

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b-4 刑罰としての食人 

 これについては、先程記した「脯醢」を参照。

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こういった事例はもちろん重要だが、むしろ注目すべきは、小説の中に描かれる食人なのかもしれない。

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「三国志」中の食人
  劉安が劉備をもてなす際、自分の妻を屠ってこれに充てたという話。劉備はこれに感激し、恩返しにその息子・
劉封を養子とした。

  いくら人をもてなすためだからといって、妻を殺してその肉を食わせる人物が信用されていいものなのか。また劉封
についても、自分の母を食べた男の養子となることになんらわだかまりはないのか。この場面は、かの吉川英次も削る
かどうか悩んだわけだが、中国では別段問題なく、娯楽読み物の中に組み込まれている。

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「水滸伝」中の食人
  水滸の好漢たちは、ほとんどが笑顔で人殺しができる連中であるが、人肉を食べる際にもやはり躊躇はない。
  李逵などは、自分の偽物を殺した後、その家で飯をかき込もうとして「おっと、俺としたことが、目の前に上等な肉が
あるのを忘れていたぜ」といって死体から肉を切り取り、火であぶっておかずにしている。
  山賊時代の燕順・王英・鄭天寿などは、人の肝が好物で、旅人を襲っては食べていたのだが、このとき「ぴりっと
辛いのを頼む」とか、「えぐり出す前に、冷や水を浴びせておくと、肉がしまっていい味になる」などと発言している。

  酒屋で饅頭を食べていた武松は、毛が混じっていたので人肉だと気づき、酒屋の正体を察するのだが、人の肉を
食べていたことより、中にしびれ薬が含まれていたかもしれないことを心配し、なおかつ「おかみ、こりゃあ人肉かい?」、
などと気軽にたずねている。このおかみもおかみで後に百八人の一人に数えられている。

  彼らが肝を食らうのは、古の大盗賊・盗跖の故事に基づくのかもしれない。盗跖の伝説に、人の生き肝を食らったと
いうものがあるのである。他に、人肉を食べて盗みに入るとつかまらない、という迷信が流布した時代もあり、これらから
「無法者だから人肉を食って当然」、という価値観が生まれるのかもしれない。
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  これが何故重要かというと、この話を聞いて、民衆が喜んできたから現在に残っているのだということである。主人公
は何をしても許される中国民衆劇であるわけだが、だからといって人肉を食ってもお咎めなしというのはなかなかとんでも
ない事ではないか。これらは、中国人がかなりのこと人肉食に寛容である事を示すいい資料である。

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  何でまた中国では平気で人肉を食べるのか。簡潔に答えよ、というのならcの余儀なき食人にそれを見ることができる。

  中国は、あれだけ広大な土地となるとどこかしらで災害があり、全土に何事もなく過ぎた年など皆無である。そのたび
に朝廷は対応策を練り、さらには均輸・平準法だの義倉だのと安定政策を幾つも考え出して来たわけだが、輸送中山賊
にあったり、小役人が中身を横流ししたりと、これらがまともに機能するとは限らなかったりする。

  だからひどい飢饉ともなれば、それこそ雑草だろうと昆虫だろうと食えるものは食い、食い物でなくても革を煮込み紙を
溶かし、しまいには互いに食べあうより生き残れなかったのである

  こういった飢えによる食人の場合、さらに悲惨な描写が増える。

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  安祿山が反乱した際、雎陽の張巡は、城を囲まれながらも抵抗を続けていた。しかし城中の食料は尽き、人は他人
と自分の子供を取り替えて食べるにまでなった。張巡はこれを憂慮し、軍勢の前で自分の妻と妾とを屠り、その肉で兵士
をねぎらいこう言った、「私は指揮官である以上、自分の身を割いて君たちに食べさせるわけにはいかない。しかしだから
といって、自分の妻を惜しんで、君たちを見捨てるわけにはいかない」と。兵たちは皆感激して泣き、その肉を食べるに
忍びなかった。城中では、女、老人、子供の順でこれを解体して飢えをしのぎ抵抗を続けたが、ついには陥落した。その間、
食に饗された者は2、3万を数えたというが、城中に忠義の心揺らぐ者はなく、「人心終に離變せず」と『舊唐書』に言う。

