
私は、藏書の荷解きをしてゐるところです。いかにも、書架にはまだ藏書は列んでゐないし、秩序といふ仄かな倦怠感があたりに漂ってもゐません。それで私は、心優しき聽衆諸賢のご臨席のもと、藏書の閲兵式よろしくその列の前を歩くこともできないのです。しかしこんなことはご心配には及びません。どうか私と一緒に、蓋の開いた木箱が雜然と置かれてゐる部屋の中へ、おが屑がいっぱい舞ってゐる空氣の中へ、紙屑の散らかってゐる床の上へ、今まさに二年間の闇から白日のもとに引き出され、うづ高く積まれた本の下へ、歩をお運び下さい。……
……しかし、書庫だからといって、なにも莫大な倉を想定する必要はない。押入れでも、空き机でも、あるいは畳の上でも、本を置けるところはみな書庫なのである。
――荒俣宏
「書斎有害論――あるいは書庫付き牢獄の本質」
私は、數へ切れぬほど多くの〈世界〉が、それぞれ書物であると考へるのを好む。それらを集めたものが、〈宇宙〉といふ膨大な〈書庫〉、もしくは眞の普遍的〈百科全書〉を形づくるのである。
……
――シャルル・ボネ『自然の觀照』(フーコーによる)
……こうして電子的ライティングは「書物」と「百科全書」と「ライブラリー」という区分を崩してしまう。
――J.D.ボルター『ライティング・スペース』
書物史展望内、「讀書革命――或いは、世俗化する讀者」を排架。(10-01-24)
論文「新聞文學その他圈外文學への脱線――高須芳次郎(梅溪)の埋もれた文學史構想に關する覺え書き――」を、たのしい知識に轉載。HTML版も追加。訂正表を附す。(11-05-11/05-13/06-16)
「メルヴィル「バートルビー」――或いは、讀むやうに書く受け身なあり方」を書評集「書物の周圍」内に置く。(11-09-27)