僕とスピセクの歩み
(ご隠居?プロデュ−ス時代編)

初めに

とうとう完結です。フェアウェルパ−ティ−に行って参りました。そこで一番思い出に残った年はいつですか?と聞かれました。僕は迷わずに四年が一番楽しかったと答えました。その理由は好き勝手にやらしてもらった事と下の子が私の能力を十分に引き出してくれたからかなぁ。今回は四年の思い出話です。

2001年はブレイクしたね☆

今年ほど後輩にスピ-チを教えていて楽しい年はなかった。やっと僕が理想としたスピセクの環境になったなぁとびっくりしました。まだエクステとか発音とか問題は一杯有りますが・・・僕が教えた事を上手いこと活用してくれて、よい結果が出て教えているほうとしては楽しくて楽しくて仕方が無かったです。5代目のチ−フは僕を抜かしてしまって本当に嬉しい出来事でした。今年はどうなるか分かりませんが・・

そうして知った痛みは未だに僕を支えている♪(天体観測より)

よく周りの方々に熱心ですねと言われます。僕自身は普通にやっているつもりです。ただ過去の苦い経験がそうさせたかもしれません。その経験とは二年生時の真冬の時代の頃です。ここで知ったことは“大会に出場する事の有難さ”と“出場したいのに出場できない苦しさ”と“後輩に示しがつかない情けなさ”を嫌な程味わいました。特にそれを感じたのは後輩を応援に行ったときに感じました。後輩が楽しそうにプレゼンしているのを見てうらやましいなぁと思ったり、何で発表する価値が無いスピ-チを作ってしまったんだろう、こんなエリミ全部に落ちてくる先輩なんか彼らにとって必要なんだろうか?と、この時程情けないと思ったことは有りませんでした。それと同時に手を抜けばエリミとおらんぞという恐ろしい事を知り、また後輩にはこういう情けない思いをさせたくないなぁと思いました。だからこれが支えになって人から見れば熱心にだなぁと思うぐらいやっているように見えるかもしれません。未だに新作のスピ-チを応募した時本選出場の案内が来るまで、次は駄目じゃないのか、自分のスピ-チは果たして受け入れられるんだろうかと不安で一杯です。四年の時もそうでした。

プロデュ-サ-は本当につらいよ☆

上記のように、あのような痛みをさせないためにプロデュ-ス業に専念しました。実感ですが、やっぱり難しいし、つらいよ☆僕が教えてエリミに落ちてどこにも出られなかったとなったら責任を感じます。四年でもよくスピ-チを読んだり大会に足を運んだものです。次はつらい理由を書いてみました。

その1、僕が面倒見た他大学の子がインナ-の子に勝った時☆

この一年インナ-や他大学の子達のスピ-チを見てきました。その中で幸運なことにプライズを取ってきたという嬉しい事もありました。でもたまに敵に塩を送ったこともありました。インナ-の子と教えた他大学の子が同じ大会に出て他大学の子が勝ったケ-スが三回有りました。嬉しいけど複雑でした。やっぱり身内をひいきするので・・・

その2、与えられた条件でベストを尽くさなければならない☆

もし僕がプレゼンするならこんなトピック選ばねぇ−やこんなイントロやんねぇ−よ−☆というものでも、ちゃんと結果が残せるスピ−チに仕上げるアドバイスをしないといけないのが辛いところです。どんなトピックが来てもアドバイスが出来るように四年なってもスピ−チを分析したり、大会を見学に行きました。本当にきついっす。

具体例(一番心に残った思い出)

