津田英二「近代化過程における社会教育・生涯学習の意味とその問題」
(『社会教育・図書館学研究』第19号、1995年3月、pp.23-32)
 
 
T.はじめに
 
 建築様式を端緒としたポストモダンも、日本では一過性の思想的流行の時期を終えた。我々の思想はすでに、近代化によって達成されようとしてきたものをいったん清算し、我々がこれからめざそうとするものが近代化の更なる進展にあるのか、あるいはそれ以外のなにものかにあるのか、ということを我々の日常生活の実践の諸局面において決断するものでなければならない時期にきた。
 社会教育の実践もまた、未来の社会や人間のあり方の構想と密接に連関していなければならない。筆者は先に、一般的に発達論がもっているイデオロギーの内実とこれまでの社会教育の実践との関係を批判し、それに代わる「発達」概念を提示しようとした1)。しかしこの試みは、社会の成り立ちの構想をも含めたよりマクロな視点と相補的な関係に立ったとき、いっそう問題を鮮明にすることができるだろう。したがって本稿の意図は、近代化の現代的意味について正負の両面にわたって考察し、その視座から社会教育の実践の特性を明らかにしようというところに設定する。
 ところで、「近代化」という語は体系化された言葉ではない。それを使用する人によって様々な意味を内包する、多元的な言葉である。「近代化」という概念を扱うとき、この多元性を無視してはならない。なぜなら、この概念によって明らかにしようとするものは、民主主義、機械化、資本主義、主客二元論の普及といった「近代化」の下位概念が単独では示しえない全体的なまとまりだからである。「近代化」をこの多元性に配慮した上で概念整理して分析枠組みとしているものに、パーソンズのAGIL図式からの応用を挙げることができる。例えば富永健一は、「近代化」を経済的近代化、政治的近代化、社会的近代化、文化的近代化とに分節化し、それぞれの「近代化」の価値として、産業化、民主化、自由・平等の実現、合理主義の実現を挙げている2)。この分類は「近代化」を包括的に捉える有効な視点を提供している。とはいうものの、これは「近代化」のそれぞれの価値から現実がどのくらい隔たっているか、という分析のための枠組みを提供しているにすぎず、それぞれの価値の実現が全体的なまとまりとしての「近代化」の中でいかなる機能を果たしているのかという、より高次の価値判断の基準を提供する枠組みにはなっていない。したがって富永の言う「近代化」は、疑う余地のない普遍的な価値概念となる。それに対して筆者が次章で展開する「近代化」の概念は、より積極的に価値判断を問うものであり、したがって歴史的、地域的に相対的な概念であることをめざしているのである3)。
 ところで、富永は「近代化」をAGILの4つのサブシステムの分析によって説明しようとしたのであるが、それに加えて「近代化」の構造自体が時代を追って変化する。すなわち「近代化」は、共時的に多元的であるとともに通時的にも単一のものではないのである。
 概して言えば、「近代化」の構造転換は二度起きていると考えることができよう。一つには、身体の自由・精神の自由および所有権といった自由権を軸とした19世紀までの「近代化」と、それらの自由権を実質的に保障する社会権が登場した後の「近代化」との間の構造転換である4)。そして第二の転換の波はほんの近年(1970年代から一つの潮流として勃興し、日本では80年代末から)始まったばかりである。この転換が本稿の主題になるのであるが、簡単に述べるなら、これまでの「近代化」は、非理性を大ざっぱに排除していくことによって理性を純化し、その理性を統制していくことで秩序を実現していくことを志向していた。それに対して新しい「近代化」は、非理性の隔離をやめ、理性による非理性の統治をコミュニティあるいは市民社会に委ねていくことを志向している。本稿では前者を「啓蒙統制型近代化」、後者を「自立共生型近代化」と呼ぶことにする。
 なお、本稿では以上の分析を「知的障害者」と呼ばれる人々への処遇を媒介にして行なう。「知的障害者」と「精神障害者」とは、近代化の過程においてラベリングされ排除されてきた非理性を体現する人々だったのであり、その処遇は「近代化」の性質に深く根ざしているからである。
 
U.啓蒙統制型近代化
 
A.「近代化」の意味〜何が達成されようとしてきたか
 「近代化」とは第一に、封建制による支配権力から自由になる過程である。近代の思想は、人間の自然的な自由を仮定することから始まる。人間はこの自由を支配権力に完全に売り渡して奴隷となることはできない、というのである。すなわち、“自分の自由の放棄、それは人間たる資格、人類の権利ならびに義務をさえ放棄することである”5)。この考えの基礎にあるのは、人間が確固たる個人=自己として存立することの了解である。そして“自由とは、……彼がそのもとにある法の許す範囲内で、自分の一身、行動、財産及びその全所有を処分し、このようにして、自分の思うままに振舞う自由であり、その点で、他人の恣意に服するのでなくして、自由に自分自身の意志に従うことである”6)とされる。このように「近代化」とはまず、個別化された自己を焦点として確定し、その身体の自由、精神の自由そしてそれらを用いた労働の成果物に対する自由を根拠とした、他人の害にならない範囲内での権利が認められる過程である。
 次に問題になるのは、このような個人の自由を根拠とした権利を基礎とする統治機構はどのようにしてつくりあげることができるかという点である。近代の思想は次のように回答する。すなわち、人々は他人との共通の利害をもとに一般意志を形成し、その一般意志によって社会契約に基づいた政府を形成する7)。そして、その政府のもとでは人々の自由は、一般意志によって立てられた恒常的な規定に従って生きることにある、というのである8)。したがって、人々はこの一般意志を形成し、それに従うという双方の側面から啓蒙されなければならないのである9)。すなわち「近代化」は第二に、啓蒙された理性の使用によって社会を成り立たせる過程である10)。