  この所業を非難するものがなかったわけではないが、概ね「美談」として語られる。

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  明末、大飢饉があった。人を解体して肉を売る者があらわれたが、役人もこれを禁止することができないほどであった。
そのころ、ある旅人が宿に入り、食事の時間になった。見ると、若い女が手足を縛られ、まな板の上に乗っていた。今から
活け作りにする、という趣向だったのだが、その女が怯えきっているのをみた旅人は、これを憐れんで倍の値段で買い取っ
た。旅人は、さっそく女を部屋に連れ込もうとしたのだが、女はそれを悟って毅然となり言った、「わたしはあなたに命を救
われたのですから、一生召し使えることになろうと文句はありませんが、わたしがここでこうしていたのは、夫と死に別れ、
また再婚してまで生きようとは思わなかったからです。売春婦のように扱われるためではありません。」と。そしてまた、今度
は腹を据え怯える風もなくまな板に伏してしまったので、旅人は如何ともするなく、解体する者は、下手に女が気丈な分やり
にくくなり、後味の悪い仕事をせざるを得なかった。この立派な女性の名は、残念ながら伝わっていない。
  用例が悪かったかもしれない。一応フォローしておくと、これはあくまで飢饉のときで、通常時にはわざわざ人肉料理を
出したりはしないし、やったら殺人罪で捕まる。しかしまた、人の活け作りという趣向も酷いが、何の躊躇もなく部屋に連れ
込もうとする男も男である。さらには、人肉を食うこと自体には何ら言及せず、「立派な女性」と讃えるあたり、なんとも麻痺し
ているなあ、と思わずにはいられない。
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  先の明の末には、酷い事件が多発している。たとえば、いくら親しくとも相手の家にはあがらなかった。いつ殺されるか
わからないからである。太った者は、しばらく絶食して顔を骨ばらせなくては外出しなかった。食欲をそそるといけないから
である。ある家から養女にいった娘が、食われそうになったので実家に逃げ帰ったが、その実父が「なるほどおまえは他人
に食わせるには惜しい」と言って食ってしまった。李自成の乱の際、囲まれた城内では食人が行われた。黄澎という人物の
役所内で人が死んだとき、屠殺人がこれを解体して均等に分けたのだが、そのうち一人が「俺には倍よこせ、さもなきゃ
お前を殺して食う」と脅した。屠殺人はこれを投げ与え、拾おうと頭を下げたところを脳天かち割って殺し、この肉も分配して
しまった。黄澎はこれを聞き、「なんなら俺を殺して腹一杯食え!」と怒号したため、その場にいた者は一同謝罪した。だが、
この黄澎さえ、家族を養うには人肉を食わせていたのである。

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  常に人を食う覚悟が必要な国。それでは食人の風習などなくなりようがないだろう。現在、我々が人肉を食らうことなど
考えにも及ばないのは、わざわざそれを食べずとも、他にいくらでも食い物があるからである。「中国人は椅子とテーブル
以外は何でも食う」、「中国人にとって、世の中には食えるものと食えないものしかない」、こういった中傷が囁かれるのも、
実はその食糧事情がけっこう危機と隣り合わせにあり、何かあれば何であろうと食わずば生き延びられない、そんな実情
から起こるものだと言うこともできよう。

  しかし、それは中国に限ったことではない。世界中どこであろうと飢饉で人を食べた例は残っている。『ガリバー旅行
記』のスイフトが、長期的な飢饉を解消するために赤児売買制度を設けろ、などとのたもうていたような気がするが、私の
うろ覚えであるからあまり信憑性を期待しないでいただきたい。それはともかく、中国の歴史記述にかける情熱が並はず
れているということ、古くからその技術が確立していることが、実例を挙げることを容易にしているだけかもしれない。

  しかも、飢饉など関係なくこを食べることの頻繁なこともまた事実である。これを説明するには、やはり「美味いから
食うんだ、文句があるか」といった即物的というか、現実主義の価値観がなくては説明仕切れるものではない。