昨年とある団体のスピ−チキャンプで、三年で入部して最初で最後のスピ−チを書く人が参加しました。そこでかなりぼろくそに言われてへこんで帰ってきました。そのトピックは薬の副作用です。スピ−チ業界方なら多分これはオリジナリティ−無いし、言い尽くされているからやっても意味無いよねと思われる方が多いと思います。そのキャンプでそう言われたらしいです。その意見は一理あると思いました。実際見せられたら僕もそう言うでしょう。現に福澤杯でそういうスピ−チが発表されているのを知っています。がしかし僕の立場は先輩であって、本人がどうしても訴えたいと言っているので、こういう時の為に三年間培ってきた技術で何とかそのトピックで大会に出してあげたいと思ったし書き方さえ何とかすればどんなトピックでも書けるということも頭の中で考えていました。僕はそこでここは腕の見せ所かなぁと思いました。

ぴんからきりまで出たスピコンの経験が役に立った☆

私は色んな大会に出たお陰で傾向と対策が頭の中に入っています。頭の中で大まかにメジャコン、中堅のスピコンという風にレベルを分けています実際はもっと細かく分けてます。(まだメジャコンの研究がまだまだですが・・)少なくてもあくまでこれをやれば受かる確立が上がる目安にしています。フィ−ルドワ−クをしたかいが有りました。ある程度これぐらいまで書けたり英語が綺麗だったりしたら、これぐらいのレベルは通過する確率が高くなるだろうなぁという計算が頭の中で立ちます。話は戻りますが、その後輩は最初で最後ということも有りとても英語は初心者なのですぐに鍛える事ができなかったという事とも有ったので、あえてメジャコンは受かったらラッキ−程度で本命は中堅のスピコン出場を狙うことにしました。あまりこういうことはしたくなかったのですが、タ−ゲットを絞りました。その子はスピコンに出て良い思い出を作りたいという事だったので、このトピックであの子の英語力だったらこれしか無理かなぁと思ってそうしました。

予想以上の結果だった☆

ちょっと秋口暇だったので、4〜5日面倒見てました。本当にスピ−チを作るのは大変でした。その結果ついていたということもあり中堅の大会6つ出した結果5つ予選通過というとんでもない結果をあげる事がで来ました。あの時は本当にビックリしました。半分通過したら万万歳だったのに、一つしか落ちなかったことに凄いビックリしました。本当にプロデュ−スしてよかったなぁ心から思いました。プライズはまだまだ遠いですけど・・・

親御さんに大人気☆

そういった活動をしていたら、いつの間に親御さんに大人気になりました。エピソ−ドとして、荒木杯に行ったときの話しです。昼休みにご飯を食べるぞ!!と店を探しに行こうと思ったところ、後ろから木下さんですか?と聞かれたので振り向いてみると、”5代目チ−フの母です。初めまして、お世話になっております。いつもお話を娘から聞いております”と挨拶されて、”何も取り得も無かった娘をここまで育てて頂き有難うごました”とお礼を言われました。さらに昼ご飯をご馳走になりました。また、他の後輩も”良い人に出会ったなぁ”と喜ばれているという話を後輩が良く聞きます。それを聞いて本当にビックリしてます。

永遠の闇の中で

最近副顧問にESSを救ってくれて有難うというメ−ルが送られてきました。とても光栄な事だと思います、僕の四年間をこんなに評価してくれるとは思いませんでした。しかし正直言って僕にとってはあくまで結果論です。人から熱心にだなぁと思われるぐらい専念したもう一つの理由があります。それは私の代でスピセクが風前の灯火だったからです。あの時は本当に闇の中で永遠にもがき続けるのかなぁと思ったぐらい絶望に追いやられていました。しかし僕がやらなければもう二度々うちのスピセクは光を浴びる事が無いそう思うぐらいやらなければ、何も改善できなかっただろうと思います。それをした結果たまたまESSを救ったと言われるぐらいになった、只それだけだと思います。今まで誰も相手にされなかったスピセクがやっと相手にされるようになったこと自体大変な事だとおもいます。私にとってみたらある意味幸せなスピ−チ人生だったかも知れません。この先うちのスピセクが堕落するのか、また脅威的な存在になるのかは後輩次第でしょう。世の中に永遠に続くことなんてありえないと思うからです。