増上寺

 日比谷通りを、三田から芝の方向に歩いて行くと、まず、ひとつだけポツンと立っている古びた門が見えてくる。これは、かつて徳川幕府2代将軍秀忠(台徳院)の霊廟の門であった。今はその向こうに霊廟はない。しかし、在りし日の霊廟の規模をしのばせてくれるような門である。更に歩いて行くと、壮麗な三門(三解脱門)が見えてくる。これは中門にあたる。巨大で、カメラにおさめるのがやっとだ。この門の上には、釈迦三尊像や四天王像が安置されている。

  三門をくぐると広々とした境内。境内の中にはいくつかの歴史的な記念物がある。まずは、法然の歌碑。この寺は浄土宗なので、開祖である法然のいくつかの歌碑を立てている。それから、グラント松がある。グラント松は、アメリカの南北戦争時の北軍の将軍で、後に合衆国第17代大統領になったグラントが、来日した際に植えたものである。

 本堂の中は、一般に開放されている。ここに入り、焼香をして、金色の本尊を拝むことができる。中は、お香の匂いがただよい、ひんやりとした静けさを保っている。椅子に座り、華麗な本尊と対峙していると、しばし時を忘れてしまう。江戸時代に盛大な勢力を誇った増上寺のありさまが思い起こされる。

 増上寺はもともと光明寺といって、武蔵国豊島郡丘陵貝塚(千代田区紀尾井町)にあり、古義真言宗に属していた。明徳4年(1393年)、住持聖聰のとき、浄土宗に改め、寺号を今の増上寺に変えたのである。
 天正18年(1590年)、 豊臣秀吉が関東の地を、徳川家康に与えた。その年の8月、家康は江戸城に入る。たまたま、増上寺の住持・存応は、家康の郷里三河国大樹寺の出身であった。そのため家康は、存応を親しくなり、師壇の交を結んだ。慶長3年(1598年)、増上寺は芝に移転されて、将軍家の菩提寺となる。そしてもうひとつの菩提寺である上野の東叡山寛永寺と並んで、江戸時代にもっとも栄えた。

 歴代の将軍は(家康・家光・慶喜以外は)皆、増上寺か寛永寺に埋葬されている。そのうち、増上寺に埋葬されているのは、秀忠・家宣・家継・家重・家慶・家茂の6人である。江戸時代には、増上寺の敷地は、本堂を中心に南北に広がっており、現在の数倍(約40万坪)はあった。そして、その中に、70余棟の建物があって、美しさを競っていた。
 本堂の南側には、2代将軍秀忠の霊廟を中心として、6代将軍家宣の父・徳川綱重の霊廟などがあった。北側には、6代将軍家宣・7代将軍家継・9代将軍家重・12代将軍家慶・14代将軍家茂らの霊廟があった。増上寺に埋葬されている徳川家の人間は、将軍・御台所(正室)・側室・子女など、全部で38人に及ぶ。

 これらの霊廟は、戦前、国宝に指定されていたが、戦災で焼失し、墓のみが取り残された。1958〜60年に、これらの墓は改装された。現在は、本堂から右手奥に行ったところに、まとめられたひとつの区画として存在している。その門には、葵の御紋が付いていた。墓は今、塀に囲まれひっそりとたっている。その中に歴史で習った人物が葬られているというのは、感慨深いものであった。
 これらの墓は改装する際に、当時の徳川家当主の理解によって、遺骨と遺品の発掘・整理・研究が行われている。その結果、大変興味深い事実が判明した。
9代将軍家重の墓には、生まれた時の髪が箱に入れられ、丁寧に納められていた。 14代将軍家茂の墓には、副葬品として、寒暖計(オランダ製)と革ケース入り懐中時計(イギリス・ロンドン、ベンソン社製)がともに埋葬されていた。これらは幕末という時代を感じさせるものである。家茂の御台所であった和宮親子内親王は、夫君家茂が写った湿版写真を抱くようにして永遠の眠りについていた。
 また、毛髪や爪から、将軍家の人々の血液型も判定された。結果は秀忠=O(?)、家宣=O、家継=A、家重=A、家慶=B、家茂=Aである。更に、遺骨の分析の結果、次のようなことがわかった。総じて、将軍・御台所は顔幅が狭く、顔高が高い。これは、江戸の町の庶民の顔かたちとは異なっており、当時の貴族的な容貌の特徴であったと考えられている。また身長は低く、家宣(6人の中で最も長身)が160.6cm、家慶(6人の中で最も低い)が154.4cmであった。将軍家の人々は柔らかいものばかりを食べていたので、歯が異常に擦り減っておらず、歯列は不整で、顎の形成が未発達であった。また、糖分摂取が庶民より多いため、虫歯も多かった。これらの研究は歴史学的・人類学的に貴重なものである。

 徳川家霊廟の前でしばし厳粛なきもちになり、はるか昔に思いをはせた後、増上寺を出た。そこは、いつもどおりの喧騒に満ちた都会の中であった。

<参考文献>
北島正元編『徳川将軍列伝』秋田書店、1974年
鈴木尚他編『増上寺 徳川将軍墓とその遺品・遺体』東京大学出版会、1967年

初出:『Romancing History 1998』vol.1、1998年11月10日発行

 

 

 

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