 また、このように一般意志による政府の形成とそれによる統治という構想は、必然的に国民国家を要請する。逆に言えば、近代国家の権力は、自由な権利主体としての国民が理性を用いて一般意志を形成することによって正当化されえる11)。すなわち「近代化」とは第三に、国民国家を純化していく過程なのである。
 最後に、個々人が各々自己の欲求と利害をもつことを前提とし、その上で人々の共通利害によって国家を樹立するという構想のもとでは、国家による共通利害に対応する財の供給と、市場経済による個々人の欲求充足のための財の供給とを分化させ、さらに国家と市場経済による供給の双方で、欲求ごとに供給される財を分化させていく。個々人の欲求は明るみに出され、機能ごとに分化した財によって満たされる。こうして社会の中枢は利益社会関係によって占められる12)。すなわち「近代化」とは第四に、社会の諸機能を分化させていく過程である。
 以上の「近代化」の規定をまとめると次のように記述できる。すなわち「近代化」とは、啓蒙された個人の観念的自由を根拠とした権利を、理性を用いた一般意志によって成り立つ国民国家が、機能ごとに保障していく過程である。
 さて以下ではいよいよ、この「近代化」の4つの規定13)をもとにしながら、啓蒙統制型近代化と自立共生型近代化との相違を浮き彫りにし、もって社会教育の実践のもつ特徴と今後のあるべき姿について考察を進めていく。
 
B.「知的障害者」の処遇から見た啓蒙統制型近代化
 近代以前において「知的障害者」の処遇がいかなるものであったかは、断片的に明らかにされているにすぎない。多くの文献は、近代以前の「知的障害者」に生存の機会はなく、生存が許されたとしても侮蔑と差別にさらされる受難の時代として扱っている14)。彼らが資料として用いるのは、例えば古代においては『古事記』『日本書紀』に登場するヒルコの神話であり、中世においては『一遍聖絵』における「癩者」や「不具」の描写である。けれども、より綿密な時代区分や時代背景の考察、それに「障害」の程度を考えあわせれば、単純に「近代化」が「知的障害者」を救ったという構図は導き出せない。例えば狩猟=採集民族において見られる「厄介ばらい」は、生産量に応じたいわゆる「口べらし」ではなく、移動時における困難が原因であったようである15)し、「口べらし」はむしろ戦争が活発化した弥生時代末期以降であり、縄文後期から弥生前期、すなわち農耕社会の定着期においては、「障害者」が天寿を全うしていたらしいという報告もなされている16)。また、「障害者」の多くが含まれていたであろう「異類異形」の人々は、室町時代前期までは無縁の世界において活躍し畏敬の対象でさえあり、差別される対象として社会の空気が定着してきたのは、戦国から近世初期のことだとも言われる17)。評価の基準として、国家による救済にとるものは言うまでもなく、農村共同体における救済にとるものさえも、我々のもつ独善的な価値意識の反映であるのかもしれない。
 とはいえ、公平にみて近代以前に「知的障害者」に対する差別が存在したことは明らかであるし、また近代以降多くの「知的障害者」の生存が相対的に保障されるようになったことも確かであろう。ただ、近代以前に比べて近代では「知的障害者」としてラベリングされる人々の数が増し、以前には「健常者」として普通に生活していた人々が新たに差別を受けるようになったという事態も、忘れてはなるまい。我々は「近代化」を「知的障害者」への処遇に関する視点からも、安易に価値判断を下すことはできないのである。すなわち、近代国家による「知的障害者」への処遇は、配慮と排除という両価性を胚胎してきたのである。
 例えば次のような例を挙げることができる。1872年の学制施行以後しばらくは、おそらく近代以前にも「知的障害者」のラベルを貼られていた子どもは、「白痴」として就学義務を猶予・免除されていた。その30年後、ようやく文部省が“盲人教育、聾唖教育、白痴教育等特殊の教育”が、本人の幸福のためのみならず、“国家社会が、各人の能を盡さしむる利益の為”、また“盲者、唖者、痴者以外のもののためにも必要なり”として、特殊教育に本腰をいれようとしていた18)。ところがちょうどその頃、小学校では、現に就学している子どもの中の劣等児・低能児をどのように扱うかということが問題となっており、“小學校に特別級を設くべき”という意見が出てきていた。すなわち、“今の千種萬様の者を一緒に混雑して教育して居る中から、圖抜けて不規律な者、圖抜けて愚鈍な者、即ち並外れ(abnormal)の者だけを引き離し、あとの並の者を揃へ、十分に調子を整へて、普通の人、普通の国民を作りたいといふにあります。”19)すなわちこの時期に、「知的障害者」への科学的・専門的に配慮されたサービスが社会のひとつの機能として整備され始め20)、それと同時に「知的障害者」としてラベリングされる人々の構成が定着し、それらの人々が「普通の国民」の前から姿を消していったと考えられるのである。
 学校教育制度の面でこの配慮と排除のプロジェクトが完成したのは、1979年の養護学校義務化においてであったろう。養護学校義務化は、“「白痴」を「動物的生存」から「人間的生存」へとたかめんとする苦斗の歴史”に連なるものであり、「知的障害者」を「近代化」過程に参加させる運動の成果であった21)。したがってそれは、“権利としての障害児教育”の実現であったのであるが、しかし同時に、「車いす生徒の特殊学級入級取消訴訟第一審判決」(後述)において鮮明に描き出されたように、排除という手続きを踏んだ上での「近代化」への参加だったのである。けれどもこの時期にはすでに、このような配慮と排除のプロジェクトは、「ノーマライゼーション」を代表とする海外の思想の流入によって、足元から切り崩され始めていたと言うことができるのである。