  これは本学某先生が雑談のおりにおっしゃっていたことだが、「もとより、中国に人の肉を食べてはいけないという概念
はないのだろう。死ぬということは肉体の所有権を放棄するということだから、食う方にしてみれば、道に落ちているものを
拾うの同じことなんじゃなかろうか。人から物を奪ったら犯罪だが、だれも所有者がいないのなら俺の好きにして何が悪い、
て事じゃないのか」とのことである。なるほど、所有物という概念は思いつかなかった。

  さらに神田孝平は、その説の中で「平生恣に之を食わざるは他なし人を殺すの法禁あるに因るのみ」と言っているが、
つまり人殺しは犯罪なので普段は食べないが、法に触れないのならいくらでも食う、とこう言っている。

  確かに平時にも平気で人肉を食べていた連中はそれなりの権力者である場合が多く、人民がこれを食べるのは飢饉
で禁止のしようもない時である。これらを考え合わせれば、相手の権利を奪う正当な理由(たとえごく主観的なものだと
しても)と力を持っているなら、人を食べることは、中国ではなんら悪事ではなかったのだ、という憶測を引き出すことが
できる。人体とて所詮仮の宿りである、魂がなければ肉の塊である、肉の塊は食べ物である、という単純な論法なのか
は知らないが、それに似た考えなのであろう。

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  結論として書く。中国伝統文化の一つ、といっては大変な語弊があるだろうが、中国人の食人に対する価値観は昔
から、「俺が殺されるのでなければ、人肉を食べたところでなんら問題はない」というものであったと言えよう。張巡の
逸話が美談として語られるのも、誰かが食われなければならない時に、大将自らが率先して妻を差し出したというその
態度に対する称賛である。自分さえよければ、と言ってしまっては身も蓋もないが、ここら辺に「まず己ありき」という中国
人の国民性が見て取れないこともない。先の分類の意味がなくなってしまったが、とにかく、「中国人は人肉OK」という
ことだけ覚えておいていただければそれで十分である。

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 最後に。人食いが悪いこととなったのはいつからか。先程も登場いただいた某先生は、「価値観を持ち込んだのはキリ
スト教かなあ」とおっしゃっていた。しかしまあ、儒教だって「肉刑は残酷だからやめよう」と考えるわけだし、韓国で臓器
移植に強い抵抗が示されるのは「先祖から受け継いだ体を他人に取られるわけにはいかない」という儒教的な通念だと
聞くから、中国でもそれなりに「悪」だと見ていたとは思うのだが、文化大革命の際にも「人民の敵」の肉をメインディッシュ
にした宴会が開かれた、という事実がある。結局のところ中国においては、人肉食は未だに悪いことではないのでは
ないか、という結論に落ち着いてしまう。

  どちらにしろ現代の社会で人食いなんざしようものなら世界中からあっと言う間に「野蛮人」「未開人」と罵られることに
なるから、中華人民共和国が人食い事件の情報を公開するはずはなく、また中華の人民も「人を殺すの法禁あるに因る
のみ」とまではいかなくとも、わざわざ犯罪者になってまで人を食べる気はなかろう。しかし、である。なにぶん50を越える
民族が住む中国であるから、そこらへんの社会的通念が通用しない連中も、いないとは限らない。身内は駄目だけど流れ
者ならあとくされなし、なんて所に踏み込んだ日にゃあ洒落にならない。皆様も中国旅行の際には危うきに近寄らず、イン
チキ商売にぼったくられるぐらいでやめておきましょう、と何やらわけのわからぬ警告らしきものを記し、まずはこれまで。

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参考資料

礫川全次 「歴史民族学資料 書2 人喰いの民族学」 批評社 1997年

右書中より、
神田孝平 「支那人ノ人肉ヲ食フノ説」

田中香涯 「人肉の嗜好」

       「支那に於ける食人の風習と人体解剖」

桑原隲蔵 「支那人間に於ける食人肉の風習」

長永義正 「支那食人考」

を随時参照致しました。


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