■■書物史片々■■
經濟誌に出版史料あり
――『實業之世界』から

森 洋介


初出文献継承第8號(金沢文圃閣・二〇〇四年十月)、横書き。九月末脱稿。轉載に際し誤脱二字を修正。後半で、新聞第一面の全面出版廣告の例のみ特に引いたのは、連載第一回「雜誌協會vs.朝日新聞・豆戰艦」で言及したことへの追補のつもり。なほ、出版關係記事の拾へる經濟雜誌といふことでは、『サラリーマン』(サラリーマン社、一九二八年八月〜三六年八月→複刻、不二出版、一九九九〜二〇〇〇年)をも特筆すべきだった。


古書展で『實業之世界』がまとめて出てゐたので、少し買った。惡名高き、野依秀一(のち秀市)社長の實業之世界社による月刊誌だ。特異な出版人である野依秀市のことは、『20世紀ニッポン異能・偉才100(〈朝日ワンテーマ・マガジン〉朝日新聞社・一九九三年十一月)にも擧げられて、今でも多少は知られてゐると思ふ。戰後の總會屋雜誌やブラック・ジャーナリズムの前形とも言へるその活動は、例へば『言論ギヤング 野依秀市の正體(夕刊帝國新聞社編・刊、一九三三年九月)といふ、それ自體が野依同等に怪しげな誹謗文書から攻撃される態のものだったけれども、一方で押川春浪と親交し(春浪の死因の一つとなるが)三宅雪嶺や幸田露伴らに可愛がられる、快(怪?)男兒ではあった。かの『實業之日本』の向うを張って誌名を「世界」と稱する邊りからも、その稚氣溢れる廣言壯語っぷりは察していただけようか。

別に『實業之世界』は珍しい雜誌ではあるまいが、この手の通俗經濟雜誌は却って散逸させられやすい。虚業である文藝・美術雜誌の方がまだしも文化的價値ゆゑに保存される。だからこの雜誌とて、野依秀市への興味が無ければ繙かずにゐたかもしれない。しかし出版史に關心のある人なら、或いはこの誌名を記憶に留めてゐるのではないか。

安倍能成『岩波茂雄傳』(岩波書店・一九五七年十二月)に、「なほこの事件については、[……]雜誌實業之世界(昭和三年五月號)は、爭議側の筆と覺しい虚構の多い誇張的記事を掲げた」とある。一九二八年の岩波書店の勞働爭議を記した件りだ。同年に書店幹部の小林勇が退店して鐵塔書院を起こす機因ともなった騷動だが、當の小林(六年後復歸、戰後は岩波書店會長)の『惜櫟荘主人 一つの岩波茂雄伝(岩波書店・一九六三年三月→講談社文芸文庫・一九九三年九月)を見ても、その次女と結婚し義父となった故人を憚ってか巧妙に遠回しな文章なので、實態が判然とせず、もどかしくなる所。これを『林達夫著作集 別巻1 書簡(平凡社・一九八七年四月)と突き合はせただけでも、公表された岩波茂雄傳や岩波書店史で明かされぬ實情が色々あったらうことは漏れうかがへる。野依の『實業之世界』ならどうせ暴露記事ではあらうが、いづれ一讀しておきたいと思ってゐた。

今度入手した『實業之世界』一九二八年五月號(第廿五卷第五號・二十一周年紀念特輯號)には、目次に「マルクスを泣かしめる岩波書店爭議の赤裸々記」とある。爭議に訴へた小店員の側に立った無署名記事であり、經營者達への中傷は割り引いて讀むにせよ、岩波書店側からの記述には無かった事情や見方を教へてくれるものだった。どうも安倍能成の言ふほど捏造ばかりでもなささうだ。他にも資料があれば見較べたい。

ところで出版關係記事なら他の號にも見つかる。『實業之世界』一九四〇年六月號、野田貫一「紙飢饉に惱む新聞・雜誌・出版界」。戰時期の紙不足といふだけなら周知の史實だが、各社の對應を名を出して語ってゐるので、歴史に具體的な肉付けができて面白い。一例を擧げれば、新聞紙が第一面を全面出版廣告欄にしてゐたのは日露戰後から一九四〇年八月三十一日迄のことと山本武利『広告の社会史(法政大学出版局・一九八四年十二月、62)に書いてあるが、なぜ終焉したかを述べてない。それがこの記事によって、支那事變以來の用紙制限に因ることだとハッキリする。「十四段制になつてから東京の有力紙は相次いで一面記事開放を宣言し、從來この面にあつた廣告を中面に追ひ込んだ。そして十五段制となつた今日では、一面廣告維持は東朝だけとなつてゐる」と云ふわけ。……等々。

新聞といへば、新聞各紙における經濟關係記事については、神戸大學が明治末年の神戸高商時代からスクラップしてきた厖大な切拔帳があり、『新聞記事資料集成(大原新生社・神戸大学経済経営研究所新聞記事資料集成刊行会、一九七三〜八八年)として通卷五十四まで刊行しながら中斷してしまったが、現在改めてウェブ上で公開されつつある。特に大項目「工業及鉱業」中の「出版印刷業」に分類された記事が書物史にとって有り難いhttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/vlist/spanl.html。當り前だが、出版も經濟産業なのだ。この新聞資料に對して、經濟雜誌上における出版史料の方はまだ集成が無い。ここに紹介した『實業之世界』は偶々目にした片々たる材料に過ぎぬが、他の『實業之日本』『ダイヤモンド』『東洋經濟新報』等を含めて、氣をつけておいてもよいのではなからうか。 ■

(もり やうすけ/近代日本思想史+書誌學)


▲刊記▼ 【書庫】書物史展望 > 《書物史片々》經濟誌に出版史料あり――『實業之世界』から

發行日 
2004年10月20日 開板/2009年12月26日 改版
發行所 
ジオシティーズ カレッジライフ(舊バークレイ)ライブラリー通り 1959番地
 URL=[http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/biblio/henpen03.htm]
編輯發行人 
森 洋介 © MORI Yôsuke, 2004. [livresque@yahoo.co.jp]
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