 さて次に、啓蒙統制型近代化過程における近代法体系から、「知的障害者」への処遇のあり様を読み取ってみよう。「知的障害者」に対する国家による配慮と排除は、近代法体系にいっそう鮮明に映し出されるからである。
 日本の法体系において「知的障害者」の処遇状態をもっともよくあらわしていたものは、民法第7条から同第13条までの、「禁治産」および「準禁治産」に関する規定であった。「禁治産」制度というのは、成人に対する法定の後見制度であり、“心身喪失ノ常況ニ在ル者”の行為能力を剥奪し、本人の行為を代替する者として後見人を置くことを認める制度である22)。“心身喪失ノ常況ニ在ル者”であるかどうかは医師が診断し家庭裁判所が決定するが、基準となる病名の中に精神分裂病、精神薄弱、てんかん性痴呆などがあり、したがって「知的障害者」も「禁治産」の適用をうける23)。また「禁治産」の申立権者は、本人、配偶者、親族、後見人、保佐人、検察官であり、法の理念としてはすべての“心身喪失ノ常況ニ在ル者”がもれなく「禁治産」宣告を受けることをめざしている24)が、実際にこの制度を利用する者は少ない。その理由としては、第一に手続きの煩雑さ、第二には「禁治産」が、第一義的には本人の意志能力を補充するという利益処分であるが、あらゆる単独での法的行為、取り引き、そして選挙に関する権利をも剥奪される不利益処分でもあるからだとされる25)。
 「禁治産」は、次の二点において啓蒙統制型近代化の特徴を表している。第一に、「障害」の程度のいかんに関わらず、「禁治産」の宣告を受けると、一律に行為能力が剥奪される点である。極端な言い方をするなら、この法律のめざすところは「障害」の排除にあるのではなく「障害者」の排除にあるのである。つまり非理性として認識されるものは、個々人あるいは集団が自己の内に隠し持っている非理性的なものであるよりも、非理性的な主体=人間そのものなのである。第二の特徴は、「禁治産」制度が、「禁治産者」の安全と取り引きの相手方の安全との双方を守ろうとするものであるという点である。むしろこの制度の関心は秩序維持にこそ向いていると言うべきで、この法の運用が「障害者」の不利益になることは、十分に許容の範囲内なのである。この2つの特徴26)が、自立共生型近代化において乗り越えられなければならない課題となる。
 さて、本章では啓蒙統制型近代化の諸特徴を「知的障害者」への処遇をめぐって考察しているのであるが、「精神障害者」への処遇をめぐる考察によっても同様の結論が得られたと思われる。例えば、ポーターは次のように分析している。すなわち“監禁の根本的理由は、正常な理性と妄想との間の本質的境界線を新しい時代がどう見るかにかかっている”のであり、17世紀に始まり19世紀に特にはずみがついた「大監禁」の根本的原因が、“狂人を閉じ込めておくことは万人にとって最善の措置であり、狂人の幸福にとっても社会の安全のためにも必須なことである、という考え方”にある、というのである27)。
 以上に述べてきた、「知的障害者」に対する処遇の視点からみた啓蒙統制型近代化の特徴をまとめておこう。a)非理性が一般社会から隔離されるプロジェクトであった、b)非理性の隔離が人間の隔離として実践された、c)その隔離が隔離される者と一般社会との双方にとっての利益として認識された、d)それにも関わらず隔離によって生じる隔離された者の不利益には無関心であった、e)隔離された者が「本来の人間的な姿」になるための科学的・専門的な配慮の対象となった。
 
C.社会教育の実践にとっての啓蒙統制型近代化
 これらの諸点を一般社会の側から捉え返すと、次のようなことが言える。すなわち、啓蒙統制型近代化過程において我々は、自己の普遍的な理解可能性を十分に引き出すように努力し、それを阻害するような非理性を抑圧・排除してきたのであり、またそのような操作が我々の究極の利益であると誰もが信じ込むようになったのであり、さらにこういったプロジェクトを可能にする社会の技術が要請されたのである。
 今日まで様々に語られてきた社会教育の実践に関する言説は、まさにこの社会の技術として布置された装置をめぐってなされてきたと言えよう。
 教育基本法における教育の理念が「近代化」のそれと合致することは、<教育の目的>の記述に見るまでもなく明らかである。社会教育も当然教育基本法の理念を引き継いでいるわけである。“社会教育の本質は、教育的に、社会人としての自己形成を促進せしめ、かつ相互教育を通して民主的な社会形成を可能ならしめることにあるといわれているのであるが、社会人一般が、進んでみずからを高めるための場としての社会教育施設の担う役割は、社会教育上まことに大なりといわなければならない。”28)このように、社会教育の実践がその最も中枢的な部分に「近代化」のプロジェクト(本章A節参照)を胚胎してきたことは、疑い得ない。問題は啓蒙統制型近代化過程における社会教育の実践が、どのような理性を求め、どのように非理性を扱ったかという点にある。
 まず、先にみたように学校教育がすでに大正期から特殊教育の整備をめざしていたのに対して、社会教育の実践では「知的障害者」への対応はほとんどなかったことを確認しておくべきだろう。僅かに1970年代以降「知的障害者」の親たちの要求によって、各地で障害者青年学級が開級されるようになってきた。しかしそれにしても、行政の対応の面から言ってもまたその規模の小ささからしても、例外的な措置であるにすぎない30)。社会教育法第20条に、公民館の目的のひとつに「福祉の増進」がうたわれていることから考えても、社会教育行政による戦後の「知的障害者」への処遇は不当であると言ってもおかしくない。
