No.34

僕の背番号は34番だ。
このサッカー選手に似つかわしくない「34」という背番号にこだわって、およそ10年。
もちろん、実力がなかったから7番や10番なんてつけさせてもらえなかったんだけど…
この「34」の由来は何処か?

巨人に金田正一というものすごい左腕のピッチャーがいた。
通算400勝は現在も最多記録である。
って言うか、とんでもないルール改正でもないかぎり永久に抜かれることはないだろう。
毎年20勝して20年かかる記録だ。すごすぎる!
どんだけ投げるねん?!
ちなみに2000年の最多勝はセ・リーグは中日のバンチ、パ・リーグは西武の松坂で、ともに14勝である。
その金ヤンの背番号が「34」だった。

その彼のすごさにあやかろうとしたのかどうかは知らないが、
一昔前のプロ野球には34番の左腕のエースがどこのチームにもいたもんだ。
最近は少なくなったが、今は中日の山本昌広、阪神の星野、ヤクルトのニューマンとか?
やっぱり左ピッチャーが多い。

34番のピッチャーといえば、あの人である。
メジャーリーグの記録を53個も持つ怪物、100マイル(160km)の豪速球を投げる男、
Nolan Ryan(ノーラン・ライアン)が34番のピッチャーだった。
もはや、伝説のピッチャーである。


では、僕の背番号もそのへんから来たのか?と言うと、答えはNOだ。(なんじゃそら!笑)
そもそも僕はあんまり野球に詳しくない。
金ヤンの背番号なんて知らなかった。(笑)

実は僕の34番は、Kevin Schwantz(ケビン・シュワンツ)にあやかっている。
シュワンツって誰かって?
実はサッカー選手ではない。バイクのレーサーだ。

シュワンツは「速い男」だった。
はまるとメチャクチャ速かった。
猛烈に後ろから追い上げて逆転勝利してみたり、
ファイナルラップの最終コーナーでぶっこ抜いて優勝してみたり、
トップ独走中に転倒してみたり。(笑)
もう、ホントに漫画のようなことをやってくれるライダーだった。

シュワンツの話をするとき、Wayne Rainey(ウエィン・レイニー)を抜きには語れない。
2人はともにアメリカ人でアメリカ国内にいたころからライバルだった。

レイニーは「強い男」だった。
ロバーツ、ローソンの系譜を継ぐレーサーと言える。
とにかく転倒してノーポイントに終わることを嫌う。堅実なレーサーだった。
確実にポイントを取る。だから強い。
堅実といっても、その速さは尋常ではなく、ポールtoフィニッシュが圧倒的に多かった。
しかも、男前…。

レイニーはめったに転倒しない。年に2回ぐらいしか転倒しない。
これがどれぐらいすごいかというと、シュワンツは1日に2回転倒したりする。
それも、予選の1日目に転倒、二日目にも転倒、そして本レースも転倒リタイア…みたいなことがホントにあった。
アホと言えばアホである。(笑)

そんな二人の対決は本当に面白かった。
シュワンツが得意なのは、ハードブレーキングを要する低速コーナー。
つまり、ものすごいスピードで突っ込んできて、急激に減速するコーナーである。
普通の選手は無理しない。まして、レイニーのように堅実なレーサーは絶対に無茶はしない。
しかし、シュワンツはそのレイニーのインに飛び込んで行く。まるでヤンチャ坊主だ。
レイニーはぶつかって転倒するくらいなら2位でも良いと考えるレーサーだ。
もちろん、レイニーを抜けるほどの選手はほとんどいないのだが。

長い目で見て、シリーズチャンピオンを狙うのがレイニー。
しかし、シュワンツは「2位じゃ嫌やねんっ!」という感じ丸出しである。(笑)
だから、二人のマッチレースになるとシュワンツは滅茶苦茶な突込みをする。
もちろん、レイニーだって負けたくはない。普通なら抜かれやしない。

しかし、シュワンツの天才的なブレーキング、転倒と紙一重の突っ込みにやられてしまう。
…って言うか、シュワンツの無茶にレイニーが譲ってしまうような感じだ。
見ていると、「おい!危ないねぇな!抜きたきゃ抜けよ!」というレイニーの声が聞こえてきそうなのだ。
実際にはレイ二ーだって、ギリギリなんだろうけど…。

