■■書物史片々■■
雜誌協會vs.朝日新聞・豆戰艦
――杉山平助の「批評の敗北」

初出文献継承第6號(金沢文圃閣・二〇〇三年十二月→同誌は『文献探索 2004』卷末再録より轉載。金澤文圃閣は書誌に意のある地方出版社、掲載誌は僅々四ページながら同社PR誌にて、横書き。「書物史片々」はこの號より新設のコラム、豫定寄稿者の缺けた穴埋めに依頼せられたもの、十月執筆。論文「一九三〇年代匿名批評の接線――杉山平助とジャーナリズムをめぐる試論――を草せし際に割愛せる材料を轉用。


新聞の三大廣告主は賣藥、化粧品、そして出版である。知的な商品である書籍・雜誌が列べば紙面の品格を保つにもよろしいから新聞社側でも出版社の出稿を歡迎し、事實、戰前(一九〇五年以降)の主要紙では第一面から全段これ出版廣告で埋まってゐた。その注目度、今日の第一面で下段だけに陣取る三八つ廣告など比ではない。出版史に缺かせない資料であることは勿論だ。これからするのは、一九三二(昭和七)年、その新聞紙上の出版廣告をめぐって隱れた紛爭があったといふ話。

文藝誌『新潮』は一九三三年新年號以來、毎月「ヂヤアナリズムの動き」といふ常設欄を持った。無署名・見開き二頁。現代ならさしづめ「メディア時評」とでも言ふ所。その第一回(この時だけ標題は「ヤアナリズムの動き」)が「廣告主と新聞」といふ見出しでこんな事件を傳へてゐる。

「毎月十五日ごろから二十日前後にかけて、各新聞廣告欄には、雜誌の廣告が續々とあらはれる。ところが例月のやうに十二月號の雑誌廣告が掲載される期日になつてその他の新聞はいつせいに賑かにそれをかゝげ出した時東京朝日の紙上だけはヒツソリとして雜誌廣告の影をひそめたことを注意深い讀者はすでに氣づかれたことであらう」。「あの當時内部には東朝對雜誌協會の廣告掲載ボイコットといふもん著があつて、その道の人たちの異常な注意をあつめたのである」。

これに續けて「事のおこりの眞相は明かでないが」としながら、以下のやうに「外部に漏れた」事情を傳へる。「近頃流行の一圓で十册の雜誌が讀めるといふ雜誌博讀會なるものゝ存在が著しく雜誌社の實利を傷つけるのであの廣告の掲載を遠慮してもらひたいと、雜誌協會から各新聞に申入れたところ、何しろ壓倒的權威を有するお顧客樣方が顏をつらねての申込みだから各新聞は一議に及ばずかしこまりましたと承引したにかゝはらず東朝だけは他人の營業にさういふ干渉がましいことをするのは不當だとの建前から、これを突ぱねたところから端を發したといはれる」。

ここに言ふ「雜誌博讀會」に、ピンと來る向きもある筈。讀書史にとって近年の好著たる永嶺重敏『モダン都市の読書空間』(日本エディタースクール出版部・二〇〇一年三月三十日)の第二章「大正期東京の雑誌回読会問題」が取り上げてゐた、雜誌を巡回貸出しするアレである。この回覽業と雜誌販賣業者側との對立は訴訟沙汰にまで發展した程だった由。永嶺論文には「新聞広告欄で回読会の存在を確認できるのは昭和六、七年頃までである」とあり、正に下限に當るわけだ。

ところが、同じく一九三三年新年號の『文藝春秋』を見ると事情は違ってくる。同誌連載のS・V・C「新聞紙匿名月評」は言ふ――「十一月の東朝の紙面は文藝春秋その他二、三を除く一切の雜誌十二月號の廣告が他紙より遲れて掲載されたのである。之れは日本雜誌協會と東朝廣告部とのあひだの紛擾が決裂したがためであつた。紛擾のおもて向きの問題は回讀雜誌――之れは旺んになると雜誌の賣れゆきがわるくなる――即ち博讀會の廣告を東朝が不文律の協定を破つて掲載したといふことであつたが、實際は豆戰艦に對する雜誌協〔會〕特に豆戰艦の俎上にのぼせられて來た婦人雜誌側からあがつた反對ボイコツトであつて、俎上にのぼせたものが、のぼせられたのであつたが、どう結末をつけたのか東朝の石井廣告部長の陳謝で廣告ボイコツトは解消するに到つた」。出版資本家による批判封じだ、と。

文中「豆戰艦」とは一九三一年十二月から東京朝日新聞學藝欄で毎月の雜誌評を載せた匿名コラムのこと。齒に衣着せぬ寸言で評判を取ってゐた。署名は初め氷川烈、この當時は横手丑之助、いづれも正體は杉山平助である。因みにS・V・Cの方は鈴木茂三郎の覆面で、これはS・V・C著『新聞批判』(大畑書店・一九三三年四月十五日)に改編收録せられた。

このS・V・Cの素っ破拔きを無視できず、翌二月號の『新潮』「ヂヤアナリズムの動き」では言ひ譯がましい續報が載ってゐる。「先月の本欄で東朝對雜誌協會のボイコツト問題にちよつと觸れておいたが、同じ月の某誌にもこの問題が論じられ、それが豆戰艦にからまる問題としてあつたやうである。當時筆者も、さういふ風聞は傳へ聞いたが、或る筋から確聞したところによると、それは雜誌協會の内部の一部においての話であつて、東朝と、雜誌協會の談判の席上では、この問題は公に持ち出されなかつたといふ。」「たとへ腹では何と思つてゐても、批判の自由を壓迫するやうなそんな筋の立たないことを公けに持ち出せる筈のものではないことは明かだから故意にその點には筆を觸れなかつたので、決して記者の迂濶ではなかつた」云々。

かういふ壓力があったと知られてからは「豆戰艦」も筆鋒が軟化したと見られたやうだ。杉山平助の評論「批評の敗北」(『文藝從軍記』〈文藝復興叢書〉改造社・一九三四年六月十九日、ほか所收)も、この實例と共に解すべきものだらう。但し杉山自身は後年かう辯護してゐる。「朝日の名譽のために云つておくが、この時の朝日の態度は立派であつたと、私は今でも心から敬服してゐる。」「あの事件が起りつゝある時に、私は何にも知らされなかつた。事件が解決した時に、はじめて私は、新聞内報その他を見せられ、かういふ事件が起つたのだ、といふことを知らされたのである。そしてその時も、私の筆には何事の掣肘も加へられなかつた」(杉山「匿名批評論」『日本評論』一九三七年五月號→『現代日本觀』三笠書房・一九三八年三月三十日(初版未見、四月二十八日再版による)所收)

廣告とは常に饒舌に語りかけてくるものだが、時に廣告は掲載されぬことによってすら裏面に潛むものを暗默裡に語ってくれるやうだ。(森 洋介)


▲刊記▼ 【書庫】書物史展望 > 《書物史片々》雜誌協會vs.朝日新聞・豆戰艦――杉山平助の「批評の敗北」

發行日 
2004年1月28日 開板/2006年7月19日 改版
發行所 
ジオシティーズ カレッジライフ(舊バークレイ)ライブラリー通り 1959番地
 URL=[http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/biblio/henpen01.htm]
編輯發行人 
森 洋介 © MORI Yôsuke, 2003. [livresque@yahoo.co.jp]
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