 実際、社会教育と社会福祉とは戦後に至るまで深い関わりあいをもっていた30)。けれどもこの関わりが、逆に社会教育行政の業務から「知的障害者」への処遇を締め出していく結果をもたらしたとも言えるだろう。すなわちその後、社会教育行政と社会福祉行政とが急速に分化していく中で、一般社会において「近代化」を進めていく業務と、非理性の主体をそこから排除し保護する業務とが分業化し、社会教育行政が前者を、社会福祉行政が後者をそれぞれ分担するようになったと言うことができよう31)。
 社会教育の業務と社会福祉の業務とがまだ完全に分化していなかった時代には、社会教育の実践の課題として、非理性に対してどのような処遇をするかということが、あからさまに問題となりえた。例えば1952年に文部省が発行した『社会教育の手引』において、「社会教育の内容」として純潔教育が挙げられている。ここでは次のように述べられる。“純潔教育は……正しい性道徳、性知識を理解させ、自覚的なものにまで高めるとともに、とかく行動面において逆作用を招き易い問題であるだけに、特に青少年に対してはその環境条件を整備改善するとともに、積極的にそれ自身のもつ人間性の善性を伸長発展させ、ひいては、人格を磨き、識見を高め、社会の有能な個々人たらしめようとするものである。”32)
 そもそも共同学習というのは、そのような非理性と対峙することを通して行なわれる社会教育の方法であった。したがって、社会教育の「近代化」の途上において社会教育と社会福祉とが未分化であったのは、政策レベルというよりもむしろ社会教育の実践の場においてであったと言うべきである33)。けれども、その当時から共同学習はその主唱者たちによって、民主主義の担い手となる主体を形成するための教育の方法として提起されていたのである34)。すなわち共同学習は、現象面において理性と非理性とのダイナミズムを原理としていながらも、それにまつわる言説においては理性を媒介にした社会の形成を支える教育のあり方として認識されたのだと言える。しかし「近代化」の理念にとっては、共同学習はあまり合理的な社会教育の方法とはなりえない。それゆえに共同学習は批判の対象となり、事態は社会教育としての機能をより分化させる方向に急速に流れていったのである35)。
 啓蒙統制型近代化過程において社会教育が機能分化すると、社会教育が公共的な場として語られなければならなくなる。公共的な場というのは、非理性は理性を通して語られはするものの、非理性自体は立ち入りを禁じられた場である36)。社会教育の実践はこのように、非理性の排除を前提とし、理性による一般意志を形成していくための公共的な場として、ひとつの価値意識を伴って認識されるようになった。その意味で社会教育の実践はまさしく、啓蒙統制型近代化のためのイデオロギー装置として機能したのである。
 
V.自立共生型近代化
 
A.自立共生型近代化とは何か
 例えばこういう事件がある。ひとりの肢体不自由の中学生が普通学級に入級することを希望しており、親もそれを強く支持していた。はじめは教育委員会も彼らの意見を尊重していたにも関わらず、入学式の当日になって学校側が特殊学級を設置して彼女をそこに編入させることを知らせた。これを不当とした親子は、この処置の取消と国家賠償を裁判所に訴えた(車いす生徒の特殊学級入級取消訴訟)。裁判の論点の中に子どもの自己決定権をどのくらいまで認めるべきか、というのがあった。第一審判決(旭川地裁1993年10月26日)では次のように述べられている。
“教育は、子どもの人格の完成を目指すものとして、子どもの学習をする権利を中心として考えなければならないのは当然である。しかしながら……子どもが学習権の主体であるからといって、人格の未熟を前提にその完成を目指すために教育を受ける子どもが、自ら教育環境も含めた教育内容を決定できるという議論は、およそ健全な社会常識に合致しないものと思料される。”“とりわけ、心身障害を有する子どもの教育においては……いわゆる障害児教育に関する科学と実践及び学校教育体系との関わりにおける様々な評価や、これについての利害関係者の議論を踏まえた上で、心身の障害の実態に即したきめ細かい教育課程が実施されるよう、いっそうの教育内容及び指導方法の改善・充実を図り、心身障害を有する子どもに対する教育条件の整備に努めなければならないのであるから、かかる教育内容を決定する権能は、かかる責務の担い手たる国に帰属するといわざるを得ない。”
 ここで国民教育権説と国家教育権説との対立を描こうというのではない。むしろ双方の説に共通している近代教育権論に内在する問題点を指摘したいのである。近代公教育論の基本的支柱は次の三点である。a)前提として子どもの教育を受ける権利を認め、b)親は子どもの権利を実現する義務をもつと同時に、第三者の不当な介入を排除する権利をもち、c)親の義務・権利は共同化して公教育に委託することができる37)。この構図は二つのアポリアを含んでいる。ひとつは公教育の意志と親の権利との対立、もうひとつはこの二つの意志と子どもの権利との対立である。これまでの教育問題は主に前者を中心にして議論されてきたのであるが、上に見た事件は後者の問題の大きさを提起している38)。判決は次のように述べているのである。すなわち、子どもの教育を受ける権利は全面的に肯定するが、それをもって子どもに教育に関する決定権があるとは言えない。なぜなら、子どもは未成熟であるがゆえに決定能を剥奪されなければならないし、ことさら心身障害児の場合には特別な配慮が必要であるから科学的・専門的な指導が子どもとその親の権利に優先するからだ。