レイニーはチャンピオンを求め、シュワンツはただ「速さ」を求めていた気がする…。
そんな二人だから、結局チャンピオンになるのはいつもレイニーである。
安定した強さを発揮できるレイニーはすごい。
レーサーとしてどちらが理想かというと、文句なしにレイニーである。
シリーズチャンピオンになるのがチームの目的だし、転倒すれば怪我もする。
転倒の多いライダーは良いライダーとは言えない。

でも、僕はシュワンツに憧れた。

意固地なまでに速さを求めるシュワンツ。
2位じゃ我慢できないシュワンツ。(笑)
1位独走中でも、確実に勝てないシュワンツ。(笑)
その未成熟さ、危うさが彼の魅力だった。
そのシュワンツがNO.34だった。

ライダーのゼッケンは前年の年間順位で決まる。
つまり、栄光の1番は前年のチャンピオンがつける。
2位以下もだいたい順位通りにつけるが、義務ではないらしい。
シュワンツは毎年34番をつけ続けた。
1番になるまで、つまりチャンピオンになるまで34番でいく、と。

シュワンツにとってチャンピオンになるというこは、レイニーに勝つということだった。
アメリカ国内時代から、シュワンツはレイニーに勝てなかった。
1988年に二人は同時に世界フル参戦を開始する。
シュワンツは2勝してランキング8位、レイニーは1勝ながらランキング3位に入る。

翌1989年、レイニーは3勝してランキング2位。
シュワンツはなんと、この年の最多勝6勝(15戦中)をマークするも、5リタイアが響いてランキングは4位。
(シュワンツらしい…苦笑)

1990年にはレイニーが7勝という圧倒的な強さで初のワールドチャンピオン獲得。
シュワンツも5勝するが、レイニーには及ばずランキング2位。
この年、二人合わせて15戦中12勝!!すごすぎた!

1990年から、1991年、1992年とレイニーが3年連続のチャンピオン。
まさにレイニーの黄金時代だった。
僕らシュワンツファンは、レイニーのスタートダッシュからの独走をうらやましく思いながら、
スタートが下手なゼッケン34を応援し続ける…。

レイニーの「強さ」、シュワンツの「速さ」。
この時代のグランプリは本当に面白かった。
ライダーとして好対照の二人は、本当に良いライバルだった。
昔は表彰台の上で目を合わすのも嫌だったらしいが、
この頃には、雑誌などでも談笑する二人の写真をよく見かけた。
お互いにアドバイスするような仲だったという。


事件は1993年に起きた。
第12戦、イタリアGP。
この年もレイニーはすでに4勝をマークしていた。
シュワンツとのチャンピオン争い。

事件はレース中に起きた。
あのレイニーが高速コーナーで転倒する。
あの滅多に転倒しないレイニーが。
危険な転倒だった。


その後、NEWSは伝えた。
ウエィン・レイニーが半身不随になったことを。


そして、この年シュワンツは初めてワールドチャンピオンになる…。


翌1994年、レイニーは「チームレイニー」の監督として、車椅子でサーキットに復帰する。
シュワンツは念願だった栄光のNO.1をつけてグランプリを走る。
しかし、彼の前にもうレイニーはいない。
皮肉にもシュワンツに、もうあの煌きはなかった。
シュワンツはこの年をランキング4位で終える。

翌1995年、シュワンツは再び34番をつけてレースに挑む。
しかし、第3戦まで出場しながら第4、5戦を欠場。
第6戦、あのイタリアGPの場で引退を表明する。
奇しくも、この年に彼が得たポイント数は「34」だった…。

WGPでシュワンツの34番は永久欠番になる。

そして、この年を境に僕もGPを見なくなった。
しかし、今でも僕は背番号34のユニホームを着ている。
シュワンツとレイニー、二人の偉大なライダーに畏敬の念をこめて、
レイニーの「クールさ」と、シュワンツの「ハート」を兼ね備えた選手になれるように…






*参考文献(上のシュワンツ、レイニーの映像もこちらのページ内です)

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