その日は、朝から小雪がちらついており、空はどんよりしていた。僕は集合時間に少し遅れていたため、あわてて札幌地方裁判所の玄関ロビーへと駆け込んだ。ロビーはがらんとしており、僕の入ってきた入り口とは反対側の入り口に、新聞社のカメラマンとおぼしき2、3人の人影が見られる程度であった。以前にも何度か傍聴に来たことがあったが、何度来ても、僕はこの裁判所独特の雰囲気にはなじめなかった。世間に何が起ころうと、それを整然とした法体系の網目で掬い取ってしまう、そんな法律的正義の驕りをのようなものを感じないではいられなかったからだ。気を取り直し、僕は建物の東側にある、「控室」と札の掛かった部屋へ入っていった。すると、そこはすでに多くの人でごった返しており、先ほどのロビーの静けさが嘘のように思われた。

 その日僕たちが傍聴する事件は、新聞にも大々的に取り上げられていた事件であった。そのため、普段にも増して多くの人が傍聴に訪れていた。このように傍聴人の数が多すぎると、抽選によってその数が制限されることがあるため、僕は少し心配になった。しかし、とりあえず整理券を受け取り、同じ裁研のメンバーであるO君を探すことにした。O君はすぐに見つかったが、彼は僕の見知らぬ女性と親しげに話をしていた。僕は、「また、この男はよくやるよ」と思いながら、話が一段落するのを待っていた。すると、その女性は、すっと立ち上がったかと思うと、今度は別の男性に話し掛け始めた。僕はO君に、゜「今の女、誰?」と尋ねると、O君は「新聞記者だよ」と相変わらずニヒルな口調で答えた。そう言えば、それらしき人たちが幾人か見受けられ、忙しげにあちこち動き回っている。僕はこの事件に対する社会の関心の深さを改めて感じた。

 そうこうするうちに、裁判所の職員たちが、抽選を行わないことを告げた。僕は、少しほっとした。そして、僕たちは、裁判所の職員の人の後に従い、法廷へと入っていった。正面に裁判官、左手に検察官、右手に弁護士の人たちが座る席が配置されている。いつも不快に思うことなのだが、この札幌地裁の法廷には窓というものが1つもない。僕には、このような裁判所の設計こそが、裁判というものと一般市民との間の隔たりを象徴するものに見えてしょうがなかった。しかし、それと同時に、今日みたいなどんよりとした空が見えたところでかえって気が滅入ってしまうな、などと思った。僕が1人でそんなことを考えているうちに、検察官、弁護士、被告人が入廷し、最後に3人の裁判官が入廷してきた。厳粛な雰囲気が法廷を覆った。

 その日の公判は、検察官の論告求刑と弁護士の最終弁論だった。つまり、検察官、弁護人双方から、最後の意見が陳述される公判だったのである。まず、検察官から論告求刑が行われた。検察官の声が小さくて聞き取りにくかったせいもあり、僕は聞き耳を立てていた。事件は強盗殺人並びに死体遺棄等の事件であった。被告人がその恋人と共に自分の両親を殺害し、死体を原野に埋めたという凄惨な事件である。

 僕は被告人を見た。僕と同年代のすらりとした女性であった。街ですれ違ってもそのまま通り過ぎてしまうような、そんなごく普通の女性だった。

 論告が進むにつれ、赤裸々な事実(もっとも、それが事実かどうかは裁判所が認定することだが…)が検察官の口からさらけ出される。法廷の中は被告人に対する無言の非難、そして被告人の両親に対する同情に満ちていると思われた。

 論告も終わりに近づき、求刑に至った。検察官がまず、求刑に際して考慮した事情を述べる。そして、これから求刑がなされようとするまさにそのとき、法廷の中に今までとは違う、張り詰めた空気が流れた。やや間をおいて検察官が口を開いた。「被告人を無期懲役に処するのが相当と思われます。」その瞬間、法廷の中にざわめきが起こり、新聞記者たちは我先に法廷を駆け出していった。僕は相当な量刑だと思いながらも、これからの人生の大半を刑務所で過ごさなくてはならないのかと思うと少し気の毒になった。

 検察官の論告求刑が終わると、次に弁護士の最終弁論が朗読された。弁護側は被告人の精神的な特徴を指摘し、被告人には殺人の故意がなく、無罪だと主張した。そして、被告人が、いかに己の行為を悔いているかということを力説していた。そのとき、法廷の中に、かすかに忍び泣きの声が聞こえた。僕は、思わず被告人の方を見た。彼女の両肩は震えていた。先ほどまでの彼女に対する沈黙の非難はもう感じられなかった。僕は今度は裁判長の方を見た。彼の手元には予め検察・弁護双方の書類が提出されているせいか、弁護士の話には興味がないようだった。その初老の裁判長は、公判の時間が長引いていることが気になっている様子だった。彼は顔色ひとつ変えずその場の様子を眺めていた。

 弁護側の弁論が終わった。僕には弁護側の主張が認められるようには思われなかった。有罪の判決が下ることは必至に思われた。裁判長が、被告人に対し、「最後に何か言いたいことはありませんか」と尋ねた。彼女は、拘留中に書いた謝罪文があるから、この場で読み上げさせてほしいと言った。裁判長は左右2人の裁判官に了解を求めた上で、許可した。彼女は自分がした行為を心から悔いていること、両親のお墓にお参りに行きたいこと、できれば修道院に入って神に祈りを捧げる日々を送りたいことなどを訴えた。謝罪文を読んでいる間、彼女は啜り泣き、嗚咽を強いて抑えようとしていたため、何度も朗読が中断された。傍聴席からも啜り泣きの声が聞こえ、ハンカチを握りしめる中年の女性の姿も見られた。僕も思わず目頭が熱くなった。しかし、裁判長は相変わらず、その表情を崩さなかった。

 被告人が謝罪文を読み終わったあと、裁判長が再び彼女に尋ねた。「ほかに何か言いたいことはありませんか。」そのときの裁判長の顔は相変わらず、憎たらしいぐらいに無表情であった。しかし、心なしか彼の声は何かの感情に満たされ、震えているように思われた。ただ、僕には彼の心を満たしている感情が何であるのかまでは分からなかった。最後に、裁判長が次回の公判期日を告げて、閉廷した。

 裁判所を出ると空は依然としてどんよりとしていた。O君は気のせいか無口だった。日頃から口数の少ない男だが、このときは特に無口に感じられた。僕たちはお互いに何か隠し事をしているかのように他愛のないことを喋りながらそれぞれの帰路についた。

 以上に述べた裁判傍聴の様子は、決してフィクションではありません。法は常に人を裁き、人を拘束するものです。しかし、講義室に閉じこもり、机上の法解釈を繰り返していると、法律と日常生活との距離というものを忘れてしまいがちです。裁判傍聴は、そんな私たちに、「生きた法とは何か」を考える絶好の機会を与えてくれます。
 私たちと一緒に「法」とは何かを考えてみませんか。