 このような自己決定権をめぐって議論されるようになったのが、自立共生型近代化の特徴なのである。今年、日本もようやく批准した「子どもの権利条約」には次のような条項がある。「第12条(意見表明権) 1 締約国は、自己の見解をまとめる力のある子どもに対して、その子どもに影響を与えるすべての事柄について自由に自己の見解を表明する権利を保障する。その際、子どもの見解が、その年齢および成熟に従い、正当に重視される。」39)
 前の章で紹介した「禁治産」制度も、国際的な動向としては、自己決定権の尊重を原理とした改革の方向に向かっている。例えばドイツでは、これまでは日本の「禁治産」制度と同様に「禁治産」が宣告されると一律に行為能力剥奪を宣告されて後見と保護のもとにおかれるという制度が運用されていたが、1992年にそれが廃止され、新しい制度にとって代わられた。新しい制度は、後見と保護のかわりに世話 Betreuung を必要に応じて受けられるようにしたものである。この制度が適用されても、自然に行為能力が剥奪されることはない。その代わり、被世話人が自分自身または彼の財産を危険に陥れる危険があるときに限って、世話人の同意がなければ本人の行為が無効となる、ということを裁判所が決定することができる。したがって裁判所は、被世話人にどのような能力が欠けているかということを一人一人について判断しなければならなくなったのである。選挙権などは最終段階においてしか剥奪されないし、訴訟能力が剥奪されることはない40)。
 自立共生型近代化の大きな特徴は、このように一人一人の行為能力に応じたきめ細かい配慮がなされるところにある。啓蒙統制型近代化においては、行為能力がその対象である人物評価として大ざっぱに判断された。それに対して自立共生型近代化においては、すべての人間にもちえるだけの行為能力が認められ、行為能力剥奪を伴う保護は必要最低限度でしか運用されない。いわば、自己決定が尊重されまた要求される時代と言うことができるのである。
 ドイツの新しい世話制度の意味はひとつには、被世話人をとりまく自然的な人間関係によって成立した世話関係を、制度的に補完するというところにある41)。これは在宅福祉の延長にある制度としても見ることができる。在宅福祉とは、“入所型施設”と家庭との“中間的サービス・存在”42)であり、したがって援助を必要としている人のそれぞれの個別性が最大限に尊重され、できる限りの「自立生活」が認められ要求される福祉のあり方である。1990年の社会福祉関係八法改正に象徴されるように、地域福祉・在宅福祉化の波が押し寄せている日本においても、自立共生型近代化への転機が訪れている。
 
B.社会教育の実践にとっての自立共生型近代化
 自立共生型近代化の意味をまとめると次のようになる。a)「能力に応じて」の参加を徹底させること。自己決定を最大限に尊重するということは一面では、自己決定能力を軸にした能力主義の貫徹であるとも言える43)。また別の言い方をすれば、啓蒙統制型近代化においては、自己決定能力をもつことを強要し、もたない者は排除する政治によって秩序維持が図られたのに対して、自立共生型近代化においては、いまもっている自己決定能力を有効に利用させる政治によって秩序維持が図られようとしている。b)したがって、ある者の能力をもたぬ領域については、権利を剥奪され代わりに保護されるという構図は、啓蒙統制型近代化から引き継いでいる。c)科学性・専門性と自己決定とが折り合いをつけること。例えば啓蒙統制型近代化においては、臨死において本人やその家族の意志とは無関係に、医師は本人のできる限り長い生存のために技術を駆使し、それが医師の倫理であると考えられていた。すなわち医師の科学性・専門性が、自己決定に優越していたのである。それが自立共生型近代化のもとでは本人やその家族の意志が尊重されるようになってきており、尊厳死の是非をめぐっての議論が活発化される44)。尊厳死の合法化にまではいたらなくとも、インフォームドコンセントは医療の領域でも常識化してきているのである。d)住民自身による地域社会における実質的民主主義が普及していくこと。自己決定の尊重は地方分権化の政策とあいまって、自治体における住民自治が活性化してくる。したがって国民国家の役割は相対的に後景に退く。すなわち一般意志の形成が、国民国家という共同幻想的な舞台において行なわれるのではなく、地域社会という身の丈にあった場において行なわれるということである。
 社会教育の実践もまた、自立共生型近代化の波から影響を受けるのは必然である。生涯学習推進政策をそのひとつの表れとして捉えることができる。象徴的なのは、社会教育法には<社会教育法の目的>が明記されているのに対して、生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律においては、生涯学習の定義や目的がいっさい記されていない。その理由として文部省生涯学習振興課は次のように答えている。“「生涯学習」という用語は、現に広く一般的に用いられていますし、国民が自発的に学習を行うという形の中で生涯学習はその実態が形成されていくものであると考えられます。また、国が定義をすると本来自由であるべき個人の学習活動に対して制約をかけるものと受け取られるおそれもあります。”45)すなわち、社会教育の政策が民主主義を構成する主体を形成することに関心があったのに対して、生涯学習の政策はすでに人々がもっている自己決定能力を尊重しそれをいかに有効活用させるシステムをつくるか、ということを問題にしているのである。生涯学習推進政策においてボランティア活動の促進が唱導される背景もここにあるのだろう。教育された後にはじめて自己決定能力が用いられると観念されるのではなく、現在もっている自己決定能力をうまく活用することがめざされる。すると社会の教育的機能が活性化され、社会に参加している状態で民主主義を形成するための主体が形成される、これがボランティア政策の意味するところなのである46)。
 このように考えると、今後の社会教育の実践においては、社会教育としての機能が分化する前の状態に回帰していくという方向に期待がもてる。すなわち今後の社会教育の実践は、理性によって独占される場ではなく、一旦排除した非理性を呼び戻し、個々人が持ち寄った非理性と理性とをダイナミックに織り込みながら、共同的な人間関係を創造し、それによって一般意志を創造していく場となっていくことが望まれる。そして、そのための実践のキーポイントとなるのは、社会教育施設における「ノーマライゼーション」および共同学習の見直しであると言えるだろう。
 ところが、現状において社会教育の実践はそのようには動いていない。啓蒙統制型近代化の延長にある現在、社会教育の実践はすでに理性と非理性との分離に基づいていると言わなければならない。歴史的に形成された独自の機能を果たすものとして自己同定しようとする社会教育行政は、社会福祉で行なわれている事業を積極的に担おうとはしない。非理性を排除した場における理性の使用に自己決定の価値が加わることで、社会教育の実践は単に他者との上辺だけの共通性を契機とした私事になり下がるかもしれない47)。気の合う仲間と趣味に興じるという社会教育の実践の一般的なあり方が、自己決定の導入によって乗り越えられるだろうという見通しは、今のところ立たない。
 
W.おわりに〜自立共生型近代化の課題〜
 
 自立共生型近代化を、「近代化」過程に属するものとするかあるいはポストモダンとみなすべきかという点は、議論の分かれるところであろう。例えば「知的障害者」の隔離をやめ、彼の自己決定を価値とした在宅・地域での「普通の生活」がめざされるという点に注目するなら、これまでの「近代化」との決定的な断絶を強調することができよう。その場合、確かに我々はすでに「近代化」過程にはいない、ということもできる。
 けれども、筆者は現在のめざされている方向を「近代化」との連続的な過程として捉える。第2章A節で規定した「近代化」の枠組みから我々の時代は決して反れてはいない。自己決定の尊重というのも、「近代化」からの転換よりもその完成のために必要とされたものとして解釈される。
 このように書いてくると、次のような疑問をもたれるかもしれない。これからめざされるものが人間の幸福に近づくようなものであれば、それが「近代化」であろうとなかろうと構わないではないか、と。にもかかわらず筆者が「近代化」であるか否かということにこだわるのは、自己決定という価値を、社会の総体的ななりたちとの関連において相対化することが重要だと考えるからである。
 立岩真也は、自己決定の現代的意義を認めながらも、その難点を次のようにまとめている。48)
 @自己決定できない人はどうなるのか
 A財の公正な配分の主張と自己決定権の主張はうまく折り合うのだろうか
 B生命や身体の自己決定に基づく利用・処分を全面的によしと思えないのはな  ぜなのか
そして、これらの諸問題の起源となっているのが、主−客二元論だと述べる。“自身に内属するものを起点とし、それに起因する結果が自らのものとして取得され、その取得したものが自ら(の価値)を示す。「私」という主体に因果の開始点、判断・決定の起点を認める。私が第一のものであり、それ以外のものは、その外側にあって私に制御されるものである。”
 自己決定権が想定する「自己」とは、「他人はどうあれ自分は……」という形で示される堅固な「自己」である。けれども実際は、「自己」は肉体的にも精神的にも刻一刻と変化しているのであり、「他人はどうあれ……」というまさにその他人から大きな影響を受けながら存立しているものなのである。我々の身体を構成している細胞のひとつひとつが、もともと敵対する複数の微生物が時を経て共生するようになって成立したと言われている49)のと同じように、我々の血肉とするものはすべて、これがまさに「自己」のものと断定できるものではない。
 にもかかわらず「自己」が強調されるのは、「他人はどうあれ自分は……」と言明することによって利益が生じるからである。けれども、「自己」に影響を与える環境いかんによっては、実は自己決定は「自己」の利益とはならないということもありえる。また、環境との相互作用によって刻々と変化する「自己」にとって、自己決定は「自己」のひとつの物象化であり、「自己」を主張することが、次第に「自己を主張する者」の演技へと堕していく自己疎外の過程でさえありえる。さらに、自己決定を強調することによって新たに利益を蒙ると仮定された人々(これまで自己決定権を剥奪されてきた人々)ほど、自己決定が困難であるという状況も無視できない。
 いずれにせよ、「自己」に価値の根源を収斂させればさせるほど、それとは逆に「自己」を規定している環境との相互作用、他者との関係のあり方がクローズアップされる。ことさら自立共生型近代化の特徴のひとつが、非理性を国家による隔離でなく市民社会による処理に委ねるということである以上、現状のままの市民社会では、よりいっそう理性による非理性に対する暴力や差別の拡大へと流れるおそれもある。したがって我々がめざす価値の根源は「自己」にあるとともに、「自己」を根底から支える共同性でなければならない。その意味で、我々はさらに自己決定の価値を超克せねばならないし、「近代化」過程に安住していることもできないのである。
 
<註>
1) 拙稿「自我・認識構造の発達と社会教育〜Piaget構造主義をめぐって〜」『  東京大学教育学部紀要』No.34、1994年(掲載予定)
2) 富永健一『日本の近代化と社会変動』講談社、1990年、pp.40-57
3) 筆者の富永に対する批判は、普遍主義対相対主義という対立図式にのっとるものであるが、真の分析対象はこの対立にあるのではなく、普遍的でないものが普遍化され、普遍的なものが相対化されるという循環過程にあると、筆者は考えている。その意味で富永が、非西洋世界の近代化とは西洋近代からの文化伝播に始まる自国の伝統文化のつくりかえの過程であるとする捉え方(ibid.,pp.38-40)に、筆者も同調する。論点は何をどのくらい受け入れるかという判断の基準と、その基準の明晰性にある。
4) 自由権の性質と社会権の性質とでは、次の二つの本質的な違いがある。第一に個人生活に対する政府の介入の度合、第二に権利を保障するために必要な費用の多寡である(セルビー,D.『ヒューマンライト』[Human Rights]宮崎繁樹監訳、日本評論社、1988年,pp.12-15)。すなわち社会権の登場以来、「近代化」における国家の役割と問題性とが飛躍的に増大したのである。この変化は、産業化、民主主義、自由・平等の実現、合理主義の実現のそれぞれの価値にも転換をもたらした。けれども本稿ではこの転換を、当初構想された「近代化」理念のより十全な現実化のために行なわれた対応であり、断絶よりも連続性に本質があるものとして捉えるため、敢えて度外視する。
5) ルソー,J.『社会契約論』[Le Contrat Social]桑原武夫・前川貞次郎訳、岩  波文庫、1954年,p.22
6) ロック,J.『市民政府論』[Two Treatieses of Government]鵜飼信成訳、岩波  文庫、1968年,p.60
7) ルソー、op.cit.,pp.46-53、およびロック、op.cit.,p.100
8) ロック、op.cit.,p.28
9) ルソー、op.cit.,pp.60-61、およびロック、op.cit.,p.59
10) 理性のなんたるかについての筆者の見解は、次の論稿に述べた。拙稿「日常  生活と社会教育研究」『日本社会教育学会紀要』30号、1994年,pp.96-105
11) ルソー、op.cit.,p.38、およびロック、op.cit.,pp.128-132
12) ウェーバー,M.『社会学の根本概念』[Soziologische Grundbegriffe]清水幾  太郎訳、岩波文庫、1972年、pp.66-70
13) この4つの他に、さらにいくつかの「近代化」の諸特徴を認めることができよう。主要なものとしては、産業化と主客二元論の普及とである。けれども筆者はこれらを「近代化」の理念としてではなく、そのきっかけあるいは原因として捉えているので、省略した。
14) 例えば、加藤康昭「障害者に対する穢れと忌みの思想」(『障害者問題研究』13号、1978年1月,pp.59-64)、横井清『中世民衆の生活文化』(東京大学出版会、1975年,pp.295-334)、生瀬克己『「孤独」と「放置」の精神史』(千書房、1983年,pp.6-56)など。
15) サーリンズ,M.『石器時代の経済学』[Stone Age Economics]山内昶訳、法政  大学出版会、1984年,p.48
16) 河野勝行「戦争の起源と障害者問題」『障害者問題研究』63号,1990年11月,  pp.63-70
17) 網野善彦『異形の王権』平凡社、1993年,pp.21-23
18) 「特殊教育制度を調査すべし」『教育時論』596号、1901年11月
19) 中島半次郎「小學校に特別級を設くべき意見」『教育学術界』7-3、1903年5  月,pp.42-45
20) この点について、次のように述べる論者もいる。“初期における精神薄弱児の指導についてもっとも顕著な共通点は、いずれも、精神薄弱児の特性把握に基づいて、実践と直結した原理と方法とを確立していることにある。” (一宮俊一「わが国における初期の精神薄弱教育の性格」『徳島大学学芸紀要(教育科学)』19号、1971年,p.7)
21) 清水寛「権利としての障害者教育の創造と「精神薄弱」教育史研究の課題」  『精神薄弱問題史研究紀要』11号、1972年9月
22) なお、「準禁治産」というのは、「禁治産」が行為能力の全面的剥奪であるのに対して、いくつかの特定された行為について保佐人の合意が必要であるものをいう。
23) 谷口知平・石田喜久夫編『新版注釈民法(1)総則(1)』有斐閣、1988年,p.270
24) ibid.,p.268
25) 関西弁護士会連合会『障害者の人権』1993年,pp.118-119
26) この2つの問題性は、当初の「近代化」の構想にすでに内在していたと考えることができる。“何人かが、法を知りその規律に従って生活するだろうと想定される程度の理性を獲得しないとすれば、その者は決して自由人となり得ず、決して自分自身の欲するままに放任されない。 ― 何故なら彼の自由の限界を知らないし、その適当な指導者である理解力をもっていないから ― むしろ彼自身の理解力がその責任を引受けることができない間は、絶えず他人の後見支配の下にあるのである。だから精神病者や白痴は決してその両親の支配から解放されない。”(ロック、op.cit.,p.63)
27) ポーター,R.『狂気の社会史』[A Social History of Madness]目羅公和訳、法政大学出版局、1993年,pp.26-27。なお、この本においても“拘留施設は今や続々と閉鎖され、社会で面倒を見る(「非監禁」)というのが精神異常者に対する今日の答え”であるとされ、この運動が“狂人観および狂人処遇の歴史に一大転換点を画するものである”(p.27)としており、これは本稿の歴史観と共通するのであるが、残念ながらこの「大転換」のもつ意味については述べられていない。
28) 文部省社会教育局『社会教育の手引』1952年,p.140
29) 「知的障害者」に対する社会教育事業の現状については、以下の資料に網羅されている(但し、東京都下のものに限る)。東京都教育庁生涯学習部社会教育課『心身障害者の社会教育』1994年
30) 社会教育局設立(1929)に際して問題とされたことに、社会事業が“現實的應急的の対對策”であるのに対して、“基礎的根本的施設”として社会教育を振興せねばならないというのがあった。(社會教育研究会「社會教育局設置の急務」『社会と教化』2-10、1922年10月,pp.2-4)社会政策としての社会教育が内務省と文部省とのどちらに属すべきかという議論(島内俊三「平易なる社會教育論」『社会と教化』2-5、1922年5月,pp.22-26)や、社会教育行政が文部省に定着した後の業務分担をめぐる社会教育課(局)と内務省社会局との争い(例えば第五十回帝国議会「社會教育局設置に関する建議」1925年2月)など、戦前社会教育は社会政策の思想的、防貧・感化的側面という色彩を帯びていた。戦後もしばらくはこの傾向が残っていたようである。(例えば、各地方局長宛、文部省社会教育局長、厚生省社会局長、発社「公民館経営と生活保護法施行の保護施設との関連について」1946年12月)
31) 戦後、社会政策の教育的側面は特に福祉教育と呼ばれ、盛んに行なわれるようになったが、これは社会教育に固有の教育活動とはみなされていない。それどころか社会教育において福祉教育が意識的に取り組まれることは比較的稀である。
32) 文部省『社会教育の手引』op.cit.,pp.107-108
33) 例えば、太田尭編『農村のサークル活動』(農山漁村文化協会、1956年)に  見られる太田と「仙ちゃん」との交流を見よ。
34) 例えば、日本青年団協議会「勤労青年教育基本要項」(1954年度提起総会)  における10の項目を参照。
35) 例えば宮坂廣作は、共同学習を“各自の問題関心から出発し、相互に同じ苦悩を共有しているという連帯感に支えられて、強い学習意欲で積極的・主体的な学習活動が展開されるはず”のものとして捉え、それに対して次のように批判する。“この仮説はもちろん楽観的にすぎる。そもそもはじめの問題提起・問題把握が、はたして問題の本質にどこまでふれうるであろうか。現象面だけをとらえて、皮相な意見を発表したところで、問題設定それ自体が妥当でないのだから、当然正しい解決など出てくるべくもない。……同じ地域の共通生活圏で、似たりよったりの経験と情報しか持ちあわせない人々が、何人か寄り集まったところで文殊の知恵が出るという保証はない。”(『現代日本の社会教育』明石書店、1987年,pp.188-189)ここで宮坂が見落としている共同学習のもうひとつの側面は、民主主義の理念から程遠いような人間の非理性的な側面との対峙である。
36) ハーバーマス,J.『公共性の構造転換』 [Strukturwandel der Offentlich-
  keit]細谷貞雄訳、1973年,p.288
37) 堀尾輝久『現代教育の思想と構造』岩波書店、1971年,pp.199-201
38) 堀尾はこれを子どもの学習権と親の教育権との矛盾として捉え、この問題に“子どもの権利が親権の内容を規定している”という回答を与えている(ibid.,p.199)。しかしこの回答の前提には、子どもは自己主張しないもの、親が子どものために決めたことは子どもにとって利益となるはず、という観念があるように思われる。
39) 前述の判決においては、「子どもの権利条約」の批准手続きが完了していな  いことを理由に、この条約が権利根拠となるということはできないとした。
40) 東京都社会福祉協議会、東京精神薄弱者・痴呆性高齢者権利養護センター『  新しい成年後見制度をめざして』1993年,pp.67-102
41) 新井誠「イギリスとドイツにおける成年後見法の新たな展開」『ジュリスト』  972号、1991年2月,pp.26-31
42) 大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全国社会福祉協議会、1991年,p.12
43) 岡村達雄「自己決定権とは何か」『ノーマライゼーション研究 1994』pp.8-  14
44) 昨年、オランダで尊厳死が合法化された。しかも一人の老人の尊厳死の一部  始終がテレビ放映され、議論を呼び起こしたことは記憶に新しい。
45) 文部省生涯学習振興課「“生涯学習振興法”の成立と内容のポイント」『社  会教育』533号、1990年11月,p.26
46) 生涯学習審議会答申「今後の社会の動向に対応した生涯学習の振興方策について」(1992年)はボランティア活動を次のように捉えている。すなわちボランティア活動とは、“個人の自由意思に基づき、その技能や時間等を選んで提供し、社会に貢献することであり”、“豊かで活力ある社会を築き、生涯学習社会の形成を進める上で重要な役割をもつ”ものである。
47) 社会教育の実践を含めた、生活の諸領域の私事化という現象については、次の論文において論じた。拙稿「生涯学習社会における「学習」概念拡張の背景と意味」『社会教育学・図書館学研究』18号、1994年,pp.55-64
48) 立岩真也「自己決定がなんぼのもんか」『ノーマライゼーション研究 1994』  pp.86-101
49) 石川統『共生と進化』培風館、1988年,pp.188-216